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05 ルーアさん観察する、というお話

三分割投稿、ラストです。

 ルーアは、煮立ったスープを火から下ろし、仕上げの調味料を投入して味を確認した。

 微調整を施し完成したスープを前にし、背嚢から取り出した皿を手に、ちらりとシローを窺いさてどうするかで少し迷う。何があるかわからない森歩きだからこそ元々食糧は余裕を持って用意してあるし、この状況で一人で食事をするほど性格が悪いつもりもない。なので夕食を分け与える事に異論はないが、さすがに食器は一人分しか持ち歩いていない。

 ルーアは少し考えた後、皿にスープを注ぎ、乾パンを添えてシローに無言で差し出した。


「ありがとう、ご馳走になります」


 正座していた足を崩し、ルーアからは少し離れた木の根に腰掛けていたシローは、邪気のない笑顔7割、申し訳なさ3割の表情を浮かべつつそれを受け取った。

 それに頷いてから、自分の分のスープはカップに注いだ。少々小さいが、適当に注ぎ足せながら飲めばいいだろう。


「…………」

「…………」


 しばし、二人で無言のまま食事を進めた。

 日の傾きかけた森の中、野営地に焚き火の爆ぜる音とスープをすする音だけが響く。

 初夏の月とはいえ、森の中は夜ともなれば冷えもする。しかも一日中歩き通しだった疲れた身体には暖かいスープは良く沁み込み、人心地がつくというものだ。


 そうしながら、ルーアはさて、と心の中を切り替えた。

 ひとまず状況は落ち着いたが、実は話はまったく進んでいない。お互いに名乗り合いはしたが、逆に言えばそれだけだ。この少年は、なぜこんな森の中で一人でいたか。人の入り込まないこの大樹海で、ピンポイントに自分と鉢合わせたのは偶然か。わからないことだらけだ。

 ルーアは手の甲で眼鏡を押し上げる仕草をしつつ、こっそりとシローを観察する。

 歳頃は自分よりもやや下に見える。そう何歳も離れているという事もあるまいが、スープに何度も息をふうふう吹きかけつつちびちびとすすっている姿は、見た目よりもさらに幼く見える。

 そして何より眼を引くのは、その黒い瞳と黒髪だろう。この辺りでは余り見かけない色だ。肌の色も、海洋連邦出身の者ほどではないがやや濃い。ついでに髪型は、特別に気を使っているようには見えないが、無造作そうに見えて清潔に揃えられている。

 それはいい。珍しくはあるが、だから何だという事もない。

 看過できないのは、その服装だ。

 薄い水色の、薄手のローブ一枚。人の服の下の様子を盗み見たり想像したりする趣味はないが、どう見てもその下に何か着込んでるようには見えない。その上足にいたっては裸足だ。場違いもここに極まれり、森歩きを舐め過ぎというのを通り越して普通に自殺行為だある。

 そのくせ、本人はそれに対する危機感などまったくなさそうで、今も幸せそうに乾パンをかじっている。

 まったく、わからないことだらけだ。


「っくしゅん!」


 不意に、シローがくしゃみをした。見れば、寒そうに身を震わせている。当然の話だ。その服装は軽装どころではなく、かろうじて裸でないと言うべきであり、それは身体も冷えもする。スープを飲んだ程度では、あの薄着はカバーしきれないのだろう。


「…………」


 まったく、わからないことだらけだ。

 まったくわからないことだらけだが、だからと言って放っておくわけにも行かなかった。自分は森林王国の魔法師団員であり、伯爵家エレメイン家の第二子だ。民草を保護する義務がある……すくなくとも、危険人物でない限り。

 ルーアはカップを下に置き、再び背嚢に手を伸ばす。少し中を探って、黒い布の塊と予備の靴を引っ張り出す。そして立ち上がるとシローへと歩み寄り、まずは布の塊のほうを差し出した。


「これは?」

「少しは凌げる」

「え? あ、うん、ありがとう」


 短く言い捨てたルーアに、シローは判らないなりに、服か何かなんだろうと見当をつけてお礼の言葉を言いつつ受け取る。

 そしてシローが受け取った物を広げてみると、それは畳んだ黒のマント――魔法師団の黒マントであった。

 構造としては「只」の字の形をしており、身に着けるときには「□」の部分を後ろに回し「ハ」の部分を肩から前に垂らすという、横の開いた腕の動きを阻害しない形になっている。

 シローはそれをためつすがめつしてから、身に付け始める――「□」の部分を、前に当てて。

 軽く目を見開くルーアに気付かず、シローはエプロンを身に着けるイメージで「ハ」の部分を背中に回し、交差させて腹の前で結びつけ――ようとした所で、ルーアの手が伸びてそれを止めた。


「な、何かな……?」

「…………!」


 驚いているシローを前に口を開きかけたルーアは、しかし何も言わず口を閉じ、軽く目を伏せ頭を振った。

 ルーアは軽く反省する。栄えある魔法師団の証とも言うべき黒マント、当然それを着けてるところは誰しも知っている……というのは先入観だ。例えば目の前の少年などいかにもぼんやりしていて、それすらも知らなさそうではないか。渡しただけで着け方がわかる、というのは自分の早計だった。だからとんちんかんな着け方をしようとしたシローに対し怒るのは筋違いだ。そう、自分がやっとの思いで入団した魔法師団、その証とも言うべき黒マントであろうとも、それを知らないのならば一見ぞんざいに見えるような扱いをしても仕方がない。そう、仕方がないことであり、シローに罪はない。むしろ、こういったものには執着しないと思っていた自分が、マントをぞんざいに扱われたことに意外なほどムカッと来てしまい、思いのほかこのマント――ひいては魔法師団に思い入れがあったのだということに気付き、新鮮な思いを抱けたことに感謝してもいいくらいだ。

