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珠巡り  作者: 桜咲 雫紅
一章 兄妹
5/108

強襲

短いですが戦闘シーン、入ります。私は戦闘シーンを書くのは結構好きなんですが他がどうにも・・・・。コツとか、あるんですかね。

渚が好きな歌手について熱心に語っているその最中だった。


桜の胸を、ひやりと冷たい何かが通り抜ける。

それは風でも音でもない、まるで透明な膜が肌をかすめていったような感覚だった。

言葉にしづらい微細な違和感。それでも、桜の足は自然と止まっていた。


ほんの一拍、空間から音が抜け落ちたような静寂が訪れた気がして、桜は思わず周囲に目を走らせる。

だが、視界に映る景色はごく普通だ。

陽はゆるやかに傾きはじめ、校舎や木々は西日を受けて長く影を伸ばしている。

通学路には落ち葉がぱらぱらと舞い、枝葉をかすめた風が淡く音を立てていた。


……なのに。


胸の奥に、ふわりと広がる得体の知れないざわめき。

それは心臓の裏側にじんわりと張りつく黒い霧のようで、どこかが“ズレた”ような気配があった。


…なんだ?


桜は片目を細めながら、改めて周囲を見回す。

風も、光も、匂いも――確かに「いつもの帰り道」のはずなのに。

空気がわずかに重たく感じられる。肌にまとわりつくような、ぬるりとした圧力が、全身をうっすら包んでいた。


気のせい……か?


見えるものに異常はない。音も、光も、形も変わらない。

だが、「いつも通り」なのに、「何かが違う」と思う感覚は、桜の直感に深く刺さっていた。


「桜?どうかしたの。さっきからきょろきょろしてるけど……」


隣にいた渚が、のんびりとした口調で問いかける。

その声に桜は肩をわずかに揺らしながら、目を向けた。


「……なんか、違和感、ない?」


「え? ……んー、言われてみれば、少し静か……かも?」


渚は首を傾げながら、きょろきょろと辺りを見回す。だが、特に気にしている様子もない。

桜ほど、こういう微細な空気の“異変”には敏感じゃないのだ。


じんわりと皮膚を撫でる風が、先ほどよりも冷たくなった気がした。

夕陽は地平線へと傾き、長く伸びた校舎の影が道の先を覆い始めている。


いつもと同じはずの景色が、どこか作り物めいて見える。木々の葉は揺れているのに、葉擦れの音は妙に小さい。遠くから聞こえていたはずの部活の声も、耳を澄ませば澄ますほど、妙な沈黙に飲まれていくようだった。


考え込んでも、答えは出なかった。だが桜の中で、理由のない焦燥だけがじわじわと膨らんでいく。


……これ、やばいかも。急ごう。


「……とりあえず、行こ」


「うん……」


渚が頷いた瞬間、桜は歩き出す。足元で落ち葉がカサ、と鳴ったその音がやけに耳に残る。

歩幅が自然と早まるにつれ、背後から何かに追われているような錯覚が込み上げてきた。

振り返っても、何もいない。気配すらない。なのに、心臓だけが早鐘を打っている。


よくわからない。でも、ここに長居しちゃいけない。


その思いだけが二人を突き動かす。

気づかれぬよう巧妙に張られた“何か”に、桜の直感だけが確かに反応していた。




先ほどよりやや早足になった二人を、フードを深く被った影が、鍵を閉めたはずの特別棟屋上からじっと見下ろしていた。


顔の半分以上を覆うそのフードのせいで、性別も年齢もまるでわからない。冷たい風が黒い布を揺らし、影はまるで闇そのものと溶け合っていた。光を反射しない黒い布が、まるで空間に穴が空いたかのように闇と溶け合っている。


