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「たぶん、仙波さんは異能者。そう言って良いと思う。無意識の連想を使ったわけでも、虚言を使ったわけでもない以上、とにかく、人とは違った能力を持っているとは、言って良いんじゃないかな」
「ええ。それは、私もそう思う」
リヤンも無言で頷いている。それを受けて、千歳はひとつ息を吸い込んだ。
「最初の情報の出方に問題があったんだと思う」
「仙波さんの叔母上の? 何かあったっけ」
「確かあの人の相談は、かいつまんで言えば『姪が予言できなくなったこと』だったよね」
「うん、確か」
「私もそのように記憶しております」
「『予知できなくなった』とか『予測できなくなった』とは言ってない」
窈が小さく口を開いた。どうして気づかなかったんだろう、と唇だけで呟く。
「つまり、仙波さんは『予言』できないのであって『予測』はできるんじゃないか、っていうこと?」
千歳は頷いた。夕夜に言われて確かめてみたのだ。
『仙波いりなは予言できない』、これは真。『仙波いりなは予測できない』、これは――偽。
「では何故、仙波さんは予測を口にすることが出来なくなったのでしょうか」
「うーん……それこそ、トラウマみたいなものがあるのかな」
「似たようなもの、だと思う」
首を傾げる窈に、おずおずと告げる。
「“ラプラスの悪魔”に限らず、精神的要因や身体的要因は異能の精度を高めていくんだって。でも、幼いうちは上手く力を制御できないとも言ってた。つまり、徒らに力を伸ばすのは危険で」
「……千歳様、それは精度を上げるために、異能は範囲となる時間を狭めたということですか?」
千歳は小さく頷く。たとえ異能が未来を計測しても、それがたとえば数秒後のものでは、口にする意味を殆ど為さない。
「けれどそれでは本末転倒……傷つくから精度を増すべきとするのに、精度を増さんがために自らの力を凝縮するのでは、あまり意味がないのでは?」
それを言われると弱い。だが窈は首を振る。
「ううん……それ以上に傷つかないために異能が成長しようとするなら、予測するのに三日の曖昧なものと、一分の明確な未来、どちらを必要とするかと言えば後者をとるんじゃないかな」
うん、納得したよ、とつぶやく窈の表情は、晴れない。
「でも、千歳くんの推論通りだとすると、予言を取り戻す事なんてちょっと無理、だよね。きっかけになった記憶を消してどうにかなるとは思えないし」
「そう、なんだ」
「《獏》が消せるのはエピソード記憶だけど、異能はどちらかといえば手続記憶に入るらしいもの。自転車に乗れたときの記憶はなくしても自転車には乗れる、みたいな話で」
「……じゃあ、やっぱり」
「時間が解決するのを待つしかない、ということですね」
リヤンがまとめるのに頷いて、窈は溜息を吐く。
「問題は、どれだけの部分を伝えるか、だよね」
「根拠をつけようが無い、単なる推論だし」
「まずはどうやって納得してもらうかな……いっそ、失敗したふりが出来れば」
あまり突飛な話はしないほうが良い。周囲から異能者だと扱われてしまうのは、いりなのことを考えるとあまりよくないだろう。失敗したふりが出来れば仕方のないことと思われる。それが一番丸く収まりそうに思われるが、《獏》は嘘が吐けない。
「……窈様」
考え込む窈と千歳の沈黙を縫うように、リヤンが口を開いた。
「少しばかり詐欺の真似事になりますが、それこそ嘘を吐かずに芝居することは不可能ではないと思われます。
千歳様が、監督になってくだされば」
「え?」
数日後、仙波いりなとその母親は応接室で、一枚の書類にサインした。例の誓約書である。
「では、今から“食事”を始めさせていただきます」
