始まり
それでは一章です。珠巡りをどうぞお楽しみ下さい。
一面に赤が広がってる。
焦げた木材の匂いが鼻腔を焼くように立ち込め、灰色の煙が喉をくすぐる。屋根が抜け落ち、梁が軋む轟音が増幅し、思い出も居場所も、命さえも喰らい尽くす業火は、なお勢いを増していた。
漆黒に裂かれた夜空ですら紅に呑まれる。三つの影が揺れ、その行く手を灼熱が遮る。肌に貼りつく熱波で髪も服も重く、咳き込むたび白い粉塵が舌へと流れ込む。足元の煤まみれの瓦礫が、不気味なほどざらついて視界にちらついた。
「いいかい。桜、龍護」
舞い散る火の粉に照らし出された横顔は成人した男性のものだった。彼が話しかけているのは十歳にも満たない炎のせいか瞳の紅い少女と、一つ二つ年上と思しき瞳の色が黒い少年。
男は胸元から引き出した何かを少女の小さな手に乗せる。それは、少女の掌に納まるくらいの小さな丸い珠だった。
温もりを宿した珠は、漆黒の闇に燃え上がる紅が交錯した絶望の色を鮮烈に映し出していた。
「この珠を持って、今すぐ逃げるんだ」
少女の手を掌に乗せた珠ごと包み込むように握り、真剣な面持ちでそう告げた男は不意に顔を歪めた。大きく息を吸った男は一度目を瞑り、瞬時にその表情をかき消し笑った。
綺麗に、笑った。
「いやだよ…。父さんも母さんもみんなも、いっしょに行こうよっ」
桜は必死に衣を掴み、ふるえる声で訴えた。龍護は苦悶の面差しのまま、そっと妹を抱き寄せる。熱風がまとわりつき、吐息は白くかすみ、指先が火傷の痛みで痺れていった。
建物が崩壊する音が酷くなっていく。思い出も、居場所も、命すらも燃やし尽くす業火がさらに勢いを増す。
「後から必ず行く。約束する。だから、今は逃げるんだ。気づかれないうちに、ここへ」
そう言って男は小さな紙を少年の胸へ押し付ける。受け取った紙を広げると震える声で書かれている文字を読み上げた。
「三珠、学園?」
「そうだ。そこに行けばっ、必ず、お前達を保護してくれる人がいる」
わずかに息を乱した父の様子を敏感に察し、いやいやと首を振った少女の眦から透明な滴がいくつも舞う。
「いや、だ。やだよぉ、父さんっ」
涙に濡れた瞳が父を見上げ、彼の服を掴む手にさらに力が込められた。ふっと目元を和ませた父はしがみ付いてくる少女の手を一度強く握り、祈るように目を閉じるとやんわりと引き剥がし、代わりに少年の手を握らせた。
二人を映した桜色の瞳が眩しそうに、悲しそうに、愛おしそうに細められた。
ぽん、と幼い二人の頭に、父の大きな手のひらがそっと触れた。その温もりは、瓦礫と焔の狂気とは対照的に、深い慈愛を宿していた。
「愛している。桜。龍護。さあ、行くんだ──」
「…行くぞ」
黙したまま父の目を見ていた少年が再度父へと手を伸ばそうとした少女の手を強く引く。空を切った小さな手を見ることなく半ば引き摺るように強引に引っ張っていく少年に少女は何度も躓きながら後ろを振り返り、小さくなっていく父に手を伸ばしながら叫んだ。
「はなしてッ。はなしてよ!龍兄!!やだ!父さん!父さん!!」
固く握り締められている手を振りほどこうと暴れると、さらに強い力で握られる。彼は血を吐くような声を食い縛った歯の隙間から発した。
「…っ、いいから、来い!」
悲鳴のような彼の叫びは濡れていた。その事に気付き、まだ幼さの残る顔がくしゃくしゃに歪む。振り返ってももう見えなくなってしまった父の姿に少女はギュッと手の中の珠を握り締めた。
まるで宝石のように美しい紅玉色の瞳には今にも零れてしまいそうなほど涙が溜まり、それらは宙を舞い、熱く燃え上がる残酷な赤を映し、地面で砕け散る。
締め上げられているように胸が痛くて、息をする度にどうしようもないほど苦しくて、繋がれた手が火傷するくらい熱くて、託された珠をどうしてか重く感じて、何より何もできない弱い自分が心の底から大嫌いになった。
「ぜったいっ。ぜったい、追ってきてね!!!」
少女の悲痛な叫びは燃え盛る炎と倒壊する建物に呑まれていった。
──「正統継承者は逃げたか?」
──「追え。あの珠をすべて奪い取るのだ」
──「天空家末裔を逃がすな!」
涙で滲んだあの光景を、私は生涯忘れないだろう。
深く。強く。心の深奥に刻み込まれた、この光景を。
そして、突きつけられるだろう。
──私の命は、誰かの犠牲の上にある。
あのときも。今回も。
私はまた、何もできなかった。
守ってもらうだけで、誰も守れなかった。
……どうして。
どうしてみんな、私を逃がすために命を捨てるの?
