儚い記憶 壱
これからは過去編になるたびに詩を投入していきたいと思います。その過去に合ったものが書けるかどうかは不安ですが、少しでも伝わるものが書けたらいいなと思っています。
ひらひらと、雪が舞っている。
触れることを躊躇ってしまうほど美しく、
真っ白で、花のように舞い落ちてくる雪。
子供の頃はただ、綺麗としか思わなかった。
今になって思うと、
触れることを躊躇ってしまうのではなく、
触れられなかったのではないだろうか。
触れたら最後――
儚く、夢のように跡形もなく消えてしまうから。
――まるで最初から、
なにもなかったかのように。
名残すら残さずに。
雪が降っていた。
「いってきま~す!」
どんよりと重く垂れ込んだ曇天の空から零れ落ちる無数の白い雪片の中、元気の良い声が弾けた。
「まってよ桜。かばんわすれてる!手ぶらで行くの?母さん、行ってきます」
「もってきて~螢兄。・・・あっ、ゆきだぁ。もう12月だもんね」
「るせぇ・・・。行ってきます、母さん」
「行ってらっしゃい。滑りやすいから気をつけてね」
桜、8歳。龍護、9歳、螢斗、10歳。
門の外まで見送りに来てくれた母に再度手を振り、真っ先に白く染まった道路に踏み込んだ桜は楽しげな笑い声を上げながらはしゃぎ回る。
「走るとあぶないよ、桜」
どんどん先へと進んでいく少女へ声をかけながらいつもより慎重な足取りで追いかける螢斗と、その更に後ろを不機嫌そうな龍護が気怠げにのそりと続く。
なんでこんな日に終業式のためだけに行かなきゃいけないんだ・・・。寝てたい。
彼が不機嫌な理由が手に取るようにわかっている螢斗はちらっと後方を顧みて困ったように笑う。
「螢兄見て。雪だるま」
道路脇に積もった雪を二つ丸めて上下に重ねた桜はそれを螢斗に差し出す。キラキラと輝く紅玉の瞳とひとつ瞬いた同じ色の瞳が互いを写す。
その様子を斜め後ろから見ていた龍護は本当にそっくりな兄妹だと改めて感じた。だが、似てない所もある。桜は見るからに強気そうなのに対し、螢斗は一秒で倒せそうなひ弱な外見。そして、母似の美人だ。男にこの言い方は適切ではないかもしれないが、それ以外に龍護が今現在知っている中で合う言葉は見当たらなかった。
ふっと優しく微笑んだ螢斗は桜が作った雪だるまを見つめたまま薄黒の髪に手を伸ばす。
「上手に出来たね。さすが桜」
わしゃわしゃと頭を撫でられた桜は朝からご満悦だ。緩みきった顔で兄に抱きついている。
「龍兄、雪がっせんしよ」
雪だるまを螢斗に託した桜が今度は龍護へ飛びかかるように抱きつく。さっとそれを避けた龍護は指を鳴らし、ニヤッと口角をつりあげる。
「いいぜ。うけて立つ」
「なんで指ならしてるの?べつにけんかするわけじゃないだろ」
耳聡くそれを聞きつけた螢斗が綺麗な顔に苦さを滲ませる。それですら綺麗に見えるのだから美人は得だ。注意してくる声に言い返しながら龍護は早速雪を丸く固める。
「っるせーな。なんとなくだよ。な・ん・と・な・く」
「まぁいいけど、桜にけがさせないようにね。知ってるよ、龍。このまえ桜を背負い投げしたんだって?それもろうかで。もう少しかげんしてあげようって思わないの?桜だって女の子なんだから。わかってる?」
「・・・」
「ちなみに、しらばっくれてもむだだから。しょうこに桜のせなかの青あざ。春のしょうげんもとれてる」
黙秘を貫く龍護へ追い討ちのように告げた螢斗は柳眉を寄せてじーっと視線を当て続ける。はぐらかせないと察した龍護は内心ちっと舌打ちする。
春のやろう、螢斗にチクリやがったのか。あとでぶっとばすか。
心の中で密かにそう決め、桜に雪玉を投げつつわざとらしくそっぽを向きとぼけてみせる。
「俺は売られたケンカを買っただけっとぉ!」
「よそみすんな。バカ兄」
生意気にもそんな事をほざきつつべーっと下を出す桜を認め、龍護の中でブツッとどこかが派手にぶち切れた音がした。
「・・・あ゛?」
「父さんの目の前で春に話してもらったほうが早いかな。あっ、春、千夏ちゃん、一夜、恭、美優ちゃん、真夜、おはよ」