「ふーん……」


どこか楽しげな声が、静寂を切り裂くように風に混じって微かに零れた。


影の口元がわずかに歪み、にやりと弧を描く。


「……この程度の歪みに気づくとはね。珠に選ばれるだけのことはあるってわけか」


フードの奥で、影は愉快そうに瞳を細める。


「ふむふむ。これは収穫。メモ、メモ……っと」


口調は軽いが、その声音には明らかに冷たい興味が混ざっている。まるで観察対象に対する他人事の好奇心――それでいて、どこか獲物を選別するような無機質さがあった。


遠く、校庭では部活動の声が途切れ途切れに聞こえているが、風にかき消されているのか妙に遠い。周囲の空気は冷え切り、どこか澱んだ静けさが漂っていた。


「さて、どうしよっかな」


目的を遂行するには、大きな騒ぎは避けたい。

本命は紅玉の目を持つ少女だが、今はまだ早い。


「なら、防御系異能の方……真海 渚、か」


資料に書かれていた異能の性質から見て、防御力は高いが反撃される可能性は低い。不意をつけば容易に攻略できる、か。


「き〜めた」


その言葉を最後に、影の姿は冷たい風に紛れるように掻き消えた。


まるで、最初からそこには何もなかったかのように。







同時刻、校庭の隅――


「30分間休憩!」


キャプテンの号令が響くと、グラウンドの熱気が一瞬ゆるむ。照り返しの強いアスファルト、砂に混じる汗のにおい。部員たちはそれぞれ、日陰に逃げ込むように散っていった。ベンチに倒れ込む者、ジャグからラッパ飲みする者、木陰でストレッチを始める者――午後の陽射しを浴びた校庭は、休憩という名の静かな喧騒に包まれる。


その中で、龍護はひときわ重いため息を吐いた。


理由は、すぐそばからやってきた。


「りゅう〜♡ お水とタオル、持ってきてあげたよぉ〜♪」


声だけで体感温度が2℃ほど上がった気がした。ぴたっと距離感ゼロで現れたのは、タイトなジャージにポニーテールを揺らす女子――陽菜だった。両手にタオルとペットボトルを抱え、わざとらしく小首をかしげて上目遣い。


「……いらねぇ」


龍護は顔も向けず、淡々と返す。


「え〜? ツンデレじゃ〜ん♡ ほんとは嬉しいくせにぃ〜♪」


まったく懲りない。陽菜は笑いながらさらに一歩詰め寄り、タオルを龍護の額にあてようと腕を伸ばす――


「……どけ」


その声は、先ほどよりも一段低く、はっきりとした拒絶だった。


ぴたりと動きを止めた陽菜の表情が一瞬だけ曇るが、すぐに作り笑いを貼り直す。


「も〜、恥ずかしがり屋さんなんだから〜♡ でも、陽菜はず〜っと龍の味方だよぉ?」


ヒラヒラと手を振りながら去っていくその背中を見送る龍護の目には、情など一切ない。むしろ「またかよ」とでも言いたげな無表情だった。


少し離れた日陰から、それを見ていた女子たちが小声でひそひそ。


「……また行ってる」

「マジでメンタル強すぎない?」

「てか、ガチでスルーされてるのに気づいてないの逆にすごいよ」


表情は笑っているが、目は引き気味。とはいえ、誰も止めることはしない。もう慣れたことだ。陽菜のぶりっ子テンションも、龍護が一切関心を示さないことも、この部の中では日常のひとコマになっていた。


「……寝る。時間になったら起こせ」


龍護は短く言って、春と恭哉の方へふらりと歩く。明らかにさっきより疲れている。


「またかよ。お前、一日何時間寝てりゃ気がすむんだ?」


春が汗でへばった前髪をかき上げながら呆れ顔で言う。


「だったら桜のとこ行かねぇか? やっぱ気になんだよな、最近」


「賛成です」


恭哉が静かに頷き、春は「だろ?」と小さく笑う。面倒そうな龍護を促すように、三人はグラウンドを抜けて校舎の裏手へ回り、屋上を目指した。


昇降口の階段をのぼり、屋上のドアに手をかける――が、鍵はかかっていた。ドア越しにノックしても、誰も応じる気配はない。


「……いねぇじゃねぇか」


「帰ったんすかね」


「っぽいな」


もう一度ノックしてみたが反応はない。ドアの隙間からは、かすかに昼食の匂い――カップスープか何かの残り香が漂っていた。ほんの数分前まで、誰かが確かにここにいた。だがもう、その気配すら風にさらわれていた。


