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珠巡り  作者: 桜咲 雫紅
一章 兄妹
3/108

愉快な仲間たち

こんにちは!まだまだ未熟者の桜咲てす。

今回は大体の人物紹介が入っております。一、二話で出てくる人が一幕での主な登場人物となる予定です。

それでも2話もお楽しみください。

6時に設定した目覚ましがけたたましく騒ぎ立てる音で嫌でも目が覚めた。ぼんやりとぼやけた視界がだんだんと鮮明になっていき、一つ瞬くとカーテンの隙間から溢れる朝日に目を向ける。


「……うっさ……」


寝ぼけたまま手を伸ばし、目覚ましを叩いて音を止める。枕に顔をうずめたまましばらくじっとしていたが、じんわりとまぶたの裏に染み込んでくる光に、桜は渋々体を起こした。


カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日が、グレイッシュブルーの壁に反射して室内をぼんやり照らす。床には読みかけの文庫本、机の上には開いたままの書類やスケジュール端末があり、椅子の背では脱いでそのままのような制服が風に揺らいでいた。


「……もう朝かぁ…」


ぼやきながら、桜はハンガーにかけてあった制服のシャツを手早く羽織る。その拍子に、胸元で異能を制御する“空の珠からのたま”と、心の形が具現化した武器が二振り、元の形そのままに小さくなってチェーンにぶら下がり、ちゃりちゃりと音を立ててぶつかり合った。


ここは教職員・委員会寮の6階。高等部の委員会所属者専用フロアだ。


桜の部屋は、2人1ユニット制の寮の一室。左右に個室、中央に談話兼リビングスペースという造りで、モダンで落ち着いた内装にまとめられている。彼女の部屋は本や資料こそ散らかってはいるが、生活感があるという意味では整っているほうだ。


軽く顔を洗い、歯を磨くと、冷たい水が少しだけ意識をしゃんとさせる。


ドアを開けると、寮独特の静かな空気が肌を撫でた。円形ドーナツ状の外廊下に出ると、中央の吹き抜けを通じて下階の気配が感じられる。桜が立っている6階からは、中等部委員会が入る5階の気配も、その下に連なる教職員や警備員フロアの朝のざわめきも、かすかに届いていた。


寮全体は7階建ての高層構造だ。7階はゲスト用、6階と5階がそれぞれ高等部・中等部委員会フロア、4・3階は教職員、2階は警備員専用、そして1階には大浴場や食堂、会議室などの共用エリアがある。


とくに朝のこの時間帯、1階の食堂からは湯気混じりの香りが吹き上がってくる。炊きたての白米、出汁の効いた味噌汁、香ばしい焼き魚と卵焼きの香り、そしてほんのり磯の香りを漂わせる刻み海苔。朝の空腹を刺激するその匂いに、桜は思わず足を止めて深呼吸した。


「うーん、お腹……空いたな……」


唇を尖らせてつぶやきつつ、しかし彼女には先に果たすべき任務がある。


――寝坊助を起こしてくることだ。


最初の目的地は6階の談話室。委員会フロアの中央に位置するこの部屋には、共有の冷蔵庫や簡易キッチン、ホワイトボードなどが備え付けられており、朝の連絡事項や軽食の準備、情報共有の拠点となっている。


「はよ」


ドアを開けると、制服の上からエプロンを身につけた千夏たちが、朝の光に包まれながら迎えてくれた。


「おはよう、桜ちゃん」

「おはよ。遅いよ、桜」

「もうすぐお弁当できるから、皆を起こしてきてほしいんだけど」


「オッケー!朝食の準備、よろしくね!」


明るい声を背に、再び外廊下へ出る。大きなガラス窓越しに、朝霧にけぶる深い森が広がっている。小鳥のさえずり、涼やかな風が葉を揺らす音。澄んだ朝の空気に包まれながら、桜は605号室へと向かった――。





605号室の前で立ち止まり、ポケットから鍵を取り出してドアを開ける。無言で足を踏み入れた瞬間、むわっとした空気と、ほんのりと香る柔軟剤のにおいが混ざって鼻をかすめた。