どうして私なんかが、正統継承者に選ばれたの?
どうして、大切な人ばかりが──
この手をすり抜けていくの……。
……あの日と、同じ。
変わりたかったのに。
今度こそ誰かを守れる自分になりたかったのに。
私は、ただ見てることしかできない。
……いつも、そうなんだ。
「もう、やだよ…」
皮膚の奥で疼く痛みを込めて零した――これ以上、大切な人を失いたくない。
「龍兄は、しなないでね」
たった一つ残った温もりを握り締め、縋るように零された言葉は壊れかけた彼女をギリギリで繋ぎ止める最後の糸だと、彼は知っていた。
「だいじょうぶだ。俺は、ぜったいに死なない。誓うよ」
少年はもう一度呟いた。
「桜は俺が護る。あいつに代わって・・・ぜったいに」
自分自身に誓うように、強い意志を込めて。
オレンジ色の日が射す中、等間隔で並ぶ木々と、色とりどりの花々が咲く花壇の合間を吹き抜ける温い風。それらの中心には時計台が立ち、時計台を囲むようにベンチが置かれていた。その周りを白い壁と壁に嵌った窓ガラスが四方を取り囲み、窓越しに見えるのはスライド式のドアと上に掲げられた『3-B』のプレート。さらに奥に垣間見える同じ形の少し不揃いの机と椅子達。
この条件に当てはまるのは学校だろう。
そんな場所の――――
「能力の使用は、厳禁のはず・・・ですよ・・・・」
「へーへ。スミマセンネ」
もっとも目立たない端の方でか細い声が尻すぼみに消えていく。それに応える声は多分に嘲りを含んでいた。
「無能力者の分際で偉そうに指図すんな」
嘲笑交えて一人が言えば、他数名が同意するようにせせら笑う。
「でっ・・・ですが、一教員として・・・・・・」
「あ?カンケーねえよ。さっさと失せな。何の能力も持たねぇ雑魚が」
ビクッと体を震わせる教師。彼の目の前には数名の男子学生が思い思いの体勢で立っていた。彼らの中の一人の手のひらにはシャボン玉のようにふわふわ浮かぶ水の玉があり、隣の学生の足元では草木があり得ない速度で急成長していたり、またある生徒の手には法律上持ち歩いていてはいけないような得物があったりと実に非現実的な光景が広がっていた。
学生達は皆、緩めた青いネクタイに乱れた半袖ワイシャツと黒いズボンの制服姿だった。ワイシャツの襟には赤・緑・青の三つの珠が刺繍され、規則を軽んじるように、中の派手なTシャツが見え隠れしている。
「おい」
無能力者と呼ばれた教師の後ろからどこか楽しげな響きを含んだ声がした。教師はほっとしたように、逆に他の男子学生達の顔面からは馬鹿にした笑みが引っ込み忌々しげなものへと変わる。
振り返った彼らの視線の先にいたのは一人の至極普通な女子生徒だった。夕日を弾く黒髪は後ろで一つに束ねられ、紅玉をそのまま閉じ込めたような意志の強そうな瞳がきらりと輝く。
第一印象は強気そうな女の子。
黒いスカートに半袖のワイシャツを身に纏い、その上にアイボリーのベスト、緑と白のラインが入った青いネクタイといった男子生徒達と同じ出で立ちだったが、何を思ったのか首元に手をかけるときちんと絞められていたネクタイを引き抜いて乱雑にポケットへと仕舞いこむ。
「校内での異能行使は厳禁、だったよな。規則にそう書かれてなかったか?校則違反の皆さん」
どこか楽しげな声が歌うように紡ぐ。
「なっ・・・・つっ使ってねぇし。なぁ」「あっ・・・あぁ」
苦しい言い訳をもごもごと口の中で述べる男子学生達。彼女が声をかけたのとほぼ同時に使っていた異能は隠したため、使用の痕跡は少し伸びすぎてる雑草や雨も降っていないのに濡れている地面くらいしか残っていないが、女子生徒はゆっくりと視線を滑らせある一点で目を留めた。
そこには、鈍く輝く人数分の指輪が落ちており、そのどれもに『B』と刻まれていた。決定的な証拠を1つ摘み上げると一つため息を零す。
