1.私、求婚されましたわ
退屈な日常——
夜毎の社交は同じ顔ぶれ、同じ話題に同じ目的。
成功を讃える陰で妬み、醜聞を嬉々として伝え話す。
「ヴィオレッタ皇后殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
「まぁ、気が早いですわ。ヒルデガルト伯爵夫人」
私は夫人の言葉に、広げたエヴァンタイユで口許を隠して笑うと「婚約は来月ですわよ」と続けた。
楽団の演奏する曲が切れ間なく、次の曲に変わった。
「あら、私この曲好きですの」
ヒルデガルト伯爵夫人はそう言うと、ダンスの輪の中へ消えて行った。
きっと噂のフェルナンド男爵と踊るのだろう。
歳の離れたヒルデガルト伯爵夫人を娶ったフランツ伯爵は、踊る程度ならと黙認しているらしい。
もしもその先へ行ったなら、夫人と男爵はどうなるのだろうか。
名誉を守るなら決闘を挑むだろう。
溜飲を下げるなら、結果の決まった裁判での公開処刑。
退屈な日常のエッセンス。
きっと、ヒルデガルト伯爵夫人は私たちの退屈しのぎにはならないと思う。
彼女、スリルは好きだけれどもフェルナンドのことは好きじゃないもの。
——結婚って、つまらないものなのかしら。
私はため息を吐いてバルコニーに向かった。
夜風に当たりたかった。
ホールの、澱んだ人の気に当てられたのかもしれない。
私も殿下の妃になったら、彼女以上の退屈と過ごすのかしら。
大きな硝子の扉を開いた先は、新月の闇だった。
空に細く引いた、糸のようなか細い月明かりは夜に溶け、室内の明かりが作り出すはずの私の影すら、闇に奪いさられてしまった。
(ああ、誰か。この影のように私を奪い去って欲しい)
月にも星にも届かない指先は、どれだけ伸ばしても虚空を彷徨うだけだった。
(この退屈な日常の籠から金糸雀のように——)
木々のざわめきに耳を傾けようと、手摺に手を掛けた時だった。
私の首筋に冷たい何かが当てられた。
そして耳元で「一緒に来てもらおう」と囁かれた。
突然の出来事に鼓動が早まった。
(嘘でしょ、信じられない)
楽団の演奏が遠ざかって行くように聞こえた。
反対に脈拍の音が大きくなって、耳が熱い。
頭の芯が痺れて蕩ける。
(私、初対面の殿方に求婚されてしまった)
「なんて情熱的な求婚なのかしら」
私は殿方の手を握った。
「はっ?」
殿方はきっと断られると思っていたみたい。
求婚を受け入れた私に驚いた様子だった。
「国を敵に回しても私が欲しいだなんて......」
命を投げ打ってまでの想いに、私の心は魂と共に震えた。
「さぁ、私を連れ去って。貴方の覚悟に私もこの身を捧げますわ」
私は握手を交わした右腕を引くと右足をかけた。
そうして首に両腕を回して、左足で地面を蹴った。
殿方は少しよろけながら私を抱きかかえてくれた。
「さぁ、早く。人が来ますわ」
その言葉を合図に殿方は走り出した。
奥の階段から駆け下りると、繋いだ馬に私を乗せた。
私は殿方の腰に手を回して背中に頬を当てると「末永くこのヴィオレッタ・エヴァンスを、よろしくお願いしますね」と言った。
「えええええええええぇ!?」
夜の静寂に蹄と人の声に似た、馬の嘶きが響いた。




