epi.1
不整地の砂利道を全力で疾走する。何度も周囲を見渡して、まるで追っ手を警戒する犯罪者のように周辺の警戒を怠らない。
雨水を含んだ砂利は私が足を踏みしめるたびに飛沫をあげて、愛用しているスニーカーとジーパンの裾に泥を撥ねつける。
時刻は夜の七時、この時間帯の田圃道はひどい暗闇だけが蔓延って、足元すらおぼつかない。
ただコオロギの絶え間ない鳴き声が空に響き渡る。
私は手に持ったスマホの光を頼りに、駅まで続く果てしない道を駆けていく。
十八歳になると同時に、私はこの忌々しい実家を飛び出すことにした。
そもそも十八歳を迎えたのが今から二週間前であるが。
ほぼ家出と遜色はないが、幸いにもそれを気に留める善良な友人も、妨害する常識人の血縁者もいなかった。
いや、もしかしたら単に興味がないあまりに気付いていなかったのかもしれない。
とにかく私は成人して漸く、それにしてはいとも簡単に家を抜け出せた。
家から出てから暫くは無我夢中で走り続けたが、何度も道を振り返る度に誰も追いかけて来ていないどころか、すれ違う人すらいないことに気づき、私はほんの少しだけ気を抜いて歩くことにした。
ここから駅まで数百メートルはある、これ以上やみくもに走ってばててしまえば、それこそ考えうる中で最悪な結果につながりかねない。
急に歩き出した所為で心臓の動悸が激しくて不快な気持ちになる。
駅までの道のりは億劫になる程遠く、その割には平坦で風景に変化が少なく味気ない道である。
そんな変わり映えしない退屈な道路を歩いていると、一台の自販機と古びたプラスチック製の長椅子が寂しげに置いてある場所に辿り着いた。
ここは所謂休憩場で、よく田んぼ作業している人間や道行く人が利用することが多い。
ここまで来たならおそらく半分までの距離には到達しただろう。
私はそこで初めて長らく走らせていた足を留めて、自販機の前へと近づく。
自販機の内容はつまらないものばかりだが、その分不自然なまでに安い、これは田舎の特権だろう。
尻ポケットに入ってた小銭をすべて取り出して、その中から五〇円玉を二枚だけ片手に残し、残りは元の場所に突っ込む。
錆びた貨幣の投入口に突っ込み、聞いたことのないメーカーの飲料水ペットボトルを購入する。
一口飲むと、ほうっと不意に溜息が出た。
少し落ち着くと、ふと今までの記憶が脳裏に浮かびはじめた。
この十八年間、本当に無駄でゆがんだ人生を過ごしてしまったとしみじみ思う。
小さい頃から家の手伝いという名の労働を強制させられ、父親は無関心でそのくせまともには稼げず常に母とはけんかするし、中学受験に失敗してから分かりやすくグレた兄は私にいつも暴力をふるった。
妹はそんな私を黙ってみていた、まあ中学生にもならない子供が異論を唱える事なんてできないし仕方ないといえば仕方ない。
勿論大学には行かせてもらえず、それどころか強制的に結婚させられこの町で一生奉仕して死ねと言われれば誰でも逃げ出したくはなるだろう。
そしてつい一週間前に初めて見合い婚について伝えられ、そのままの流れでお見合いをさせられるという前代未聞の暴挙を行われたことが決め手となり、私は初めて家から逃げ出す決断を下せたわけである。
まさか高校卒業した翌日に結婚させられそうになんて誰が想像できるだろうか。
さて、一休憩入れたしここから半分頑張ろう。
ペットボトルのキャップを占めて立ち上がると同時に、ふと遠くから何かしらの人工的な音が聞こえる。
その音は徐々に大きくなっていき正体を現した。
軽いエンジン音とともに原付がこちらへと走ってきて、光がなかった道を大胆に照らす。
こんなところで会いたくないのにと思いながら、帽子を深く被り早急にこの場から離れよう
そう思ったのもつかの間、目の前まで迫ってきていた原付はスピードを落としたかと思えばなぜか停車し、エンジンを付けたまま運転手が降りてこっちに来ようとしている。
心臓の鼓動がわかりやすく加速する。
そして、私はその運転手の顔を見て、本当に私は運がないことを今日一番に呪った
「長江?」
図々しく私の名前を呼ぶ聴き慣れた声に、私の心の底から不快感と恐怖が芽生える。
