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8.奪われた刺繍


 翌朝、ルーナは待ち合わせ場所に来なかった。


(やっぱりそうだよね……)


 聖布が完成したので当然だが、もう一緒に神殿に行く理由がないのだ。けれど、それ以上に、フィアに腹を立てているのかもしれない。次に会う時の事を思うと気まずいが、仕方ないと腹をくくった。


 次からは仕事を持ってきてくれなくなるかもしれない。もっとも、儲けはほとんどなかったから、懐に痛くはないけれど。


(でも、あれは村の人たちとの繋がりだから……)


 なくなってしまったら、ますます彼らとの距離ができてしまう。それはなんだか嫌だった。


 いっその事、これからは自分で動いてみようか。


 でもそうしたら、ルーナはますます怒るだろう。フィアが勝手にやり取りする事を、ルーナはひどく嫌っていた。彼女の機嫌を損ねれば、その周りにいる人々もフィアを快く思わない。何せ、あちらは文句なしの美人なうえ、村の人気者なのだ。対するフィアは地味で平凡、正直、勝負にすらならないレベルだ。


 おまけにルーナは魔力も豊富で、この田舎ではちょっとした有名人だ。何かと生活の助けにもなる魔力は、多ければ多いほど尊敬される。特に嫁探しをしている若者にとって、その魅力は絶大だ。それもあって、ルーナは村の男達に大人気だった。


 何もかもがフィアより優れている、人気者のルーナ。

 フィアが太刀打ちできるのは、刺繍の腕前くらいだろう。


(でも、それでいい)


 自分には刺繍があればいい。

 きっとそれだけは、誰にも負けないはずだから――……。

 話し声が聞こえてきたのはその時だった。


「――じゃあ、ようやく完成したのか?」

「ああ、そうみたいだ。一足早くお披露目してたぞ」


 話しているのは村人のようだった。

 そういえば、いつもはもっと早くにこの道を通るから、誰かを見かけるのは久々だ。たとえ顔を合わせても、彼らが初めに話しかけるのはルーナだから、大体それで終わっていた。


 ついでにフィアにも挨拶してくれるが、この間のように、「ルーナに迷惑をかけないように」とか、「ルーナを見習いなさい」という軽い説教ばかりで、なぜか小言を言われてしまう。正直、解せない。


(何が完成したんだろう……)


 少し気になったが、彼らはもう歩き始めてしまった後だった。

 聖布を神官に見せる際、村はささやかなお祭りになる。

 もしかすると、その準備ができたのかもしれない。


 このまま家に帰ってもいいが、もう一度聖布が見たかった。ルーナはいなかったけれど、フィアはひとりで神殿に向かった。


 鍵は首から提げている。いつでも神殿には入っていいので、事前の許可は必要ない。それに、合鍵もないから、誰かに盗まれる心配もない。


(やっぱり謝っておこうかな)


 フィアの事を心配してくれたのなら、ルーナが怒っても当然だ。

 明後日には王都から神官がやってくる。それまでには仲直りしておきたい。

 色々思うところはあるけれど、やっぱりルーナは友達だから。


 神殿に行くと、なぜかいつもよりにぎやかだった。

 近づいてすぐに気づいた。村人達が集まっているのだ。

 戸惑いつつ中に入ると、十数名の村人がいた。彼らは誰かを囲み、しきりに褒めそやしていた。


「本当にすごいよ、ルーナ」

「まるで女神様みたいだ。ルーナはやっぱり最高だな」

「なんて綺麗なんだろう……」


(ルーナ?)


 たった今思っていた人物の名前が出て、フィアは目を瞬いた。

 背の高い人物に囲まれているせいで、本人の姿は見えない。だがそれよりも、ある事に気づいてフィアはぎくりとした。



 戸棚が――開いている?



 反射的に胸元を探ったが、鍵は確かにここにある。だが、扉は開いている。そしてそこにあったはずのものが、綺麗さっぱりなくなっていた。


「なんで……」


 思わず呟くと、ちょうど人垣が割れた。

 たくさんの村人に囲まれて、嬉しそうに頬を上気させる人物。

 毛先がくるんとした赤髪に、ぱっちりとした青い瞳。

 誰もが認める美少女で、フィアの友達の――。


「ルーナ……?」


 その声に、彼女がふとこちらを見た。

 フィアの姿を見とめ、驚いたように目を見張る。だがそれは一瞬の事で、すぐに彼女は落ち着きを取り戻した。


 意味ありげにフィアを見て、ちらりと笑う。

 勝ち誇ったその笑みが、〝嘲笑〟だと気づくまでに少しかかった。


(なんで……)


 どうしてルーナはそんな顔をしているのだろう。

 それに、どうして村人が集まっているのか。


 だって神官がやってくるのは明後日だ。それまでは誰にも見られないようにしようと、ルーナが言ったはずなのに。効果が薄れるからといって、フィアに刺繍の話までさせなかったのに。聖布について喋ったあげく、村人達を集めたのか。なぜ? 何の目的で? いったいどうして――……。


 そう思った時、彼女の手に握られているものに気がついた。


(あれは――……)


 ()()()