「あのさぁ、見苦しい言い訳はやめれば?指輪は常に身に付けろって入学する前から言われてるよな。規則を二つも破ったってことは・・・・反省文十枚プラス“空の珠”のブレスレット一週間着用だっけな。あれは結構きついからなー。同情するよ、ここだけはマジで」
「くっ・・・」「“空の珠”のブレスレットって・・・マジかよ・・・」「俺、あれだけはぜってー嫌だぜ。まだ反省文二十枚の方が・・・」
女子生徒の同情を含みながらの淡々とした宣言に一斉にざわめき出す男子生徒達。余程“空の珠”のブレスレットとやらが嫌とみえる。
「委員会じゃねぇ奴が偉そうに何言ってんだよ、笑わせんな」
告げられた処罰に顔面を青くさせた男子生徒の一人が逆上し、さっと女子生徒を指差す。すると腰に手を当てて彼らの事を眺めていた女子学生目掛けて生み出されたいくつかの水の玉が襲い掛かる。他人事のように襲い来る水の玉を見ていた女子生徒は眉一つ動かさずゆったりとした動作で人差し指をまっすぐ向ける。
熱した金属を水に入れた時に発生する音が鼓膜を打つ。男子生徒が放った水の玉は女子生徒の指先に生じた火があっという間に蒸発させてしまった。
「そっ、そんな・・・」
よろっと一歩後ずさる男子生徒を冷めた眼差しで見やり、女子生徒は濡れもしなかった手をブラブラと遊ばせる。楽しげに輝いていた紅玉色の瞳から光は失せ、つまらなそうな顔にはもはや楽しげな色は欠片もなかった。
「正式メンバーではないけど、これでも執行部委員会の見習いだから。あんたらみたいな問題児の面倒見る役目、任されてるんだよね」
また一つため息を零した女子生徒はちらりと水の玉を放った男子生徒を見やった。次の瞬間、一歩で間合いを詰めると一切の手加減なく男子生徒の鳩尾に膝蹴りを叩き込む。声もなく崩れ落ちた彼はそのまま力なく地面へと倒れ伏す。
「なっ・・・」「おっ、おい・・・。秀雄・・・」
一連の動作を止める事も、目で追うことさえ出来なかった男子生徒達は情けない声を上げるかすでに意識のない彼の名前を呼ぶか、逃げようと後ずさるかに分かれた。ざわつく彼らに構うことなく倒れた男子生徒の手首にブレスレットをかけると残りの男子生徒を順に見据える。
「大人しくしてたら?さもないと・・・逝かすよ?」
「「「はっ、はいぃぃぃぃ!!!」」」
「そのままいい子にしてろ」
偉そうに言い置くと今の動きでポケットから落ちたネクタイを拾い上げ、目にかかった髪を退ける。右手の人差し指にある指輪が陽光を受けてキラリと輝く。表には『A』とランクが刻印されていた。
もうそろそろかな。
「行くぞ」
来た。
「……やれやれ、またこのパターンか」
木陰からふらりと現れたのは、一人の男子生徒。
黒髪は軽く無造作に流れ、黒い瞳はまぶしげに細められていた。
制服は着崩され、ネクタイはポケットの奥。腕を組んだまま木にもたれ、見下ろすように周囲を眺める彼の姿には、どこか計算された余裕と、厭世的な静けさがあった。
その瞳が一瞬だけ鋭く細められる。視線の先、ざわつく生徒たちの顔が一斉に引きつった。
彼の右手の中指に光る銀の指輪――そこに刻まれていたのは『A』の文字。
「ナイスタイミング! こいつらが問題起こしてた生徒だよ。一人のしちゃったけど……別に構わないっしょ?」
無造作に生徒を引きずってくる女子生徒に、彼は面倒くさそうに眉をひそめた。
「……毎回思うんだけどさ。お前、警告とか段階的手順って概念は持ってる?」
「持ってるってば! ちゃんと“秒で”警告したもん」
「それは世間一般では“衝動”って言うんだよ、桜」
軽口を交わしながらも、彼は倒れた男子生徒を一瞥し、教師の様子も視界の隅で確認していた。