こいつは今まで私にしたことを覚えているのか覚えていないのか、何食わぬ顔で私のそばまで歩み寄ってきた。
名前も言いたくない男は私が聞こえてないのかという疑問の表情でもう一度声をかける。
「なんでここいんの」
私は咄嗟に立ち上がって目の前の小太りの男から距離をとる。
「あんたに関係ないやろ」
できる限り冷たい声音とあからさまな態度をとって自身の気持ちを隠す。
「関係なくはないやろ」
まるで私に関することに決定権を有する人間のように振舞う姿に、今度は無性に怒りがこみ上げ、しかめっ面で睨みつけ、きつく言い放つ
「ただ散歩してましたこれで満足?」
「そんな顔すんなよ」
こんな男と会話するだけ疲れる、それに今はこいつの相手をしている暇もない。
俯いたまま、一刻も早く立ち去ろうと無言で足を運び始める。
「・・・」
「どこ行くん」
男は逃げようとする私の腕を無遠慮に掴む、ここまで他人に配慮しないなんてどれだけ周囲から甘やかされて育てられたか想像に難しくない。
振りほどこうにも目の前の男は私の腕強く握って離そうとしない
このままでは埒が明かないので、渋々ながら手短に反論する。
「言う必要なくない?」
「いやある。お前は俺の嫁や」
「はっ」
思わず口から乾いた笑いがこぼれ出る。
ここまで腐ってるなんて本当に救いようがない。
「まだそんなこと言ってんねやな。私がどれだけ嫌なのかも知らんくせに」
少しだけ言い返すつもりが、一度開いた口からは驚くほどつらつらと、今まで私の奥底にため込んできた負の感情のほんの一部が湧き出し、声となって姿を現す。
「今は嫌かもやけどすぐ慣れるって」
「黙れやうざいな、てか触んな汚い」
今度は突き飛ばして無理やり離れようと試みる
相手は踏ん張りがきかなかったのか後ろへともつれて、あっさりと手を放す。
「お前、ほんまに散歩か?」
思わずドキッとした。
目の前にいるやつがこんなことに気づくはずないと思ったのに、一番勘付かれたくない嘘を暴こうとしている
声音を取り繕って返事をする。
「散歩以外に何かあるん?」
「てかほんときもいな、分からん?うざい言うてんのこっちは、二度と話しかけんな」
話題を切り替えるように暴言を吐くと、私は駅まで続く道を無理やり歩き始めた。
「ちょ、おい待てや」
「まあええわ、どうせお前は俺の家来るねんから、いつまでもそんな態度でおれる思っとったら間違いやからな」
後ろから最低な捨て台詞が聞こえるが、そんなものに反応する余裕がなかった。
何も考えずにただ歩いた後、また後ろが気になって振り返る。
既にあの男の姿も、自販機たちの姿も消えていて、また普段の暗闇しか残っていない。
「ほんまにきもいきもいきもいきもいきもい・・・」
持っていたペットボトルの水で、あの男に握られた個所を洗う。
中身いっぱいまで使っても、見えない汚れが取れずべったり付着しているように感じて気分が悪くなる。
「なんで私ばっかこんな目に合わんといかんの」
弱弱しく嘆き、とにかく駅まで急いだ。
意図せず溢れる涙を、長袖で拭っていると、気付けば駅の改札までたどり着いた。
ここは無人駅の為普段から駅員もいないし、幸い時間帯の都合上知り合いもいない。
改札口で切符を買う、本当はICカードを使う予定だったが、足がつくことを考えると不用意に使用するわけにもいかない。
改札口に切符を通してホーム内に入る、道中トラブルにはあったが目標の時間までにはぎりぎり間に合っている。
そんなこんなしていると、目につく距離から緑の電車が二両編成でやってくる。
私はそれに駆け込んで、空きに空いた座席に腰を下ろし、電車の入り口を見つめる。
誰も来ませんようにと。
そう願っていると、すぐにドアは閉まり、女性の機械音声とともに電車が発信する。
後ろの窓から何も考えず無心で外の景色を眺める。
私が産まれて十八年近く過ごした土地が遠くてもはっきりと目に映った。
忌々しくも事の呆気なさからか、抜け出した実感が湧かない。
二両だけで編成された可愛らしさ電車の車窓からは、ただ遠くで小さな煙をあげる家々とだだ広い田んぼ、それから象徴的な二つ