心の傷は治りにくい
ちょっと恋愛要素が入りました。こういうのあんまり上手くないんで、軽く流してくれるとありがたいです。二幕に入ったら本格的に恋愛要素を入れていこうと思ってますので。
「真夜、元気にしてっかな」
重い沈黙を破ったのはいつものように明るい春の声だった。彼なりにこの場に漂う重苦しい空気を払拭しようとしたのだろう。それを察した美優と千夏が続く。
あの事件の後、真夜は転校してしまったのだ。弟の恭哉は天空家に残ることを選んだ。
「真夜さんのことだから、元気にやってると思うよ」
「真夜さんですからね。きっと元気ですよ」
しみじみとした口調なのだが、お茶を両手で持ち、お茶菓子を頬張りながら言われても笑いを誘うだけだ。そんな彼女を見て春がぷっと小さく吹き出し、まるで小動物だな、と心の中で呟きを漏らした。
「・・・クソ姉貴なら元気だ。毎週手紙来てる」
不貞腐れたような顔をしつつぼそりと明後日の方向に零したのは恭哉だ。滅多に見れない彼のそんな表情を目にした春が大げさなほど盛大に吹き出した。
先ほどの吹き出しなど今の比ではない。
「っ・・・ぐふっ・・・お前ら、まだ、姉弟仲悪ーのかよ・・・ぶっは!」
「・・・っち」
整った顔立ちに拗ねた子供のような表情を惜しげもなくちりばめながらぷいっとそっぽを向く。だから言いたくなかったんだ、とでも言いたげな彼へ千夏がお茶を一口飲み、問い掛けた。
「まだ姉弟仲悪いの?」
図星のようでピクッと肩を跳ね上げた恭哉の螢い瞳が千夏を睨みつける。それらを尻目に桜が去った方をずっと見つめていた龍護が吐息のような呟きを漏らす。
「桜・・・」
そのとき桜は人気のない裏庭のベンチで膝を抱えていた。
「螢・・・兄・・・」
風に溶けるぐらい小さな声で大好きな兄の名前を声に出して唱えてみる。途端に涙が溢れそうになり、唇を噛み締めた。あの夜に決めたんだ。絶対に泣かないって。全部背負っていくって決めたんだ。それがせめてもの罪滅ぼし。大切な者を守れなかった弱い自分なりの。
ガン
固いコンクリートを力一杯殴りつけた。螢斗が消えた時も、天空家の人達が殺された時も、自分は何も出来なかった。ただ見ていることしか、出来なかったのだ。
「情けないッ」
皆は私を助けてくれるのに、何故私は何も出来ない。理由は簡単。自分が弱いからだ。自分が無力だからだ。
助けてもらう事しか出来ない
護ってもらう事しか出来ない
しかもあの時伸ばされた手を私は・・・・・・。
噛み締めすぎた唇から血が滲む。口の中に鉄の味が広がる。それでも唇に立てられた歯が外れることはなかった。
「私はッ・・・もう何も失くしたくないんだっ。あんな思い・・・・・・・・もう二度と味わいたくないッ!!」
血を吐くような声で叫ぶ。コンクリートを殴った衝撃で傷口が開いたのか、右腕に鋭い痛みが走る。生暖かい血が腕を伝っていく感覚と共に、傷が痛みを訴えるが、気にならなかった。
体の傷より心の傷の方が何倍も痛い。
「こんな私に、生きる価値なんか、無いんだよ」
そうだ。こんな私に生きる価値なんて、ない。まして命を懸けて護られる価値なんか欠片もない。
なのにどうして、兄も天空家の人達も私なんかを守ったのだろう。自分の命と引き換えにしてまで、私なんかを・・・。
「私は・・・ッ」
喉元まで出掛かった言葉が不意に途切れる。過呼吸に陥ったときのように忙しない呼吸を繰り返し、喉を押さえる。
守ってなんてくれなくてよかった。
助けてなんてくれなくてよかった。ただ・・・。
そこまで心の中で紡ぎ出した桜の目元が微かに歪む。
――――ただ、生きていてくれる。傍にいてくれる。それだけで、よかったのに・・・
しばらくそうやっていると荒れ狂った感情の波も徐々に落ち着いてきた。桜は二、三度深呼吸をし、頬を叩く。そろそろ戻らないと龍護に怒られる。立ち上がろうと膝に力を込めた瞬間、
