02 異世界転生手続きのお話
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ふと気付くと、霧島信太郎は見知らぬ部屋の中央で椅子に座っていた。
戸惑いながらも周囲を見回せば、室内は絨毯敷きの12畳ほどの広さ。クリーム色の壁には木製の重厚な本棚に落ち着いた静物画、観葉植物といったものがうるさくない程度に配置されてる。扉は一つで窓はない。そして彼の目の前には、室内でひときわ存在感を放つ立派なデスクが鎮座し、全体的な落ち着いた雰囲気とあわせ、どこかの執務室か何かを思わせる。
そこから1mほど離れた部屋の中央のぽつんと置かれた椅子に座ってる彼は、今は不在のデスクの主にこれから面接をされるかのような様子だ。
部屋に見覚えはないし、そもそもどういう経緯で自分はこの部屋に来てこの椅子に座っているのか、まったく記憶がない。
信太郎がそのことに首をひねったその直後、扉が音を立てて開き誰かが入室してきた。
「…………」
「…………」
入室してきたのは一人の妙齢の女性だった。すらりとした長身を紺色のスーツに包み、黒髪をアップにして、縁なしの細眼鏡をつけている。
その表情は落ち着いている、というより無表情。ぱっと見で二十代半ばくらいに見えるのだが、落ち着き具合からもっと上のようにも、逆に落ち着いた印象のせいで年かさに見えてるだけのようにも思える。
その女性は、相変わらず戸惑いっぱなしの信太郎をちらりと一瞥すると軽く目礼し、小脇に抱えたファイルの束を持ち直すと規則正しい足運びでデスクに向かい、信太郎の目の前に座った。
そしておもむろに、信太郎に向かって軽く頭を下げた。
「初めまして。私、本日霧島信太郎さまのご案内を担当させていただく者です。名称に意味はありませんので、ご必要であればどうぞ案内役とお呼び下さい」
「あ、はい、霧島信太郎です。よろしくお願いします」
「これはどうもご丁寧に」
状況はわからないままだが、丁寧に挨拶をされてしまった以上、信太郎としてもつい素直に挨拶を返してしまう。
そんな信太郎に対し再び目礼を返すと、案内役と名乗った女性は相変わらずの無表情のまま、机の上にファイルを広げ始めた。
「信太郎様に置かれましては、現在どのような状況下にあるか把握しきれずご混乱の事と思われます」
そう言って、案内役はちらりとファイルから目を上げる。
信太郎はまさに我が意を得たりと勢いよくうんうんと頷いた。
それを確認し小さく頷いた案内役は、一度ファイルに目を落としたざっと配置を確認したあと、再び信太郎へと向き直った。
「ですが当方には、それらを一通りご説明させていただく用意がございます。ですので、まずはどうか落ち着いて耳をお貸し頂ければ幸いです」
「あ、はい、お願いします」
「ありがとうございます」
そう言って深々と一礼する案内役に、釣られるようにしてやはり頭を下げ返す信太郎。
頭を上げた案内役は、ゆるぎない無表情のままにまっすぐに信太郎を見据える。
「では、ご説明の前に一点、確認しておかねばならない事がございます」
「あ、はい」
「率直にお尋ねしますが、この部屋にいらっしゃるまでの経緯については、どこまで覚えていらっしゃいますか?」
「え?」
信太郎は、まさにそこが判らずに混乱していたことをピンポイントで聞かれて一瞬面食らう。が、考えてみれば説明して貰えるにも、自分がどこまで覚えてるかを確認するかは当然と思い、素直に記憶を探りなおす。
……しかしやはり、そこから今この状況に繋がる記憶がすっぽりと抜け落ちたままだった。
自分の名前は霧島信太郎、17歳男子、7月6日生まれのかに座のO型、家族は母一人、兄弟はいない。そういった基本情報に加えて、昨日までの生活と今日の(主観での)さっきまでの記憶といったことは問題なく思い出せているので、記憶喪失という事はないはずだが。
