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15.ブチ切れる理由がおかしい


(――刺繍なんてやりたくない。これを持ってるやつらがどうなろうと、あたしの知ったことじゃないわ)



(――あーもう、また針が抜けちゃった。やってられないわよ、ほんとに)



 一針刺した部分が黒ずみ、じわりと濁る。

 それに合わせて、声は次々に浮かび上がる。



(――うふふふっ。やったわ。こんなにうまくいくとは思わなかった)



(――あたしの魔力で覆っちゃえばいいのよね。どうせばれっこないもの、楽勝だわ)



(――こんなちっぽけな魔力、すぐに書き換えられる)



(――たったこれだけでいいなんて。ホントに簡単。すっごく楽だわ)



 悪意のこもった、いっそ無邪気なほどの声。



(――フィアには悪いけど、これからも利用させてもらうわよ。せいぜいあたしの役に立ってちょうだい)



(――聖布も全部やらせなきゃ。最後の一針だけは、あたしの仕事ね)



(――何度言っても無駄よ。誰も信じやしない。みんな、みーんな、あたしの味方!)



 フィアの刺繍を奪い、手柄を横取りし、この先も利用できるとほくそ笑む。

 その声は、紛れもなく。


「ルーナの声だ……」


 誰かが言った瞬間、ざわっと周囲がどよめいた。


「嘘よそんなの! あたしじゃない!」

「でも、今のは確かに……」

「それに、刺繍だって……」


 なあ、と村人が頷き合う。

 ルーナは顔を真っ赤にしていたが、なおも勢いよくわめき立てた。


「そんなはずないじゃない。こんなのでたらめよ!」

「いや、でも……」

「なぁ……」


 あまりにもはっきりと聞こえたせいか、村人達も歯切れが悪い。互いに顔を見合わせながら、気まずい顔で黙り込んでいる。

 それが分かったのか、ルーナの顔がさらに赤くなった。


「……こっ、こんな役立たずの出来損ない、まともな刺繍ができるはずないわっ。もしできるっていうなら、神官様をだましてるのよ。きっと色仕掛けでも何でもして、たぶらかしたんだわっ」

「――ほう」


 ぴく、と神官さんの眉が動いた。


「言うに事欠いて、私がこの能天気な平和ボケ小娘にたぶらかされた、ですか……ふふ」

「し、神官さん?」


 小声の呟きは他の人に聞こえていないらしい。そしてどこに怒りのポイントがあったのか、突っ込みたいけど突っ込みにくい。


「売られた喧嘩は買いましょう。いくらなんでも、言っていいことと悪いことがあります」

「一応言いますけど、怒るところ違いません?」

「誰が誰にたぶらかされたのか、しっかり分からせて差し上げましょう。二度と馬鹿げた口が叩けないように」

「すでに目的変わってません?」

「ふざけんなよクソガキが……」


 その目が若干据わっている。フィアには分かる。神官さんは今、激怒している。……あれ、ある意味自分に失礼では?


「――では、こうしましょうか」


 神官さんが口を開いたのはその時だった。


「私のために刺繍してください」

「は……?」

「柄はなんでも構いません。糸も好きなものを使ってください。急なことなので、小さなもので構いませんよ」


 そう言って取り出したのは、一枚のハンカチと刺繍道具だった。


「は……な、なんであたしが、そんなこと」

「おや? あなたは村人にいつも刺繍してあげていたのでしょう? こんな小さなハンカチくらい、朝飯前なのではありませんか」


 不思議そうに言われ、ルーナがぐっと言葉に詰まる。


「そ……それはそうですけど、でも、急にそんな」

「ですから、小さなもので構わないと言っているのです。実力を見るなら、それで十分だ」

「ひ、人に見られると、魔力がうまく使えなくて……」

「魔力は不要です。純粋に、刺繍の腕前ですから」

「き、緊張して、手が震え……」

「震えながらでも構いませんよ。ゆっくりでいいので、お願いします」


 やさしく微笑みながら、その瞳は「逃がさないぞ」と語っている。ルーナにべた惚れの若者が数名、「頑張れルーナ!」「いつもみたいにやればいいんだって!」と後押し(という名の逃げ道ふさぎ)をした。