「・・・桜・・・」
ビクッと両肩が大袈裟なぐらい反応を示し、ぎこちない動きで振り返る。今にも泣き出しそうなほど歪んだ紅玉色の瞳に映る、恭哉の姿。全力疾走してきた後のように荒い呼吸の合間に紡がれた言葉は安堵で満ちていた。
「やっと、見つけた。探し回ったんだぞ」
額に張り付いた髪をかき上げ、滴り落ちる汗を拭うと彼はふぅ、と息を吐く。
「・・・っんで・・・」
ここに。と声にならない声で呟く。なされた問い掛けには応えず、彼は桜の隣に乱暴に腰を下ろし、彼女の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。そうしてから独り言のように呟く。
「自分の事が、許せないのか」
「うん」
許せないとも。
大切な人も守れもせず自分だけ生きて(ここに)いる事が。
あの時伸ばされた手を、掴まなかった自分が。
「自分のせいだと、思ってるのか」
「・・・うん」
自分のせいだとも。
あの時私が螢兄の手を取らなかったから、螢兄はいなくなってしまった。
あの時私が逃げたから、天空家の人達は全員殺されてしまった。
「自分の事、嫌いか」
「・・・・うん」
嫌いに決まってる。
大事な人一人救えない自分など。
守られてばかりの弱い自分など、大っ嫌いだ。
「自分の事、憎いか」
「・・・・・ぅん」
憎いとも。
大切な人を犠牲にして、今なおのうのうと生き長らえている自分が。
「自分だけ生きてるのが、辛いのか」
「・・・ぅ・・ん・・」
辛いとも。
ずっと一緒にいるのだと信じて疑わなかった大切な人に、もう会えないことが。
「苦しいか」
「・・・っん・・」
苦しいとも。
大切な人を失う原因になったのが自分にあるという事実が。
その「罪」と向き合っていかなければいけない事が。
恭哉は優しく桜の頭を撫で、抱きしめる。
「ただの過ちに「罪」なんて名前をつけて苦しまなくてもいいだろ。あの時お前は螢斗さんを助けたかったんだろ?一緒に落ちるかもしれないから伸ばされた手を掴まなかっただけだ」
「でも、結果的に螢兄は私を助けようとしていなくなった。これは曲げようのない事実。だから、これは私が背負うべき「罪」なんだよ」
そうだ。1人の命を奪ってしまった「罪」も、あの日の選択に対する後悔も、唯一無二を失った絶望も、全て私が背負うべきものだ。
俯いた彼女の表情は髪のカーテンによって隠されていたが、どんな表情をしているか恭哉には容易に想像がついた。
今にも砕けてしまいそうな薄氷の瞳と、自身に対する激しい嫌悪と憎悪が入り混じった顔。
脳裏に浮かぶいつの日か見た彼女に体が勝手に動いていた。
突然視界が自分の意思に反して揺れ、何事かとひどく鈍った頭で1つ瞬きを促した。頭の両側に感じる心地よい温度と、片側の耳が捉えた規則正しい鼓動の音。
数秒してようやく引き寄せられ胸に抱き込まれたという現状に思考が追いついた桜は躊躇いがちに上を見上げた。
「恭哉・・・?」
「・・・」
呼びかけたが反応を得られず、かといって抜け出そうと身動ぐと離さないとばかりに抱きしめる腕の拘束が強まる。どうしたものかと彼の胸に頬を預ける形で固まっていると、彼の空いている手が血で汚れた右手に触れた。
まるで繊細なものにでも触れているようなひどく優しげな指先が右手から腕へと移動し、傷口の側を労わるように撫でていく。所々乾き始めているもののそうでないところもあるため、彼の指に血がつかないように腕を引こうとするとそれを許さないとばかりに指先に手を絡められる。
「頼むから、もっと自分を大事にしてくれ・・・」
彼にひどく似つかわしくない、切なる想いがこもった懇願。
絡め取った指先に額を押し当て、まるで自分が傷ついたような表情で、真剣な眼差しを向けて。
「俺はお前が大切なんだ」
そう告げてくる彼に、そんな顔をさせてしまった事に、胸が痛んだ。