「いないなら仕方ねぇな。戻んぞ、龍、恭哉」


春がぼやき混じりにそう言って振り返る。


「へーい」


「……」


「龍?」


呼びかけに返事がない。片眉を上げて振り返った春の視線の先にいたのは――


「寝てんのかよ、もう……」


屋上の階段途中、陽の当たらないコンクリートの一角に、無造作に寝転ぶ龍護。腕を組んで枕代わりにし、完全に意識を手放している。場所の寝心地など一切気にしていない様子に、春は苦笑を漏らした。


「どうします?」


「ほっとけ」


「ですよね」


春と恭哉は迷うことなく踵を返す。

寝ている龍護を起こすのは誰でもできる――だが、彼の“寝起き”は超がつくほど悪い。下手に触れれば、不機嫌から喧嘩、最悪異能が漏れ出す可能性だってある。


それを一番よく知っているのは、桜。もう一人だけは、かろうじて対応できる。だが、今ここにそのどちらもいない。


「……ったく、手のかかる奴」


春がぼそっと吐き捨て、グラウンドへと戻っていった。


龍護のすぐそばを、風がひゅうと通り抜けていく。静まり返った屋上の前で、誰も気づかないまま、静かに時が流れていた。




その頃、帰宅途中の桜と渚は駐車場の入口付近に差し掛かり、夕暮れの冷たい風に吹かれながら数学の宿題の文句を言い合っていた。薄く雲が広がった空は刻一刻と色を変え、沈みかけた太陽はオレンジと赤のグラデーションを周囲の建物に映し出している。ひんやりとした空気の中、遠くで鳥の鳴き声がかすかに響いた。


先ほど感じた奇妙な違和感は単なる気のせいだったと自分たちで納得したらしく、足取りは普通に戻っている。しかし、桜の目は時折、周囲の暗がりや遠くの影まで鋭く走り、誰かの気配を探っているかのようだった。


「あの外国語の(つづ)りみたいのを覚えろとか無謀すぎるんだよ」


「そうそう。あんなの教わったって使い道ないっての」


「だよね~。私たち、わりと息合ってるじゃん」


「なんか逆に怖いわ、それ」


「……どういう意味?」


「怒んなって」


渚がピクッと眉を上げたところを、遠慮なくわしゃわしゃと頭をかき回す桜。それに対して渚は迷惑そうに顔をしかめ、邪険にその手を払い除けた。


そんなやりとりの最中だった。


――ひゅん


風を切る鋭い音が耳元を走った。冷えた空気を鋭利な刃物が切り裂くような、その音に桜の神経が反射的に音の方向へ目だけを向ける。


何だ、あれ……?まさか、ブーメラン?――っ!


夕陽が西の空に沈みかけ、長く伸びる影が地面を覆い始めた。薄暗くなりかけた駐車場に、刃の部分が夕陽を反射してきらりと鋭く光る飛翔体が、不気味な軌跡を描きながら、自分たちに向かって飛んできていた。風に乗った枯葉が舞い上がり、周囲の木々がざわめく中、その軌跡は渚の首筋をまっすぐに狙っている。


時間がほんの一瞬、極端にゆっくりに感じられた。空気の震え、刃物の回転音、近くにあった小さな砂利が振動で跳ねる様子までが、桜の視界に鮮明に映る。


瞬時にその軌道を解析した桜は、とっさに渚を抱き寄せて覆い被さり、二人で避けようと動いた。しかし反応は一瞬遅かった。


――びっ


服が裂けるような音が鼓膜を打つ。左肩の袖が鋭く破られた。痛みを感じて桜は顔をしかめる。倒れそうになった渚を無造作に引き寄せ、体勢を支えた。


「っ・・・」


裂けた服の隙間から薄く鮮血がにじみ出ている。浅く斬られた傷だ。指で押さえれば血がにじみ、冷たい夕風に乗って生暖かい血の匂いがかすかに鼻をつく。


「いきなりなにすんのっ!桜、血が……」


左肩の白い袖があっという間に鮮やかな赤に染まっていく。ポケットからいつも千夏に無理矢理持たされているハンカチを取り出すと、手際よく傷口を縛った。


包丁で指を切ったことは数えきれないほど、車に撥ねられたことは二度、骨折も経験済み。鍛錬中に太刀で傷だらけになったことも、異能の暴発で黒焦げになったこともある。喧嘩でボコボコにされたことも、仕事で全身を斬られたこともある。こんな傷は大したことではない。