 それに気づいた瞬間、先ほどとは違う意味で心臓が跳ねた。


「……どうし、て」


 発した声は驚くほどかすれていた。


 どうしてそれが、ルーナの手の中にあるのか。

 鍵はフィアの首にある。それなのに、なぜ。どうやってそれを手に入れたのか。

 おまけに彼女はそれを当然のように腕にかけ、みんなに見せびらかしていた。


「あら、フィア。ようやく来たの?」


 そう言うと、ルーナは勝ち誇ったような笑みを向ける。


「遅かったのね。ま、いつものことだけど」

「え……」

「今さらごまかさなくてもいいわ。もうみんなに喋っちゃったの。だから、もう遅いわよ」


 え、とフィアはうろたえた。何を言われているのか分からず、反射的にルーナを見る。彼女は憐れむような微笑を浮かべながら、にんまりとフィアを見返した。


「そうだぞフィア。ルーナから聞いたが、ひどいじゃないか」


 村人のひとりが口を開く。彼はついこの間、「ルーナに迷惑をかけるんじゃない」とフィアに説教した人物だった。

 刺繍のお礼を言われていない事よりも、彼の発した言葉に反応する。


「ひどいって、何が……」

「刺繍の手伝いもせず、毎日仕事をサボってたって。女神の聖布が大切なものだってこと、フィアだって知ってるだろう。どうしてルーナにばかりやらせるんだ」


 すかさず別の村人が加勢する。


「ルーナに仕事を押しつけて、遊んでばっかりだったそうじゃないか。ルーナほど刺繍の得意な女の子じゃなかったら、とても最後まで終わらなかったぞ」

「ルーナの人の好さにつけ込んで、好き勝手して。いくらなんでも目に余る」

「少しは反省するといい。あれだけ説教したってのに、ちっとも身に染みないんだから」


 村人が次々に口を開く。その半数はルーナに恋する若者だ。残りの半分もルーナの味方で、フィアに非難の目を向けていた。


 彼らの言っている事が、フィアには理解できなかった。


 だって、聖布を仕上げたのはフィアなのだ。ルーナはずっと遊んでいただけ。ほんの少し針を持っては、すぐに飽きて投げ出していた。いつも持っている刺繍道具の箱だって、開いている事はほとんどなかった。

 それなのに、どうして。


「ごめんなさいね、フィア。黙っていようと思ったんだけど、うっかり口をすべらせて」


 わざとらしくルーナが謝罪する。口元は相変わらず嗤っている。


「ルーナ……」

「みんなも、そんなにフィアを責めないであげて。悪気はなかったのよ、きっと。ただちょっと、あたしがうらやましかったんだと思うの。だから、この子を許してあげて。ね?」

「ルーナはお人好しすぎるよ」


 彼女に熱を上げている若者のひとりが、まんざらでもない顔で言う。


「毎日俺たちのために大量の刺繍をしてくれたあげく、聖布までひとりで仕上げるなんて。どれだけ人のために働いたら気が済むんだ」


「……え……?」


「ルーナは聖女様みたいだな。君にもらった刺繍、本当に素晴らしくて気に入ってるんだ。大切にするよ」

「聖布だけでも大変なのに、俺たちのことまで気にかけてくれるなんて。すごく嬉しいよ」

「いいのよ、それくらい。お安い御用だわ」


 ルーナが慈愛深い笑みを浮かべる。本物の聖女のような表情で。


 彼らが身に着けているのは、フィアが刺繍した品だった。聖布だけじゃない。この部屋にある、あらゆるものだ。二年前からずっと、毎日のように続けてきた。間違ってもルーナのものじゃない。

 それは私が、と言いかけると、「はぁっ?」と呆れた顔をされた。


「何言ってるんだ。これはルーナがしてくれた刺繍じゃないか」

「何を……」

「二年前くらいから、ずっとやってくれてる。その時から何も変わってない。見間違えるはずがないよ」


 フィアが刺繍を頼まれるようになったのは、ちょうどそのくらいだ。

 だがそれを言おうとしたところで、彼らのひとりが口にした。


「そもそも、色糸を買っていくのはルーナだ。フィアじゃない」

「それは――」

「俺たちの希望を聞いてくれて、その通りに刺してくれるんだ。直接やり取りしないとできないことだろ?」


 ルーナはいつも、細かなメモを渡していた。それを見れば、誰がどんなものを欲しがっているか一目で分かる。

 色糸だって、フィアには絶対に買わせてくれなかった。その理由が今さら分かった気がした。


「これはルーナの刺繍だ。間違いない」

「……ちがう」


 無意識にフィアは口を開いた。


「違う……ルーナじゃない」


 だって、それを刺したのは。


「私が、刺繍を……」

「いい加減にしないか、フィア」


 先ほどの男性に叱りつけられ、フィアはびくりと身じろいだ。


「証拠だってあるんだ。これ以上の言い訳は見苦しいぞ」

「……証拠?」

「ああ、そうだ。フィアだって知ってるだろう。刺繍は刺した人間の魔力で光る。俺たちの刺繍は、ルーナの魔力で光るんだ。それが証拠だ」


 ほら、と見せられたのは、確かにフィアの刺繍だった。だがそれにルーナが近づき、彼女の魔力が刺繍に触れると――。


 その瞬間、刺繍が光り輝いた。

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