14.君の魔力を注ぎなさい
「――やれやれ」
コツ、という足音が響く。
「ここまでとは思いませんでしたが……まあいいでしょう。予想以上に、あなたの刺した部分は少なかったということですね」
口を開いたのは神官さんだった。
「違っ……これは、何かの間違いで……っ」
「間違えるはずがありません。私の魔力で、刺した人間の魔力を可視化させたのです。これは間違いなく、あなたが刺したものでしょう」
「違うわ! これは――そう、フィアが何かしたからで……っ」
「フィア? 刺繍を手伝ったという、もうひとりの娘のことですか?」
「ええ、そうよ。フィアが全部悪いのよっ!」
言うに事欠いて、フィアに責任をなすりつけようとしてくる。だが、彼はそれを一蹴した。
「彼女は何もしていない。魔力がそう言っています」
「そんなはずは……っ」
「それともあなたは、私の言葉を否定すると?」
紫の瞳がルーナを見る。彼の言葉は王都にいる神官長の発言にも等しい。それを否定する事は、女神の発言を否定するという事だ。
「あ、あたし、そんな……っ」
「技術が伴っていないのはまだしも、誠意も、敬意も伴っていない。真心も……これは言うまでもありませんね」
ちらりとルーナの指先を見、すべすべなのを確認して嘆息する。
「長い時間刺繍をすれば、痕跡が残るものです。針を持ち続けた指先、糸をしごく指、布を持つ手の形。あなたには、そのどれもが欠けている」
ルーナが顔を赤らめ、さっと両腕を隠す。
それを気にする様子もなく、彼は淡々と後を続けた。
「模様が複雑になればなるほど、糸と向き合う時間が増える。手を荒れさせろと言っているのではない。刺繍をする手かどうか、私には見ただけで分かります」
「なっ……そんなの……っ」
「それだけではない。あなたは刺繍の重要な部分にだけ、一針ずつ刺している。まるで手柄を横取りするように。あなたの魔力で上書きすれば、すべてが光る。そうやって、今までも人の手柄を奪っていたのではありませんか?」
「嘘よ! そんなことしてない!」
「では、確かめてみましょうか」
フィア、と名前を呼ばれた。
「君の魔力を、この聖布に注ぎなさい」
「は……?」
「できるでしょう? 自分の魔力を注ぐだけです」
当然のように言われたが、聖布が光らなかったのは経験済みだ。
そもそも、フィアには魔力がほとんどない。ルーナの魔力で上書きされている今、模様どころか、糸の一筋を光らせるのも不可能だろう。それが分かっているのか、周囲も怪訝な顔をしている。
「大丈夫ですから、やりなさい」
「いや……でも……」
「やりなさい」
「無理に決まって……」
「――やれ」
最後は命令だった。
顔を引きつらせ、フィアは聖布を受け取った。
「無駄だと思いますけど……」
「私は何度も言わせる馬鹿と、往生際の悪い馬鹿が嫌いです。いいから、やりなさい」
あぁん? と脅しつけられるような目線に押され、フィアはしぶしぶあきらめた。
(無理に決まってるのに……)
なけなしの魔力をかき集め、それを聖布に注ぎ込む。
ルーナに比べ、ほんのわずかな魔力だった。
模様にすれば、花のひとつも光らないほどの。
だが――、
次の瞬間、聖布が光り輝いた。
「え……えっ、ええっ?」
フィアの魔力を吸収して、布全体がまばゆく光る。それは明らかにルーナよりも明るく、美しく、清らかな光だった。
その光がすうっと消えて、次いで模様が輝き出す。
それは幻想的な光景だった。
初めに刺した部分から、ゆっくりと光が広がっていく。まるで花が咲くように、光の糸がつながって、美しい模様を織り上げていく。
それはフィアが刺したものだった。
一針一針、心を込めて刺した刺繍だ。
それがフィアの記憶の通りに、光によって再現されていく。
「な、なんで?」
「なんでも何も、君が刺したのだから当然でしょう。私はそれが見えるよう、少々手助けしただけです」
そんな事を言っている間にも、光はさらに美しく、その輝きを広げていた。
葉は瑞々しく、花びらはふっくらと。流れる水はとめどなく。麦の一粒一粒でさえ、くっきりと聖布の上に浮かび上がっていく。
