9.俺、戻れません(前編)
「で、これはどうするんだ?」
大量に積み上げられた木箱を後ろ手に指差しながら、ため息混じりでアウルスが言った。
俺は「どうしよう」と、木箱を見上げて質問で返した。
"どうする"と"どうしよう"のやり取りなんて、子供時代の二人のやらかし以来だ。
あの時は互いに父たちのゲンコツで済んだが、もう誰も叱ってはくれない。
木箱の中には銀貨がみっしりと詰まっている。
金貨四千枚分の銀貨だ。
ダグレ中の銀貨が、今ここにあるのではと思えるほどだ。
「神様が許せば金貸も出来そうだ」
「我々の神様は経済に不寛容だからな」
「だからこその裏の商人か」
俺はさっきの取引きを思い返していた。
「ああ、連中は異国の民だからな。信じる神が違えば法も倫理も行動も変わるものさ」
「異国かぁ」
近隣の諸外国ではない、海や山脈を越えた遥かな地に思いを馳せた。
ロジャー号でアウルスと冒険をした、少年時代のように。
「そういえば——」
アウルスは異国の奇妙なお金の話をはじめた。
世界の背骨と呼ばれる山脈を超えて、熱砂の平原を抜けた遥か彼方にある国だ。
この国ではボタンが存在しない。
王から民に至る全ての民の衣服は、身体に布を巻き付けて腰帯で結い付けた簡素なものだそうだ。
話を聞いただけの自分には、その姿を想像出来なかったが。
「その国の通貨は"紙"なんだよ」
アウルスは更に想像し難い事を話した。
「紙が金なら全員貴族か富豪じゃないか」
驚く自分の姿が期待通りだったらしい。
アウルスは満足気に口角をあげると話を続けた。
「日常的に使う細かな通貨は銀貨や銅貨らしいけどね。金貨自体は国が管理して、木版で刷られた紙の金——紙幣とでも言うべきかな。それが流通している」
「ボタンも無い蛮族が、そんな画期的な高度な......」
「紙幣も無い蛮族が、機能的な衣服を着ている——と、向こうも思うかもね」
驚く俺にアウルスは諭すように言った。
「悲しいかな、我々にはそのような信用通貨と呼べるような、高度に管理された経済社会には無いわけだ」
「芝居がかった言い方だな」
「カエサル商会はこれから商業ギルドに提案をしてくる」
「おいおい、紙幣は国家レベルの話だぞ」
思わず両手を広げてしまった。
「信用通貨だよ。全国の商業ギルドに共通した擬似通貨を流通させるんだよ」
「すまない、俺の理解が追い付かない」
「そうだな.......」
旅人は路銀を、商人は資金をそれぞれに携えて旅をする。
そこを狙うのが盗賊の類いだ。
旅人も商人も常に危険があった。
特に商人は護衛を雇い荷馬車を使い、往路は銀貨を復路は荷物を運んで移動する。
ここで大量の銀貨が不要になれば?
往路の護衛も荷馬車も要らない。
復路でそれらを雇えばいい。
では、銀貨は?
国内の商業ギルドが預かり金に応じてチケットを発行して、旅先で換金出来るようになればいい。
もちろんギルドは手数料を貰うから利益も出る筈だ。
「どうだい?」
「凄いな、アウルス。そんなことをずっと考えていたのか」
「いや、ヨハンと話していて思いついた」
そう言うと、顔を上に向けた笑った。
そして笑い終わると言った。
「ここからは俺とヨハンの信用取引きになる訳だが——」
十分な休息と飼葉を与えられた愛馬は、とても力強く地面を蹴った。
薬と食べ物の入った荷物袋、そして水とワインの水袋。
決して軽くは無い荷物をものともしないで街道を駆けた。
そして俺の腰袋には銀貨が三十枚。
——俺を信じてこの銀貨を置いて行け。
そう言うとアウルスは、銀貨を五十枚入れた袋とチケットを一枚差し出した。
「ヨハン、お前が最初のトラベラーズチケットの利用者だ」と言って。




