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Night-night  作者: スガリ
第3話 雪の女王にさよならを
13/32

2

 年明けに行われた試験の結果がそろそろ返り始めた頃。放課後、更科千歳は窓の外を漫然と眺めていた。

「更科」

「おーい、起きてるか?」

 ぶっきらぼうな声と明るい声に引き戻されて、緩慢な動作で馴染んできた級友たちの顔を見上げる。

 しかしすぐ、吸収されず、僅かな残響すらある声に違和感を覚えて周囲を窺うと、千歳と目前の級友たちしか教室に残されていないと気づいた。エアコンは切られて久しいのか、空気も本来の澄んだ冷たさに戻っている。壁時計は、最後見たときから四十分後を刻んでいた。

「……あ、れ?」

「邪魔したか? だけど、日直日誌書き終わったし、鍵閉めたいから、ごめんだけど出てくれるか?」

 愛想よく手を合わせる日直の相棒を余所に、羽咋零はさっさと件の日誌をもって踵を返していた。

 告げられた級友――つい数日前に名前を知った支倉はせくら那智なちの言葉に、漸く頭が追いつく。どうやら、随分長く呆けていたらしい。

 流石に慌てて鞄を掴み立ち上がって、零に遅れて扉をくぐる。

「いやあ、更科が慌てるトコ、初めて見たかも」

「…声、掛けてくれて良かったのに……」

 戸締まりの最終確認を終え、千歳を追いながら那智がからりと笑う。声音で悪意がないと分かるけれど、流石に決まりが悪い。

 そんな二人のやり取りを放っておいて、零は鍵を差し込む。鍵についた小さなプラスチックのタグは、扉と同化しそうな安っぽい白なのに、やけに浮き上がって見えた。

「……で?」

 千歳は、その短い問いかけに咄嗟に反応できなかった。零は返事を期待しているのかいないのか、目を向けることなく扉を揺さぶって鍵が掛かっているかを確認して、鞄を掛けなおして廊下を歩き出した。

「何やってたの?」

「えっ、と」

 少し遅れてその後につきながら口ごもる。

 零に怒られそうだが、少なくとも二十分ほどは待ってくれたのだろう彼らに黙秘権を通すのも悪いと思い、正直に続ける。

「雪を見てた」

 午後から降り出した雪は、今再び廊下の窓を通して外を窺うと、白っぽい薄闇を広げる空にはやはりもう殆ど混じっていない。

 零は秀でた眉を寄せた。

「君にとっては珍しいとは思えないけど」

「当たり前だけど、此処にも降るんだと」

 前にちらりと話したことを覚えたらしい、多少皮肉っぽい呆れに返す。

 少しだけ花びらに似た、儚い散り方。

「……雪の、本当の寿命っていつだろう」

「は?」

 口をついて出た疑問に、当然ながら訝しげな声を出す彼らを置いて、ああと思わず自分で頷いてしまった。雪を眺めながら、ずっと頭の隅ではこれを考えていたのだと気づく。

「溶けたらお終いなのか、溶けて出来た水が蒸発してからなのか」

「水分子でなくなることだとしたらもっと長くなるけど…何で唐突に観念論」

「いやお前の返しもなかなかに観念的だよ」

 那智の的確な突っ込みに、一般的にはそうなのだろうな、と思いながら、千歳は零に向けて小さく首を振った。その仕種の所為で幼く見えるとは知っていたが、長年の癖はそう容易く抜けてはくれない。

「ただ、雪って本当に儚いのかな、って」

「詩人だなあ」

 表情だけは呆れたようなものだったが、那智の声には、からかうような色はない。普通に感嘆しただけのようだった。

 対照的に、零は目を眇める。

「…………更科って、時々」

 其処まで呟いて、中断した。きょとんとしていると、彼はその様子を嗅ぎ取って溜息と共に続ける。

「時々、槐先輩みたいな発言するって思っただけ」

「……あんなに鋭くない」

 黒髪の小柄な少女を思い起こしながら言うと、級友は悪びれず続ける。

「まあ発言が突拍子もないってこと。割ととろいと思ってたし」

「とろ……」

「羽咋容赦無ェな! マイペースって時折は美徳じゃね?」

 零の台詞はこき下ろし、那智の言葉はフォローのようでそうではない。二人とも、少しばかり酷い。

 確かにぼうっとしている自覚はある。三十分近く人が居なくなったことに気づかず外を眺めているように、決して敏感ではない。だが。

「別に、普段鈍かろうが、肝心なことに気づけば良いんじゃない」

「…………雪って、肝心なこと?」

 そうでないのならフォローになりようがないのだが。

 零が答えようと思ったかは定かではないが、その前に那智が静かに苦笑した。

「…あー、前々から思ってたけど、お前ら気が合ってるなあ」

「何処が」

「何処が?」

 零は眉を顰めて、千歳はきょとんと訊き返す。那智は肩を竦めた。

「二人とも、普通に人間してるのに、浮世離れしてるじゃん」

「支倉、それ意味分からない」

 こくりと同意を込めて頷く。普通矛盾する言葉だろう、その二つは。

「え、マジで? じゃあ、お前ら二人ともウチの神さん路線っていえば、どう?」

「…刑事ドラマ?」

「それカミさん違い! 更科はともかく、羽咋も知らねーの? 喜雨神社の姫神さま!」

「…ああ」

 思い至ったらしき零はともかく、千歳には訳が分からない。引っ越してきて数か月で、郷土の昔話などには普通詳しくならないだろう。そもそも、喜雨神社という神社自体を知らない。