 だからシローに文句を言うのは間違っている。

 うん、自分がムカッと来たのだとしても、シローには文句を言われる筋合いはない。

 よし落ち着いた。


「着け方が違う」


 十分に落ち着いたところでそう言い放ち、返事を待たずにマントからシローの手を離させ、剥ぎ取った。

 なにやらシローが怯えた目を向けてくるが、懇切丁寧に面倒を見てるというのに失礼な話である。が、これに関しては説明するよりもやって見せてしまうほうが早いので、マントを広げ彼の背中から被せた。そして前に垂らした部分の内、向かって左側のほうから留め紐を伸ばし、反対側の留め金に結わえて結ぶ。


「あ……ありがとう」


 自分が着け方を間違え、ルーアがそれを正してくれたのだと気付いたのだろうシローが、怯えの表情を改め礼の言葉を口にした。

 それに対してルーアは無言で頷くと、今度は靴を差し出した。

 厚手の革で作られた丈夫な靴だ。荷物としては嵩張るが、森に限らず野外で靴がないという事は致命的なことにも直結しかねないので、万一に備えて予備を持ち歩いている。それを差し出すことに不安がないではないが、村まで後一日の位置であるし、何よりこの少年を裸足で森歩きさせるわけにも行かない。


「何から何まで、申し訳ない」


 もう一度礼の言葉を言いながらそれを受け取ったシローだが、すぐに困惑することになった。

 それも当然だろう。サイズが合わず、足が入らないのだ。シローは小柄ではあるが、さすがに自分よりは大きい。しかしそれもルーアの想定範囲内ではある。何とか足を入れようとあれこれやってるシローを尻目に、ルーアはベルトに付けていたソレを取り出した。


「えーとごめん、せっかく貸して貰ったんだけど、入らな……っ!」


 しばし入らない靴に悪戦苦闘してから、ルーアの方を窺ったシローはぎょっとすることになった。ルーアがその手に抜き身のナイフを握っていたからだ。

 しかし当のルーアはシローの驚きもスルーして、ナイフを持っていない方の手を彼に差し出す。


「返して」

「……ハイ!」


 思わず敬語で返事をし、両手で靴を揃えてルーアに差し出すシローだった。

 靴を受け取ったルーアはやはりそんなシローの様子に構わず、靴のかかとにナイフを当てると、躊躇わず縦に切込みを入れた。

 何をしているのかとシローが見守る中、もう一方の靴にも同じように切り込みを入れたルーアはベルトに下げた鞘にナイフを戻すと、その切り込みが入りかかとの部分が開いた状態の靴をもう一度シローへと差し出した。


「これで、入るはず」

「! あ、うん」


 慌てて受け取ったシローが、その靴を早速履こうとする。かかとの固定がないサンダル状態ではあるが、今度はちゃんと入った。

 それを確認したルーアは一度小さく頷くと、今度は紐を取り出しシローの足首に巻きつけ、靴を強引に固定する。応急処置ともいえない苦肉の策だが、裸足よりはましだろう。

 靴を履いた足で軽く地面を踏みしめて具合を確認したシローは、大丈夫だと示すように一度笑ったあと、申し訳なさそうにルーアに頭を下げた。


「ホントにありがとう。ごめんね、せっかくの靴を壊させちゃって……」


 ルーアは、気にしないようにという意図を込めて首を振った。


 ……実際のところ、こうして甲斐甲斐しく世話を焼くのにも、実は理由がある。一つは単純に、保護すべき民草であるなら見捨てる選択肢が彼女にない、という理由だ。

 だが同時に、本当に『保護すべき民草』であるのか、その点がまだ正体不明なこの少年の反応を確認する、という意図もあった。

 成果は上々と言える。こちらが半ば意図的に友好的に接するのに対して、この少年は同じように……あるいはそれ以上に友好的に返してくれている。というかむしろ恐縮している。

 それがこちらに取り入るための演技だ、という可能性もあるが、おそらくそれはないだろう。今までの反応が演技だと言うなら、もはやルーアの手に負えるレベルではない。そして、そこまで出来るほどの人材であるというなら、そんな存在が自殺行為同然の軽装で、わざわざ自分のところに取り入りにくるというのがコストパフォーマンスが悪すぎる。もっと価値のある人物や場所を狙うなり、とっとと自分を処理するなり、ずっと効率的に動けるはずだ。


 ルーアは手の甲で眼鏡を押し上げた。

 取り入るための演技である、という可能性を排除して考えるならば、このシローという少年はきわめて素直で義理堅く、なおかつこちらの意図を汲み取れるだけの知性もある。

 ならばあとは直接問いただせば、素直に答えてくれるだろう。

 あとは、それは聞いてから改めて判断を下せばいい。


 踵を返し、元の位置に戻って木の根に腰掛け、置いたカップを拾い上げ、一口。

 一息ついたところで、シローに向き直り、本題を切り出す。



「……貴方は、こんなところで何を?」



 核心に触れる、そのための取っ掛かりとなるべく切り出したその質問は。



「え? 僕は別の世界からここに飛ばされてきたばっかりで」

「…………はい?」



 いきなりズッコケたのだった。


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