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4.誰だこの人


    ***



 家に着くと、旅人さんは馬の世話をし終えたところだった。


「木桶と井戸を借りました。事後承諾で失礼します」

「いえ、お構いなく」


 この辺りの風習として、旅人には井戸を貸す事になっている。それに伴う道具もだ。彼もそれは知っているのだろう。作法も礼に適っていて、使い方も手慣れていた。


(まだ若そうなのに、旅慣れてるなぁ……)


 商人や武人の類ではないようだが、どんな理由で旅しているのか。

 むずむずと好奇心が湧き起こったが、理性と良識がそれに勝った。


 彼の服装は薄汚れていて、綺麗なのは馬だけだ。そこから考えるに、人に言いたくない事情があるのかもしれない。口にするのも悲しい話だったらどうしよう。ただでさえ傷心の旅人さんを傷つけてしまうかもしれない。それはまずい。


 そう思って彼を見上げると、相手は嫌そうな声で言った。


「……何を考えているのか大体分かりますが、別に私は訳アリではありませんよ」

「なんで分かるんですか!?」

「顔を見れば分かります。大概失礼ですね、君も」


 むむむ、とフィアは黙り込む。

 だったら彼は何者だろう。いや、やっぱり詮索は良くない。


「まぁ、嘘つきよりは馬鹿正直の方がいいでしょう。私は馬鹿が嫌いですが」

「さりげなく悪口交ぜてません?」

「交ぜてません」


 褒めてもないですが、と付け加える。いちいち一言多い人だ。


「先に汗流しますか? お風呂沸かしてもいいですけど」

「……さっきの話を聞いていましたか? 私は一応男ですが」


「でも、汗臭いといけないですし。村に行く前に、身だしなみを整えた方がいいんじゃないですか?」

「それはそうですが、もう少し危機感を持てと言っているのです」

「さっき田舎娘には興味ないって言ってたじゃないですか……」


 実はちょっと根に持っていたので、じとりとにらむ。彼はフード越しにも平然とした態度だった。


「私が君に興味がないことと、どこかの物好きが君に興味を持つことは別問題です。この世にはゲテモノ好きという言葉があるのですよ。もっと自分の魅力を自覚なさい」

「褒められてるんだかけなされてるんだか分かりません!」

「けなしているのですよ」


 馬鹿ですか、君は、と呆れた口調で言われる。

 なぜ分からないと言いたげな声に、フィアは顔を引きつらせた。


 やっぱりものすごく失礼な人だ。あと、ゲテモノ好きとは失敬な。他に言い方があるだろう。

 諸々言いたい事はあったが、フィアはぐっと飲み込んだ。


「……それで、お風呂、入るんですか、入らないんですか?」

「入らないとは言ってません」


(なら素直に入れ……!!)


 いい加減に切れそうだったが、彼が咳払いをしたのに気づいて口を閉じた。


「……本当に、お人好しもほどほどになさい」


 はあぁぁぁ……っと、心底疲れたように嘆息される。


「……す、すみません?」

「素直な馬鹿は嫌いではないです。ただの馬鹿は大嫌いですが」

「やっぱり悪口言ってません?」

「言ってません」


 彼はなんとも言えない目でフィアを見た。その目は綺麗な紫色だった。


「……まぁ、くれぐれも、他人を信じすぎないように」

「分かりました」


 あなたみたいな人ですか、と口にする事はかろうじてこらえた。

 ……はずなのに、なぜだかじろりとにらまれた。



    ***



 水は自分で汲むというので任せ、フィアは焚きつけの準備をした。

 自分ひとりだと水風呂で済ませるか、ざっと体を拭くだけで済ませてしまう。でも今日は、久々にゆっくりお湯に浸かろうか。


 フィアには両親がおらず、祖父母と一緒に暮らしていた。そのころは、風呂好きな祖母のために毎日沸かしていたものだ。二人がいなくなってから、フィアの日常は味気ないものになってしまった。


 二人が生きていたころは付き合いのあった人達も、ひとり、またひとりといなくなり、今ではすっかり少なくなった。フィア自身、祖父母の世話をしていた間、同年代の人間と関わる事はほとんどなかった。今現在、付き合いがあるのはルーナくらいだ。


 村の人達はやさしいし、フィアに辛く当たる人もいない。けれど、どこかよそよそしさを感じてしまう。それはフィア自身が作っている壁なのかもしれなかった。


(仕方ないけど、寂しいよね)