「起きろ〜春兄。朝練ないんだから、いつまで寝てんの!」


まず向かったのは、左側の春の個室。ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、床に無造作に放り出されたTシャツと、ベッド脇に積み重なった漫画の山。それに、机の上には妹と撮ったと思しき写真が立てかけられている。横には、バイク雑誌やミニ模型まで置いてある始末だ。


「……相変わらず散らかってるな」


小声でぼやきながらカーテンを引き、窓を開けて空気を入れ替える。爽やかな風が室内を駆け抜け、散らかった紙や本をぱらぱらとめくっていった。布団を引っぺがすと、春がうめき声をあげながら頭をもぞもぞ動かす。


「うぅ……もう朝か……まだ眠……」


「いいから着替えて、歯磨いて、朝ごはん行くよ。千夏が待ってるから!」


やる気のない返事を背に、桜は部屋を出て右側の個室へ向かった。


ノックもそこそこに扉を開けると、そこは春の部屋とは対照的に、きっちりと整えられていた。ベッドは乱れていたけれど、それ以外はきちんと整理されていて、棚には整然とファイルや資料が並んでいる。机の隅には小説と数冊の漫画本があるくらいで、余計な物は見当たらない。


「おら、さっさと起きなよ、バカ兄貴」


布団を剥ぎ取って容赦なく揺さぶると、龍護は眉をひそめながら、ゆっくりと目を開けた。薄く瞬きを繰り返しながら、ぼんやりと桜の顔を見つめる。


「なんで、ここにいんの。お前……?」


「起こしに来たに決まってるでしょ。いいから制服着て、歯磨いて、朝ごはん行くよ。早くしないと学校遅れちゃう」


龍護はしぶしぶとベッドから体を起こし、その場で着替えを始める。桜の目がふと、彼の左腕から脇腹にかけての大きな傷跡に留まった。


「龍兄。その胸の傷、どうしたの?」


彼はしばらく答えず、指先で傷跡をなぞるように触れた後、ぽつりと呟いた。


「忘れた」


「そんな目立つ傷、普通忘れないでしょ」


呆れ気味に言うと、龍護はすぐに話題を逸らそうと口を開いた。


「それより、お前、男の着替え覗くの趣味なのか? いつからそんな──」


「私が出てってから着替えろ! この変態兄貴っ!」


勢いよく蹴りを入れると、龍護は腹を押さえてベッドに倒れ込む。桜の頬はほんのり赤く染まっていたが、それはきっと怒りのせいだ。……たぶん。


しばらくして、布団の中からくぐもった声が聞こえた。


「……悪いな、桜」


その一言は、静かな朝の空気に溶けていった。








「ほら、お兄ちゃん。お箸ちゃんと持って」


千夏は優しく声をかけながら、ふわりと揺れる春の寝癖を指先でそっと撫でて整えた。まるで小さな嵐が通り過ぎたあとのように、髪がぼさぼさと額にかかっている。


談話室は、落ち着いた木目調の家具で整えられていた。壁際に置かれた本棚には、異能関連の資料や分厚い報告書がずらりと並んでいて、空間全体に静かな緊張感を与えている。けれど、今朝はそれを打ち消すように、ゆるやかな空気が流れていた。


一面ガラス張りの窓からは朝の光が差し込み、柔らかく室内を照らしている。開け放たれた上部の小窓から吹き込む風が、カーテンをわずかに揺らし、ほのかに庭の緑とコーヒーの香りを混ぜて運んできた。


