儚い記憶 弐
とても とても大切な人に 手を伸ばされた
いつも いつも私を包み込んでくれる温かい手
その 伸ばされた手を
掴むか
掴まないか
選択肢は二つ
私は 選んだ
「が・・・はっ」
男その一は口から血を吐きピクリとも動かなくなった。気絶したらしい。螢斗はパンパンと埃を払い、何事もなかったかのようにニコッと微笑む。その笑みはいつも小学校の女子を惹きつける魅力的な笑みだ。簡単に言うと同学年の女子を何人もオトした笑みだ(本人無自覚。ゆえに余計にたちが悪い)。真夜曰く、「螢斗は年齢を問わず女性を惹きつけるタイプ」らしい。
一連の動きを目で追っていた真夜がひゅうと口笛を吹く。さすが螢斗。
兄大好き人間の妹はというと、瞳を輝かせて頬を紅潮させ、うっとりと螢斗に見入っている。高校生達はぱかっと顎が外れそうなほど口を開け、現実が受け入れられないのか皆一様に呆然としている。
「紅翼流体術一ノ型十番『宙回し』、か。えげつねぇ・・・」
片目を瞑った龍護が言葉とは裏腹に実に楽しげな「ざまあみろ」と言いたげな笑みを口端に乗せる。
「お一人様、お~しまい。だね」
そんな龍護の肩に腕を乗せた春が笑いを噛み締めつつ告げる。真夜は螢斗の肩を抱き、高校生達に説明する。
「だまされちゃダメだよー。こいつ、わたしらの中でいっちばん強いから。弱っちそうだけどね」
「螢兄、カッコいい」
尊敬やら羨望やらを混ぜ込んだ瞳をキラキラ輝かせ、桜が両手を組合わせる。螢斗は桜の頭に手を乗せ、「ありがとう」と嬉しそうに破顔した。
「ちっ・・・・くしょぉ」
男その三、その四が同時に桜目掛けて走ってくる。女なら、と考えたのかな?
「でもさぁ」
呆れ果てたため息は春のだ。
彼らはわかってないのだ。真夜が言った言葉の本当の意味を。見掛けに騙されてはいけないのは、なにも螢斗だけではないことを。
「桜は」
恭哉が軽い口調で歌うように続ける。
自分に向かってくるとわかると一歩前へ出た桜は大振りでよこされた男その三の蹴りを避け、男その四のパンチをかわす。
まるで踊っているみたいに軽やかで、実に楽しげだ。
「あんたらより」
緩く腕を組んだ真夜が螢斗に寄りかかりつつ哀れみの眼差しを彼らに送る。
標的を失い2つの体が泳いだ隙を見逃さず、桜は深呼吸をするとにっと口角を上げた。
「つえーぞ」
緊張感のかけらもなく暇そうなあくびをしていた龍護が締め括る。
「はッ」
裂帛の気合と共に男その三の急所を足が霞むほどの勢いで蹴り上げる。次いで蹴り上げた足が地に着くと同時に今度は逆足が上がり、それ以上の力で今度は男その四の急所を蹴り上げる。
「紅翼流体術三ノ型『命潰し』。僕らにはつらいですね」
同性としての実感がこもった声音で困ったように首を傾げた螢斗の長めの髪がさらりとながら、場違いな艶っぽさをにじませる。
ドサドサ
「あれ?もうおしまい?一夜よりよわっ。じゅんびうんどーにもならない」
息一つ乱さず腰に手を当てる桜の線の細い髪が動きを止めた肩や背に散らばる。頬近くにかかった髪を邪魔くさそうに耳にかけ、飼い主に呼ばれた犬のように勢いよく螢斗の元へすっ飛んでいく。
「いや、一夜もつよいほうだ。気が弱いだけ」
恭哉がな、と一夜に笑いかけると一夜は「そっ・・・そんな。僕なんか弱すぎていつも皆にやられてるよ」と小さな声で反論している。
「だからいったのに。いくら弱っちそうに見えてもつよいよーって。人の注意はちゃんと聞くもんだよ、高校生さん」
真夜がやれやれと肩を竦めてみせる。螢斗は駆け寄ってきた桜を包み込むように抱き止め、頭を優しく撫でて嬉しそうに笑いかける。
「すごいじゃん、桜。今の蹴り足、僕でも目で追えなかったよ。紅翼流、もう使えるようになったんだ」
「まだまだだよ。私、もっと強くなって皆を守りたいんだ」
綺麗な笑みを浮かべ腕を叩く桜はつい先ほど自分より年上の男の急所を蹴ったとは思えないほど可愛らしい。
残された高校生六人は我に帰るといっせいに襲い掛かって来た。最初に倒れた男その一が復活したから七人か。桜達は毎日喧嘩し合って鍛えた動きで高校生を圧倒する。
「くそっ」
男その六が折りたたみ式ナイフのようなものを取り出す。それにならい、他の高校生達もナイフやカッターや金属バットを取り出す。子供相手に出すものかよ、と重いはしたが、この程度でビビるような子供は、生憎この中には居なかった。
「刃物か・・・厄介だな」