「……それが、さっぱり覚えてなくて。普通にいつも通りの今日をボーっと過ごしてた記憶しかなくて……」
「なるほど、ではまずはそこからですね」
信太郎の答えを聞き、案内役は眼鏡を中指で押し上げた。
「単刀直入に申し上げまして信太郎様、あなたはご逝去されました。死因は火災によるものです。
まずはお悔やみ申し上げます」
「はぁ……」
机の上に手を揃え、深々と頭を下げる案内役に対し、信太郎は思わず気のない声を返してしまう。
さすがに自分自身へのお悔やみを聞くのは初めての経験で、そうとしか答えようがなかった。
その様子に、案内役はわずかに小首をかしげた。
「あまり動じていらっしゃいませんね?」
「いやなんと言うか、そう言われても実感がなくて……」
「当然のことと思われます」
小さく頷く案内役を横目に、信太郎は自分の両手を見下ろす。
火事にあった……という割には、自分の手に傷一つない。
「――――――」
信太郎は顔を上げ、案内役に小首をかしげて見せた。
「それで、僕がもう死んだ、ということなら……ここは死後の世界で、その、ええと、案内役さんは神様かなにか、というわけですか?」
「概ねその認識で間違っておりません。
より正確に表現するなら、『信太郎様の持つ"神"という存在からイメージする全ての機能を実現可能な上位存在の、信太郎様に応対することに特化した一欠けら』、というべきですが」
「ええと……」
「例えるなら、私は総合商事『神』の『転生案内』事業部に勤務する一社員で、このたび信太郎様の担当を仰せつかった、と思っていただければ」
「……判りやすい例えをありがとうございます」
「恐れ入ります」
「それにしても……」
信太郎は、改めてぐるりと周囲を見回した。落ち着いた調度品の並ぶ室内に、目の前には冷静で礼儀正しい、自身のことを総合商事に勤務する社員と例えたいかにもやり手のキャリアウーマン風の女性。
「神様って、想像してたよりもずっと事務的なんですね……」
つい苦笑い気味に感想を漏らす信太郎。
「お望みであるなら、別の演出も可能ですが」
「……はい?」
しかし、それに対する案内役のごくごく真面目な口調での返答に、素っ頓狂な声を上げてしまう。
そんな信太郎の様子に頓着せず、案内役はそのまま言葉を続ける。
「これは実演した方が早いですね。というわけで失礼して」
案内役は、胸の前でぽんと手を打ち合わせた。
その瞬間、景色が塗り変わった。
「え? ええ?」
周囲にはまぶしい位に光が降り注ぐ。それでいて空気は、肌を刺すようにひんやりとした清らかな雰囲気。光に満ちた中を目を凝らせば、周囲は石造りの重厚な柱が立ち並ぶ古代の神殿を思わせる様相に様変わりしていた。
そして信太郎の前には祭壇が拵えてあり、そこにはトーガのような白い衣を羽織り、手には複雑な細工の施された杖を持つ、禿頭に豊かな白髭の老人が立っていた。
その老人が口を開く。
「このように、神秘的な雰囲気を演出することも、」
そう言って老人が杖をしゃんと鳴らすと、再び景色が塗り変わった。
「……!」
まとわりつくようなジメッとした空気。鼻の奥を硫黄の臭いが刺激する。いくつもの燭台がかろうじて照らし出す様子を見て取れば、ここはどうやら岩肌の露出した薄暗い空間の中であるようだ。
そして信太郎の前には、黒衣に黒ヤギの頭を持つ大男(?)が、禍々しい装飾の玉座に腰掛け、片肘をつき顎を乗せていた。
その黒ヤギが口を開く。
「このように、退廃的な雰囲気を演出することも、」
黒ヤギの赤い瞳が輝き、また景色が塗り変わる。
「わ、わわ!」
今度は、どちらが上とも判らない薄緑一色の空間の中、信太郎は支えもなく浮かんでいた。遠くでは不規則な数字の列が、細波のように流れ、またたいている。
