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9.ひび割れた友情


「……な……」


 なんで?


「俺のもやって見せてくれ、ルーナ」

「こっちも頼むよ。聖女ルーナ」

「いいわよ、みんな」


 次々にルーナが刺繍を光らせる。フィアの魔力でしか光らないはずの刺繍が、ルーナが触れただけで輝き出す。それは信じられない光景だった。


「聖布だって光ったんだ。もっとも、ここまではっきりとじゃないけどな」

「……そんな……」


 ありえない出来事に、フィアが大きく目を見張る。


 そんな事があるはずない。ここにあるのは全部、フィアが心を込めて刺したものだ。どの柄もすべて覚えている。見間違えるはずがない。


 それに、聖布が光るなんて。

 ありえないと言いたかったのに、目の前で起こっている事は現実で、反論の声は途中で消えた。


「見せてやってくれよ、ルーナ。さっきの光景を」

「ええ、いいわ!」


 ルーナが得意な顔で聖布を広げ、いっぱいに魔力を注ぎ込む。そこに施された数多の刺繍が、次の瞬間、光を受けたように輝いた。


「――――!」


 フィアが一針ずつ、コツコツ仕上げてきた刺繍。

 心を込めて、少しずつ形作ってきた。


 どうして、と呟いた声は形にならない。呆然とそれを見つめるフィアの横で、ルーナに恋する若者が言った。


「さすが、ルーナは聖布の刺し手だな。最高だ!」

「……え?」


 刺し手は私じゃ、と言ったフィアに、彼は怪訝な顔になる。


「何言ってるんだ? ルーナが刺し手だって、最初から決まってたじゃないか」

「そんな、だって……」

「証拠でもあるのか? そもそも、刺繍をしたのはルーナだろ。聖布だって光ったじゃないか」


 疑うなら調べてみろよと言われ、フィアはふらふらと近づいた。

 ルーナはちょっとだけ微妙な顔をしたが、おとなしく聖布を差し出す。震える手で聖布に触れて、フィアは魔力を注ぎ込んだ。


 だが――聖布はまったく光らなかった。


「……そんな」

「これで分かったでしょ? あきらめてちょうだい」


 ルーナがほっとした顔で言う。

 聖布だけではない。彼らの持っている他の刺繍も、どれひとつとして光らせる事ができなかった。


「俺の刺繍も光らせてみろよ。本当にフィアが刺したんなら、できるだろ」


 揶揄するように誰かが告げる。


「ルーナの手柄を横取りしようとしやがって。ずるいやつだな、ほんとに」

「これ以上ルーナに迷惑をかけるなよ。邪魔なんだ」


 彼らはルーナの信奉者だ。やめないか、と年配の男性がたしなめた。


「これに懲りたら、フィア。人の手柄を横取りしようとするのはやめなさい。いいね?」

「でも……でも、私、本当に……」

「ルーナに嫉妬したあげく、あの子が完成させた聖布を戸棚に入れて、鍵までかけてしまうなんて。いくら何でもやりすぎだ。おかげで、戸棚の鍵を壊すはめになったんだから」


 そこでようやく、鍵穴の辺りが壊されている事にフィアは気づいた。

 ルーナの力では到底無理だが、村の男だったら壊せるだろう。彼女が聖布を手にしていた理由は分かったが、刺繍が光った理由は分からなかった。


 これ以上この場にいる事ができず、フィアは後ずさった。

 一刻も早くこの場を離れたい。でも――でも。


(あの刺繍は、私が刺したものなのに……)


 聖布だけではない。彼らの持っている刺繍ひとつひとつが、かけがえのないものなのだ。それを受け取る人のために、心を込めて刺してきた。


 痛みには寄り添い、喜びには祝福を。ささやかな祈りと魔力を込めて、ひとつひとつ仕上げたものだ。

 そんな自分の気持ちまで、残らず踏みにじられたようだった。


「みんな、フィアと二人きりにしてちょうだい」


 ルーナが声をかけると、彼らはしぶしぶ部屋を出ていった。ガランとした神殿の広間で、ルーナは軽やかにターンする。


「ふふっ、すごいでしょ。驚いた?」

「……どうして……」


「ああ、刺し手のこと? それとも刺繍を光らせたこと? それとも、刺繍をあたしのものだって言ったことかしら」

「全部だよ。どうして!?」


 叫んだフィアに、ルーナは唇を吊り上げた。ひどく残酷な微笑みだった。


「刺し手は最初からあたしだったの。あなたはあたしの身代わりよ。ううん、代わりに刺繍するだけの人」


 くすっと笑ってルーナは言った。


「おかしいと思わなかった? どうしていつもあたしがそばにいるのか。あなたが刺繍してる間、あたしも同じ部屋にいた。中で何をしているか、見ている人はいない。一年の間、ずうっとね」