「……死んではないな。呼吸はある。少なくとも医学的にはギリ生存」
淡々と、けれど的確に状況を分析する口調に、男子生徒たちはより一層縮こまった。
「処理は任せる。俺は荷物持ち役で十分だしな」
そう言って、倒れた生徒の襟首を片手で引き摺り上げた。その手つきに、無駄な力は一切見えなかった。
「まったく失礼な。そんくらいの手加減はしといたっての。ですよね?先生」
子供のように頬を膨らませ歩み寄ってきた黒髪黒目の男子生徒に突っかかり、一部始終を間近で見ていた教師に話を振る。突然話を振られた教師はと言うと困ったように目を瞬き、苦笑気味になりながら「そうですね」と無難な答えを返しておく。
黒目黒髪の男子生徒は他人にはわからない程度に優しく目元を和ませ、女子生徒の頭を撫でた。
「さっさと行くぞ。寄んだろ?」
「もちろん。てか、兄貴面すんなっていつも言ってるじゃん」
「・・・俺はお前の兄だが?」
黒目黒髪の男子生徒はめんどくささを隠すことなく嘆息し、気絶してる男子生徒の襟首を摑むとそのまま引き摺っていく。
「龍兄の馬鹿」
残された男子生徒達は血の気が完全に失せた顔で互いを見合い、大人しく彼らの後に続くことを選んだ。全員いるか頭数を数えていくと、最初に絡まれていた教員の姿がない事に気付き、先程までいた場所にいまだ佇んでいるのをみつけた。
「せんせーい。どうかしたんですか?」
その場から動こうとしない教師に、少し離れたところから声をかける。彼はハッと我に返ったように身体を震わせ、きょろりと周囲を見回す。遠ざかろうとしたところを慌てて追いかける。
「大丈夫ですか?」
追いついたものの、意識のない生徒の手首に嵌められたブレスレットを興味深げに見つめたり、生徒たちを順に盗み見るなど、落ち着かない様子の教師に問いかけると、彼は再び大袈裟に身体を震わせ、申し訳なさそうに視線を逸らした。
「失礼しました。実は数日前に採用されたばかりで、その、能力を見るのが始めてで・・・」
どうやら盗み見ていた事を不快に感じたのではと思われているようだ。
「気にしてないですよ、先生。それよりも、さっきみたいな事は細々起こり得るので、気をつけてくださいね」
何かあれば生徒会か執行部に連絡すればいい、と付け加え、何でもないことのように笑う彼女の様子から、先ほどの出来事が日常茶飯事なのだと伝わってくる。
「ようこそ、異能者育成学園、通称・三珠学園へ」
戯けたように両手を広げてwelcomeと火文字で描いてみせた女子生徒の頭上に、容赦なく拳が振り下ろされた。
◇
三珠学園——。
この名を耳にした者は、誰もがこう口にする。
「超名門のエスカレーター式学園」「選ばれし者たちが通う場所」——と。
最新の設備、手厚い就職支援、充実した進学制度。
一度でも足を踏み入れれば、将来が約束されたようなものだとまで言われている。
だが、この学園に入るのに必要なのは、学力でも体力でも人格でもない。ましてや入試すら存在せず、そもそも募集すらされていない。
では、どうやって入学するのか——。
三珠学園は、異能を持つ者——“異能者”のためだけに設けられた特別な学園である。
彼らはその力ゆえに、日常社会では誤解や偏見の目で見られ、時には排除すらされる。そんな異能者を守り、育て、力を正しく導くこと。そして、異能の存在を社会から隠し、混乱を未然に防ぐ“盾”としての役割を担う。
それが、この学園の真の存在理由である。
——
異能者とは何か
異能者とは、常人よりも高い身体能力や治癒能力(個人差あり)を持ち、特殊な力――“異能”を使いこなす者たちを指す。
彼らは自身の心の形を実体化した武器や道具(具現化)と、異能自体が意思を持って現れた存在(具象化)を持つ。
