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6.意外といい人かもしれない


    ***



 彼と暮らすようになってから、フィアの毎日はがらりと変わった。


「旅人さん、ご飯ですよ」


 毎朝フィアは彼の事を起こしに行く。


 意外と朝が弱いらしい彼は、いつも眠そうな顔で起きてくる。気づくといつの間にか身支度を整え、顔を洗い、しゃっきりとしているのだが、いつそうなるのか分からない。そろそろ五日目になるが、未だに不明だ。


 そして、彼は食べ方が綺麗だ。


 フィアが作るのは田舎料理だが、いつも残さず食べてくれる。それだけでなく、「おいしいですね」とか、「これは好みです」などと言ってくれるので、貧しいながらも作り甲斐がある。それに、彼が馬小屋に泊まった翌日、村であれこれと食糧品を買い込んで、どさっとまとめて渡してくれた。


『食費のおまけです。遠慮なく使ってください』


 そう言われても、こんな大量の食材、どれだけお金がかかったのだろう。

 干し肉や干し魚なので日持ちはするが、それにしたって多すぎる。

 それ以外にも野菜や果物、塩や砂糖の包みまであった。


『旅人さん……もしかしてものすごくいい人ですか?』

『清々しいほど物に釣られていますね』


 目をキラキラさせたフィアに、彼は呆れた顔になる。


『いいですか。知らない人に何かくれると言われても、ついていってはいけませんよ』

『私のこと何歳だと思ってるんですか?』

『見たままだと思っていますが』


 それはどういう意味に捉えたらいいのだろう。

 うむむむ、と悩んでいたフィアは、「ところで」という声に我に返った。


「ひとつ、聞いてもいいですか。君は刺繍で小銭を稼いでいると言っていましたが、その割に生活できていないようですね。何か理由でも?」

「あ、それは……」


 フィアは照れたように頬をかいた。


「色糸が思った以上に値上がりしてて。そっちの支払いに追われてたら、いつの間にかこんなことに……」

「アホですか?」


 間髪入れずに突っ込まれ、うぐっとフィアはのけぞった。


「どこの世界に食より色糸を優先する馬鹿がいるのです。糸は腹が減っても食えません。即刻生活を改善なさい」

「い、今はさすがに少し減らしてもらってます……」

「少しでなく、がっつりやれと言っているのです」

「すぐには無理ですよ……お客さんもいるし」

「もしかして、赤髪の娘ですか?」


 彼が泊まった翌朝、ルーナがいつも通りにやって来た。誰かいる事に驚いていた様子だが、旅人さんが例のぼろマントを素早くはおったため、宿無しの流れ者と思ったらしい。嫌そうな顔で鼻をつまみ、顔を背けて離れていった。それ以来、家から離れた場所で待ち合わせするようになっている。


 あれこれ詮索されないのはありがたいが、それにしても分かりやすい。


「ルーナっていう名前です。幼なじみで、友達なんですよ」

「あれが友達、ね」


 どことなく含みのある口調だったが、彼はそれ以上言わなかった。


「あの娘が顧客なのですか?」

「そうじゃなくて、ルーナが村の人たちから注文を取ってきて、私に回してくれるんです。色糸もルーナが買ってきます。私はお金を払って、代わりに刺繍を渡すだけ。お客さんとのやり取りもルーナがしてくれます」


「つまり、あの娘を通して仕事をしているのですね」

「そうですけど……」


 それがどうかしたのかと首をかしげる。


「いえ、なんでも」

 それよりもと、彼は急に話題を変えた。


「そろそろ出来上がりそうですか、聖布」

「はい!」


 ぱっとフィアの顔が輝く。


「今日中には終わると思います。そうしたら、王都から神官様が来るまで神殿で保管して、お披露目はその後です」

「楽しみですね。君の刺繍は素晴らしい」

「ど、どうも……」


 たまに思うのだが、旅人さんは絶対モテると思う。

 いつも毒舌なくせに、ふいにそんな事を口にするのだ。おまけに、とんでもなく美しい微笑み付きで。いつもの態度を見ていなかったら、うっかりときめいていたかもしれない。


「ですが、保管には十分に注意なさい。できれば持って帰った方がいいと思いますが、その様子では難しいのでしょうね」

「そうですね」


 現在はルーナがぴったり張りついているし、持ち出そうものなら大騒ぎだ。その事は彼にも語ったため、それ以上は言われなかった。


「持ち帰るのは無理でも、鍵のついた入れ物にしまいます。それなら他の人は手出しできませんから」

「そうですね。その辺りが妥当なところでしょう」

「それに、刺繍って、刺した人の魔力で光るでしょう? 盗まれてもすぐに分かりますよ」

「それは盗んだものが目の前にあった場合です。売り飛ばされたら意味がないですし、そもそも……いえ、やめましょう」


 彼は小さく首を振った。


「いくらなんでも、そこまで罰当たりな真似はしないと信じましょう。曲がりなりにも君の友達ですし、疑い過ぎるのも良くない」

「旅人さん……」

「言っておきますが、君を褒めたわけではありませんよ」


 すかさず釘を刺され、フィアはむうっと唇を尖らせた。


「それと、一度色糸の値段を確認なさい」

「え?」


「いくらなんでも、品質の割に儲けが出なさすぎです。色糸が不当に高いのでなければ、君が安く買い叩かれているのです」

「それは、でも……」

「村というものの閉塞性、あるいは結束性を私は知っています。ですが、それでも不当と思うなら、まずはつちを入れなさい」


 槌を入れる、というのは、現状にひびを入れるという意味だ。停滞して物事が進まない時、何かで行き詰まっている時などに、現状打破の意味で使われる。


「分かりました。そうします」

「それと――」


 彼は少し迷った後、ふと目元を和ませた。


「少し早いですが、お疲れ様。今までよく頑張りましたね、フィア」

「――――……」

「どうしました?」

「い、いえ……そういうことも言えるんですね」

「君は私を何だと思っているのです」


 心外といった顔をされたが、日ごろの行いだと思う。

 大体先ほども褒めたでしょう、失敬な――と口にした男は、やれやれと言いたげに首を振った。


「まぁいいです。今日はご馳走ですね」

 そう告げた声は、思った以上に柔らかだった。


 お疲れ様。よく頑張りましたね。ありがとう。楽しみですね。気をつけなさい。おいしいですね。もっと他人を警戒なさい。


 彼の言葉は不思議と心に染みていく。

 厳しくても、やさしくても、それがフィアを思う言葉だからだ。


 誰かが自分のために向けてくれる言葉は貴くて、少しまぶしい。それは言葉だけでなく、気持ち、あるいは思いやりと呼べるものかもしれなかった。

 そして、何よりも。



 ――君の刺繍は素晴らしい。



 彼にも聖布を見てほしいと、心からそう思った。

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