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アルベールとの対話が終わり、アメリーは家に帰るべく、リシャール家の長い廊下を歩いていると、扉の奥から誰かが本を乱暴に閉じる音が聞こえた。
アメリーが足を止めると、扉が勢いよく開かれ、男が一人、廊下に出てきた。
アメリーの顔を見つけるや否や鋭い目つきで睨みつける。
「……あんたが視える女か。」
吐き捨てるようにそう言った青年。
彼の年齢はアメリーとそう変わらないように見える。
目付きは鋭く、警戒心と苛立ちが混ざっている。
金茶の髪に青が少し入ったような灰色の瞳。
アメリーは一目見て、アルベールの弟、ジャック・リシャールだった。
「赤の他人のあんたが、兄さんの死に、首を突っ込む気か?」
「依頼を受けたのです。アルベールさんご自身から。」
アメリーが淡々と返すと、ジャックは、はん、と鼻を鳴らした。
「死人に口なし、のはずだが……そもそも、死者と会話ができるとして、あんたは死者の言葉なんか信じるのか。そんなことに時間を使う暇があるなら、あんたも家から逃げた方がいい。」
「逃げる理由があるのですか?」
「さぁな。ただ、この屋敷にいるのは呪いを終わらせたいやつか人生を終わらせたいやつか……そのどちらかがいるだけさ。」
その言葉を残し、彼は踵を返して立ち去った。
その背中に、アメリーはジャックの激しく渦巻く感情を感じた。
怒りと、悲しみと、何か、深く重たいものを抱えた影。
翌日、アメリーは書庫で再び手記を読み返していた。アルベールの残した記録の中に、数行、ジャックに関する記述がある。
『ジャックは時折、父の部屋で長く過ごしていた。何を話していたのかは分からない。ただ、あの部屋から出てくるたびに、彼の表情が少しずつ違うものになっていった気がする。』
父ヴィクトル・リシャール――既に亡くなった前当主。
記述が気になったアメリーはその部屋を訪れた。鍵はかかっておらず、重たい扉は静かに開いた。
埃の積もった書斎。剥がれかけた壁紙、ひびの入った鏡。
机の上にだけ、手入れされた革張りの手帳があった。
ページを開くと、文字は乱れ、血のような赤いインクはところどころ濃く滲んでいた。読み取れたのは一文だけ。
『家の血が、家の者を選び取る。従えぬ者は、いずれ排される。』
アメリーは背筋を凍らせた。
この家では、呪いとは信仰のことだったのではないだろうか?
ヴィクトルはそれを信じていた?
ヴィクトルが死んでもこの呪いは続いているのに?信仰ではなく呪いだと本当に言うのか?
アメリーはいつの間にか書斎で眠っていた。
アメリーが目を覚ますと、アルベールの霊がゆらゆらと心配そうにアメリーを見つめていた。
「ジャックは何か知っているのでしょうか、あるいは、隠そうとしているのかもしれません。でも、私は今の時点では決めつけたくありません……」
アメリーの言葉にアルベールはぽつりぽつりと言葉を返す。
「彼は……僕とは違う道を歩こうとした。けれど、父の影は死んでなお深く続いた。選ばれた側として扱われることが、どれほどの重みか、君には分かる?」
「ええ、分かります。でも、選ばれなかった者の痛みも分かる気がします。」
アメリーの言葉に、アルベールは小さく頷いた。
「ジャックの中に、自分の人生を終わらせたいという想いがあるのなら、それは止めてほしい。」
「止めることが、彼を救うことになるとは限りませんよ。」
「だからこそ、君に託したい。僕ができなかったことを、君なら。」
アメリーは深く息を吐いた。
「分かりました。私は、すべてを視ます。ジャックが何を背負ってきたのか。そして、その先に何があるのか、だからもう少し時間をください。」
「ただ、一つ聞かせてください。あなたはどうしてそんなにも私を信頼してくださるのですか?」
「君とは生きている時に何度も会ったんだよ。その時は飼い犬のキャンディと一緒だったよね。」
アルベールの言葉にかつてのオルゴールボックスが開いて音が鳴るように、アメリー達の記憶が呼び起こされた。
人懐っこい犬と無邪気な笑みの少年が脳裏に蘇る。
「私が小さい頃、犬も一緒に遊びにきてたアルなの?」
「そうだよ、メリィ。ようやく思い出した?」
アメリーの幼い頃の記憶、淡い初恋の思い出までもが思い出されそうになり、アメリーは首を振った。
「アル、貴方はリシャール家の人だったのね。今まで気がつかなかったわ。」
「そりゃそうさ。継承やら公務やらが忙しくなってからは会いに行けてなかったし、幼い僕と成長したアルベールは別者に見えるのは無理ないだろう。僕とアメリーの思い出は穢れのない純粋な幼少期の数少ない記憶さ。僕はメリィ、君なら僕が成し遂げられなかった呪いを解くことができると思ってる。噂や能力だけじゃない、性格や行動力、観察眼を見れば信じられる。」
会いたかったと、アルベールはアメリーを抱きしめるそぶりをすると、ふわっと雲のように消えた。
その日、アメリーは不思議な感覚を感じながら屋敷を出て、家に戻った。
翌朝、アメリーの電話が鳴った。
リシャール家から一報が届いたのだ。
ジャック・リシャールが、昨晩屋敷を出て村外れの林で意識を失って倒れていたという。
右手首にはナイフのような物で切れた痕と血のついた布切れ。
胸元には父ヴィクトルの懐中時計。
ジャックは搬送先の診療所で一命を取り留めたが、まだ意識は戻っていない。
屋敷に沈黙が走る。
アメリーは、慌てて屋敷に向かい、門のところで立ち止まる。
ジャックが逃げたのではなく、追い詰められていたとするなら……この家の“何か”が彼を殺そうとしているのではないか。
そしてそれは、呪いと呼ばれるには、あまりにも人間くさい意思だとアメリーは感じた。
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