曲がり角を曲がった螢斗がその先に手を振る。遅れて雪玉を投げながら曲がり角を曲がった龍護が目だけを向けると、そこには待ちくたびれたといった様子の恭哉と春、真夜(瞳は青、髪が茶髪の恭哉の姉)の姿がまず見えた。
彼らの後ろには嬉しそうに顔を綻ばせる千夏と美優、悴んだ指先に息を吹きかけている一夜もいた。
龍護を追う形で曲がってきた桜はその姿を認めた途端手にしていた大量の雪玉を投げ捨て、一目散に駆け寄る。
「おはよう!春兄、千夏、美優ちゃん、一夜、真夜姉、おまけの恭哉」
「おはよ」「おはよう」「おはよう。桜ちゃんは朝から元気だね」「おはようございます」「おふぁよ」
元気な桜とは違い千夏と美優は控えめな笑顔を浮かべて小さく手を振る。別に彼女達の性格が控えめなのではなく、寒さのためだろう。動くと隙間から風が入ってくるからもあるはずだ。男性陣は一夜を除く全員が気だるげに大あくびをする。
「だれがおまけだ。チビ桜」
「なんだと・・・ぶあいそー恭哉のくせに」
「やるか」
「かかてこい」
「ふっ二人とも・・・けんかはだ「「うるさい!だまってろ、一夜」」「ひぃ」
2人の剣幕に怯えた一夜は情けない悲鳴を上げて慧斗の後ろに隠れる。桜と恭哉は互いに睨み合い、いつでも動けるように構える。いきなり喧嘩をし出しそうな雰囲気の二人の間にするりと螢斗が割り込み、二人の肩に手を置く。
「はいはい。けんかしないよ」
「は~い、螢兄」「ちっ」
桜は素直に従い、恭哉は舌打ちしながらも構えを解くと腹いせにか積もった雪を蹴り飛ばしながら歩いていく。
彼はなかなかの低血圧らしいので朝はいつも以上に機嫌が悪い。なので、朝は触らぬ恭哉に祟りなしって事で全員心得ている・・・のだが桜だけがまるでわかってない。というか面白がっている節がある。
「ふぁ~ぁ。ねむいっ。そして、さみぃ・・・」
そう愚痴を零した春が緩んだマフラーを弄る。そんな彼の背後に忍び寄り、相手が気配を感じて振り返るのを利用してマフラーを奪った真夜は得意げな笑みを浮かべる。
「これでねむけもふっとんだだろ。さむさで」
「さむっ・・・っにしやがんだ、真夜!さっさとマフラー返せ。寒さでしぬっ」
「あっははは。なにそのかっこ・・・くっくるし・・・」
盛大に吹き出した真夜が春の格好を指差して大爆笑。彼女をここまで笑わせた春の姿というのは、冷たくなっていく首に咄嗟に手袋をはめた手を当て、そこについていた雪が服の隙間から入ってしまい、冷たさのあまりジタバタと暴れまわっているというなんとも間抜けな姿のことだ。
残念ながらその行為はさらに首の熱を、ひいては体の熱をも奪っていくだけだった。
心の底から呆れたようにはぁ~とふか~いため息をついたのは妹である千夏。
ダメな兄を持つと妹はいろいろ大変だな、としみじみ思う。
「お兄ちゃん。みっともないからバタバタしないで。真夜姉からとりかえせばいいだけでしょ」
「はっ。それがあったが」
「おっそ」
「気がつかなかったんだね・・・そっちにおどろきだよ、僕は」
笑いつつ突っ込む真夜の後に苦笑いを浮かべた螢斗が続き、頭を掻く。
「とれるもんならとってみろ。の〜ろま」
マフラーを手に得意げな顔の真夜がにやりと笑いつつした挑発にもともと気が短い春は容易く乗った。お馴染みメンバー達は美優と千夏、一夜、螢斗を除いて揃いも揃って短気者ばかりなので安い挑発が普通の百倍ぐらい効く。
「ボッコボコにしてやる!」
宣言と同時に真夜と春の追いかけっこが始まり、龍護がとても迷惑そうに眉間にしわを寄せ、飛び交う雪を避けている。
眼前で繰り広げられる賑やかな光景に螢斗は唇の端を引き攣らせながらため息をつく。
「けっきょくこうなるか。朝から元気すぎでしょ、まったく」
「螢斗さんはまじらないのか?」
年上組の螢斗を見上げながら問いかけてきた恭哉を見つめ、彼はう~んと唸りつつ困ったように笑った。
「まざってもいいんだけどね。僕はどっちがわにつけばいいのかまようから、どっちつかずをつらぬこうかなって」
それに喧嘩も暴力も嫌いだし、と付け加えると、桜は目をキラキラさせながら螢斗を見上げる。憧れの男性を見る少女のようだ。まんまなんだけどね、桜は。