「え~? 朝くらい自由に食わせてくれよ、千夏先生~」


「自由には責任もついてくるんだからね。ほら、お茶碗もちゃんと持って」


千夏の声は穏やかで、どこか呆れたような響きも混じっている。春はふてくされた顔のまま、箸を握り直した。


窓際のテーブルに置かれたコーヒーメーカーからは、さっきまで温めていた豆の香りがほのかに漂っている。ふいに机がカタリと鳴ったのは、春の腕が当たったせいだろう。


「こんなに口うるさく言われながら食べる朝ごはんって、世界でここだけかもしれないな」


春がぼやくように言えば、千夏は魚の骨を取り分けながら、あきれたように小さく笑う。


「文句はあとで。はい、ちゃんと気をつけて食べて」


「あい……」


春は渋々ながら箸を動かし、小さくため息をついた。その音が、室内の静けさにかすかに溶け込んでいく。


龍護が肩を揺らして、声を潜めるように言った。


「おい春、その寝癖、台風でも通ったのか?」


「ほっとけ。寝癖なんだからしょうがねぇだろ!」


むすっとして眉をひそめる春に、桜が向かいの席からぽつりと呟く。


「……モテないよ」


「食い終わったらソッコーで直すわ」


そのやり取りに、談話室の空気がほんの少しだけ温かくなる。


窓際の一角では、渚と美優がテーブルを挟んで小声で話していた。渚は紅茶を口に運びながら、相槌を打つたびに静かな笑みを浮かべ、美優はカップのふちをくるくると指でなぞっている。ふたりのやりとりは静かで、時おり漏れる笑い声が、談話室の穏やかな空気にそっと彩りを添えていた。


壁際の観葉植物が、窓から差し込む風にゆっくり葉を揺らす。

遠くで聞こえる鳥の声、カーテンの微かな擦れ音、時計の針が静かに刻む音。そんな音たちが、朝のひとときをゆるやかに満たしていた。


桜はご飯をひと口、そっと口に運ぶ。


(はいはい、いつもの朝だな)





そんなこんなで数十分後。朝食を食べ終えた桜達は学校へ向かうためエレベーターを待っていた。この時間帯は他の生徒達もボチボチ登校しだすのでなかなかこないことが多い。


「真海はいつも眠そうだな」


ちゃんと整えたのかと問い詰めたくなるほど寝癖だらけの髪をかき回しながら大あくびをもらす春の指摘に、渚は「そんな事ないですよ」と答える。が、言ったそばからこちらも大あくび。