 死にそうな顔色のルーナを応援する彼らは、自分達が退路を断った事に気づいていない。

 ちなみに彼らもルーナの声を聞いていたが、偽物の仕業だと思っているようだ。惚れた欲目というやつだろう。


 どうにもならなくなったのが分かったのか、ルーナはのろのろと針を取った。

 慣れない手つきで糸を通し、のたのたと刺していく。

 最初はワクワクしていた彼らだが、すぐに「あれ?」という顔になった。


 手が遅い。


 それどころか、ものすごーーーーーくぎこちない。


「なぁ、あれ……」

「ウン……」


 ぶすり、ぶすり。


 必死の形相で刺しているが、その手つきは明らかに怪しい。

 針を持ちたての子供でさえ、もう少し器用に刺すものだが。


 おまけに、姿勢がおかしい。

 あっちへ傾き、こっちに傾き、妙な踊りを踊るように体をくねらせて、ぷすぷすと針を刺す。それはまさに「初心者」の動きだった。


「あのさ……」

「ウン……」


 最初こそ目を輝かせていた彼らだが、やがて、どちらからともなく目をそらし、気まずい顔で黙り込んでしまった。


 ちなみに、他の村人達は一足早く同じ顔をしている。

 それを横目で眺めつつ、神官さんはフィアにも声をかけた。


「フィア、君も刺繍してください」

「は?」

「条件は同じ。好きなものを刺してくれて構いません」


 そう言うと、彼は別のハンカチを手渡した。

 材料も道具もまったく同じ。違うのは刺す人間だけ。


「わ、私、遠慮して……」

「やりなさい」

「できな……」

「やれ」

「手が震えて……」

「震えてもいいからとっととやれ」

「さっきと態度違いすぎません?」

「取り繕うのも面倒だから、さっさとやれ」

「………………」


 ひどくない? と思いつつ、フィアも針を手に取った。

 ハンカチは真っ白な、とても手触りのいいものだった。


 これに何を刺そうか。彼に似合う図案は何だろう。

 色とりどりの糸を前に、フィアは少し考えた。それからすぐに、一本の糸を手に取る。

 そしてフィアは刺し始めた。


(色は薄い紫がいい)


 あの人の瞳によく合う、綺麗な色を。


 あまり派手にせず、かといって弱々しいものではなく。

 雄々しい柄は違うだろう。似合い過ぎて怖いが、神官さんには過激だ。

 多分、華やかな装飾は好まない。それならなくても構わない。


 もっと複雑で難しい模様も刺せる。それこそ聖布に施したような、恐ろしいほど精密な柄もお手の物だ。けれど、そうじゃないとフィアは思った。


 そんなものは必要ない。それは今必要なものじゃない。

 誰かに見せつけるためでなく、誰かの望むものを。


 糸を替え、今度は緑で。続いて金色の糸で縁取る。

 すいすいと動かす手は、明らかに慣れた者のそれだ。

 人に見られている緊張も忘れ、フィアは自分の世界に入り込んでいた。





「――できた」


 最後の針を抜き、フィアは糸の始末をした。

 その時になって気づいたが、ずいぶん注目されていたらしい。顔を上げたフィアに、村人達が一斉にざわついた。


「お、おい、あれ……」

「ああ、だが……」

「なんかもう今さらって感じだけどな……」


 口々に囁く言葉の意味が分からず、「?」と首をかしげる。

 目をやると、少し離れた場所で手を動かす姿があった。


 フィアより先に刺し始めたルーナは、まだ終わらないようだった。

 それも当然だろう。あの手つきでは、半日かかっても終わらなそうだ。


「痛っ!」


 指に針を刺したのか、ルーナが悲鳴を上げる。


「もう無理よ! できないわ!」

「では、できたところだけでいいので見せてください」

「それは……っ」

「不器用でも、拙くても構いません。気持ちがあれば、女神様は受け取ってくださるものです」


 美しい顔に笑みを浮かべ、「さあ」とルーナに迫る。

 渡したくはないが、ここで渡さないのは不自然だ。そう思ったらしいルーナが、しぶしぶハンカチを差し出す。

 それを広げた神官さんは、「おやおや…」と呟いた。


「これは……先ほどの刺繍? にそっくりですね」

「~~~~~~~~~っ!!」

「先ほどの刺繍? によく似た癖がある。あの刺繍? はもう少し雑でしたが、これは多少マシですね。とはいえ、気持ちはこもっていないようですが」

「言いがかりよ! 罠だわ、こんなのっ」

「いいえ、罠なんて。あの刺繍? は特徴的だったので、さすがに見間違えませんよ」


 いちいち刺繍に「?」をつけているあたり、性格が悪い事この上ない。その様子を見た村人達も、『あぁこれは…』という顔をしている。それも納得するくらい、刺繍はお粗末な出来だった。