具現化された物体の強度は心の強さに左右され、具象化は異能の量によって実体化の持続時間や知能の高さが決まる。
——
異能が確認された者には、まず入学と同時に能力テストが行われる。
これは、持ちうる異能の特性や危険度を測定するためのもので、その結果に応じて異能者には制御装置である“指輪”が配布される。
この指輪には「空の珠」と呼ばれる特殊な異能を抑制でにる珠が埋め込まれている。
この珠は異能の波長と共鳴し、力の暴走を防ぐよう設計されており、個々の能力や系統に応じて制御設定が施されている。
精神状態や感情の乱れが異能に直結する以上、この珠は異能者にとって必要不可欠な存在だ。
また、指輪の内側にはその異能者のランク——『S』『Z』『A』『B』『C』『D』のいずれかが刻印されており、半年ごとに行われる再検査によって昇格や降格が決まる。
これに伴って、珠の大きさや制御範囲も調整され、使用者に最適化された状態で維持される。
さらに、“空の珠”は制御技術の応用によって液剤や建物の構造材にも加工されており、学園施設全体が異能抑制の機能を備えている。
この装置によって、能力制御の未熟な者であっても日常生活を送ることができるだけでなく、能力の乱用や暴走を防ぐ役目も担っている。
——
異能者が生まれる経緯には、大きく四つの要因がある。
1. 遺伝的異能者
両親のいずれかが異能者である場合に生まれる。もっとも安定して異能を扱える者が多い。
2. 心傷的異能者
強いトラウマや心の傷を契機に異能が目覚める。代償として記憶や感情、身体能力の一部を失うことがある。
3. 損傷的異能者
死の淵に立つような重篤な外傷により、自己防衛反応として異能が発現する。高出力である分、反動や制御困難も伴う。
4. 分与異能者
他者から異能を分け与えられた存在。生存率が低く、非常に高いリスクを伴う。
これらの中でも、心傷・損傷型の異能者は不安定で、強力だが制御が困難とされる。
そのため、空の珠による補助や抑制剤の服用が推奨されている。
——
異能は大別して、以下の五つの系統に分類される。
•攻撃系
物理的または精神的に対象へダメージを与える異能。
例:炎・氷・雷・斬撃・精神破壊など。戦闘の前線を担う。
•干渉・間接系
精神・物理法則・物質・異能そのものに作用する異能。
例:重力操作、記憶改変、異能封じ。戦局の支配力を持つ。
•防御系
攻撃や異能の影響を遮断・軽減する異能。
例:バリア展開、肉体強化、自動防護。自己・他者の防衛を目的とする。
•治癒系
傷や病、異常状態を回復・修復する異能。即時性は低いが、戦線維持に不可欠な存在。
•異常系
時間停止、未来視、変身など、既存の枠に収まらない規格外の異能。分類不能であり、同系統内でも性質が大きく異なる。
そして、異能者の力はしばしば「具象化」あるいは「武器の具現化」という形で発現する。
•具象化
異能そのものが意思を持ち、狼、蛇、人型などの姿を取って現れる。
異能者の精神や感情に深く連動し、実体化の時間や知能に個体差がある。
•武器の具現化
異能者の“心の形”が実体化した武器。信念やトラウマ、価値観が形に現れ、剣や弓、盾など多岐にわたる。
具象化は異能の意思、具現化は異能者の意志——
この二つが交差したとき、異能は真の力を発揮するとされる。
——
異能者は、入学時の能力測定によりランクとレベルを付与される。
•ランク(6段階)
- Dランク
異能発現直後。ほぼ制御不能。具象化・具現化ともに不明瞭。
- Cランク
異能の発動・停止が可能になった段階。
短時間の具象化が出現することもあるが、形は不安定。
- Bランク
異能の性質を理解し始めた段階。短時間の武器具現化、具象化の実体化が可能。