これでは説得力に欠けることこの上ない。当人に見えない位置で俯きながら肩を震わせた桜は笑いを咳払いに変えることで誤魔化す。


あくびってうつるよなぁ。うんうん。


「ここで話してないで学校行かない?」


ちん、と軽快な音を立てて開いたエレベーターに乗り込んだ千夏の一言に、一同は一斉に時計を見て早足で乗り込む。

とは言っても、寮から学校までは歩いて二分とかからない。余程ギリギリに出ない限り、遅刻することはまずない。





私の名前は天空 てんくう・さくら

三珠学園高等部一年で、“空の珠”に選ばれし者。

簡単に言えば、正統継承者。空の力を受け継ぐ、ただ一人ってやつだ。


今は見えないけど、左腕には紅い翼のあざがある。異能を使うと浮かび上がる、不思議な印。普段は隠れてるけど、これと“空のそらのたま”が私が継承者である何よりの証。


この痣があるのは、天空家を含む「御三家」だけ。

天空家は双翼、真海家は波紋、菊地家は双葉──それぞれ違う力と歴史を持つ名家だ。


「……暑ぃな」


隣でぼやいたのは、兄の天空 龍護りゅうご

一つ年上の兄貴で、寝起きの悪さにかけては右に出る者はいない。

眠たげな黒目は、差し込む朝日に半分閉じかけていて、風になびいた髪の後ろだけくるんと跳ねてるのが妙に間抜けだ。

顔にも態度にも、寝不足と不機嫌がにじみ出ている。


見慣れてるはずなのに、ちょっと笑えてしまうのは内緒だ。


「文句言ってる暇あんなら、一秒でも早く学校着くようにしろよ、りゅーちゃん」


変な呼び方で龍護を煽ってきたのは、夕空 はる

高等部三年で龍護の悪友。見た目だけは爽やか系なのに、中身はただの女ったらし。

チャラいし、節操ないし、気分屋で、女の子が好き。──ああ、これは性格の話ね。


春に抜かれてムキになった龍護が、ムスッとしながら速度を上げて抜き返す。


──はいはい、始まりました。バカ兄貴たちの朝の無意味な競争。


いつものことすぎて、もはや風景。


「行っちゃったねぇ、お兄ちゃん達」


隣に並んできたのは、春兄の妹、千夏ちなつ

幼馴染で、親友で、私と同い年──なんだけど、たまに年上にしか見えない時がある。

炊事も家事も早くて丁寧で、冷静で落ち着いてて。


……正直、私たちの中でいちばん大人かもしれない。


私たちは今、森の丘の上に建つ委員会寮を出て、石畳の通学路を下っていくところ。

朝の光が木々の隙間からこぼれ、まだ少し湿った石畳を淡く照らしている。空気はひんやりしているけど、どこかに夏の気配も混じっていた。


丘を下りきると、そこは学園の中心に位置する広場。

正面中央には円形の噴水が静かに水を跳ね上げ、その周囲にはきれいに刈り込まれた芝生とベンチが配置されている。

ここは生徒たちの憩いの場で、朝のざわめきが穏やかに流れていた。


広場の左右には、中等部と高等部のH字型本館校舎が向かい合って立っている。

窓からは生徒たちの動く姿がちらちらと見え、教室の中から時折笑い声も漏れてくる。

正面玄関はどちらも広場に面していて、朝の登校時間はちょうど人の波が行き交う場所だ。


広場の奥、森を背にそびえるのは円形ドームの異能訓練所。学生のための専用演習施設で、高い天井と可動式の壁、幻影装置を備え、模擬戦や実技授業がここで行われている。


訓練所のさらに奥には、広大なスポーツグラウンドが広がり、ここは体育の授業や学校行事で大体いつも賑わってる。


すれ違う生徒たちの制服が風になびき、耳に入るのは「おはよー」や「今日の授業ヤバくね?」という声。

全部、朝の音だ。見慣れた景色。聞き慣れた音。ちょっと眠たいけど、いつも通りの三珠学園の朝。


そんな空気にぼーっと浸っていたら──


「桜ちゃん、前、危ないよ」


「前見ながら歩かないからだよ」


二つの声にハッと顔を上げると──


「うわっ、っぶな……!」


目の前にあったのは、広場の端に立つ街灯。黒いアイアン調のポールで装飾も凝っているのに、なぜか直前まで気づかなかった。


あと十センチで鼻をぶつけるところだった。マジで。


「ありがと、美優ちゃん、渚」


声をかけたのは、菊地 美優みゆう

“地の珠”の継承者で、翠玉色の瞳がきらり。

マイペースで、いつもスケッチブックを持ち歩く、小さい頃からの幼馴染で大切な親友。


「前見てないからだよ」って少し冷たく言ったのは、真海しんかい なぎさ

“海の珠”の継承者で、サファイア色の瞳が印象的。

正直、合わないところも多い。でも……なぜか一緒にいる、不思議な関係。


広場の向こうでは、登校する生徒たちの波がゆっくりと動いていた。

階段を急ぎ足で上がる人、ベンチに座って誰かを待っている人。

こんな景色を見るたび、この学園は少し変だけど退屈しないなと思う。


気づけば、いつものメンバーが揃っている。

あと数人、紹介したい子もいるけど──その話は校内で。





昇降口に着くと、先に走っていった龍護と春がすでに涼しい顔で壁にもたれていた。高等部本館の正面玄関──広々とした石畳の前に立つその建物は、H字型の重厚な校舎で、朝日を背に堂々とそびえている。


正面のガラス扉の上では、校章を刻んだレリーフが光を反射して鈍く輝いていた。あちこちから登校する生徒たちの靴音や挨拶がこだましていて、どこか背筋が伸びるような空気が漂っていた。


龍護も春も、汗ひとつかいていないのがなんだか腹立たしい。


「遅え」


「ちゃんとついて来いよ」


桜たちの姿を認めると、二人揃って文句を口にした。タイル張りの床に響くその声に、かすかに重なる足音が続く。


桜はそれを右から左へと聞き流し、軽やかに二人の横をすり抜けていく。吹き抜けの玄関ホールは天井が高く、外よりもひんやりとしていて、足元には朝日がガラス越しに伸びていた。