そして信太郎の前に浮かんでいるのは、身体にフィットした青のボディースーツに身を包んだ、金髪ツインテールの少女。その眼を銀色のバイザーで隠しつつ、周囲にホログラムのように浮かぶウィンドウにせわしなく指を走らせれば、その度にいくつものウィンドウが消え、また新たなウィンドウが出現する。
その少女が口を開く。
「このように、VR空間的な雰囲気を演出することも可能です」
少女が手を止めると全てのウィンドウが消え、代わりにひときわ大きなウィンドウが現れる。少女がそこに手を伸ばすと、空間のすべてが数字になってほどけ、景色が塗り変わっていく。
「――――?!」
信太郎が気付くと、景色はまた、元の執務室に戻っていた。目の前には、キャリアウーマン風の案内役が変わらずに無表情のまま座っている。
目まぐるしい変化についていけず眼を白黒させる信太郎を尻目に、案内役は平坦な声のままで説明を続けた。
「まず最初にこの形式で信太郎様をお迎えしたのは、私どもによる調査の結果、それが信太郎様にもっとも落ち着いて説明を聞いていただける雰囲気であるとの判断によるものです」
「そ、そうでしたか……お、お気遣いありがとうございます」
「恐縮です。それで信太郎様、応対環境になにかご希望はございますでしょうか? 先ほどの例示以外のものでも、仰っていただければ対応いたします」
「あー、いえ、このままでお願いします……」
「はい、ではそのように」
「あー、それにしても……」
「なんでしょうか?」
信太郎は見せられた『例示』とやらを思い返す。髭の老人、玉座の悪魔、サイバー少女……。
「どれもみんな、案内役さんの声と口調のままって言うのはちょっとシュールでした」
「左様でございましたか」
閑話休題。
さて、と信太郎は気を取り直す。
現在のこの状況だが、正直なところいきなり見覚えのない場所に連れ込まれて出し抜けに死んだだの神だの言われても、信じることはできなかった。それを即座に否定しなかったのは、素直な心情を言えば「頭ごなしに否定するのも気が引けた」というところだ。
しかし、今の場面転換だ。
例えば幻を見せられたとか映像を見せられたとか、そんなものでは納得ができない迫力があったし、最後に至っては文字通りに地に足が付かない感覚まで体感させられた。自分が夢でも見ているのでないかぎり、少なくとも自分の常識の及ばない状況であるのは確かなようだ。
となると、案内役の言にも信憑性が増してくる。
「ちょっと話を戻しますが、僕が……その、死んだ、というのは……」
「信じがたい事とは重々承知でありますが、事実です」
恐る恐る、という風に確認する信太郎に対し、キッパリと断言する案内役。彼女はちらりと目を落としファイルを確認すると、言葉を続ける。
「基本的に信太郎様の世界においては、死亡された方の元の世界への干渉は禁じられているので、詳細な説明はご容赦いただきたいのですが……簡単にご説明するなら『運悪く事故に巻き込まれた』というところですね」
「そうですか……」
信じたわけではない。
信じたわけではないが、完全に否定もしきれない。
その上で、もしそれが本当だとするならば……やはり、気になることは一つだった。
「あの、それで……母さんの様子、なんかは……?」
「…………」
いままで打てば響くように答えを返してくれていた案内役が、初めて即答を避けた。彼女が中指で眼鏡のブリッジを押し上げると、天井の照明を反射してその瞳を覆い隠す。その下にあった瞳が、今までと変わらない表情の浮かんでいないものだったか、あるいはそうで無かったのか……信太郎には判断がつかなかった。
「やはり、詳細な説明はご容赦いただきたいところでございますので……申し訳ありませんが、『おそらく、ご想像の通り』とだけ答えさせていただきます」
「そう……ですか」
「…………」
