5.素直にそう言え
夕飯が出来上がった時、彼は刺繍に見入っていた。
「……見事なものですね」
視線の先にあったのは、フィアの刺繍だ。
村人に頼まれた腰帯で、刺繍自体は簡素なものだ。けれど、色糸を替えて、華やかに見えるように工夫してある。
小鳥が麦の粒をついばむ図案は、生まれてくる赤ちゃんが食べ物に困らないように。
健康や幸福、長寿と並んで人気のある図案だ。
「色の美しさもそうですが、この図案……少しアレンジしていますね?」
「分かりますか?」
「糸を減らす代わりに、幸福と健康も刺し込んでいるわけですか。いえ、これはもしや……長寿まで?」
「旅人さん、刺繍に詳しいんですね」
感心して言ったフィアに、彼は「このくらいは当然です」と答えた。
「こちらの刺繍も素晴らしい。これは魔除けですね?」
「山を越えることが多い人なので。獣除けと守護も入れました」
山には魔物がいるという。それを避けるのと、獣に襲われるのを防ぐためだ。単なる気安めだけれど、少しでも効いたらいいと思う。
「あなたが刺し手なのも当然です。これは……聖布が楽しみですね」
「もう少しで完成ですよ。その時は、旅人さんも見に来てくださいね」
「もちろんです」
「ところで、ご飯にしませんか?」
夕飯は芋を茹でて潰したものに、豆のスープ、それから昨日のパンだった。
「お肉がなくてすみません。干し魚も、今は切らしていて」
「とんでもない。非常においしそうですね」
ありがたくいただきますと言われ、フィアは口元をむずむずさせた。
彼の正体は分からないけれど、それなりに育ちがよさそうな上、あの口の悪さだ。「貧相な食卓ですね」と言われる事も覚悟していたのに、返ってきた言葉が思ったよりも甘口だった。おかげで、反応する言葉に困ってしまった。
「生命の恵みに感謝して。――いただきます」
「いただきます……」
誰かと食事をするのは、数年ぶりの事だった。
彼は上品にスープを飲み、茹でた芋をおいしそうに味わい、パンをスープに浸して食べた。スープは薄かったし、塩をかけただけの芋は物足りないし、パンだって残り物でカチカチだ。フィアは慣れていたせいで気づかなかったけれど、よく考えたら失礼だった。
「……ご、ごめんなさい」
「急にどうしました?」
「旅人さんをもてなすにしては貧しすぎました……」
ようやくたどり着いた村での食事なのに、こんなものを出してしまった。
「何を言うかと思えば」
それを聞き、彼は呆れた顔になった。
「私には十分すぎるほどのもてなしです。非常においしくいただいていますよ」
「で、でも」
「旅先ではろくなものが食べられませんので、温かな食事は貴重です。パンも芋も豆も、私にとってはご馳走です。疲れた体に染み渡る、とてもおいしい食事です」
「でも……」
彼の身なりは上等だし、立ち居振る舞いも洗練されている。口ではそう言っているけれど、物足りなくはないだろうか。
フィアの顔つきを正確に読み取ったらしい。彼は整った眉をひそめ、「余計な気遣いをするんじゃありません」と一蹴した。
「そもそも、私に出されたこれは、君の明日の朝食でしょう? ありがたいと思いこそすれ、罵るなんて罰当たりなことはしませんよ」
「!!」
ばれていた。
「な、なんで……」
「それくらい、見れば分かります。人を舐めないでください」
いいですか、と彼はフィアの顔を見る。
「君は君にできる精いっぱいで、私をもてなそうとしてくれた。その気持ちがありがたいのです」
「旅人さん……」
「それが分かったら、グジグジ悩むのはおやめなさい。馬鹿の考え休むに似たり、ということわざもあるのですから」
「最後に悪口入れないでくれません?」
今の感動が台無しだ。
文句を言いつつ、フィアはじんわりとする胸を押さえていた。
やっぱりこの人はいい人だ。
悪いのは口と態度とあとなんか色々で、根はいい人なのだろう。少し口うるさいのが欠点だが、おばあちゃんの小言と思えば悪くない。
「何かろくでもないことを考えていますね」
「いえ別に」
「まったく……。そうだ、宿屋はないということですが、村で他に泊まれそうなところを知りせんか?」
「泊まるところ、ですか?」
「ええ。できれば聖布の完成までいられるとありがたいのですが」
「それなら」とフィアは提案した。
「うちに泊まりませんか? 部屋は空いてますし」
「却下です。馬鹿ですか君は」
言語道断、という顔でにらまれる。美形の凄んだ顔は怖かった。
「先ほどまでの話を理解していますか? 私は男で、君は一応女性です。どんなに色気がなくとも、私の趣味とはかけ離れていても、生物学上は男と女です。もっと警戒心を持ちなさい」
「でも、宿がないと困るんじゃ……」
「確かにとても困りますが、それとこれとは話が別です。君のようにぽやっとした人間が、なすすべなく搾取されていくさまを、私はクソほど見ているのですよ」
あれは本当に寝覚めが悪い、と舌打ちする。
「クソ野郎どもに善人が蹂躙されるさまは、見ていて気持ちのいいものではありません。君もそうならないようにと言っているのです」
「ご、ごめんなさい?」
「謝らなくていいので、もっと己の迂闊さを自覚なさい」
私はうっかりしている馬鹿と、鈍すぎる馬鹿が嫌いです。
そんな言葉とは裏腹に、中身はフィアを案じる気配にあふれていた。
(やっぱり、いい人……)
「……じ、じゃあ、泊まるのはやめ……」
「誰がやめると言いました」
「は?」
目を瞬くと、彼はしれっとした顔で言った。
「私は馬小屋で構いません。余計な気遣いは不要ですが、食事は出してもらえると助かります。もちろん食費は払います」
「…………」
「お言葉に甘えて、しばらくお世話になります。ありがとう」
にっこりと微笑んだ極上の美形に、フィアは顔を引きつらせる。
(なら素直にそう言え……!!)
喉元まで出かかった言葉は、もちろん口には出せなかった。