呆れた表情でやれやれと肩を竦めた千夏が続く。春の軽口に対して、千夏の眼差しはどこか諦め混じりだ。


やや遅れて到着した渚は、息を乱しながらぼやいた。


「無茶言わないでください。桜と千夏ちゃんならまだしも、私と美優ちゃんは運動全般ダメなんですから」


ポケットから取り出したタオルで額ににじんだ汗をぬぐうその手は、少し震えているようにも見えた。その隣では、美優が悠々と自前で淹れてきたお茶の温かさに頬を緩め、ゆっくりと飲み干す。


「まぁまぁ。早く教室行こうよ」


桜が昇降口の奥から声をかけると、渚は大きく息を吸い込み、深呼吸で気持ちを整えると、「そうだね」と少し落ち着いた声で応じ、下駄箱に向かった。


廊下に差し込む朝の光が、磨かれた床に淡く反射している。窓ガラス越しに見えるのは、中央広場の噴水と芝生。さらにその奥には、丸い屋根を持つ異能訓練所のドームが森を背に静かに構えていた。


桜たち四人は1年A組の下駄箱へ。龍護は二年E組、春は三年C組の下駄箱へと、それぞれ足を向ける。歩く靴音が静かな廊下にこだまし、朝の学校の活気が少しずつ目覚めていくのを感じた。


「んじゃ、またあとで」


「おっはよ~。龍と春……と桜ちゃんと千夏ちゃんじゃん。おはよ」


春の「あとで」と言いかけた言葉を、階段上からの声が遮った。階段の踊り場から響いた澄んだ声。顔を覗かせたのは――


誰の声かわかった年上組は顔をしかめ、桜たちはいっせいに階段を見上げる。そこにいたのは、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた3年の――


