16.エピローグ
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――あれから二か月が過ぎた。
ルーナの嘘がばれた事で、フィアが仕事を押しつけられる事はなくなった。
今までの刺繍もすべて、フィアのものだと証明された。
改めて謝罪と礼を言われてしまい、対応にてんてこ舞いだ。だが、その疲労は心地いいものだった。
『ごめんな、フィア。ひどいことを言って』
真っ先に謝ってくれたのは、以前に説教してきた男性だった。
『きちんと調べもせずに悪かった。片方の話だけうのみにして、一方的に叱りつけて。刺繍、大切にするよ。ありがとう』
心底反省した様子の彼は、しょげ返った顔で頭を下げた。あまりの申し訳なさにと前置きした後で、
「毎晩枕に顔をうずめて身もだえているよ」と言われ、聞き覚えのあるセリフに顔が引きつる。とりあえず聞かなかった事にして、フィアは男に笑いかけた。
『よかった。またいつでも言ってくださいね』
『他のやつらも謝りたいって言ってる。それと、この先刺繍を頼むことがあったら、直接金を払うって』
ルーナが金を抜いていた事も知れ渡り、聖布を取り上げようとした事まで広まった。なんと罰当たりなと、すっかり白い目で見られている。
ルーナは嫌々ながらも村人達に謝罪したが、その途中で逆切れし、数少ない信奉者もそれで離れた。今は村人に見張られながら、毎日刺繍に追われる日々だ。
フィアに押しつけようとしても、村人の目が光っている。「ほらまた!」という声が飛ぶたびに、フィアは遠い目をしている。
嬉しい事は他にもあった。
今まで刺繍に費やしていた分、自由時間がたっぷりできた。
おかげで今は、次々に新しい図案に挑戦し、山ほど刺繍ができている。……結局している事は同じだと突っ込まれそうではあるが。
ともあれ、フィアの生活は充実している。毎日楽しくて仕方がない。
神官さんは儀式の後、早々に村を発った。
これから王都に戻るらしい。仕事が溜まっているそうなので、見送りもいらないという。忙しい人である。
彼は去り際、「ハンカチは大切に使わせていただきます。ありがとう」と微笑んだ。フィアに暴言を吐いたとは思えない完璧な笑顔だった。
「あ、はい、さよなら」と答えたフィアに、彼は笑みを深めて、「ええ、また」と口にした。
「また?」とフィアは首をかしげたが、言い間違えだろうと気にしなかった。
何せ彼は王都の神官。対する自分は村娘だ。
もう二度と会う事がないだろうと思っていた矢先、唐突にそれは訪れた。
「迎えに来ましたよ」
「……は?」
フィアの家に現れた神官さんは、なぜか書状を携えていた。
「あれだけの技術の持ち主、スカウトしないはずないでしょう。あなたがいれば、上級図案にも挑戦できます」
「え、上級図案って何……ていうか、スカウト? はい?」
「今すぐ荷物をまとめなさい。動物を飼っていないのは確認済みです。植物は……近所の人間に手入れを任せれば問題ありませんね? 金銭の負担はこちらで引き受けます。事前に打診したところ、快く引き受けてくださいました」
「い、いつの間に!? いやそれより、お久しぶりですの前に、そんな話!?」
「私は無駄な時間を使わせる馬鹿と、察しの悪い馬鹿が嫌いです」
早く支度をしろと言われ、フィアは唖然とした。
「ちょっと待ってください、誰が引き受けるって言って……」
「珍しい図案が見られますよ」
「……か、勝手にそんなこと決められても」
「美しい布も十分に」
「……こ、心の準備ができてなくて」
「色糸も山ほどあります」
「……ふ、不安だなーって……」
「……そうですか」
神官さんはにっこりと笑ったかと思うと、いきなり顔を近づけた。
「――つべこべ言わずにとっととやれ」
問答無用の響きである。凄みがある分、ものすごく怖い。
「ひいいぃっ…!」と涙目になるフィアの前で、彼は書状を読み上げる。
「『村娘フィア。汝を新たな刺繍の刺し手と認め、王都の神殿に迎え入れる。宣言者・国王、及び神官長』。……文句があるなら国王と神官長に言いなさい。以上、何か質問は?」