七人は背中合わせになりながら顔を合わせる。約一名を除いて楽しげに笑っている互いの顔を見合い、頷く。
「じゃあ俺らも」「本気で行きますか」「賛成」「ぼっ・・・僕、緊張してきた」「大丈夫。一夜なら出来るよ。自信持ちな」「桜、どっちが早く倒せるか競争な」「いいよ。恭哉には負けない」「言ってろ」
七人は落ちていた棒や定規を取り出し、構える。桜達は全員、自分の身を守る護身術の類は一通り叩き込まれている。しかも実際に毎日ビシバシしごかれている。そんじゅうそこらの子供と思っていたら、痛い目を見ること間違いなし。
「美優ちゃんと千夏は下がっててね。一夜は二人をお願い」
「うん」「気をつけて」「わっ、わかった」
二人分の返事を背中に受け、桜は安心したように前に意識を集中する。もし高校生の誰か一人が美優達に襲い掛かっても、一夜がいる。彼なら必ず護ってくれる。
「おりゃぁ」
高校生達が斬りかかってくる。それを受け止め、弾き返し、反撃する桜達。
「へぇ、これがナイフか。ちっちゃい刀だね。こんなんでホントに斬れるわけ?」
「桜!一夜を・・」
螢斗の焦ったような声が響く。視線を向けると、一夜が床に倒れている。頭から血を流している、相手は一番大柄でいかにも悪そうな奴だ。こいつがリーダーだろう。男その十としておこう。
男その十は一夜を蹴り飛ばし、彼の後ろにいる美優と千夏に近づく。二人は怯えた表情をするも、それ以上に一夜のことが心配らしく、視線は蹴り飛ばされ壁に激突したっきり動かない一夜に固定されている。
「一夜ッ!」「一夜君!」
美優と千夏の叫びが反響する。桜は渾身の力で男その七のナイフを押し返す。螢斗達はそれぞれの相手に押さえ込まれている。いくら武術に長けていても筋力が違いすぎるのだ。五人とも必死に耐えている。
桜は二人目掛けて振り下ろされた金属バットをすんでのところで受け止めた。受け止めたのはいいが、ぐいぐい押してくる馬鹿力に歯を食い縛る。なんて力だ。子供の非力な力ではとても対抗しきれない。
「後ろ!」
春の警告する声が耳に届く前に後ろを見る。さっき振り払ってきた男その七が迫ってきている。この体勢じゃ、避けられない。桜は倒れたまま動かない一夜に呼びかける。
「一夜!ナイフ止めて。 わたしは、こいつを・・・っ」
ピクッと桜の声に応じるように投げ出された一夜の指先が跳ねた。そのままゆるゆると握りこまれ、壁に激突した衝撃で離してしまった鉄の棒を拾い上げる。
「わっ・・かった」
一夜は血が目に入らないように片目を瞑ったまま体を起こし、男その七の刃を受け止める。わずかな幅しか持たない鉄の棒で刃を受け止めるとは、さすがだ。そして鉄の棒で相手のナイフを絡め取り、弾く。そのままの勢いで相手の腹に鉄の棒を叩き込む。
「てめぇら・・・。調子に、のんな!」
再び一夜を蹴り飛ばし、桜の胸倉を掴み持ち上げる男その十。桜は呼吸が上手く出来ず、男の手を引っ掻くがほんのわずか血が滲むだけで胸倉を掴む手を緩めるほどの痛みを与えられなかった。。
「く・・・っ・・そ・・・離・・・・・・・っ・・・」
苦しげに顔を歪ませる。言葉を発しようと口を開くが、声は出ず、呼吸すらままならない。反対の手で首を絞められ、唸るような声が喉の奥からもれる。
「桜っ!」
螢斗の声がどこか遠くから聞こえる。視界にかすみがかかり、頭の芯がぐらぐら揺れる。引っ掻いていた手もいつの間にか動きを止め、だらりと脇に垂れ下がっていた。
「桜を・・・・・桜を離せッ!!」
「いいぜ」
男その十は桜の胸倉を掴んだまま窓の外に手を突き出す。ぐったりして動かなくなってしまった桜の両足が男の動きにつられてぶらぶら揺れる。その後何をする気なのかは全員、嫌でもわかった。
「まさか・・・」
最悪の予感が脳裏をかすめる。大きく見開かれた紅玉色の瞳に映るのは、最悪のシナリオを描こうとしている男と、動かない妹。
「離してやるよ」
「「「「っ・・・やめろおぉぉッ!!!!!!」」」」
螢斗達の絶叫が廃ビルに木霊す。男その十は残酷な笑みを浮かべ、まるで見せ付けるようにゆっくり手を離す。ここは五階。異能者であってもまだ子供。よほど運がない限り、死は免れない。螢斗が相手をしていた男その八を異能を使ってふっ飛ばし、窓へと走る。が、到底間に合う距離じゃない。
「「桜ぁッ!!!」」
「っ・・・」
ふわっと体が浮く感覚が身を包む。酸欠で朦朧とした意識の中、桜は確かに龍護と螢斗の声を聴いた。自分の名を呼ぶ、大好きな兄二人の声を。