うつむく信太郎を見つめながら、案内役も沈黙する。
しばらくそうしてた彼女だが、やがて意味もなくもう一度眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……手紙なら」
「え?」
案内役の声に、顔を上げる信太郎。
「お手紙なら、お届けする事が出来ます」
「手紙……ですか?」
「はい……生前にたまたま、日頃の感謝をしたためたお手紙が用意してあって、
それが現状では別れの挨拶のように受け取れて、
それがたまたま、今回の火災を免れて、
のちのちにそれがひょんなことで発見された……
そのような体裁を守っていただけるなら、状況が落ち着いた頃を見計らって、お届けさせていただきます」
「……渡せる……?!」
もちろん現状を知らせることはお控えいただきますし、その確認のためにお手紙には眼を通させてもいただきますが、と続ける案内役の言葉も耳に入っているのかいないのか、信太郎は「手紙が渡せる」と小さく呟き続けた。
そして、自分でその意味が染み渡りきった直後、信太郎は勢いよく深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! それでよろしくお願いします!」
「はい、承りました」
頭を下げていた信太郎には当然案内役の顔は見えなかったが、そう応えた彼女の声は今までよりも柔らかかったように感じられた。
「では、便箋と筆記用具は後ほどご用意させていただくとして」
案内役は一度言葉を切り、手元のファイルに何かを書き込んでから再び信太郎に向き直った。
「話もまとまった所で本題に入らせていただきます」
「……本題、ですか?」
「…………」
顔を上げ、何のことだろうと首をかしげる信太郎に対し、案内役は無言で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ええ、本日こちらに信太郎様をお招きした理由です」
眼鏡を直し終った案内役の視線に、なぜだか背筋がぶるりと震えた信太郎。
「今までの話題は、すべて『現状をどこまで把握しているか』に端を発する、前置きでございます」
「あー……す、すいません、忘れてました……」
「……お気になさらず。ご混乱する心中はお察しいたしますし」
「ご、ごめんなさい!」
言葉ではそう言う案内役の口調に微妙に冷たいものを感じたのは、あくまで先ほどの声に感じた柔らかさとのギャップのせい―――
そう信じたい信太郎は、全力で謝罪の声を上げるのだった。
再び閑話休題。
「それで改めて本題ですが、単刀直入に申し上げて、ご希望次第で第二の人生を歩んでいただくご用意がございます」
「はあ……」
手元のファイルをめくりつつずばっと本題を切り出した案内役に対し、生返事を返す信太郎。自分が死んだ、という事を漠然とではあるがようやく飲み込めたところだ。そこに第二の人生と言われても、さすがにそろそろ情報処理が追いつかなくなってきている。
そんな信太郎の様子に構わず、案内役は言葉を続ける。
「なお、これはあくまでご希望に適うならば、の話でございます。信太郎様がご希望されない場合、強制するものではございません」
「そ、それは安心ですね……」
「恐縮です」
いや、何が安心なのかわからないが。
そもそも、何の話かさっぱりわからないが。
「それでは詳しい説明に入らせていただきますが……まず大前提として。
一つの命が生まれ、育ち、死んでいく――そのサイクルは、一度で終わるものではないのです。
死した命は新たな世界へと旅立ち、また再び形を変えて生み出され、また育ち、また死ぬ……ずっと、そのサイクルを繰り返していくのです」
「いわゆる、生まれ変わりとか輪廻転生とか言われてる概念ですね」
「はい。そしてそのように生きるモノには誰しも、『可能性』が備わっております」