- Aランク
異能と精神が同調し、具象化との連携が可能。
感情に左右されず安定して異能を扱えるようになる。
- Zランク
異能の密度・出力が極めて高く、特別管理対象とされる。
珠の自律調整が必要で、武器や具象化の形状・強度を自在に調整できる。
- Sランク
空の珠でも制御不可能、または制御を超越する存在。国家機密として監視対象に置かれ、確認されているのは世界に数人のみ。
•異能レベル(0〜10段階)
- 0〜9:異能の実害・威力・危険性を総合評価。
- 10(禁忌異能):使用は封印されており、原則行使は禁止されている。
——
異能者たちは、自らの異能、そして心と向き合いながら日々を生きている。
三珠学園とは、その歩みを見守り、導くために存在する場所である。
◇
三珠学園内の中等部寮と高等部寮のちょうど中間──教職員と委員会役員専用の寮、その7階。
ここは高等部の委員会専用フロアだ。
窓の外に沈みかけた夕陽が淡く差し込む広めの談話スペース。重厚感ある木製の長テーブルに、焦げ茶の髪と夕空色の瞳を持つ少年が肘をついてだらりと身を預けていた。
「桜と龍兄、遅ぇな〜……」と、間延びした声と大きなあくびが混ざる。
その真正面には、ぴんと背筋を伸ばした人形のように整った顔立ちの少女が座っている。彼女は少年の襟首をつまんで、強引に体を起こした。
「お兄ちゃん、お行儀悪いよ。ちゃんと背筋伸ばして!」
「無駄ですよ、夕空さん。春先輩は待つのが苦手ですからね」
斜め向かいの席からは、黒髪を整えながら眼鏡を外した少年が冷静に言葉を挟む。雪のように白い肌に切れ長の冬空色の瞳が冷たく輝き、口元には皮肉な笑み。
「はっは〜ん、俺も一応生徒会なんだけどな? 悠紀、お前だって任命されてないとはいえ役員だろ? 後でシメるぞ?」
「……すみません」
悠紀はすぐさま謝罪し、視線を手元の本に戻す。春は満足そうに頷きつつ、「腹減った〜」と愚痴をこぼしながら料理に手を伸ばす。
「こらっ!」
それを叩き落としたのは妹の千夏。料理を春の手が届かない場所へ素早くスライドさせる。
「もう、つまみ食い禁止って言ってるでしょ! 本当に意地汚いんだから、お兄ちゃんは!」
「ケチくせ〜なぁ。ちょっとくらいいいじゃんかよ〜」
「だーめっ。渚ちゃん、そっちもお願い!」
「はいはい」
黒髪に青玉色の瞳の少女が軽い調子で皿を受け取り、春の手の届かない棚へと移す。その動作は遠慮も遠回しさもなく、日常茶飯事のやり取りであることを物語っていた。
部屋の片隅に設置されたテレビからは、ニュースの時報が夜の七時を告げる。
「……今日はちょっと遅いね」
不安げに千夏がぽつりと呟く。
「……あ、そういえば今日、だね」
談話スペースの大きな窓からは、学園の三角形に配置された中等部寮、高等部寮、そして教職員と委員会役員専用の寮が見渡せる。
中央には広場のような開放的な空間があり、それぞれが渡り廊下で繋がれている。夕暮れの柔らかな光に包まれ、静かながらも緊張感の漂う一角だった。
閑静な住宅地の一角──。
そこだけが異質だった。
同じような造りの一軒家が並ぶ中に、ところどころ塗装がはげた年季の入ったアパート。そして、その真正面には小綺麗で可愛らしい外装のオートロック付きマンション。
統一感のない建物が立ち並ぶその一角に、唐突に現れるそれは、まるで異物のようだった。
無骨な石積み塀の奥に見えるのは、青々とした葉を茂らせた桜や紅葉。木々の影に、堂々たる古風な日本家屋が鎮座している。
分岐路から石塀に沿って進むと、重厚感のある数寄屋門が姿を現す。格子の隙間からは、玄関まで続く石畳と手入れの行き届いた芝生が垣間見えた。
門をくぐった先に広がっていたのは、静謐な別世界──ではなかった。