リヤンが前振りをして、灰色のブラウスと濃紺のスカートを身に着けた窈の手に絡んだ三本の紐の説明を始める。深い青に鮮やかな緑、優しい橙。組み合わせとしては奇天烈な筈なのに、何処かこの状況にはしっくりくるものだった。
では、と窈は軽く会釈をして、緊張しているらしく少し身体を縮こまらせているいりなの、閉じた瞼の前に垂らす。青から徐々に、色が抜けて白くなっていく。隣でいりなの母親が小さく息を呑んだ。
しかし、橙の直前、緑の紐が雪のような純白に変わった後、ぴたりと色の変化が止まってしまった。
「……やっぱり、駄目?」
千歳が口を開く。反射的に女性の神経質な目にきつく睨まれて肩を竦めた。対照的に窈は気にした様子も無く、ただ力なく頷いた。疲れた様子の窈に代わり、リヤンが頭を下げる。
「すみません、仙波様。どうもこれは私どもの扱って良い類の記憶ではないようです」
「な……今更それは無いでしょう!」
激昂する女性に、千歳は目を伏せる。
「本当に申し訳ありません。しかし当方で扱えるのはほんのひとかけらの記憶。予言ということに対する否定や悪意、そして温かみのない好奇、それらの長期にわたって繰り返し与えられた記憶を消去するということは、あまりにも、危険です」
「そんな」
危険を強調されて、怒りを通り越したのか呆然と呟く女性に、リヤンは畳みかける。
「肉体的には、問題ないでしょう。なれど、長期にわたる記憶を消してしまえば、お嬢様の意識の連続性を、うまく保てなくなる危険がございます」
窈は深々と頭を下げる。
「勿論これは当方の力不足です。お役に立てず申し訳ありません。ですが、万が一にもお嬢様を危険に晒すことなど出来ませんこと、ご理解下さい」
「ええ、この子の安全には代えられません、確かに、でも……」
「良いじゃない、お母さん」
説明すると女性は幾分か落ち着きを取り戻したようだが、しかしまだ振り切れていない様子だった。其処に本人が声を上げたのだから、女性は落胆を残して娘を見る。
いりなと言えば、はきはきしたものだった。
「予言なんかしなくっても、生きてはいけるよ」
「でも、いりな、周りの人が何て言うか……」
「言わせておけば良いじゃない。どうせ皆すぐ忘れるよ。大丈夫」
窈が僅かに頷いて女性を見据える。
「予言にあまり振り回されないで下さい。娘さんはそんなものを失くしても、充分素敵なお嬢さんです」
にこりと窈は微笑む。
「私の助手が保証します」
いきなり水を向けられて面食らったが、すぐに向かい側の二人の視線に気づき、力を込めて頷いた。いりなが破顔する。
「ほらほら、わたしってばとっても素敵な女の子だって!」
「もう」
元気な娘の声に、女性は此処にきて始めて柔らかな表情をした。
「調子良いんだから、この子は」
「ああ、やっぱり緊張したあ……」
二人が去った後、途端に気が抜けたように窈はソファに沈み込んだ。お行儀が悪いですよ、と窘めたリヤンを見上げる。
「よくあんな作戦思いついたね、リヤン」
ええまあ、と澄ました顔で紅茶を注ぐ女性の整った横顔を、千歳も呆れ半分で見つめる。
“獏”は嘘を吐けない、けれどリヤンは“獏”ではない、故にリヤンは嘘を吐ける――それがリヤンの三段論法だった。
つまり嘘のパートはリヤン、きわどいところは千歳でフォローし、窈は本当のことを述べたということだ。ただし、本当といってもいりなに限らぬ一般論も含まれるが。
「過去何度か使った手口でございますから」
「手口って……もうリヤンったら、泥棒みたいでしょう」
窈は普通に咎めているが、『過去』つまり先代以前に『何度か』使ったとは、つくづく年齢不詳の女性だ。
「《紡屋》さんにも何かお礼しなくちゃね……随分と無理を通してもらったし」
例の糸は、いつも紡いでもらっている人に無理を言って、ちょっとした仕掛けをいじれば、時間を掛けてゆっくり色が抜けるという代物を作ってもらったそうだ。無論、仕掛けをいじったのはリヤンである。