「『可能性』、ですか……?」
「はい、『可能性』です。それを生きる中で取捨選択し『才能』と変換し、育て、発揮することで社会に影響を与えていき、世界が回っていく……これこそが私どもが維持し発展させようとようと試みる、世界のあるべき姿なのです」
「なるほど」
そうは口にしたが、正直なところよくわからない。が、おそらく完全に理解する必要があることじゃないんだろうな、と信太郎は判断した。なにしろカミサマのいう事だ。一般人には考えも及ばないこともあるのだろう。
案内役が一息つき、説明を続ける。
「ですがその中には、その『才能』を十全に発揮させることなくその生涯を終え、埋もらせたままで新たな世界に旅立ってしまう場合がございます」
「それは……あるでしょうね」
「ええ、ですからつまり」
案内役が眼鏡のブリッジを押し上げた。
「率直に申し上げて、『才能』を多く残された方や特殊な『才能』を秘めた方が、それを発揮されないまま新たな命としてリセットされてしまうのはもったいないことなので、しかるべき場所で再スタートしてみませんか? と言う……そのようなお話なのです」
「はあ」
わりと身も蓋もない結論だった。
そして信太郎はそれを聞き、ふむ? と首をかしげた。
「それってつまり、そのお話をお受けしたら僕は、"僕"のままで新しい世界に行ける、という事ですか?」
「お察しの通りです」
案内役はファイルに目を向け、ページをめくる。
「通常ならば信太郎様も、完全に新生児からやり直す『輪廻』コースに入って頂くところでございますが……
今回の信太郎様のケースですと、その秘められた『才能』は信太郎様の半生とも密接に関係しているため、記憶の保持ができないコースですとその『才能』が消える……とまでは行かずとも、大きく損じることになってしまうのです」
ですので、と案内役はファイルから顔を上げ、信太郎を見据えて言った。
「今回は現在の記憶と年齢を保持したままで別世界に赴く『トリップ』コースをご用意させて頂きました」
「はぁ」
コースとかあるんだ、と信太郎は胸の中で呟いた。
「……とはいえ」
案内役は一度眼鏡の位置を直しつつ、説明を続ける。
「最初にお断りした通り、あくまで優先されるのは信太郎様のご希望です。
これまでのしがらみを完全にリセットする『輪廻』コースに入って頂くのもそれはそれで正しい選択かと思われますし、また、現在の記憶を保持したままでやはり新生児からやり直す『転生』コースといった、『才能』をある程度は保持した上で、ある程度はもう一度選びなおすことのできるコースなどもございます。
重ねて申し上げますが、無理にこちらのプランにお選び頂く必要はございません」
「あくまで、こちらの意思を尊重してくれる、という事なんですね」
「はい。ですがその上であえて申し上げるならば……」
案内役はしっかりと信太郎を見据えて言った。そう告げる彼女は、相変わらずの無表情だったけれども。
「私どもの提案したプランは、きっと信太郎様にご満足いただけるものと考えております」
それはどこか、どこか誇らしげに見えた。
その様子を見た信太郎は、なんとなく案内役の提案に前向きになっていいかな、と思い始めていた。話題自体は、正直なところ信じられる範疇を越えている。しかし、この案内役の事は信じて見てもいいように思えるのだ。
なので、意を決して本題を切り出してみる。
「……あの、それで結局、そのプランというのは、どういったものなんでしょうか?」
「はい、私どもの提示させて頂くプランですが」
と、そこまで言って案内役は、ちらりとファイルに目を落した。
「……そうですね、先に私どもの注目した信太郎様の『才能』についてご説明……いえ、実際に見ていただくのが早いですね」