「ごめ・・・ん。その、ありがとう」
そんな顔をさせてしまった事への謝罪と、心配してくれた事へのお礼を込めて笑いかける。
不思議だ。あんなにも沈んでいた気持ちが僅かながら浮上した気がする。そのことに気付き、そして驚く。
「おっ、笑った」
大きくて温かい手のひらが桜の頭上へ移った、と思ったらぐしゃぐしゃと乱暴にかき回された。線の細い桜の髪はたちまち絡まってしまう。
「・・・おい」
ぐしゃぐしゃにされた髪に手を当て、無残な有様になっているのがわかると睨み付ける。指で梳くとすぐに引っ掛かり、頭に痛みが走る。
どうしてくれるんだと言わんばかりにじとーっと睨み続けているが、彼は意に介する事なく桜の頬に手を当て、笑う。
とても綺麗に、柔らかく、笑う。
「お前の笑顔は綺麗だな」
そういう彼の笑顔こそとても綺麗だった、なんて思ったことは、内緒だ。
「お待たせ」
「遅かったじゃねぇか。どこの道草食ってたんだ?」
生徒会室へ戻ると春が暇そうにソファーに寝転がっていた。冷めた目でそれを見下ろした桜はおもむろに歩き出し、寝転がっているその腹部を思いっきり踏みつける。そうしてから今気付いたような顔を作り、わざとらしい口調で詫びた。
「ごめん。キヅカナカッタ。それから道に生えてる草なんか食えるか」
「俺、女の子には無制限で優しいけど、君は女の子じゃないからいいよねー、殴っても」
「御託はいいからかかって来いや似非紳士!」
正面のソファーで同じく寝転がっていた龍護は元気に喧嘩を売る妹の様子にふっと表情を緩める。いきなり口喧嘩を始めた二人に平和そうな声が割って入る。
「道草を食うっていうのは喩えであって、何も本物の道に生えてる草を食うってことじゃないよ、桜ちゃん」
二尾の三毛猫と共にくつろいでいる美優だ。呑気なそれにやる気が削がれた様子の春は再び寝転がり、三毛猫は呆れたように嘆息して尻尾で桜の腕を示す。
『そんな事より怪我の手当てでもしてあげたら?傷、開いてるよ』
「ホントだ!ちょっ・・・桜ちゃん腕出してっ」
血に濡れた腕に目を止めて慌てて駆け寄ってきた美優が桜の腕を取り、異能で癒やそうとする。それに大丈夫だって、と身を引きかけた桜を逃げないように千夏が押さえ、恭哉が右腕を引き寄せる。
「気分はどうだ?」
先程の件を引きずっているのであろう、眉根を寄せている南弦の問い掛けに桜は作り笑いではなく、素の笑顔でこう答えた。
「悪くない」
その後、仕事も終わったので寮に帰ろうということになった。本当はまだ仕事があるのだが今日中に終わらないと見切りをつけ逃げてきたのだが、それは追求しない方向で。
帰り道、渚と悠紀は桜に対して微妙に気まずそうにしていた。まぁ無理もない。彼らが桜達と出会ったのは中学の時。それ以前のことは知らないのだ。その過去で悩んでいる桜になんと声をかけたら言いのか、わからないでいるのだろう。
「もうすぐ夏休みだし、早めに女の子に声掛けとかないとね」
楽しげな春の軽薄発言に遠慮なく顔をしかめた千夏の冷え切った「部活は?」には「サボる」と即答。
「っ今年も花火やろうな!毎年恒例だしさ!!」
「やるやる!」
氷のように冷たい妹の視線に耐えかねたのか、話を変えた春の言葉に桜が満面の笑みで乗る。子供のように「やったー!」とはしゃぐ瞳が夕日を受け、キラキラ光る。
なかなかお目にかかれないほどの満面の笑顔が咲いた。少し前の苦しげな表情など欠片も見当たらない彼女本来の表情だ。
「可愛ぃ・・・」
思わぬ不意打ちに心の声がぽろりと溢れてしまい、慌てて口を塞ぐ。幸い夏休みの予定を考えるのに夢中な当人には聞こえなかったようで、ほっと安堵したのもつかの間、前後左右から痛いほど視線が突き刺さる。
ギギギと音が鳴りそうなほどぎこちなく首を回すと、桜と話している龍護と南弦以外の全員が例外なくニヤニヤしている。
