異界化領域のガンスリンガー
十数年前、日本は異界に侵食された。正確に言うと世界中、何の前触れ無しに同時に起きた出来事である。
空が裂けたわけでも大地が割れたわけでもない。ある日を境に幾つかの都市が侵食され元の姿を保てなくなった。
ビルは廃墟となり道路はひび割れうねり生活に必要なインフラが保てくなると人の気配だけが消えた。
国はその一帯を『異界化領域』と呼び封鎖したが10年後にはこう言い出した。
――異界には金になるものがあると。
そこには未知の材料、成分、素材などが見つかっている。国はライセンス制にして『異界化領域探索者』という名称の職業を作った。
探索者は異界化領域に潜っては資源を回収する。そして、検問所で回収して換金するのである。
だが、中は魔物、化け物が跋扈している魔境と化している。異界の法則に侵食され人間を拒む異世界となり替わっているのであった……。
かつて、ここには大勢の人間が暮らしていた。
道路には車が走り、店には商品が並び、夜になれば街の明かりが人々の帰り道を照らしていた。
今では、その面影はほとんど残っていない。
崩れたビル、ひび割れたアスファルト、窓ガラスの砕けた商業施設。道路を覆う雑草の隙間からは、正体の分からない黒い蔓が伸びている。
空は灰色に濁り、遠くの街並みは薄い霧に沈んでいた。ここは、異界化領域――
「お兄ちゃん、そろそろ休憩しない?」
背後から聞こえた声に、俺は足を止めた。振り返ると、妹が少し疲れた顔でこちらを見ていた。
「まだ歩けるだろ?」
「歩けるけど、休憩したいの。朝からずっと歩きっぱなしじゃない」
「そうか。じゃあ、どこかで休むか」
背負ったバックパックには、異界化地域でしか採れない植物と結晶体が詰まっている。
この植物の成分が医療で難病や不治の病に侵された人々に、結晶は最先端の精密機器に使われるだろう。
探索者免許を持つ人間だけが持ち出せる、国が買い取ってくれる品だ。
妹の大学資金には、まだ足りない。足りないが、焦る必要はない。
俺は雨宮蓮、21歳。妹の葵は高校3年生で18歳。我が妹ながら目がパッチリしている美少女だ。
この異界化地域では、時たまに『特殊能力』を持つ人間が現れる。
妹は癒しの能力を、俺は半径十数メートルの空間の動くものが頭の中の地図のように把握する力を得た。
この能力は外に出れば失われる。それでも、異界化内で戦うには必要な力だった。
「……こっちにするか」
近くの廃墟ビルに入り、壁にもたれて座り込む。床には割れたガラスが散乱しているが、慣れたものだ。
中に入ると妹は腰を下ろしバックパックからペットボトルを取り出し水を飲む。
俺は廃ビルの中が安全かどうか確認するために葵に声を掛ける。
「ちょっと内部を確認してくる」
「分かった、お兄ちゃん。気をつけてね」
葵は頷き、微笑みながらバックパックを少し引き寄せて待機の姿勢を整えた。
俺は立ち上がり、腰のホルスターからグロック19を抜く。
この拳銃は9ミリ口径のコンパクト拳銃だ。軽量でシンプルな構造、高い信頼性がある。
コンパクトであっても15発装弾でき火力不足に陥る事は少ない。
異界化領域では探索者は武器を所持できる。その為のライセンスなのである。
俺は廃ビルの暗がりへと慎重に足を踏み入れる。手探りでビルの奥を慎重に進んでいると突然、妹の悲鳴が耳に飛び込んできた。
「葵!」
心臓が一瞬、凍りつくような感覚に襲われる。その時、頭の中の地図に5つの点が一斉に現れた。
俺は妹が待機している元へ駆け出す。銃を握る手に力が込められ、視界が狭まるほどの集中力が体中を満たす。
そして、目に入ったのは――
男達が4人いた。全員が俺に拳銃を向けている。そして、葵の背後に1人。
そいつは妹の背後に回り込みナイフを首筋に当てている。その後方にはガラスが割れた窓が覗いていた。
「――お兄ちゃん?」
葵は怯えた目をして、こちらを見ている。俺は妹の無事を確認し、深呼吸をしてから冷静に前に進み出た。
「動くな!」
ナイフを当てている男が妹の首に腕を回し俺に警告してくる。
そのリーダー格らしい男が下卑た笑みを浮かべながら言う。
「武器を捨てて持ってるものを全部出せ金目のもの残らずだ……こいつはお前の妹か? 少し若いが中々、上玉だな。後で可愛がってやるぜぇ」
その言葉を聞いた他の4人もニヤつきながら銃を構えたまま動かない。
葵もそれを聞き顔を青ざめさせる。奴の言った事を理解しているからだ。
――ああ、このゾクゾクする感覚。
胸の奥が、甘く痺れた。囲まれて、妹に刃が向いている。普通は絶望的状況だろう。
俺の脳は、それを心地よい刺激として受け取ってしまう。壊れているのは自覚している。
妹の心配よりもコイツ等を皆殺しにできる建前が出来て内心喜んでいる俺は異常かもしれない。
「早く銃を捨てろ……ゆっくりだ」
「ああ……そうするさ」
拳銃を握った右手を、ゆっくりと胸の前へ引き寄せた。
肘を畳む。腕は伸ばさない。C.A.R.システム。至近距離での銃器操作を想定した射撃技法。
狭い場所でも銃を扱いやすい姿勢を取り、相手との距離が近い状況に対応するための技術だ。
銃を捨てる動きに見えるようにする。 すると、男たちの視線が一瞬、俺の手元に落ちた。その瞬間に、体が回った。
1発目、左手前の男の眉間に当たる。
肘は動かさない。上体の捻りだけで銃口を送る。2発目、右手前の男が引き金に指を掛ける前に、額が弾けた。
3発目は左後方、4発目は右後方の男を肩と手首の連動で銃口を反転させる。銃口が4人の額を順に通過し、俺の視線は一度も銃口を追わない。
見ているのは頭の中の地図だけだ。そして、4つの体がほぼ同時に落ちた。残るのは、葵の背後に回っている1人のみ。
妹の頭のすぐ後ろに、男の頭がある。弾道は、妹の顔を通る細い一本の線しかない。
そして男は、4人が死んだ動揺で、ナイフを妹の首に押し付けたまま震えている。わずかな手の痙攣が、そのまま致命傷になる。
「う、動くな……! 近づくと、この女を殺すぞ……!」
静寂が一呼吸置くと男が裏返りながら叫ぶ。奴の警告で俺の指が、引き金の遊びで止まる。
その時、頭の中の地図の、ずっと外側から――何かが、飛んできた。
男の頭が弾けた後からパンッという銃声が響いたのであった。