子供のようにはしゃぎ回る年上組と、唯一混ざらなかった大人びた年上組を順に見やり、美優と千夏は顔を見合わせてやれやれと首を振った。
あの頃は全てが輝いて見えた
キラキラと輝き、一瞬で消えてしまう色とりどりの打ち上げ花火
その一瞬を少しでも長く楽しもうとはしゃいでいた毎日
そう。あの日までは・・・
「では今日から冬休みです。怪我をしないようにね。解散」
先生の声で生徒達は各々の計画を友達と一緒に話し出す。そんな中、桜達は素早く鞄を背負い、教室から出ていた。いつものあの秘密基地?へ行くのだ。
「おい、さっさと走れよ。のろま」
「うっさい、アホなす」
言い合いながらとんでもないスピードながら早足ですと言い訳できる速度で歩いていく二人。その後を美優と千夏と一夜がやや小走りで追いかける。下駄箱で上履きを脱ぎ、恭哉が靴を出そうと下駄箱を開ける。
ドサドサドサ
山のようなラブレターが雪崩のように落ちてきた。桜は引き攣った笑みでそれらを眺め、一言。
「いつものことだけど螢兄と春兄と真夜姉と同じくらい手紙入ってるね。また全部すてるの?」
「きょうみねぇからな」
きっぱりと言い切り近くにあったゴミ箱に見もせずに投げ捨てていく。千夏が小声で「読むくらいしてあげても・・・」と言っているが聞こえてないようだ。いつもの光景に桜が冷たく「ほっときな」と言い捨てて下駄箱を開ける。
ドサドサ
「・・・桜もすごい手紙入ってるね」
一拍おいて一夜が苦笑気味に呟く。ため息をひとつついた桜は手紙を拾うと一枚ずつ簡単に目を通しいていく。日頃から読書しているおかげか読むのが早い。あっと言う間に全てを読み終え、やはりゴミ箱に捨てる。その顔には疲労が滲んでいた。
「なんだって?」
「いつもどおりのだよ。「恭哉と春兄と螢兄にちかづかないで」みたいなおんなじようなてがみ。あとは「ブス」とか「男女」とか」
みんなひまだね、と最後に付け加えつつ靴を履き替える。千夏と美優、一夜もそれに倣う。
「さっさと行かないと姉貴達におこられるな」
「そだね。行こう」
「おっ、来た来た。お~い、こっちだ」
ここは廃ビル。何十年も前に使われなくなった人の寄り付かない場所だが、子供にとっては遊び場所以外の何物でもない。
「今日はなにして遊ぶ?かくれんぼ?おにごっこ?」
鞄をそこらに放り投げた春がさっそく皆に聞くと、桜が元気よく手を上げ、提案する。
「どっちも合わせてかくれおに」
「きまり」
てなわけで、鬼が一夜と春。
隠れる方が桜、美優、恭哉、真夜、螢斗、千夏、龍護という面子になった。
隠れる方は散り散りに逃げ、鬼は一分数えてから探し始める。
一時間後。龍護、螢斗、桜以外の全員が見つかり、鬼は集まって作戦会議開始。
「どうする?あの三人ホントかくれるのうまいよね」
「けどさ、かくれられそうなとこぜーんぶ探したんだろ?ならよーどこにかくれてるってーんだよ」
疲れ切った一夜、千夏、美優を尻目に感心したように零すのは真夜で、薄っすらと滲んだ汗を拭いつつ発言したのが春だ。
「そんなのほんにんに聞きなよ」
「そのほんにんが見つかんないからいまここで言い合いしてるんじゃないの?」
「たしかに」
「おい。何だ、お前ら」
唐突にかけられた誰何に一斉に後ろを振り返ると、高校生ぐらいの男数名が偉そうに立っていた。恭哉、真夜、春の血の気の多い組はあからさまに嫌そうに顔を歪ませ、穏やか組の美優と千夏は少しも動じず、呑気にお茶を飲んでいる。唯一苦労組の一夜だけがあわあわしている。見ていて可哀想なほどだ。
「ここは俺らのたまり場なんだが、なんでここにガキがいるんだ」
男その一がペッとつばを吐き、顎を上げてわざと上から見下ろす。上からの物言いと態度が癇に触ったのか、春は拳を握り締め堂々と喧嘩を売る。
「オメーらこそなんなんだよ!ここは俺らのあそびばだ。さっさと出てけ。デカブツ」
「なんでデカブツ?そこまで大きくないとおもうけど。まっ、さんせいかな」
「デカブツじゃねえよ。高校生様だ。年上には敬意を払え。クソガキ共」