微かに疼く痛みを振り払い、桜は改めてブーメランの飛んでいった先を見つめる。


屋上に立つ人物は逆光で顔が判別できない。とはいえフードを深く被っているため、正体は闇に包まれている。先ほどまで自分たちがいた駐車場の反対側の屋上だ。建物の端に立ち、背後には薄暗い街のシルエットと暮れゆく空が広がっている。


渚も桜の視線に追随し、眉を細めて夕陽の眩しさを遮る。風に揺れる木々の葉音、遠くの車のエンジン音、そして自分たちの呼吸が、異様な静けさの中で際立っていた。


「誰?あの人」


「さぁね」


桜は短く吐き捨てるように返し、目の前の敵をじっと見据えた。校内という日常の空間に、挨拶もなしに襲い掛かる危険極まりない相手だ。


「今のをかわすなんて・・・やるじゃん。“空の珠”に選ばれし者、天空 桜」


「何でそれ……」


桜と家族、親友、そして三珠関係者しか知らないはずの秘密が暴かれた。少し前に聞いた話が頭の中でよみがえる。


「お前、“珠狩”か?それとも別の組織の者か?」


“珠狩”とは、桜たちが持つ3つの“珠”を奪い取ろうとする者たちの総称だ。桜たちが高校に上がる頃から動きが活発になり、警告を受けていた。


「ご明察。知ってたのは意外だな。どっちかは教えないけどな」


相手は軽やかな笑い声をあげる。声からすれば――多分男だろう。自信はないが。


桜はいつでも動けるよう自然体を装いながら、半歩後ろの渚を庇う立ち位置に調節する。


「どうする?」


切迫した響きを孕んだ問いに含まれた意図が読めず、前を向いたまま問い返す。


「何をだよ」


「どうやって逃げるか聞いてるの」


その言葉の意味が理解できず、冷静に見返す。


「逃げられるわけないだろ!逃げようとした瞬間、あのブーメランを投げられてはいお終い、だ。そんな事もわかんないのか?」


「じゃあどうするって言うの?!」


「戦うしかないだろ、この状況っ!たとえ逃げたとしても、即座に追いかけてくるに決まってる」


「……はっ?あなたバカ!?バカなの!?」


「誰がバカだ!!」


二人が声を張り上げて言い合う中、男は面白そうに笑い声を上げて二人を見下ろす。


「仲間割れかい?まぁ二人とも逃げられても困るからな。天空 桜。君は逃げてもいいよ。俺の狙いは真海 渚だからさ」


その言葉に、桜は勢いのまま即座に反応した。渚を背にかばい、敵に鋭い視線を向ける。


「渚が狙いか……そうか。攻撃系じゃないから“狩りやすい”ってわけだ。……弱い者いじめとは、情けない」


桜の声には明確な嘲りが込められていた。落ち着いた挑発。それを受けて、屋上の男は軽く肩をすくめる。


「本音を言えば、強い奴と“やり合いたい”んだけどな。こっちにも優先順位ってもんがあるからさ。というわけで、真海 渚。悪いけど、覚悟してくれ」


渚は薄暗く染まった空を見上げ、唇を真一文字に結んだ。震える手で胸元の“海の珠”をぎゅっと握り込んだ。手のひらに食い込む冷たい感触。それが、今の彼女の覚悟のすべてだった。