「螢に・・・龍に・・・ぃ・・・」
空に伸ばされた桜の小さな指先が何か固いものに触れた。反射的にそれに力を込めると、体を包んでいた浮遊感が消え、代わりに片腕に自身の全体重がかかる。
「う・・・」
かすみがかっていた視界が正常に戻ってきた。何度か目を瞬くと、自分がどういう状況なのか理解できた。そこでようやく片腕のみにかかる負荷に気付き、ぐっと唇を噛み締めてもう片方の手を窓枠に伸ばすと、不意に影が射した。
「ちッ、しぶてぇ餓鬼だな」
忌々しそうに吐き捨てた男その十は桜の手を窓枠から無理矢理引き剥がす。その隙に螢斗は男その十の顎に一発入れ、桜に手を伸ばす。
「桜!!掴め!」
「螢兄・・・!」
小さな手が限界まで伸ばされる。螢斗は限界まで身を乗り出し、手を伸ばす。伸ばした手が一瞬指先に触れて、しかし届かず空を切る。いや、届かなかったのではない。桜が自分の意思で手を引いたのだ。螢斗が一緒に落ちないように。
「こんなときまで・・・人の心配してんなよ」
乾いた笑みと共に螢斗は窓枠を蹴り、外に飛び出す。
心に浮かぶのは、いつも自分の後を追ってくる小さな妹の笑顔。
――――守りたいんだ。あいつは俺の大事な・・・・・誰よりも大切な・・・この世にたった一人しかいないっ・・・俺の、妹なんだ。
『それが、そなたの望みなら』
再び伸ばした手は、桜の手を掴み取る。そのまま桜を抱きしめ落下していく。その二人を真紅の光が包み込む。それと同時に、螢斗の胸元から淡い光が溢れ出す。
「僕が、護る」
龍護達が下を覗き込んだとき、螢斗の姿だけがなかった。
「美優と千夏は救急車を!春は親父達に連絡を」
目の前の事態に思考が追いつかず呆然としていた一同の中でいち早く正気に戻った真夜が指示を出す。その指示に従い、それぞれが動く。高校生達は全員叩きのめしてある。邪魔する者はいない。
残った恭哉達は螢斗を探すことになった。だが、影も形もなかった。残ったのは“空の珠”のみ。
彼が落ちたとされる地面に座り込んだまま、桜は動かなかった。
いや、動けなかった。脳裏に過るのは先ほどの光景。
螢斗の手と、それを避けた己の手。
どくっ
桜の体内で何かが脈打つ。
カタカタと手が震え、それが全身に広がる。
瞳から一粒の涙が零れ落ちていく。
私のせいで、慧兄は・・・。
心の奥で何かが壊れる音と共に、抑えきれない感情が、揺れる。
あの時、慧兄の手を掴んでいたらこんなことには・・・。
大切な人に手を伸ばされた
その手を掴むか、掴まないか、選択肢は二つ
私は、選んだ――――掴まない方を
選んではいけない方を、選んだ
私の、せいだ。
どっくん
紅玉色の瞳がひび割れる。
「まずい。桜の異能が・・」
兄の消失を引き金に、まだ幼い体に収まりきらない強大な異能が目覚めかけているのか。
「ダメだ!今のお前がその異能を使ったら・・・」
命の全てを異能に吸い取られてしまう。
桜を中心に地面が陥没し、すさまじい炎の暴風が吹き荒れる。近くにいた龍護達は慌てて遠ざかる。今の桜にこの異能はコントロール出来ない。近くにいたらこっちまで巻き込まれる。
「あつ・・・」
これが、桜の異能。
感情のまま全てを焼き尽くし、無に帰す『終焉の劫火』。制御できていないこれは、草木も人も関係なく燃やし尽くすだろう。
とにかく離れなければと走る彼らの背後から突然眩い光が弾けた。何事かと振り向けばあまりの眩しさに目を開けていられず、堪らず顔を背ける。
その中で龍護だけは目に刺さる光に耐えながらどうにか薄目を開け、それを目撃した。
どこからか現れている無数の鎖が草木を、建物を飲み込みながら範囲を広げていた炎を押しとどめる。さらに炎を蹴散らし、火種1つ残さずあっという間に消し去ると役目は終えたとばかりに眩い光は薄くなり、完全に見えなくなったそこには“空の珠”だけが転がっていた。
「ど・・・どうなった・・・?」
光が収まったためようやく目を開けれた恭哉が綺麗さっぱり消え去った劫火に唖然としている。春や真夜達も目を瞬くしか出来ない。
唯一見ていた龍護は必死に駆け寄り、倒れ込んだ桜を抱き止める。頬に触れる浅い呼吸と耳を打つ確かな鼓動にほっと安堵の息が知らずに漏れ出る。
「“空の珠”が桜の暴走を止めた・・・?そんな話、聞いたことないけど」
その後、親父達が迎えに来て、一夜は病院に運ばれた。螢斗の事は、今でも探しているが、今のところ見つかっていない。