「こーこーせい?はっ、うでだめしにはちょうどいいあいてね。見かけだおしじゃないといいんだけど」
尊大な物言いに嘲笑を返した真夜がポキポキ指を鳴らしつつ不敵な笑みを浮かべる。喧嘩に関して言えば彼らの右に出るものはいない。少なくとも中学生の不良は今まで何度も叩きのめしてきた。
寒くないように着ていた上着を脱いだ春は携帯を取り出し、まだ見つかっていない三人にメールを送る。その間に真夜は美優と千夏を後ろに下がらせる。この二人に怪我させたら後々面倒な事になるからだ。約一名が烈火の如く怒り狂うのが容易に想像できる。二人の前に一夜が立つ。
「ガキのくせに俺らに勝てると思ってんのか!?」
彼らの態度が気に食わなかったのだろう。男その一は手近にいた携帯を弄っている春に殴り掛かる。顔には「余裕」と書いてあり、自分がやられる可能性などこれっぽっちも考えていないのが見て取れた。
携帯を操作している春は迫ってきた男その一の拳をまったく見ずに避ける。高校生達の顔に驚きが宿る。
「おそすぎてはえが止まりそうだね!おにーさん」
蹴り足は正確に勢い余って体勢を崩した男その一の眉間に命中。男その一は脳震盪でも起こしたのかふらりとよろめくと重い音を立てて埃っぽいコンクリートの上に倒れ伏す。
一連の動きを見ていた高校生達は一様にぽかんとしている。目の前の現状に頭が追いついていないらしい。それもそうだろう。おそらく、この高校生達は今の今までは無敵を誇ってきたのだろう。それなのにこんな子供にたった一撃でやられるとは夢にも思わない出来事だった、というところかな。
「弱すぎる。それでもこーこーせいかよ、あんたら。ずーたいばっかでかくたっていみねーんだよ」
よく通る声で言い放った春の肩に手を置き、真夜は何がおかしいのか大爆笑している。
「なっ何なんだ・・・こいつら」
高校生達はざわめきつつ一歩後ずさる。そこへ、無愛想な声と、能天気な声と、その声を諌める声が飛んだ。
「春。こいつらか?俺らのじゃましたやつらってのは」
「わぁ~い。けんかだ、けんか」
「桜、けんかぐらいでそんなにはしゃがない」
桜達だ。遅い登場に真夜は腰に手を当てて早速文句をぶつける。
「おそい。もう、どこにかくれてたんだよ。まったく」
「お前には一生わかんないとこだよ」
ふんと鼻で笑った龍護に真夜は「はぁ?」と額に青筋を浮かべている。ぎゃあぎゃあ罵り合いながら喧嘩勃発。そこに春も加わり、大変やかましい。
「はいは~い。おしずかにね、三人とも」
そう言った螢斗が三人の頭に順に拳を落とす。ゴン、という痛そうな音が三回分聞こえた。
「「「痛ってぇぇッ!!」」」
三人は頭を押さえ、脳天を襲う痛みに耐えるようにしゃがみ込む。痛みが治まってきた途端三人は猛然と抗議する。
「なにしやがんだ!螢斗ッ!」
「けんか売ってんのか?」
「ぶんなぐってやるっ」
三人の抗議を笑顔で軽く聞き流し、螢斗は高校生に向き直る。そして人当たりのよい柔和な笑みを浮かべて丁寧にお願いする。
どうでも良いことだが、綺麗な螢斗の笑みに高校生達は数秒見惚れた。
「すなおに退いてもらえませんか?僕らが先にきていたので」
「・・・・っ退く訳ねーだろッ」
いち早く我に返った男その二が螢斗に襲い掛かる。どうせ「ひ弱なこいつなら倒せる」とでも思っているのだろうけど・・・。
「ざんねんです」
ふぅとため息をつき、螢斗は男の目を見据え、拳の側面に手のひらを当て軌道をそらす。男その一は「な・・・に・・」と驚愕に目を見開く。慧斗はそのまま男の足を払いバランスを崩すと、担ぐようにして背中越しに投げる。男その二の体は綺麗に回転し、コンクリートの床に叩きつけられた。
「言葉ではなくち力でかいけつしたいのでしたらあいてしてあげますよ。でも、僕はてかげんとかできないたちなので、ごたいまんぞくで帰れると思わないでくださいね」
最高に爽やか且つ柔和な笑みでそう言い放った螢斗は直立姿勢に戻り、目にかかった髪を払った。
これもどうでも良いことなのだが、その仕草がとても色っぽく映り高校生達は再び見惚れ、桜は歓声を上げた。