――これだけは、絶対に渡さない。


桜は、そんな渚の気配を背で感じながら、一歩前に踏み出した。彼女は無言のまま立ち位置をずらし、渚を完全に庇う形になる。


「へぇ、どういうつもりかな」


男の声が揶揄を含んで響く。だが桜はその挑発に構わず、静かに、だが力強く言葉を返した。


「渚は、大事な親友だよ」


桜はゆっくりと足を踏み出し、背中で渚を完全に隠す位置に立った。


「見捨てて逃げるなんて、そんなの……あり得ないんだよ」


決めたんだ。もう二度と失わないように、大切な人達は自分が護ると。


「桜」


背後から漏れた渚のかすかな声に、桜は口角を微かに上げた。こんな時に喜ぶなよ、とは思ったが、気持ちはわかる。


「友情は美しいねぇ。……でも、実力が伴わないと──」


言葉の続きを口にする前に、男の姿が風の音に紛れて一瞬で掻き消えた。


「──ただの理想論だよ」


二人の視界に入るよりも早く、男は飛び出していた。


目で追えず、咄嗟の反応もできなかった渚は棒立ちになったまま、動けない。


だが、桜は違った。


視線だけで相手の動きを捉え、反射的に左手で渚を押し下げるように動かした。右腕で迫る蹴りを受け止め、足元の砂利が跳ねる音と同時に金属の鈍い音が空気を裂く。


男の手から放たれた刃付きブーメランが、渚の頭上に向かって振り下ろされる。


桜が押してくれたおかげで僅かに敵との間合いが空いたが、渚でもわかる。これは、避けきれない距離――確実に傷を負う。覚悟を決めた渚は襲いくるであろう痛みに備えてぎゅっと目を(つむ)る。