「なるほど」
それを見ていた神官さんが呟いた。
「やはり君は筋がいい。花の仕上げが見事ですね」
「あ、それは、糸を重ねて、少しずらして……」
「魔力はお粗末ですが、よく刺してある。まさに卓越した技術です。これだけの刺繍を完成させられる者は、王都にもほとんどいないでしょう」
見事です、と彼がふたたび口にする。
「美しいだけでなく、細部まで丁寧に、誠実に。何よりも、心がこもっているのが分かる。だからこそ言いましょう。これは君の刺繍ですね?」
「それは――」
「違う、あたしのよ!」
答えようとしたフィアにかぶってルーナが叫んだ。
「ひどいわ、ひどい! 二人がかりであたしを陥れるつもりなのね!」
「ルーナ、何を……」
「こんなの、いんちきよ。でたらめだわ! 神官様までグルになって、みんなをだまそうとしてるんだわ!」
ねえみんな、とルーナが顔を上げた。
「みんなはどっちを信じるの? 刺繍の得意なあたしと、そうじゃないフィア。あの子が仕上げたものなんて、この村にはひとつもない。それなのにこんなすごい刺繍、できるはずないじゃない!」
「それはルーナが取り上げたからで……」
「なるほど、それもそうですね」
そこで神官さんが口を挟んだ。
「では、それも証明してみましょう」
すい、と彼が指を上げた。
目の高さより少し上に持ち上げられた手。その中指に、金色の指輪が嵌まっている。
彼が何事か唱えると、指輪がパアッと輝いた。
聖なる輝きが神殿を包み、中にいた人々に降り注ぐ。それを見ていた彼らは、やがて驚いた顔になった。
「お……おい、なんだ、これ?」
「刺繍が光ってる……」
「どうなってるんだ?」
先ほどの聖布と同じように、彼らの体が光っている。
正確に言えば、服や小物に施された「刺繍」が。
ほんのわずかな輝きだが、確かに光をまとっている。
それはすべて、フィアが刺したものだった。
(――怪我をしませんように)
声が聞こえたのはその時だった。
(――病気が治りますように。熱が下がって、早く元気になりますように)
(――結婚おめでとう。幸せになりますように)
(――遠くの町へ行くなんて心配。何事もなく帰ってこられますように)
「これ……フィアの声?」
誰かが呆然と口にした。
(――赤ちゃんが無事に育ちますように)
(――仲直りが早くできますように)
(――悲しみを癒すことができますように)
(――毒蛇除け。絶対絶対、噛まないで!)
(――これを受け取った人が、いっぱい幸せになりますように)
それは刺繍に込めた思いだった。
ルーナの魔力で上書きしても、消える事のなかった痕跡。
ほんのわずかだけ残された、フィアの魔力だ。
本来なら見る事もできないほどのかすかな気配。とっくに書き換えられたと思っていたのに、まだそこに存在していた。
消されてしまったわけでも、塗りつぶされてしまったわけでもない。大量の魔力によって、見えなくなっていただけだ。
神官さんの力により、それが形となって顕れたのだ。
「刺繍に込められた魔力を増幅させました。一時的にですが、刺し手の思いが伝わります」
普段は目に見えず、触れられもしない。もちろん声も聞こえない。瞬きよりもかすかな、ささやかな祈り。それはきっと、誰にも気づかれずにいるのだろう。心が誰にも見えないように。
ですが、と神官さんが口にした。
「込められた『思い』だけは、確かにそこにあるのです」
そしてそれは、もうひとりにも言える事だった。
フィアの輝きがすうっと薄れ、上から強力な魔力が覆う。
丁寧に作り上げられた刺繍に、一針だけ違う魔力が加わる。
花なら花びら、小鳥なら心臓、紋章なら中心部分――。
ぶすりと針を刺し込んで、強引に魔力を書き換えていく。
圧倒的な、その力。強大で強力な魔力。
込められた思いを踏みにじり、暴力的にねじ伏せる。
それと同時に、村人の耳はその「声」も受け取っていた。
(――あーあ、めんどくさい)
少しうんざりとした、高い声。
(――こんなのやってられないわよ。何が祝福? ばっかじゃないの)
その声を聞き、村人達がざわついた。