「ルーナ……」

「村の人たちが見てるのは、あたしたちが一緒に神殿に入って、一緒に出てくるところだけ。それで十分だわ。どっちが刺繍をしたかなんて、誰にも分かりっこないじゃない?」


 聖布に指をすべらせて、うっとりした顔で言う。


「そして、刺繍はあたしの魔力で光るの。どう、ほら、完璧でしょ?」

「……どうして、刺繍が光ったの?」

「ああ、簡単よ。あなたの魔力は少なくて、あたしはうんと多いじゃない? あなたの魔力を一とするなら、十の魔力を注げばいいの。たったそれだけで、刺繍は簡単に光ったわ」


 すごいでしょ、とルーナがくすくす笑う。まったく悪びれない口ぶりで。


「……そんな」

「もちろん、それだけじゃ駄目よ。必ず一針入れるの。そうしないと、魔力だけじゃ光らないわ。特に刺繍の一番大事な部分に入れるのがコツね。面倒臭いけど、一針なら簡単だったわ。あっという間に終わったもの」


 聖布だって同じよ、とルーナが言った。


「刺繍が多いから、さすがに時間がかかったけど。すぐにやり方を思いついたわ。あなたが一日頑張ったあと、翌日にあたしが一針刺すの。それを何度も。フィアったら、ちっとも気づかないんだもの。笑いをこらえるのに苦労したわ」

「……そんなことしてたの……?」


 道理で、最初の五分だけは針を持つはずだ。

 フィアがコツコツ刺した刺繍を、ルーナが一針で書き換える。豊富な魔力で奪い取り、ルーナの色に染め上げたのだ。


 フィアは一日の終わりに魔力を通したが、それはその日に刺した分だけだ。翌日になってからは試していない。たとえ試したとしても、気づかなかっただろう。フィアの魔力は少なくて、刺繍全てを光らせるにはとても足りない。


 でも、ルーナなら――できてしまう。


「あなたが刺した、最後の日の分。あれだけは手出しできなかったけど、問題なかったようね。ちょっと焦ったけど、ばれなくてよかったわ。ほんとにあなたの魔力って少ないのね。まるで仔ネズミか小鳥みたい」


 喉の奥で笑い、フィアを見下ろして目を細める。


「そうだ、あたしも少しは刺繍をしたのよ。だって女神の聖布だもの。魔力はいくらあってもいいと思って」

「…………」

「もしかすると、それが効いたのかもしれないわね」


 やっておいてよかったわ、と薄く微笑む。


「今までご苦労様、フィア。とっても役に立ったわよ」

「……村の人たちが喜んでるって言ったのは……」

「あたしに対してよ。決まってるじゃない」

「効き目があるって言ってくれたのは……」

「そうでも言わないと、あなたやってくれないじゃない? 嘘も方便だわ」

「……素敵って言ってくれたのは……」

「素敵よ。おかげであたしが【刺し手】に選ばれた。あなたの刺繍を身に着けて、あちこち歩きまわっているだけで、ね」


 フィアも自分の服に刺繍していたが、ルーナのように華やかな柄は好まなかった。それに、村の人と話す機会はそれほどないため、人に見られる事も少なかった。特に祖父母がいなくなってからは、明るい色の刺繍を服にする事自体やめてしまった。


 でもそれが、まさかこんな事になるなんて。


「心配しなくても、仕事はこれからも回してあげるわ。そうでないと、大変でしょ?」

「……やらないよ、もう」

「そんなわけにはいかないの。あなたが逆らうなら、ちょっとだけ怖い目に遭ってもらうわ。あたしを好きな男の人って、思った以上にいっぱいいるの。ちょっと泣いてみせれば一発よ」

「それでも、やらない」


 やるはずがない。――できるはずない、そんな事。


「あら、じゃあ、おじいさんとおばあさんのお墓がどうなってもいいのかしら?」

「!」


 はっとフィアが息を呑んだ。


「それに、村で買い物ができなくなったら困るでしょうね。小麦だって買えないし、塩も手に入らない。服はどうするの? いつまでも同じ布じゃ()たないわよ?」

「脅すつもりなの……?」


「そういうわけじゃないわ。ただ、でも、ねぇ。『何かのきっかけ』で家が壊れたり、真夜中、ひとりきりの家に誰かが押し入ってきたりしたら――あなた、どうするの?」

「……っ」


 ルーナの言っているのは紛れもない脅迫だ。

 彼女自身は手を下さず、ルーナに恋する若者を使うのだろう。あまりの言い種に、フィアの体がかすかに震えた。


「しばらく考える時間をあげるわ。それと、誰に言っても無駄よ。みんなあたしの味方だもの」

「……っ」


 唇を噛んだ後、フィアはポツリと呟いた。


「……最後にひとつだけ教えて。もしかして、色糸の値段って――」

「ああ、ようやく気づいたの?」


 おかしそうにルーナが笑った。


「おかげでお小遣いがたまったわ。ありがとう、フィア」


 フィアはのろのろとルーナを見た。

 彼女の手の中にある聖布は、こんな時なのに泣きたいくらい美しかった。


お読みいただきありがとうございます。しんどい回ここまでです。さあ、反撃だ!

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