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04 あなたのお名前なんてーの? というお話

三分割投稿、二つ目。



「…………」

「…………」


 野営地に、沈黙が満ちていた。

 あの後ルーアは、土下座をしながら時おりちらちらとこちらを窺う信太郎をスルーして、風に吹き消された火を再点火し、放り出したメモ帳とペンを回収し、吹き散らされ土まみれになってしまったチーズと干し肉を諦め、何とか無事だったスープを改めて火にかけた。

 別に意地悪をしていたわけではない。彼女にだって、雑事をしながら予想外な事態に対する心の整理をする時間が必要だっただけだ。

 そうしている間、ずっと土下座をしていた信太郎を見て、ルーアはかすかにため息をつく。

 とりあえず、危険な存在である、ということはなさそうだ。


「ルーア」

「え?」


 「どいて」の一言以来、ずっと無言だった少女が唐突にもらした声に、信太郎は思わず顔を上げた。その表情は、困惑に満ちている。

 うまく伝わっていないようだ、と判断したルーアは、やむなくもう少し補足することにした。


「……ルーア。私の名前」

「ああ!」


 信太郎はパッと顔を輝かせた。正座はしたまま上体を起こし、晴々とした表情でルーアへと笑顔を向ける。


「僕は信太郎、霧島信太郎って言うんだ! よろしくね」

「…………」


 元気良く名乗り返した信太郎に、ルーアは無言でかすかに片眉を上げた。登場の仕方とはまた別の意味で、どうやら常識知らずらしい、と感じたからだ。

 なので眼鏡を手の甲で押し上げてから、説明を開始する。


「……公式の場でもない限り、初対面でフルネームを名乗るのは良くない」

「え? そ、そうなの……?」


 笑顔が一転、浮かない顔になって聞き返してくる信太郎に対し、小さく頷くルーア。

 宮中や神殿などの公式の場、特に目上の者が相手の場合では本名を名乗る事が正しい作法とされているが、それ以外の場でいきなり本名を名乗る者は稀だ。


「自らの本名は大切なもの。迂闊にそれをばらしては、良くないものを呼び寄せる」

「そ、そうなんだ……?」


 伝承では、不注意に自分の名を口にすると、良くないものに目を付けられ、知らぬうちに自分の家に入り込み、大切なものを奪ったり壊したりされたり、タチの悪いものはそのまま居座ってしまう、と言われている。それを防ぐために、子には長めの名前をつけ、普段はその一部を呼び名として使う、という風習は今も根強い。

 そう、実際のところは、単なる風習である。


「あくまで、そういう伝承。現実にどうこうということはない」

「そうなんだー、それはよかった」


 ルーアの言葉に、目に見えて安堵する信太郎。

 実際、技術発達の進んだ山岳帝国辺りではすっかり廃れ迷信となっている風習だ。あちらではすでに若年層の名前は、短音のものがほとんどである。


「とはいえ、その風習は今でもそれなりに根強いのも事実。特にこの辺りでは迂闊に本名を名乗ると、不審を抱かれる」

「き、気をつけます……」

「それに……」


 今度は肩を落として落ち込む信太郎に対し、さらに説明を続けるルーア。


「それだけ大事なフルネームを相手に伝える、というのはそれだけ相手に敬意を払っている、ということになる」

「……?」


 お説教が続く、と思っていた信太郎は、それはいい事なんじゃないかな? と小首をかしげた。

 彼の表情からその考えを読んだルーアは、その油断を容赦なく攻め立てる。


「そうされたのなら、明確に立場に差がある場合でない限り、同様の敬意を返すのが妥当」

「えーとつまり、本名を名乗り返す?」


 信太郎の言葉に、ルーアは頷いて見せた。


「……つまり穿った見方をすれば、いきなり本名を名乗るという事は、相手の秘されるべき本名を名乗るように強要してる、とも取れる」

「それはっ……」


 言ってみれば初対面の相手に、ありえない位の高価な品を手土産として渡すようなものだ。暗に、同等の品を返礼に寄越すか、相応の扱いを要求してるようにも取れる。もちろんこれは悪意のある解釈だ。だがそうとも取れるような行動と言うのは、つまりマナーにもとる行為だとも言える。

 それを悟った信太郎は、反論の言葉を飲み込んだ。

 しゅんとしてしまった信太郎を見てルーアは、コイツさっきから人の言う事を鵜呑みにしてコロコロ一喜一憂してるが大丈夫かという眼をしたが、彼女の無表情っぷりからするとほんのささやかな変化であり、信太郎がそれに気付くことはなかった。


「…………」

「…………」


 ルーアは小さく嘆息した。別にこの目の前の少年をやり込めるつもりはなかったのだ。

 普段は無愛想で口数も少ないくせに、自分の知識をひけらかすチャンスと見ると必要以上に饒舌になって解説を始めてしまうのは自分の悪い癖だ。自覚はしているし、この癖で何度も周囲の人間を不快にさせているのも判っているが、なかなか治らない。しかも今回は、相手が目に見えてしょげかえっている。まるで小さな子供をいじめてしまったようで、後味が悪い。

 ルーアは、眼鏡を手の甲で押し上げた。


「……ルティシア・エレメイン」

「え?」


 再びのルーアの唐突な発言に、信太郎が顔を上げた。


「ルティシア・エレメイン、エレメイン家の第二子。人からはルーアと呼ばれている」

「あ……!」


 信太郎は顔を輝かせた。なにやら既視感を覚える光景である。

 それはともかく彼は、見た目は無愛想ななこの少女が今この場面でフルネームを名乗り返してくれたのは、「気にしていない」という意思表示だと気付いたのだ。


「シンタロー・キリシマ、キリシマ家の長子だよ。……えーと、僕の場合は、シロー……って名乗ればいいのかな?」

「……それで構わない」


 信太郎改めシローは一転嬉々として、形式を真似て名乗り返す。最後は少し自信無さそうではあったが、頷いて見せたルーアを見て安堵の表情を浮かべた。

 

 呼び名をつける場合、名前の頭と最後をつなげるのは女性のやり方であり、男性の場合は頭から取るのが一般的……とはルーアは言わなかった。

 あくまで一般的な法則である。例外だっていくらでもあるし、そもそもが廃れかけてもきている風習だ。本人がそれでいいなら、それでよし。

 呼び名なんてそんなものである。 


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