桜は叫ぼうとした。だが、声は喉の奥で詰まり、声帯が震えて言葉にならなかった。


――――声を出しても届かないなら、届くだけの力がほしい


渚に駆け寄る。だが、間に合わない。


――――走っても間に合わないなら、間に合うだけの疾さがほしい


必死に手を伸ばす。だが、届くのは空気だけ。


――――手を伸ばしても護れないなら、この手の先に握る刃がほしい


ほんの少しでいい。今、大切な人を護れるだけの、力を。


『それがお前の心ならば、我らはそのために力を貸そう』


心の奥に刻まれた、初めて異能を手にしたときの声が甦った。


迷いは、ない。


首元に揺れる、小さな紅い刀型のペンダント。そこから真紅の閃光が、まるで息を吹き返すようにあふれ出した。

次の瞬間、桜の身体を包むように火柱が弾ける――それは、意志の炎だった。


「……異能が?」


制服の袖が焼け、左腕に紅い翼の紋章が浮かび上がる。その姿は、もうさっきまでの彼女ではなかった。


腰には、真紅の太刀が二振り。


「それが君の具現化か」


「そう。これは──私が大切なものを護るための刃」


太刀を一閃。刃は桜の強い意思に応えるように眩い光を放つ。


「綺麗……」


渚の呟きが聞こえる。太刀の刃には、まるで桜吹雪が閉じ込められたかのように美しい模様が浮かんでいた。


だが桜は自分の美しさを称えず、鋭い眼差しを敵に向け、低く構え直す。

少し眉根を寄せた桜はぐっと奥歯を噛み締めると強い眼差しで敵を見据える。


本当はこのまま異能を使いたくはない。けど、仕方ない。


ちらりと渚を見やり、ついでに近くにある車などを視界に入れて、ふぅと短く息を吐く。


「時間がない。さっさと終わらせる」


その言葉と同時に、桜の足元に紅い光が奔った。空気が熱を帯び、桜の体が一気に加速する。


速い。よく見ると彼女の足に紅い光が(まと)わりついていた。そのおかげでいつもより速く走れるのだろうか。男は驚いたようにひゅうと口笛を吹く。


「指輪をつけたまま異能を使い、さらにはここまで動けるなんて。さすが天空家ってところか」


「うるさいよ」


刃と刃が激しくぶつかり合い、火花が火の粉のように舞い散る。巻き起こった風が砂利を巻き上げ、足元に刺さる痛みを呼ぶ。


桜の太刀は、彼女の意思そのものだった。


渚は息を呑み、忙しなく視線をさ迷わせる。二人の激しい動きに追いつけず、身体が硬直したままだ。


打ち合いは激しさを増し、数分が過ぎていく。時折炎が唸り、風を切る音が交差する。桜の動きは鋭く、力強かったが──


「どうかしたのかい?息が上がってきてるけど」


「……はっ……はっ……」


まだ余裕がありそうな男に対し、桜は荒く速い呼吸を繰り返していた。汗が額や首筋を伝い、制服の袖に染み込んでいく。身体中の筋肉が鉛のように重く感じられた。


まだ斬りあって五分も経っていないのに、だ。


「桜!」


渚の声が心配そうに響くが、桜は返事を返す余裕すらなかった。剣先が小刻みに震え、視界の端が霞み始めているのが分かる。悔しさが歯を噛みしめるその動作に滲む。


くそっ。もうきたか。


「どうやら立ってるだけで精一杯みたいだね。まぁ無理もない話だ。指輪をつけたまま異能を使うと相当な負荷がかかるらしいから。それなのに具現化まで出しちゃって・・・動けるのが不思議だよ」


吐く息は熱く、身体は鉛のように重い。さっきまでの俊敏さはもうない。指輪を外せばいいが、今外すと反動で周囲を巻き込むかもしれない。


そんなことは絶対にできない。渚や他の生徒を巻き込むわけにはいかない。


それだけは、ダメだ。


意識が逸れた刹那、霞んだ視界の隅に蹴りが迫る。


とっさに横に飛び威力を弱めたものの、横腹を食らい桜は吹き飛んだ。地面に太刀を突き刺して勢いを殺すが、男は追撃の手を緩めない。


「桜から離れろ!!ブーメラン男」


そんな声と共に桜の横を何かが飛んでいく。視線をずらすと水の槍だった。水の槍はブーメラン男に当たる前に見えない壁にぶつかったように霧散する。


「……っ渚。余計なことしてないで隠れてろ」


熱い息を吐き出し、太刀を支えに立ち上がった桜が声を怒らせる。


「この程度の異能で俺をどうにか出来るとでも。なめてんのか?」


「うるさい!一人でカッコつけんな。私だって守られるだけじゃなくて守りたいんだ」


「いい心意気だね。でも所詮干渉系」


男は馬鹿にしたように鼻で笑いながら渚に向かって鬱陶しげにブーメランを投げつける。それを限界に近い体に鞭打って動いた桜が弾き返す。


「桜……そんな体で動いたら」


渚が桜の苦しそうに上下する肩に触れる。そこから伝わる異常な熱に驚きと焦りが混ざった声が漏れた。


「桜ッ……」


「いい。ほっとけ。今は、相手に意識を絞れっ」


「だけど」


「いいかッ・・・」


怒鳴ろうとして詰まり、咳き込む。普通は指輪をつけたまま異能を発動できない。桜は抑制力を超える異能を常に放出し跳ね返している。


そんな力技、当然限界ガタが来る。


「そんな体で動くな!アホ」


「……誰がアホだ。足手まとい」


「なっ…なん…っ、今にも倒れそうな奴に言われたかないよ!!なんで指輪外さないの!」


「私の勝手だ」


「俺の存在を・・・忘れんな!」


無視し続けたせいか、痺れを切らしたのか、蚊帳の外に置かれていた男がブーメランを手に突進してくる。目は反応しているが、無理を重ねた身体がついてこない。先程の移動で体に限界が来たらしい。

動けない桜の前に渚が防御壁(結界)を展開するが、指輪の抑制で防御力は半分以下だ。すぐに破られる。


呼吸が、荒い。脈が耳の奥で響くたび、視界の端が黒く滲んでいく気がする。


「……やるしか、ないか」


桜はゆっくりと、震える手を上げた。指先が、指輪の冷たい縁に触れる。


それは、“枷”を外す合図。


(もう少しだけ……この体、動いてくれ)