「山下 大地先輩だよ。学園内じゃファンクラブも出来てたりして、ちょっとした有名人だけど……桜はそういうの興味ないよね」


どこかで聞き覚えのある声に得心し、桜は一応目上の人だと考えて軽く会釈した。すると朱色の瞳が一瞬瞬き、先ほどとは違う親しみのこもったにこやかな笑顔が向けられた。


正直、胡散臭さは変わらないのだが。


「こんな奴に声かける必要ねぇぞ、桜」


ふん、と鼻を鳴らした春が舌打ちをする音が小さく響く。あからさまな態度に桜が首を傾げていると、千夏が小さく肩をすくめてその耳元に唇を寄せた。


「少し前に学園内ファンクラブの〈彼氏になりたいランキング〉で僅差で負けたのを根に持ってるんだよ」


……なるほど、くだらなさは春兄らしいなと苦笑した。


「口説いてるわけでもないし、良いだろ?」


「よくねぇ。俺の妹達に声かけんな!特に可愛すぎる実妹には!!汚れる」


「相変わらずシスコン全開だな」


「妹を愛でて何が悪い」


「大声で何言ってんの、恥ずかしい」


やりとりの最中、春の教科書入り鞄がふいに本人の頭へと振り下ろされる。響く「ゴンッ」という鈍い音に、一瞬空気が止まった。


「……さっさと教室に行け」


龍護が面倒くさそうに口を開き、目で促した。


桜は階段を上がろうとしたが、ふと振り返ると渚と美優の姿はもうなかった。どうやら置いていかれたらしい。


「また昼休みにね」


桜が声をかけると、返事は気だるげにひらりと手を振るだけだった。──ま、あの二人らしい。








相も変わらず騒がしい教室に入ると、そこかしこから挨拶の声が飛び交っていた。

高等部の本館はH字型の校舎で、各学年の教室が分棟形式で並んでいる。一年生の教室は校舎南側の棟。昇降口から真っ直ぐ伸びる中央廊下を通って階段を上がれば、すぐだ。


その一つ一つに律儀に返しながら自席に向かうと、ちょうど背後に影が差した。顔を上げると、見慣れた顔が二つ、目の前に立っていた。


「おはよう、恭哉きょうや南絃ないと


「おはよう、桜。夕空」


「はよ。二人とも遅かったな。寝坊か?」


「もうちょい早く来れる予定だったん


だけど……ちょっと、ね」


「一悶着あったというか、絡まれたというか」


言いにくそうに言葉を濁す桜たちに、長い黒髪を後ろで括った男子生徒の眉がぴくりと動いた。前髪が片目を隠してしまうその横顔は、静かで繊細な印象を与える。


「……何かあったのか」


南絃がぐっと身を乗り出す。


「そんな大したことじゃないから大丈夫だよ、南絃。龍兄も春兄も一緒だったし。心配させる言い方しちゃって、ごめんね」


桜が苦笑交じりに言うと、南絃の肩からすっと力が抜けた。


「……いや。お前に危害がなかったのならいい」


落ち着きを取り戻した彼の背後で、今まで黙っていた紅い瞳の男子がふと口を開いた。


「それで真海と菊地が先に来てたのか」


均整の取れた顔立ちに整った眉、開いた制服の襟元からは紅い太刀の装飾が覗く。指には深紅の指輪──天空 恭哉きょうや、ランク『A』。成績は常に学年トップクラス、彼の実力と異能の精度は学内でも一目置かれている。


「あ、やっぱり二人とも先に行ってたんだね。いつの間にか姿が見えなくなってたから、そうかなとは思ったけど」


「あいつらがお前を置いてくってことは、めんどくさい相手だったのか?」


「あー、いや、そんなこともないんだけど……」


「どっちかっていうと、お兄ちゃんの方がめんどくさかったかな」


人が言葉を濁していたというのに、その実妹がどストレートにぶっ込んでくる。


……まぁ、いつものことか。


そう思い直し、そういえば先に来ていた二人はどこにいるのかと教室内を見渡すと、ちょうどその姿が入口の扉の前にあった。渚が手を伸ばす寸前──


ガラッと勢いよく扉が開いた。


「おっと、申し訳ありません。急いでいたもので前を見ておらず……お怪我はありませんか? 真海さん、菊地さん」


現れたのは、雪のような肌と儚げな雰囲気を持つ少年。丁寧な物腰で渚たちへと手を差し伸べる。


真海 悠紀ゆうき。空色の瞳の彼は桜の中学時代からの親友で、現在の新入生代表だ。


「おはよう、悠紀」


「男子バスケ部は朝の練習あったんだね。お疲れ様、悠紀くん」


「おはようございます。菊地さん、真海さん」


「あー……待ってよ~悠紀くん。足、速すぎ……」


渚の横から現れたのは、菊地 一夜いちや。長めの黒髪と、深い緑の瞳が印象的な彼は、控えめな物腰と穏やかな表情を持つ文化系男子。 


「あれ?大丈夫か、一夜。顔赤いよ? だいぶ走った?」


桜が二人に近づきながら首をかしげる。女バスと比べても男子の練習量は多いとはいえ、ここまでへばっているのは珍しい。


この疑問はすぐに解決した。


「体育館から教室棟までは、ご存知のとおり少し距離がありまして。ここまで噴水広場を横断し、正面玄関まで全力で駆けてきました。途中、生徒も多くてペースが乱れましたし、階段もありましたので……遅刻せずに済んで、本当によかったです」


爽やかすぎる笑顔で語られた理由に、桜は思わず苦笑いを浮かべた。


体育館は、異能訓練所の隣に位置する学園中央奥の施設だ。そこから噴水広場を横断し、高等部本館の昇降口まで駆け抜けてくるには、広場の人混みと芝生を避けながら距離を稼ぐ必要がある。加えて教室棟は3階。――たしかに、朝からやる運動量ではない。