「喜雨神社っていうのは、この市にある神社の名前。悪いあやかしを退治した少女が祀られているんだったかな」

「…凄いね。女の子、なんだ」

 普通、そういった英雄譚じみたものは、男性が主人公になりそうなものだ。それをあえて女性というのは、珍しいように思う。

 しかし、いくらこの市にある神社とはいえ、それだけで男子高校生が『ウチの神さん』なんて呼ぶものだろうか。昔話の神さまへの距離感の近さが、不思議だ。

「まあまとめると、確かに即物的なところにはあんまり関心なさそうだけど、価値基準に自分の目線がちゃんと入ってて、霞を食って生きてるって感じしないなあと」

 それが自分たちに感じること、というのはかろうじて理解できるが、そのために神様を引き合いに出すとは、大概那智も変わっていると思う。

 それより何より。

「どういう神さま…?」

「いやあ、ウチの神さんって案外慈悲深いけど根本がアグレッシブらしいし」

「喜雨神社の昔話ってそんなだったっけ」

「いやあ、脚色とか潤色とか色々あんのよ」

 その詳しさが少し不思議にも思えたが、那智は快活に笑う。

「ともかく。お前らって話題と興味は他とちょいずれてるから、確かにあんまり話の合う奴っていないんだろうけどさ、こうやってやり取り聞いてて、あー自分とは違うわーみたいな違和感はねーよ?」

「支倉の意見も結構少数派だと思うけど」

 確かに、雪の話をしていてあっさり応じてくれる零も零だが、それでひかない那智も那智だろう。

 そうかねえ、なんて首をひねる那智をよそに、零は溜息をひとつ吐いて、立ち止まる。

「職員室に鍵と日誌返すから、これで。そっちもとっとと帰りなよ」

 右手を見れば、いつの間にやら確かにスチール製の靴箱が林立していた。対して、職員室に行くならばこの廊下を直進しなければならない。

「……うん、さよなら」

「昇降口で空見てても、今度は放って帰るから」

「わあ羽咋ってばつれねー! じゃあまた明日な、更科」

 皮肉と釘刺しを兼ねた言葉を残し、零はさっさと身を翻した。那智は軽く苦笑したあと、ひらりと手を振って背中を向けた。

 何だか、久しぶりに、にぎやかだった気がする。そして、それがどうにも不愉快ではない。

 ほっとするような疲れをゆっくりと咀嚼しながら、千歳は雪の中に踏み出す。

 既に多くの靴に踏まれた足下の雪は、それでも本来の白を名残に刻んでいた。


「お帰りなさいませ」

 玄関を開けるや否や、待ち構えていたかのように女性が頭を下げる。どこか素っ気無い仕種だがいつものことなので気にしない。そもそも、彼女――リヤンの雇い主は千歳の保護者であって彼ではない。だから返すのは、ただいま帰りましたという言葉だけだ。

「窈様と依頼人の方がお待ちです。どうぞ奥へ」

 千歳が頷くのを確認して、彼女は彼の荷物と防寒具一式を持って下がっていった。その背中をしばし見送ってから、彼は奥こと応接間に向かう。

 ノックするとすぐ、柔らかな少女の声で許可が返ってきた。毎度のことながらおずおずと入室すると、予想通り穏やかに「お帰りなさい」と微笑する千歳の保護者こと鬼無里窈と、テーブルを挟んだその向かいで彼へ驚きの目を注いでいる依頼人が、そっくり同じソファに腰掛けている光景だった。

「ただいま」

 とりあえず挨拶を返し、依頼人にも頭を下げる。慌てて同じ仕種を返す彼女へ、自分を助手と紹介する窈の声を聞きながら、千歳は不躾にならないよう注意しながら、向かいに座る依頼人を観察する。

 典型的なブレザーの制服姿で、おそらく高校生だろう。身なりはきちんとしていて化粧っ気はない。可愛らしい顔立ちをしているが、表情が控えめなためだろうか、不思議と地味な印象だ。一通りの説明が終わっても狼狽した色がどこか抜けない瞳だったが、こんな『怪しげな場所』で落ち着いている依頼人のほうが珍しく、内気な印象も相まって不快には感じない。

 窈は――《獏》は、それを優しく拭うような微笑を浮かべた。

「ご依頼ですね?」

 少女はためらっていたが、やがて小さく頷いた。

「……兄の、ある記憶を消して欲しいんです」


補足

・支倉那智

 第一話2で登場した気の良いクラスメイトくんです。

 やっと名前登場。めでたい。

 零とは名簿順で前後のため組で日直だった模様。


・喜雨神社の神さま

 近隣のお年寄りには『姫神さま』のあだ名で親しまれる女神さま。郷土の昔話となれば必ず名が挙がる、所謂土地神。

 基本的には農業神ですが、元来は神社の名の通り雨乞いの対象。そのため、終戦直前の大空襲に見舞われた際、市民の祈りに応えた彼女が一帯に大雨を降らせて炎の被害は最小限に抑えられた、という逸話もあります。

 その由来は極めて勇ましく、一般的には『日照りを続かせた悪い妖怪がおり、それを退治した村の少女が神格化した』という形で伝わっています。ただしこれは結構脚色が入っており、本当はもうちょっと暗くてアグレッシブな事情があります。

 近年は市内に農作地も減っており、また神社が結構な長さの階段を登らなければ辿り着けない場所にあるため若者たちには馴染みが薄いものの、市の名前の由来も彼女なので、大体皆存在くらいは知っています。


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