特に悠紀はニヤニヤどころではなく「どう弄ってやろうかな」的な嫌な笑みだ。
「・・・何だ?」
とんでもなく嫌な予感をこれ以上ないほど感じるのだが、それを顔に出すようなことはしない。
「お前さ、桜の事、好きだろ?」
ニヤニヤを一層深め、顔面に隠す事なく揶揄いたいと太字で書き示した悠紀が彼の肩に腕を置いて小さく囁きかける。その意味を脳が正しく理解する前に首筋から徐々に赤が競り上がり、考えるより先に声が出ていた。
「ちっ違・・・」
「へぇ〜?ふーん。顔、赤いけど?」
「ゆっ・・・ゆゆゆーひのせいだっ!」
どこからどう見ても夕日のせいとは思えないほど赤に染まった恭哉の頬をつんつん突くと、全力で叩き落とされそうになったので当たる前に手を逃す。
赤くなった頬を腕で隠しつつ動揺を鎮めようとする恭哉の横から手が伸び、軽く肩を叩かれたので仕方なくそちらを向くと、やけに真面目な顔をした春がいた。
はっきり言って、真面目な顔が全く似合わない。
「わかってる。わかってるよ、恭哉」
「・・・春先輩」
まだ動揺から抜け出せていなかったが、彼がこういう似合わない顔をする時は大抵ろくなことがない。
それは、昔馴染みだからこそ嫌というほど体験している。
「お前が桜を好きな事ぐらい昔から知ってんだから今更隠すことなんかねーぞ」
「だっから、違うっつってんだろうがっ!!」
案の定、今回もとんでもない爆弾を投下してくれた。しかもピンポイントすぎるだけにタチが悪い。
「ん?何が?」
突然の大声に前を歩いていた桜が不審げに眉根を寄せ、振り返る。春につかみかかった体勢のままピシリと固まってしまった恭哉の脳がこの状況を打開するべく超稼働するも、そんなにすぐにいい言い訳が思いつくはずもなく。
「成績の話してたんだよ。なっ、きょーやー」
掴まれた胸ぐらからさりげなく手を外させながら恭哉の頭を押さえつけた春が明るく同意を求める。
誰のせいだと、と心の中では毒づき、けれど表には出さず頭に置かれた手を払い除けて「あぁ」と頷く。
「え、成績の話?春兄が?・・・まぁ、ならいいけど。突然大きな声出すからびっくりしたよ」
成績と春が結びつかないのであろう。訝しげに首を傾げつつも納得してくれた様子に無意識に止めていた息を吐き出す。
「わりーな」
実に気安い調子で春が謝る。前へと向き直った桜は龍護達との会話に戻っていく。ちらりとこちらを見やった龍護の黒い瞳が少し呆れを滲ませていたが、おそらくもっとマシな言い訳はなかったのかと考えているのだろう。自分もそう思う。
「で、本心は?」
からかいの色を消した真剣な眼差しで問い掛けがなされる。髪をぐしゃぐしゃかき回した恭哉は少し震えた声で答える。
「好き、だよ。昔っから」
そう言い切った後、照れ臭そうにそっぽを向く。顔が今まで以上に赤くなっている。悠紀は積年の恨み、今晴らす時とばかりに攻撃する。
「照れてる。可愛いーぞ、恭ちゃん」
「誰が恭ちゃんだ!!!埋めるぞテメェ!」
「きょ・・・恭哉君・・・・・・落ち、落ち着いて」
掴みかかろうとする恭哉をひらりとかわした悠紀に代わり、怯えつつも一夜が押さえる。しかし彼より非力な一夜1人ではとても止めきれず、片手で笑う口元を隠しつつ空いた手で春が助太刀していた。
「静かにしろって言ってんだろうが!」
ぎゃいぎゃいと喧しくなってきた後ろに我慢できなくなったのか、肩を震わせていた桜がついに声を上げた。振り返ったその目は怒りで輝いていた。
「ごっごめんなさい」
ヒイッ、と怯えた一夜がすぐさま謝る。騒ぎの中心人物は拳を振り上げた体勢のままビキッと音を立てて硬直しており、煽っていた方は優等生面を貼り付けると丁寧に謝罪を口にした。
静かになったのを確認すると桜は女子三人との会話に戻っていく。
やっぱ桜は怖い・・・。
男性陣は顔を見合わせて、同じ事を思った。
次回は転校生がやってきます。お楽しみに。