2.び、美人だ…………
「ごめんくださいまし」
それは突然の出来事だった。
「天邪鬼」という鬼に押し掛け女房をかました私は、今日もまた元気に屋敷で家事をしていた。そして、今日は珍しく「天邪鬼」が屋敷を空けていた。
『絶対に余計なことはするな』
そう言付けられ、彼は屋敷から出かけた。
意訳すると「心配だから、大人しくしてろ」だ。
まったく、素直じゃないんだから。
「はいは~い」
ひねくれた「天邪鬼」に心配されたことが嬉しくて浮かれていた私は気づけなかった。
――――この屋敷に人が訪れることがないことを。
【「天邪鬼」視点】
屋敷にナナシだけを残していくのは初めてのことだった。
しかし、今日の呼び出しを無視するわけにはいかず、身を切る思いで屋敷を去った。
雲海を抜けると、相変わらず憎らしいほどの光をまとった都が現れた。
(忌々しい)
大通りを歩くと、皆が一様に窓と扉を閉めた。
地上でも天界でも疎まれる自分を鼻で笑った。
少し前の自分であれば、怒り狂って家の一つや二つを破壊していただろう。
だが、そんなことをしている暇はない。
一刻も早く帰らなければ、彼女が何をやらかすか分かったものではない。
(…………はっ。俺も変わったな)
この変化は、彼女がもたらしたものだ。
そう思うと、俺の胸には甘美な感情が広がった。
都の中央にある一際目立った黄金の城。
その天守閣の入り口を蹴破り、中に入る。
「なっ!」
「あのお方は…………!」
「ひいい!」
慄く小物どもを蹴散らし、神坐に座るあいつを見据える。
相変わらず胡散臭い笑みを浮かべた城主は、俺を見て目を細めた。
「久しいな————弟よ」
「俺は二度とその面を見たくなかったがな」
兄である「天御柱」は悠然と笑っていた。
時を同じくして、「天邪鬼」の屋敷では二人の女が膝を突き合わせていた。
「う、瓜子姫!?」
「はい。わたくしは天界に住まう神の一人、瓜子姫でございます」
とんでもなく高貴な方が屋敷に来てしまった。
最初は扉を開けてあまりの美しさに目を見張り、今はあまりの身分の高さに目を見張っている。
…………というか、神が全然気楽に地上に降り立つ世界なんだ。やばいね。
新緑の髪は艶やかで、瞳はタンポポのように明るい山吹色。
肌は陶磁器のように白く、儚げな美貌の美女だ。
(神様、半端ない)
語彙が死滅するほど美しい容姿。
そんな御仁がなぜこの屋敷を訪れたのかというと。
「天邪鬼さまに、御用があって」
ポッと頬を染めるその姿は、まさに恋する乙女!
なんて尊いんだ!
(…………ん?恋する乙女?)
ふと、嫌な予感した。
そして、己の身分を振り返って見ると。
(え”、まって。私、天邪鬼の…………嫁?)
まずいまずいまずい。
このままでは馬に蹴られるどころではない。
牛車で市中引きずりの刑に処されても文句は言えない…………!
