2.俺、やっちゃいました
昨年は冷夏、今年は干ばつ。
もうこれしか無かった——
村の麦の多くは重税に失われ、村人が次々と飢えと病いに倒れた。
俺は痩せ細った馬に、飼葉を与えた。
これは村人達が自分たちの馬に与える分を、少しずつ分けて持ち寄った飼葉だ。
「頼むぞ、しっかり走ってくれ」
俺は馬の身体を撫でながら、そう話し掛けた。
夜の街道を抜け、エヴァンス伯爵の支配領に入った。
隷下にある俺たちの村とは違って、随分と栄えて見えた。
煌々と明かりが灯る大きな館が見えた。
ああ、噂に聞いた通りだ。
あの館では毎夜の宴が繰り返されている——
俺は館の裏手に茂る林に馬を繋いだ。
「すぐに戻る」
そう言って頭を撫でた。
目的は貴族の令嬢、もしくは夫人の誘拐。
待遇改善の交渉のカードにするのだ。
きっと——
俺と数人の首謀者は、来年の収穫を見ることは無いだろう。
それでも状況を変えるには、もうこれしかなかった。
そして願わくば、俺たちの苦境を知ってほしい。
新月の闇は都合が良かった。
俺は潜むように、バルコニーに繋がる階段を登った。
大きなガラスの扉。
そこから中を覗くと酒とご馳走、気飾った貴族たちの姿があった。
(マズイ)
初めて聞く音楽に聞き惚れていると、誰かがこちらに向かってきた。
俺は、バルコニーの隅。
一際闇の濃い場所に身を屈めて潜んだ。
美しい赤いドレス。
胸元の大きな宝石。
名のある貴族の娘か夫人だろう。
——コイツにきめた。
俺はゆっくりと近付くと、女の白い首筋にナイフを当てた。
絹糸のような細く長い金色の髪が揺れた。
「一緒に来てもらおう」
耳元でドスをきかせようと低く言った。
女の動きが止まった。
無理もない。
温室育ちの貴族のお嬢様だ。
こんな状況、恐怖に固まっているのだろう。
——俺もこんなことは初体験だが。
そう考えを巡らせていると女は急に振り向いて俺の手を掴んだ。
しまった!!
令嬢に扮した警護隊か?
驚いた次の瞬間—
「なんて情熱的な求婚なのかしら」
俺は更に驚いた。
「はっ?」
間抜けな声を出してしまった。
戸惑う俺の手を、女はそのまま引いた。
そして片足を乗せると、俺の首にしがみ付いて飛び付いてきた。
少しよろけたが、農作業で鍛えた足腰はこの程度では倒れはしない。
が、奇しくも抱きかかえるような格好になってしまった。
「さぁ、早く。人が来ますわ」
女に促されて俺は思わず走り出した。
そして今更ながら、とんでもないことをしでかしたのだと女の言葉に実感した。
階段を降り、垣根を迂回して外に出た。
林の中に入ってようやく人心地ついた。
あとはこの女を乗せて、村はずれの小屋に潜伏するだけだ。
何か勘違いしている今のうちに、ことを進めよう。
俺は女を乗せて馬を走らせた。
まずは村とは反対へ。
女は俺の腰に強く手を回すと、背中に顔を当てていた。
そして「末永くこのヴィオレッタ・エヴァンスを、よろしくお願いしますね」と囁くように言った。
「えええええええええぇ!?」
思いもよらない名前が出た。
コイツ、領主の娘だ。
確か妃候補と噂に聞いている。
......国王軍が出てくれば村は全滅かもしれない。
手が震えだした。
体温が全て、夜に染み出していくような気がした。
——俺、やっちゃいました。




