11.もっと力を抜きなさい
***
翌朝の事だった。
「王都から神官さんがやってくるんだって!」
村中をその知らせが駆け巡った。
「ずいぶん早いじゃないか。どうしたっていうんだ?」
「さあ、それがよく……。噂じゃ、素晴らしい聖布を一刻も早く見たいからって話だったけど」
「もう王都にまで話が届いてるのかい? そりゃすごい」
(旅人さんだ)
何の根拠もなくフィアは思った。
どうやったのかは分からないが、彼が話をつけてくれたに違いない。そうでなかったら、こんなにも都合よく王都からの神官がやってくるはずがない。
まさか王都にツテがあるのか。いくらなんでも神官本人と知り合いとは考えられないから、何らかのコネがあるのだろう。それだけでも十分すごい。
(ほんとに何者なんだろう……)
神官は供も連れず、ひとりでやって来るらしい。聖布の刺し手は神殿に赴き、聖布を見せる事になっていた。
またあの場に行く事を思うと足が震える。
やっぱりやめようか、どうしよう――と考えていると、入口の扉が叩かれた。
「戻ってきましたよ、フィア」
「旅人さん……」
そこにいたのは、会った時と同じぼろぼろのマントをはおった青年だった。
「まだ支度ができていないようですね。急がないと間に合いませんよ」
「でも……」
「君が嫌なら、ここで待つことも可能です」
その声は思いがけず穏やかだった。
「それを責めることはできません。理不尽だとは思いますが。ですが、それも選択のひとつです」
そうしても構わないのだと、ゆるやかに逃げ道を用意してくれる。
「立ち向かうには、それなりの覚悟がいる。傷を負うこともあるでしょう。余計な軋轢を生む心配もある。村という小さな社会において、それがどれだけ重大な結果を生むか、私も理解しているつもりです」
「私……」
「怖いなら、寄り添うこともできますよ。かいがいしく付き添ってあげてもいい。ですがフィア、君はどうしたいですか?」
その言葉はまっすぐにフィアの胸を捉えた。
「――行きます」
「一緒に行きましょうか?」
「いいえ、ひとりで大丈夫です」
きっぱりと首を振ったフィアに、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
「それでこそ、私が見込んだ刺し手です。では、おまじないをして差し上げましょう」
「おまじない?」
「ちょっと頭をお借りします」
そう言うと、彼はフィアの額に軽く触れた。どきどきするような感覚が数秒、次いで、ピンとはじかれる。
「痛っ!?」
「おでこに力が入っていますよ。あと肩も。もっと力を抜きなさい」
「口で言ってくれません?」
「こっちの方が分かりやすいでしょう。――ああ、いい具合に体の力が抜けましたね。上出来です」
言われて胸に手をやると、確かに力みが取れていた。むむむ、とフィアが眉を寄せる。
(正しいんだけど……正しいんだけど、なんか……っ)
「君ならやれます。自分の力を信じなさい」
「……旅人さん」
「まずは自分の主張を明確になさい。本来ならば証拠を揃え、考えを整理し、根回しまで済ませておくべきです。ですが、今日は私が代わりましょう。君は大船に乗ったつもりでいなさい」
「は、はい」
「怒られても、詰られても、言うべきことは言いなさい。君が全部出し切った後、真実は必ず明るみに出ます」
だから心配するなと背中を押す。フィアはこっくりと頷いた。
「行ってきます。――頑張ってきますね、旅人さん」
「ええ。私も後から向かいますよ」
そういえば、彼は完成した聖布を見るのを楽しみにしているのだった。願わくば彼が到着した時、ひとりでも信じてくれるといい。
誰も信じてくれなくても、旅人さんだけは信じてくれる。
それだけでずいぶん心強いのだと、フィアはとっくに知っていた。