表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/14

2.女神の聖布


    ***

    ***



【女神の聖布】。


 この国に生まれた少女なら誰もが夢見るものであり、一番の憧れだ。


 聖布と呼ばれる美しい布に、魔力を込めた針と糸で、特別な刺繍を施していく。それを身にまとい、女神へ祈りを捧げるのだ。そうする事で、女神への感謝を表している。


 刺繍をする者は【刺し手】と呼ばれる。

 年齢は問わないが、通常は未婚の少女で、村一番の刺繍上手とされている。


 選ばれた少女は一年かけて、聖布に刺繍を施していく。

 女神の聖布には決められた図案が存在していて、その通りに仕上げなくてはならない。刺繍は細かく複雑で、かなりの時間と手間がかかる。手伝いはいてもいいが、ひとりだけだ。


 やっとの事で完成させたそれを、神殿から訪れた神官が確認する。

 そして合格をもらうと、少女は聖布をまとい、女神のために祈りを捧げる。

 その神々しいまでの美しさは、人々の羨望の的である。


 それをする少女達は刺し手の他に、針姫や刺繍姫とも呼ばれる。

 今回、その刺し手に選ばれたのがフィアだった。



    ***



「あーもう、退屈だわ」

 そう言うと、ルーナがふわぁと欠伸した。


「そんなこと言わないで、ルーナ」

「だって退屈なんだもの。ああ、もう、面倒くさい。いつまでこんなことしなくちゃいけないのかしら」


 翌日。

 早朝に待ち合わせした二人は、いつものように神殿に入った。


 神殿といっても名ばかりの、ささやかな建物だ。中にはお祈り用の広間がひとつ、それから小部屋が二つだけ。片方は机や椅子など、様々な用具で埋まっており、空いているのは一部屋だった。


 聖布はその小部屋に置いてあり、入れるのは刺し手と手伝いだけだ。それ以外の人間は、完成するまで現物を見る事は許されない。


 刺繍を始めてから三十分。すでに作業に飽きたルーナは、とっくに針を置いていた。

 いつもの事なので、驚きはしない。ああまたかと思うくらいだ。


 ルーナは五分ほど針を持ち、あとはほとんど遊んでいる。寝るか食べるかお喋りするか、それ以外は顔や髪の手入れをするくらい。

 なぜここにいるのかと聞いても、彼女はどこ吹く風だった。


「そういえばフィア、昨日は誰にも会わなかった?」

「会わなかったけど」

「ならいいけど。絶対、絶対に、村の人と話しちゃ駄目よ?」


 念を押され、分かったとフィアは頷いた。

 刺繍を施す際は、誰にも見られてはいけないという決まりがある。


 刺繍していない時は問題ないし、言葉を交わすのも禁じられていないが、刺している姿を見せるのは駄目なのだ。それを引き合いに出して、ルーナは刺繍の話題を出すのも駄目だといった。


 曰く、

「聖布のことを話したら、それだけ効果が落ちる気がする」というのだ。


 考えすぎじゃない? とは思ったが、ルーナが絶対に譲らなかったので折れた。色糸の時といい、ルーナは時々妙に頑固だ。


(まぁいいか……)


 フィアのためだと言われれば、大げさだと突っぱねるのも気が引けた。

 村人との関係は良好だが、気軽にお喋りするほどでもない。特に最近は色糸を買わなくなった分、めっきり彼らとの交流は減った。


 そういえば、ルーナと神殿に通うようになってからだろうか――。

 そんな事を思っていたフィアは、化粧道具を取り出したルーナに目をやった。


「退屈なら、先に帰っていいのに」

「いいわよ、待ってる」

「でも、まだしばらくかかるから。見ててもつまらないでしょう?」

「そんなことないわよ。あたしだって手伝ってるんだから、いいじゃない」


 どこが? という声をぐっと飲み込み、フィアはこっそりため息をついた。

 正直言って、何もしないルーナがそばにいると気が散るのだが、まぁそれは問題ない。

 本格的に刺繍を刺し始めれば、雑音はすぐに消え失せる。


 けれど、フィアは不思議だった。


 ルーナは刺繍が好きではない。

 正確に言うと、美しい刺繍を見るのは好きだが、刺すのは大嫌いだ。当然、聖布についても同じである。


 最初こそ布地の美しさにうっとりしていたが、すぐにそれに必要な膨大な刺繍の量に気づいてげんなりしていた。


「ルーナはこの部屋にいなくてもいいんだよ? 毎回付き合ってくれるのは嬉しいけど、私ひとりで刺してるし……」

「そういうわけにはいかないわ。刺し手には手伝いがいるでしょう? 王都でもそうなってるって聞いたもの」


 そう言いながらも、ルーナはやっぱり何もしない。

 彼女が持ってきた刺繍道具も、とっくに蓋が閉じられていた。

 やれやれと思いながら、フィアは首を振った。


「じゃあ、私は刺繍に取りかかるから」

「頑張ってね、フィア」


 まぁいいかと思いつつ、フィアは作業に没頭した。



    ***



「……ア、フィア!」

 はっと気づくと、太陽の位置が変わっていた。


「そろそろ時間よ。片づけましょ」

「え、もうそんな時間?」


 途中、糸を替えたのは覚えている。だが残りは記憶にない。よほど集中していたらしい。

 指先はわずかに熱を持ち、体全体に心地よい疲れが広がっている。疲労というよりも、満たされている感じだ。


 そっと魔力を通してみると、今日刺した部分がわずかに光る。

 星の輝きにも満たないほどの、小さな光。

 それでもそれは、フィアが刺した証なのだ。


 完成まではあと少し。

 王都から神官がやってくるのは半月後だから、それまでには十分間に合う。

 刺繍道具を片づけて外に出ると、とっくに日が傾いていた。


「じゃあね、フィア」

「うん、また」


 神殿を出るのも二人一緒だ。

 ルーナと別れる間際、知り合いの村人が歩いてくるのが見えた。

 ついこの間、フィアに刺繍を頼んだ男性だ。彼はフィア達に気づくと、気さくな様子で手を上げた。


「やあ、ルーナ。あとフィアも」

「こんにちは、おじさん」

「いつもありがとう、ルーナ。本当に助かるよ」


 そう言うと、彼は何かを取り出そうとした。

「あ!」とルーナが押しとどめる。その姿は少し慌てているようだった。


(うん?)


「いいのよ、おじさん。その話はほら、また今度ね?」

「ああ、そうか。そうだったな。それじゃあ二人とも、気をつけて帰るんだよ」


 何事か思い出したように頷くと、男性はフィアの顔を見た。


「フィアも、ルーナにばかり頼るんじゃないぞ。いい加減にしっかりしないと」

「はい、……ん、んん?」

「ルーナを見習って、人のためになることをしなさい。いいね?」


 彼が行ってしまうと、フィアは目を瞬いた。


「……今の何?」

「ああ、多分、この間荷物を持ってあげたからだと思うわ。それとも、夕飯を差し入れしたからかしら。別にいいのに、大げさね」

「そうなんだ……」


 なんとなく釈然としないものを感じるが、判然としない。


(怪しい……)


 けれど、確かめてみる術はない。

 そういえば刺繍のお礼を言われていないと気づいたのは、家に帰ってからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