 そんなフィアの唯一の楽しみが刺繍だ。

 まさか自分が刺し手に選ばれるとは思わなかったけれど、選ばれたからには頑張りたい。そうすれば、もっとみんなと打ち解けられるだろうか。


 フィアが刺し手に選ばれたのも、彼らの刺繍を引き受けていたからに違いない。そう思うと、今までの苦労も報われる気がする。


 火を焚いて準備を済ませると、フィアはよしと頷いた。

 風呂は離れ小屋の中に作ってある。せっかくなので、汚れた服も洗ってしまおうと思い、「洗濯物あったら出してくださいねー」と声をかけた。


「だから君は本当に……まぁいいです」

 お構いなく、と声が返る。


「着替えは用意してあります。それから、火をありがとう。助かります」

「ど、どういたしまして……ちゃんとお礼言えるんですね」

「一言余計です」


 声が途端に尖るのを感じ、急いでフィアはそこから離れた。

 考えたら、ルーナ以外の人が家に来るのは久々だった。


 誰かが家にいるだけで、こんなにもにぎやかなのか。そんな当たり前の事さえ、忘れてしまっていた気がした。


(口は悪いけど、悪い人じゃないよね)


 バカバカ言うのはいただけないが、それ以外はまともだ。


 よかったらお茶でも飲んでいってくれないだろうか。けれど、そもそも茶葉が家にはない。水くらいしか出せるものがないのだが、果たして喜んでくれるだろうか。後は夕飯くらいだが、さすがにそれは厳しいだろう。

 家に寄るのも駄目だと言った人が、向かい合って食事してくれるとは思えない。


(まぁ、しょうがないか……)


 だったらせめて、できる限りのもてなしをしよう。


 家の仕事を手早く片づけ、ついでに畑から芋を収穫して戻ってくると、ちょうど彼が風呂を出たところだった。

 その姿に、フィアは手にした籠を落とした。


「…………な」


 しっとりと濡れた髪は、艶やかな銀色。

 肌は透き通るようになめらかで、染みひとつない。


 宝石よりも澄んだ紫色の瞳は、それひとつで国が買えるほどの美しさだ。光の加減なのか、時折青っぽくきらめいて、得も言われぬほど魅惑的だ。


 女神もかくやという美貌の持ち主。

 そんな神々しいほどの美形が、普通に家の前に立っていた。


 二十歳を越えているのは確実だが、思ったよりもずっと若い。着ている服はゆったりとした貫頭衣で、腰の辺りを絞ってある。その織りは丁寧で、裾に見事な刺繍があった。


「あの……さっきまでここに口の悪い旅人さんがいたと思うんですけど」

「私ですよ」

「失礼で態度も大きくて、いけ好かない人ですよ?」

「失敬な。だから私です」

「あんなに口が悪いのに?」

「口の悪さと容姿は比例しないでしょう。君も大概失礼ですね」


 とりあえず、入ってもいいですかと聞かれ、フィアはぎくしゃくと頷いた。


「……先に入っててくれてよかったのに」

「他人の、しかも女性の家に無断で入るほど無礼ではありませんよ、私は。馬鹿ですか君は」

「最後の一言の方が失礼じゃありません?」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪いというのが私の持論です。失礼が嫌なら、もっと他人を警戒なさい」


 やっぱり相変わらず小言が多い。けれど、なんだか祖母が生きていた時のようでくすぐったかった。


「旅人さん、お腹は空いていませんか?」

「私の話を聞いていましたか?」

「聞いてましたけど、よかったらご飯、食べていきませんか?」


 駄目で元々とばかりに聞くと、彼はじっとフィアを見た。

 吸い込まれるような瞳にどきりとする。わずかな沈黙の後、彼ははぁっと息を吐いた。


「……仕方ないですね。ご馳走になります」

「いいんですか?」


 了承が出てむしろびっくりする。断られると思ったのだが。


「世話になるのは私です。お言葉に甘えてよろしいですか」

「もちろんです!」


 夕飯には早いけれど、灯りを節約するために夜は早い。すぐに支度していいかと聞くと、彼は鷹揚に頷いた。


「何か手伝いますよ」

「いえ、お構いなく。……あ、そうだ」


 もしよかったらと前置きし、フィアはついでに頼んでみた。


「あとでその服の刺繍を見せてもらえませんか? 初めて見る模様で、すごく綺麗だから」

「ええ、構いませんよ」


 そこで彼は部屋の中を見回した。


「私も刺繍を拝見してよろしいですか? この家には、思った以上に見事な刺繍があるようだ」

「もちろんです!」


 どれでも好きに見てくださいと言うと、彼は嬉しそうに礼を言った。

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