小さな公園がすっぽり収まりそうな広さの庭には、試し斬り用の人形や遠距離武器用の的が乱雑に並び、すでに役目を終えて地面に転がるものも多い。庭は完全に野外の修練場と化していた。
庭に面した縁側も、所々煤けていたり、壊れていたりと、なかなかの荒れ具合である。
だから、こんなことも起こる。
「わわっ」
「……はぁ」
家から漏れるかすかな明かりと、灯籠の灯りだけでは足元が見えづらい。
何かにつまずき前のめりになった桜の手を、ため息まじりに龍護がさっと掴み、引き戻す。
止まりきれずにぶつかったのは、無駄にたくましい龍護の胸板だった。鼻をぶつけた桜は、子供のように頬を膨らませながら鼻を擦り、棒読みで言った。
「どーもありがとう」
「どういたしまして」
人の悪い笑みを浮かべている龍護にベーと舌を出すと、軽く額を小突かれた。
桜は十年間、龍護は五年間をここ天空家本家で過ごしてきた。
あの日、屋敷を焼き尽くした大火事の中、生き残ったのは彼ら二人だけだった。
あの日あの場所に居合せなかった天空家の人達が協力で焼け落ちた家はほぼ元通りに修繕され、あの火事の中、半身を焼かれながらもなお春になると花を咲かせる桜の木の下には、慰霊碑が建てられた。
「――――」
龍護は静かに片膝をつき、手に持っていた花を供え、両手を合わせた。
その隣に立つ桜は、手を合わせるでも、涙を流すでもなく、ただ黙って立ち尽くしていた。
紅玉色の瞳は瞬きを忘れたように開かれたまま、時が止まったようだった。
どこか遠くを見つめるその瞳には、力を込めればすぐに砕けてしまいそうな薄氷のような脆さがあった。
そっと持ち上がった手が、胸元のネックレス──紅玉色の太刀と、炎の中を舞い散る桜を思わせる形をしたそれを握る。
鮮明によみがえる、懐かしい言葉がある。
――――「これはお前を守ってくれる大事なモノだ。お前の心の結晶。異能者は皆これを持っている。常に肌身離さず持ってろ。この珠と一緒にな」
「はい。父さん」
首にかけられた赤い紐を引っ張り出す。先端には、夜空の闇をそのまま閉じ込めたかのような小さな珠が揺れた。
それは、異能とは異なる力を宿し、天空家が代々命を懸けて守り抜いてきたもの。そして今、その責を継いだのは、他ならぬ桜自身。
自分の命に代えてでも、絶対に守らなければならない。
それは決して義務や責任ではなく、深く胸に刻み込まれた“誓い”だった。
珠を強く握り締める手に、自然と力がこもる。
まぶたを閉じるその瞳は、薄氷のような儚さの奥に、決して揺らぐことのない決意を宿していた。
――……の……
はっと目を開けた。
思い出したのは、自分の名前の由来を尋ねたときに、母が語ってくれた言葉だった。
――――「あなたの名前の由来? そうね……桜はね、あまりに暖かすぎる場所では咲かないの」
不思議そうに首を傾げた幼い自分の頭を撫でながら、母は微笑んだ。
「寒さにじっと耐えて、必死にこらえて、それでようやく綺麗な花を咲かせるの。そして、その花は一瞬で儚く散っていく……。私たちはそんな桜の花が大好きなの」
「よく、わかんない」
「あなたの身にも、きっと辛い出来事が降りかかる時が来る。でもね、その辛さを乗り越えて、綺麗な花を咲かせて。
この先、何があっても──どんなに傷ついても──絶対に諦めないで。私は、私たちは、どんなことがあっても、あなたの味方だから」
「?」
「今はわからなくてもいい。だけど、これだけは忘れないで」
−−−−愛してるわ、桜。
雲間から覗いた月が、静かに夜空を照らす。
その光に、なぜか心がざわめいた。
言い知れぬ違和感。
「どうして今、こんなことを思い出したんだろう」と考えて、ふと気づく。
自分は今、何に対して疑問を持ったのだろうか。