そしてこの台本の最終チェックをしたのは“真実の口”の千歳であるわけで、窈曰く「手札で総力戦」だったらしい。
「もう二度と異能者関係の仕事は請けないことにする……」
窈はげんなりと呟く。そもそも自分を養っているのに、と少し困りつつも、千歳も頷いた。しかも、である。
「タダ働き」
「それを言ったらおしまいだよ」
達成できなかった依頼の報酬を請求することはできず、色々引っ張りまわされたにも関わらず実質無償労働。
リヤンが言うには、年末年始には調査も必要としないような小規模な依頼がちょくちょく来るらしいが。
はあ、と三人分の溜息が部屋に零れる。
それでも、あと少しだけ、仕事は残っていた。
翌日、少しだけの懸念は杞憂に終わり、仙波いりなは一人で応接室のソファに腰掛け、リヤンのココアを啜っていた。他の誰をおいてもいりなだけは千歳の推論を聞くべきだと窈が判断し、こっそりと呼び出したのだ。
出来るだけ丁寧に、噛み砕いても分かりにくい話だった。だが少女は真剣に聞き入って、何とか理解したらしい。最後に、大きく頷いた。
「つまり、いつかわたしが大人になったら、もう一度、今度はもっと正確に、予言できるようになるかもしれないんだね?」
千歳が頷くと、いりなは笑った。
「でも、もうきっとやらない。……昨日チトセが言ったこと、あながちあてずっぽうでもないんだ」
「……え?」
「わたしね、お母さんが言ってたの知ってるんだ。『予言なんかしなきゃ良いのに』って。だけどわたしがしなくなったら、『何で予言しないのかしら』って言ってたのも、知ってる。……わたし、何でもないって思おうとしてたけど、やっぱりどっちにしても否定されてるみたいで、ちょっとずつ、傷ついてたのかもしれない」
「当然だと思う」
人の思いはいつでも自分本位で、けれど柔らかな心は刃を跳ね返せない。
「だからありがとう、《獏》さん、お姉さん、チトセ。わたし、予言者じゃなくても大丈夫だってショウメイするからね! せっかく決まりに引っ掛かりそうなことまでしてくれたんだもの、がんばるよ!」
曇りなく、本来の無邪気さで言ういりなに、千歳は目を細める。
「……うん、頑張って」
それだけの言葉だったが、いりなはくすぐったそうにはにかんだ。
けれどすぐ表情を戻して、彼女は手を打つ。
「そう! こんなに色々してもらったのに、わたしお返ししてない!」
「それは良いんですよ。私たちにお礼をしようと思ったらお母さんに相談しなきゃならないでしょう?」
それでは意味が無い。しかしいりなは口を尖らせる。
「そうなんだけど……わたしそこまで恩知らずじゃないよ」
「ありがとうございます。その気持ちだけで充分です」
微笑む窈へと、いりなは真摯な目で訴えた。
「いつか、いつかね、わたしが助けられることがあったら、いつでも言って」
「でも、いりなさん」
「わたしが出来ることなんて少ないだろうけど、だけど、約束くらいしても、嘘にはならないでしょ?」
子ども騙しのその場凌ぎでも良いから、という意味の、約束。
思わず押されたらしい窈が頷くと、いりなは明るく笑った。
「ね、約束だよ!」
子どもらしい、一直線な思い。
嘘を吐けない《獏》との約束で、それは果たされないことはあっても、破られることのないものとなる。
本人は、きっと意識していないのだろうが。
やはりというべきか、《獏》に悪魔は鬼門らしい。
補足
・第二話裏側
久瀬、羽咋零、槐夕夜など、サブキャラの行動について。
特に本編に絡まないので、気にならない方は読み飛ばしてくださって大丈夫です。
実は、あの時、別の異能者をめぐる事件が水面下で起きていました。
その当事者となってしまったのが、久瀬と対峙していた少女。零や夕夜とは親しい立場でした。久瀬は彼女を拘束するため動き、零や夕夜たちは彼女を助けるため動いていた、というわけです。