 もはや彼らの目にも、どちらが真実を言っているかは明らかだろう。


 顔を真っ赤にしてわめくルーナと、さっさと刺繍を終えたフィア。

 ぎこちない手つきのルーナに比べ、フィアは明らかに作業が早い。糸の始末も完璧で、道具を扱う様子も手慣れている。対するルーナは、針に糸を通すのさえおぼつかない。


 ルーナの刺繍を見た村人が、「あぁ…」とため息を吐き出した。


「先ほども言いましたが」と前置きし、神官さんが告げる。


「出来栄えはともかく、思いがこもっていませんね。これはひどい」

「それはっ……」

「思い、すなわち心。あなたの刺繍には心がない。技術以前の問題です」


 ルーナが悔しげに唇を噛む。何か言おうとしたところで、「先ほどの魔法を使いますか?」と聞かれて黙り込んだ。どうやら、うっかり人に言えない事を思っていたらしい。


「これはこれでまぁともかく」


 ハンカチをしまい、神官さんは小さく咳払いした。


「フィア、君の刺繍を見せてください」

「はい」


 どうぞと差し出すと、彼は興味深そうに受け取った。

 ハンカチを広げ、その図案を見て目を見張る。その目が楽しげに細められた。



「――どうぞ、ご覧ください」



 それは不思議な花束だった。

 薄紫の小さな花が、そよ風に揺れている。


 添えられているのは麦の穂だ。重たげに頭を垂れながら、やはり風にそよいでいる。風は道行(みちゆき)という意味がある。その風が背中を押す旅は、実り多きものになるだろうと。


 ひとつ間違えばちぐはぐな印象にもなりかねない組み合わせだが、不思議としっくり馴染んでいる。色の選び方だけでなく、刺し方も工夫しているのだ。


 細い茎を、金色のリボンが束ねている。その装飾も繊細で、刺し手の技量をうかがわせた。


 よく見ると、花びらは二色に分かれていた。薄紫と、それよりもう少し深い色。前者は花そのものの色、後者は彼の瞳の色だ。


 刺繍を刺す時、その人の体の一部に似た色を入れる事がある。それは刺繍の効果をより高め、馴染みやすくするのだと。今は廃れた風習だが、フィアはたまにやっている。きっとこの色は持ち主を守り、ささやかな幸運を贈るだろう。


 選んだ花は、有名なものではない。

 フィアの家の近所にも咲いている。野原にたくさん咲く花だ。


 可憐な花だが、弱くはない。見かけに反してよく育ち、荒れ地でも芽吹く。女性が好むモチーフだが、騎士や戦士に贈る花でもあり、旅先の無事を願うのに使われる。


「フィリーネの花ですね。どうしてこの図案を?」

「ええと、旅が多いと聞いたもので、その安全を。あと、フィリーネの花は薬草にもなるので、健康にも効果があるといいなぁ……って」

「金色のリボンは?」

「旅の間、お金に困らないように。ちなみに麦は食べ物で、風は旅の間の健康と安全を祈ります。フィリーネの花と合わせると、効果が倍になると思って」

「なるほど。理に適っていますね」


 大切に使います、と微笑まれる。

 とんでもない美形にそんな事を言われてしまい、フィアは身をのけぞらせた。


「あなたの刺したものは、聖布の刺繍とよく似ている。加えて、使用者のことを考えた図案と、それを即座に刺せる能力。……これ以上は、言う必要もないでしょう」


 そう言うと、彼は周囲を見回した。

 今や村人の見る目はすっかり変わっていた。


 寝る間を惜しんで刺繍を行うルーナと、何ひとつ手伝わないフィア。

 人のために働くルーナと、ひとつも刺繍を仕上げられないフィア。

 駄目な友人を見捨てない心やさしき少女と、それにしがみつく彼女の友達。

 それがすべて引っくり返ったのだ。


(……おまけに)


 よく見れば、ルーナの刺繍は以前よりも下手になっていた。

 フィアに押しつけていたせいで、腕がなまったのだろう。

 皮肉なものだ。少しずつでも努力していれば、今ごろはもっと上達していただろうに。


 上手とは言えないまでも、こんなみっともない仕上がりにはならなかったはずだ。

 だが今、それを言っても仕方ない。


 ルーナがうつむき、真っ赤な顔で黙り込む。

「心やさしい美少女ルーナ」の化けの皮が剥がれた瞬間だった。


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