そう言うと案内役はおもむろに、机に広げたファイルを片隅へと追いやる。それから身をかがめて机の影に手を伸ばすと、そこから黒い革張りのアタッシュケースを引き上げ、机の上にと置いた。そしてぱちんぱちんと軽快な音を立ててロックを解除するとケースを開き、それを一瞥してからぐるりと信太郎のほうへ向きなおし、差し出した。
「こちらが信太郎様の『才能』の、いわば現品となります。よくご覧になってお確かめください」
「これが……?」
信太郎が、そう声を漏らす。
彼が目にしたのは、紫の内張りの中、4列3段に拵えられたくぼみに並んだ、色とりどりのさまざまな彫像だった。大きさとしては手の平に乗る程度で、黄色のものが半分近くを占めている。あとは、赤のものと白のものが一個ずつに、残りは青と緑が数個ずつ。それぞれに台座がついており、大きさも含めてチェスピースか、一昔前に流行ったペットボトルのキャップフィギュアを思い起こさせた。
並ぶ彫像は、一つ一つデザインが違う。緑色の、狼の彫像があった。同じく緑の、翼を広げた鳥の彫像があった。他にも前足を振り上げた馬やら人形やらロボやら妖精やらドラゴンやら、さまざまであった。
コレが自分の『才能』である、と言われても首をひねるばかりだ。
しかし――
「…………?」
当然、初めて目にしたものである。だが、じっとそれらを見ていると、なにか信太郎を記憶を刺激するものがあった。
その刺激を確認するように、更によくそれを観察する。
観察してるうちに、自然と手が伸びる。が、それに気づいて信太郎は手を止めた。この並んでいる彫像が何かもよくわからない上に、くすみ一つない精巧なソレに無遠慮に手を伸ばすのは気が引けたのだ。
「よろしければ、お手に取ってお改めください」
「あ、はい」
それを察した案内役に促され、信太郎は改めておずおずと手を伸ばし直す。が、それも途中で止まった。今度は単純に、どれから触ればいいか迷ったからである。その心情を示すように、アタッシュケースの上で伸ばした手をうろうろと彷徨わせる。
そんな信太郎を、案内役はやはり無表情のままで見守る中。
どこからか、かたり、と音がした。
「ん?」
何の音だろう、と思って周囲を見回す。しかしそれらしいものも見当たらないし、案内役も無反応だ。
気のせいかな、と思ってアタッシュケースに目を戻すと、またどこからかかたり、と音がする。
気のせいじゃなかったか、でもどこから何の音が、と思っているうちにまたかたりと鳴る。
……そしてそれが徐々に間隔が短く、大きくなっていく。
そこで信太郎は気づいた。
「アタッシュケース?」
音の元は、アタッシュケースだった。それが震え、机と当たることで音が鳴っていたようだ。
いや――正確には並んだ彫像の緑色のものの一つ、下半身が竜巻になっている腕を組んだ巨人が形作られたソレが震え、ケースを揺らしているらしい。
何が起こっているか、訳も判らずに眼を見開いてケースを見つめる信太郎の前で、ソレの振動はどんどんと激しくなっていく。そしてついにその彫像はアタッシュケースから外れ、低い唸るような音を立て緑の燐光を脈打つように明滅させながら、ゆっくりと信太郎の目の高さまで浮き上がってきた。
信太郎は我知らず、喉を鳴らす。
と、不意に。
その彫像が風に散らされた砂像のように緑の光の粒となって解け、水平に広がりだした。そのまま周囲に散らばっていくかと思いきや、その拡散はある距離で止まり、結果として直径20センチほどのきれいな真円を描く。そしてその円の中で不規則に散らばっていた光の粒は見る見る整列していき、複雑な紋様を描き出した。
――宙に浮かぶ真円の中に並ぶ、記号とも文字とも模様とも取れる羅列。信太郎の脳裏に、『魔法陣』という単語がよぎる。
固唾を呑んで見つめる信太郎と、驚いた様子も戸惑う様子もなく無言無表情のままで見守る案内役。
と、その『魔法陣』の中心から、緑の粒子が渦巻きつつ吹き上がった。