「わ、私の意思はどこに……?」
「おや、これは不思議なことを」
そこで彼は片眉を吊り上げ、意外な事を聞いたという顔になった。
「王都の神殿で刺繍、したくないんですか?」
「…………!!」
「あなたの魔力は少ないですが、刺繍は超一流です。その才能を見込んで、私が後ろ盾になりましょう。中にはうるさい人間もいるでしょうが、逆らう奴は全員ぶっとば……穏便に分かっていただきます。何も問題ありません」
「今何か不穏な単語口走ってませんでした?」
「気のせいです。……それで、フィア。どうします?」
紫水晶の目がフィアを捉える。
「どうしても嫌だと言うなら、撤回もできますが。すべては君次第です」
「私、次第……」
神官さんは黙ったままフィアの返事を待っている。
ためらったのは数秒、フィアは力強く頷いた。
「――行きます」
「それはよかった」
その目が嬉しげに細められる。無邪気な顔に、どきりとした。
見かけだけなら極上の麗人なのだ。そんな顔をされれば、心臓に悪い。
「だったら早く支度しなさい。私は行動の遅い馬鹿と、面倒をかける馬鹿が嫌いです」
「あんまりバカバカ言わないでくれません?」
「だったら言われないようにする努力をなさい」
それと、と彼は唇を持ち上げる。
「承諾してくれてよかった。心から歓迎しますよ、私のフィア」
その言葉の破壊力は抜群だった。
「わ、わわわわ『私の』って……!?」
「私のげぼ……もとい、部下になるわけですからね。間違いではないでしょう」
「今下僕って言いませんでした?」
「聞き違いじゃありませんか?」
しれっと答えながら、「ほら、早く」と催促される。言われるまま荷物をまとめながら、フィアは落ち着かない心臓の音に首をかしげた。
これは恐怖からか、旅の不安からか、新たな場所への緊張からか――。
その答えは分からない。少なくとも、今はまだ。
「神官さん、いつもこんなことしてるんですか?」
「まさか。君だからですよ」
当然だろうという顔で神官さんが告げる。
「手放すつもりはなかったので、最速で許可をもぎ取りました。本当はそのまま連れ帰りたかったのですが……諸々の準備もあったものですから、仕方なく」
「そ、そんな前から?」
「悪い虫がつかないように、手は回してありましたよ?」
にっこりと笑う綺麗な顔に、フィアは顔を引きつらせる。
「わ、私、やっぱり辞退して……」
「今さら遅い」
腰が引けたフィアに詰め寄り、彼はがしっと腕をつかむ。
「ここで手放してたまるか。覚悟しろよ、金の卵」
「言葉遣いがもはや猫をかぶる気ないいぃっ……!」
フィアの悲鳴を聞き流しつつ、美貌の神官は人の悪い笑みを浮かべた。
「せっかく見つけた才能の塊、逃すわけがないでしょうが。君は私が育てます。苦労させないとは言いませんが、衣食住は保障します。何かあれば言いなさい。泣くほど罵倒することはあっても、見捨てることはありません」
「逆にしてもらってもいいですか?」
「却下です。――それと」
フィア、と名前を呼ばれる。
「言い忘れていましたが、私は気に入ったものほど構いたくなるタチなのですよ」
「……は」
「君は私が見つけました。久々に心が踊ります」
もはや嫌な予感しかなかったが、彼は非常に楽しそうな顔をしていた。
「まあ、おいおい、分かってもらえればいいですよ」
彼とともに、フィアは王都へ行く事になる。
先ほどの動悸が恐怖ではなく、胸のときめきだと気づくのは――残念ながら、当分先の事だった。
了
お読みいただきありがとうございました!
*こんな感じで始まった二人ですが、多分、溺愛するのは神官さんの方。
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というわけで、刺繍のお話2本目です。
*刺繍が光る
*思いが伝わる
*手柄を奪うマウント女子
でお届けしました。少しでもお楽しみいただけたら嬉しいです。
*ブクマに評価にリアクション、どうもありがとうございます。いつも励みになっております。またどこかでお会いできると幸いです!