12.誰だあの人
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神殿に着くと、すでに大勢の村人が集まっていた。
彼らの中心にいるのはルーナだ。彼女は聖女が着るような美しいドレスに身を包み、聖布を手に立っていた。
「あら、フィア。来たの?」
すぐにフィアを見つけ出した青い瞳が、意地悪そうに細められる。
「……来たよ。だって、それを刺したのは私だもの」
その言葉にぴくりとルーナが反応する。まだフィアが逆らうとは思ってもみなかったのだろう。表情は余裕を装っていたが、内心ではピリピリしているのが分かった。
「まだそんなこと言ってるの? これはあたしの聖布よ。魔力もそう言ってるわ」
「違う。私が刺したものだよ」
そこでフィアは一歩踏み込んだ。
「それを一番よく知っているのは、他の誰でもない。ルーナでしょう?」
「…………」
ルーナがわずかに眉を動かす。彼女の機嫌を損ねたのがよく分かった。
これでこの先、村で暮らしていく事は大変になるだろう。けれど、黙って全部奪われるくらいなら、ほんの少しでも立ち向かいたい。
「聞いた、みんな? フィアがこんなこと言ってるわ」
案の定、ルーナが周りの人々を味方につける。
「なんだ、昨日あれだけ言ったのに。まだそんなこと言ってるのか、フィア」
「ルーナに迷惑をかけるなって言っただろう。どうして分からないんだ」
「今日はルーナの晴れ舞台だってのに、邪魔するなら帰ってくれ」
口々に発される言葉が、フィアに遠慮なくぶつけられる。それに傷つくよりも、真実を明らかにしたい気持ちの方が強かった。
「じゃあ、どうやって刺繍したの?」
「は?」
「その刺繍、どうやって刺したの。ルーナが刺したなら、分かるでしょう?」
聖布は単調な作業のほか、恐ろしく複雑な模様もあった。簡単なものでさえ投げ出したルーナに、最難関である部分が刺せるはずもない。それを指摘すると、ルーナの顔色が変わった。
「ルーナならできるさ。なぁ、ルーナ?」
「え、ええ。その通りよ」
焦ったように頷いたが、ルーナの顔色は悪い。どうにか話をそらそうと、視線をあちこち動かしている。フィアはぐっと力を込めた。
「じゃあ、刺してみて」
「なっ」
「できるでしょう? 本当にルーナが刺したなら」
ここが勝負だとフィアは思った。
それ以外にルーナの嘘を見破る術はない。魔力で判断できない以上、他に方法はないのだ。根拠といえばあまりにも頼りない、ただの提案。言いがかりと取られてもおかしくない。それでも、ルーナはきっと焦るだろう。彼女には絶対に刺せない模様だ。
(これで駄目なら……)
どちらにせよ、フィアの負けだ。
「……いい加減にしてちょうだい!」
突然ルーナが涙声を上げた。
「いくらなんでもあんまりよ。今日はせっかくの日だっていうのに、どうしてあたしを困らせるの?」
「ルーナ……」
「これ以上何か言うなら、出ていってちょうだい。みんなもそう思うわよね?」
大きな目に一杯の涙をためるルーナに、男達が反応する。
「お、おお。そうだな」
「ルーナの邪魔をするなら、神殿から出ていってくれ」
「ルーナは大切な刺し手なんだ。悲しませるわけにはいかない」
腕をつかまれて神殿から引きずり出されそうになり、フィアは身を固くした。
(駄目か……)
せめて刺繍をしてみせるところまで粘りたかったが、きっとルーナに邪魔されただろう。腕をつかむ手は容赦なく、フィアの手首を締め上げていた。
(ここまでみたい。ごめんね、旅人さん)
槌は入れた。誰も信じてくれなかったけれど、言うべき事は言ったと思う。
だからできれば、あの毒舌は封印してくれるといいのだけれど――。
その時、慌てたような足音が近づいてきた。
「神官様が到着したよ!」
それを聞き、はっと彼らが振り返る。
王都から来た神官の前で醜態を見せるつもりはなかったらしい。彼らはフィアから手を離した。ほっと息を吐いたが、時間切れかとフィアは思った。
「残念だったわね、フィア」
耳元でこっそりとルーナが囁く。
「これであたしが聖布の刺し手よ。せめてもの情けに、近くで見ることは許してあげる。聖布があたしの魔力で輝くところ、じっくり見せてあげるわね」
「……そんなことしたって、ルーナの腕が上達するわけじゃないのに」
「あら、分かってないのね。刺し手に選ばれたことが重要なのよ。お金持ちの奥さんにでもなれば、刺繍なんてしないで済むわ。聖布の刺し手ならきっと、引く手あまただもの」
最初は刺繍を求められるかもしれないが、それは人を雇えばいい。
フィアにしたように口止めもできるし、金を払えば問題ない。
本当に刺繍ができるかどうかは重要じゃないのだと、彼女は馬鹿にした口調で言った。
「もしかすると、王都にだって行けるかもしれないわ。あたしはこんなに可愛いんだもの。あなたの分までたっぷりいい思いをさせてもらうわ。悪く思わないでね、フィア」
そう言うと、フィアから興味を失ったように離れていく。ふわりと聖布が揺れて、羽のようにたなびいた。
神官が現れたのはその直後だった。
最初に目に入ったのは薄青の衣だった。
ごく薄い色合いのため、遠目には純白と見間違うほど。ピンと張りつめた美しい布に、銀糸で刺繍が施されている。その細かな模様に見覚えがあったが、すぐには思い出せなかった。
肩には紫色の房飾り。確か最高位に近い神官にのみ許される色だ。彼のは少し青みがかっていて、誰かの瞳を思わせた。
彼は何事か村人に告げ、供を断ってひとりで歩く。
耳に心地いい、すっとした声だった。
そこで思い出す。彼の服の刺繍。あれはつい最近自宅で見た――。
「王都から参りました、神官長代理ユリウス・グラディール。この度、聖布の確認に参りました」
そこにいたのは、フィアが「旅人さん」と呼んでいた青年だった。