ビキッ



薄く張られたガラスにひびが入るような鋭い音が、三人の鼓膜を強く揺さぶった。

男の表情は一変し、今までの余裕が引きつった緊張へと変わる。

視線の先、亀裂だらけだった結界が音を立てて砕け始めた。


ビキビキ パキ・・ン


砕け散った結界の破片が、雪のようにひらひらと舞い落ちる。

そして、封じられていた世界の壁がなくなったことで、周囲の音が一気に流れ込んできた。微かに聞こえる人の話し声、風に揺れる木の葉のざわめき。

それまで閉ざされていた外の世界が、急に現実感を持って桜の感覚を満たしていく。


桜は胸の奥にあった重苦しい違和感がすっと消えるのを感じた。

結界の外は、こんなにも音に満ち、生きている。


周囲の空気は冷たく澄み渡り、薄暗くなり始めた夕暮れの色合いが、静かに世界を包んでいる。


男は舌打ちを吐き、苛立ちを隠せずに屋上へ飛び乗った。その動きに合わせ、空気が一層冷たく重く感じられたが、目は冷静さを保っていた。


(やはり……結界を破られたか)


頭の中で状況を整理しながら、計画のズレを素早く受け入れる。焦りは隠しつつも、心中では警戒を強めていた。


「…起こせっていっただろ、春」


「うるせーよ。寝てるとき起こすとお前、最高に機嫌悪くなんだろうが」


「まぁまぁ、お二人とも。間に合ったんだからいいじゃないですか」


緊張感のないやり取りと共に現れたのは、龍護、春、恭哉の三人だ。

渚はその光景を、まるで現実を追いきれずに呆然と見つめていた。


ありえないはずの存在が、目の前にいる。


「……3人とも、なんで」



彼女の胸は激しく揺れ、目には驚きと戸惑い、そしてかすかな安堵が入り混じっていた。


三人の視線は侵入者の男へ、そして太刀を握りしめる桜へと順に注がれる。彼らの顔が一斉に険しくしかめられる。


「は、っふざけんなよお前!馬鹿か!? 指輪つけたまま異能なんか使ったら、全部自分に返ってくんだぞっ!」


春の声は、叱責というよりほとんど怒鳴り声に近かった。桜を心配するあまり、言葉は荒く、声も震えていた。


「……っ、指輪つけたまま異能なんて――桜、お前……! あれほど使うなって言っただろ! 外に出せない異能は、体の内側で暴れて、どんどん自分を削るんだぞ……!」


駆け寄ってきた恭哉の声は、普段の落ち着いたトーンからは想像もできないほど荒れていた。言葉の端々に怒りがにじみ、それ以上に、滲み出るような不安と焦りが見え隠れしている。


「なんで……なんで無理すんだよ……!」


視線は桜に釘付けのまま、気づけば拳をぎゅっと握りしめていた。 


「無茶して、誰も喜ばねぇって……」


その声は怒鳴りではなかったけれど、痛いほど真っ直ぐに届いた。

そして、短く絞り出すように――


「大丈夫か……?」


その問いかけには、怒りも責める意図もない。ただ、彼女の無事を、心の底から願う気持ちだけがあった。


桜は視界の中に三人を捉え、苦痛の涙に滲んだ視界の中で、力なく口元がわずかに緩む。

それは、絞り出すような小さな微笑だった。


しかし体はまだ熱く、吐き出せない熱が体内を暴れ回っているようだった。力の抜けた手から、太刀がゆっくりと地面へ滑り落ちていく。

その瞬間、龍護が素早く地面を蹴り、崩れ落ちそうになる桜を抱き止めた。


龍護の腕は背中と太腿の下に滑り込み、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に抱き上げる。

桜の身体は小刻みに震え、呼吸は荒いが、その腕の中には確かな温もりと守られているという安堵があった。


男はその光景を遠くから呆れたように眺め、頭をかきながらため息をつく。


「まったく……三人も来るなんて予想外もいいところだ。仕方ない、一旦は退くしかねえな」


声にはまだ冷静な余裕がにじんでいたが、その目はわずかに鋭さを増していた。不利な状況を受け入れながらも、次に備えて思考を巡らせているのが見て取れる。


(……収穫はあった)


最後にちらりと桜を一瞥し、風のようにその場から姿を消した。


「……寮に帰ろう。まずは、桜を休ませないと」


風がそっと通り抜け、夕焼けの赤が、三人と桜の影を長く地面に伸ばしていた。

ようやく戻ってきた日常の音が、まるで安堵のように、ゆっくりと空間を満たしていく。

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