「あの、え、えっと、失礼ながら貴女様は…………天邪鬼、さまの…………」
「ええ、実は許嫁、ですの」
恥ずかしそうに答える瓜子姫に、顔色が真っ白になった。
今なら白雪姫にも負けない肌色になっている気がする。
「そ、そうなんですね。実は、天邪鬼、さまは現在不在でして」
「あら、そうなのですね…………。わかりました、またお伺いいたしますね」
「は、はい!」
そうして見送った後ろ姿は、やはりとても美しかった。
「帰った————」
「天邪鬼ーーー!!」
「!?」
夜になり、やっと帰って来た天邪鬼の胸倉をつかむ。
そして、グイグイと引っ張って居間へと連れてきた。
「うぐっ、いきなりなんだ!」
気色ばんだ天邪鬼は私の顔を見て意気消沈した。
それほど、私の顔は冷たい顔をしていたのだろう。
しかし、そんなことに構っていられない。
私は今、恋路で馬に引かれるか否かの瀬戸際なのだ。
「天邪鬼、二股はダメだよ。そして、不倫はなによりも禁忌だよ?」
「な、何を言ってるんだ?」
この時が人生で最も恐怖を感じたと、天邪鬼は後に語った。
「瓜子姫という者がありながら私と結婚するなんて!こんなの離婚だ!」
「は!?誰だ!瓜子姫って!」
「なっ!許嫁の名前すら把握してない…………!?」
驚愕のあまり、尻餅をついて後ずさる。
「俺に許嫁はいない!いたらそもそもお前と結婚するわけないだろ!」
結婚。
ふと、その言葉にひっかかる。
確かに私と「天邪鬼」は結婚している感じで、離婚するだのしないだのと軽口を言い合っていた。しかし、そもそも私たちは結婚式を挙げた覚えがない。
つまり、私たちは夫婦ではなく、ただのルームメイトなのでは?
「あ、ごめん。私たちってそもそも結婚してないかも」
「はあ!?同じ飯を食って同じ屋根の下で過ごしてんだから、結婚してるも同然だろうが!」
なるほど、事実婚という概念がこの世界にもあるらしい。
それならばやはり、正式に離婚の手順を踏んだほうがよさそうだ。
「そ、その、式を挙げたいっていうなら別に、挙げてやらんことも…………」
「よし!離婚式をしよう!」
「なんでだよ!あとなんだよ離婚式って!」
離婚式を知らない天邪鬼に軽く式の内容を説明する。
「裂人っていう結婚式でいうところの仲介人呼んで挨拶してもらって、旧郎旧婦で結婚指輪を割ったり、顔面に向けてパイを投げ合ったりする式だよ」
「とんでもない式だな!というか離婚しないっつってんだろ!」
「私たちの場合、指輪とかはないけど、パイ投げはしようね」
「だからしないっつってんだろ!」
「そっか…………じゃあ、ブーケトスはさせてあげるよ」
「だからなんなんだよ!それは!」
そっか、ブーケトスは西洋の結婚式だから馴染みがないのか。
「言っとくが、今お前が考えてることは絶対に違うからな」
「脳内まで把握してくるなんて、流石は神様」
「ああ—―――って、なんで俺が神だと知ってるんだ…………?」
「え、瓜子姫が教えてくれたよ」
話題が瓜子姫になったことをこれ幸いと思い、彼女のことを懇切丁寧に教えてあげた。
「――――――そうか、そういうことか」
天邪鬼はあの兄が言っていた「贈り物」が、何だったのかを理解した。
あの兄は本当に余計なことしかしない。
「ナナシ」
「はい!」
改まった感じで名を呼ばれ、背筋を伸ばす。
そして、新たな住処が見つかるまではこの屋敷においてほしいなぁと頭の隅で思った。
「離婚は、しない」
「え」
「絶対に、だ」
「え」
正直、彼のこの言葉は想定外だった。
だって、いつもなにかと離婚すると言っていたから。軽口だとわかっていても、いつか離婚される可能性は頭の隅に置いていた。なぜなら、私はただの生贄で、本当の花嫁ではないから。
(それに、神様同士で結婚した方が生活的にも楽だろうし)
人と神との結婚は、正直障壁しかないだろう。
寿命とか、価値観の差異とかも人同士の結婚とはレベルが違うだろうし。
「い、いやでも、瓜子姫が」
「この話は終わりだ。飯にするぞ」
この日から、「瓜子姫」と「離婚」という言葉が禁句になった。
(いや、軽口だとしても、あんだけ離婚するって言ってたのに!?)
納得がいかなかったが、新しい住処を見つけなければ今後生活できないこともあり、今しばらくは大人しくしていることにした。