思わず身をのけぞらせてしまった信太郎は、その粒子の吹き上がりの中に『何か』を見つけて今度は逆に身を乗り出した。
緑に輝く粒子の渦巻く中心を、何かがゆっくりとせり上がっていく。
水平に広がる『魔法陣』の下側には当然何もなく、そこが見えない舞台装置であるかのように姿を現したのは――
「……女の子?」
瞑目したまま、軽くうつむいた姿勢で宙に浮く小さな少女だった。
その姿勢のまま微動だにせず、吹き上がる粒子の奔流に髪や服を揺らされるままになっている姿は、どうしても人形じみたモノを感じてしまう。
大きさは15センチほどだろうか? 白木のぽっくりに紺の袴に白の狩衣という、いわゆる水干姿をしている。肩口で切りそろえられたシンプルな髪型に、左右の横髪に結ばれた朱色の飾り紐が彩りを与えていた。だが何より眼を引くのは、粒子の奔流に揺らされる、その背から伸びた鴉羽だろう。その組み合わせは、信太郎に『鴉天狗』という名称を思い起こさせた。
正確に言えば、そんな事をのんきに考えるくらいに、目の前で起こっていることに思考が置き去りにされている。
どうしていいか判らず、呆然とそれを見ていた信太郎の前で、いつしか粒子の噴き出しも止まり魔法陣も薄れ消えていた。
と、その少女がゆっくりと、顔を上げながら眼を開きはじめる。
「――――!」
今まで微動だにせずまるで人形のように感じていた少女が動き出したことで、信太郎はやっと今更ながらに驚きを覚えた。その少女の目蓋が完全に開かれ、その鮮やかな光彩の赤い瞳が露になり信太郎のそれをひたと見据える。
「…………っ」
そのまっすぐな視線に、信太郎は物理的な圧迫さえ感じた。その赤い輝きを見せる瞳から眼をそらせず、息苦しさを覚える。
そのため次の瞬間、その瞳が細められにっこりと笑顔を浮かべられたのは、彼にとって完全な不意打ちだった。
「わわっ!?」
だから、その少女の全身から先ほど魔法陣から吹き上がったものよりもさらに濃い緑の粒子が勢いよく立ち昇り、緑の竜巻といっていい規模で室内を吹き荒れたとき、思わず身をのけぞらせた信太郎が椅子ごと背後に倒れてしまったのも仕方ないことだろう。
「~~~~~~!」
幸い、床に敷かれたふかふかの絨毯に受け止められ衝撃はさほどではなかったが、それでも顔をしかめてしまうには十分だった。
ひとしきりじたばたとしてから、頭に手を伸ばしつつ信太郎が眼を開くと――すぐ目の前で自分の顔をイタズラっぽく微笑みながら覗き込む少女のアップが迫っていて、もう一度身をのけぞらせてしまう。
信太郎からは少女の全体は見えないが、彼女は身を宙に浮かせて彼の顔を覗き込んでいた。背の黒翼を大きく開き……しかし羽ばたかせることなく――そもそも少女の体格と翼の大きさを比べて物理学的に考えれば、全力で羽ばたかせたところで身を浮かせることすら不可能と判断できるのだが――宙で微動だにせず、じっと信太郎の目を見つめていた。
「え、あ、う、その、えと、あの……」
目まぐるしい展開についていけないからか、少女の正体が不明だからか、正体は差っ引いてとにかく歳の近い(ように見える)異性に間近で顔を覗き込まれてるからから、理由ははっきりとしないが信太郎としてはしどろもどろになるしかない。
と、再び少女が、眼を細めてにっこりと笑った。
「初めまして――と言うべきでしょうかねー? ようやくお会いできましたね、マスター」
時系列としてはこの後、他の召喚獣たちとの顔合わせしたりするわけですが……
どんな面々かはもう少しナイショにしておきたいので、遺書のデッチ上げともども飛ばして次は本編に突入します。
ちなみに召喚獣12種は、すでに設定済みです。
実は召喚獣たちを設定し終えてじゃあ書き始めようか、という段階になって主人公とヒロインの名前を決めてなかったことに気付(ry