「……体力馬鹿」


「違うよ渚さん。筋肉馬鹿だよ」


+ ふと隣で、渚と美優がこっそりと小声で話しているのが耳に入った。



キーンコーン



「起立、礼」


「「おはようございます」」


日直の号令と共に、生徒達が一斉に挨拶をする。


「おはよう。今日からテスト返しが始まるが、ちゃんと問題用紙は持ってきたか?どこを間違えたのかしっかり確認して次回に生かすんだぞ〜。以上!」


担任はカツカツと音を立てて黒板に予定を書きつけながらそう言い残し、礼もそこそこに教室を出ていった。


「最悪だ~。よりによって保健が返ってくるなんてて……」


担任が書いた予定を見た桜は、机に突っ伏す。

保健のテストは正しいものを選ぶ問題ではあったが、彼女は前日に詰め込み勉強をしたのみ。赤点を取ってもおかしくない状況だった。


──すべては自分がサボったせいなのだが、同じ日に大っ嫌いな数学があったのだから、仕方なかったと自分に言い聞かせたい。


頭を抱えて唸っていると、ふいに頭上から楽しげな声が降ってきた。


「大変そうだね。ま、私は手応えバッチリな現国が返ってくるから、他はもうどうでもいいとすら思うわ。今回こそ100点満点取れる」


珍しく声を昂らせて宣言する彼女の顔は、確かな手応えと誇らしさに満ちていた。落ち込んでいる桜からすればそれは少々腹立たしい。思わず殴り飛ばしたいほどには。


物騒な方向に思考が傾きかけた時、別の声が降ってきた。


「渚ちゃんはいつも現国トップだもんね」


なぎさんは頭いいからね。私なんか全滅だよ……」


顔を上げると、渚の隣に千夏と美優が並んでいた。

湧き上がっていた怒りが一気にしぼんでいくのを感じながら、桜はがっくりと肩を落とす。


「三人とも頭よくていいよねぇ……。私なんか馬鹿すぎて、もう無理」


「なに言ってるのさ、桜ちゃん。私の方がダメダメだよ。頭悪すぎる」


「そんな事ないよ。美優ちゃんは学年順位25位だったじゃん」


「そうだよ。美優ちゃんは頭いいよ。なんたって一学年中25位なんだから」


千夏と桜がうんうん頷いていると、美優がお茶をすすりながら、ぼそりと呟いた。


「一学年中10位の千夏ちゃんと23位の桜ちゃんに言われてもねぇ」


「私と美優ちゃん大して変わんないじゃんか」


「私は偶然数学と生物がよかっただけで……」


二人は苦笑しながら顔を見合わせ、なんとも言えない空気の中、互いに頭を掻いた。


そこへ、片ややる気満々の声と、片や余裕たっぷりの声が飛んできた。


「今回は俺が勝ちをもらうぜ。悪いな、悠紀」


「結果が分かる前からそんな大それたことを言っていると、あとで恥ずかしい思いをすることになりますよ、恭哉君」


「んだとっ」


「二人とも、やめなって」


言い合いながらこちらへやって来るのは恭哉と悠紀。その後ろには言い合いを止めようと無駄な努力を懸命に試みている一夜と、教室の奥の席で窓の外をぼんやり眺めている南絃の姿が見えた。


「やめなよ、悠紀。時間の無駄遣いだって。それに、そんな恭哉バカに付き合ってると悠紀までバカになっちゃうよ」


冷めた視線を向けた渚が、恭哉にズバッと突き刺さる一言を浴びせる。

その辛辣な言葉に恭哉は一瞬まばたきし、やがてにやりと黒い笑みを浮かべた。


「いい度胸だな、真海さん。数学赤点まであとぃっっっって!!!?」


足、正確には脛を押さえてぴょんぴょん跳ね回っているのは恭哉。

……まぁ、お察しの通り、渚が容赦なく蹴りを入れたのだ。完全なる自業自得ではあるが、ほんの少しだけ、気の毒な気もしないではない。


それを見て盛大に吹き出したのは桜だけだったが、悠紀も口元を引きつらせ、肩を震わせていた。どうやら、笑いを堪えているらしい。


一夜もつられそうになったが、さすがに気の毒だと思ったのか、わざとらしい咳払いでごまかして、不自然なほど顔を背ける。

千夏と美優は吹き出しこそしなかったものの、口元が見事に笑みの形になっていた。


「今度その続きを言ったら・・・・腹に決めるからね」


実行犯はというと、悪魔のようなと形容しても差し支えないような真っ黒い笑みを浮かべて腕を組んでいた。


「あー笑った笑った。渚、マジでナイスな蹴りだったわ。今度アイス(おご)ってやる」


「どうも、三段ね」


笑いすぎて目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら親指を立てる桜に、渚も得意げに親指を返す。


「おーい。そろそろテスト返し始めるから座れ」

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