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数日後、コレット達の予定により屋敷に入れず、近くにあった公園のベンチでアメリーは時間を潰していた。
ふと、目の前に影が映り込み、ほのかに甘い香りが風に混ざり、アメリーの鼻腔をくすぐった。
顔を上げると、柔らかな笑みをした可愛らしい女性が目の前に立っていた。
「あなたがアメリーさん? 視えるって噂の。」
そうアメリーに尋ねた女性の顔をよく見ると、目元の紅がほんのり滲んでいる。
泣いていたばかりなのだと、アメリーにはすぐ分かった。
「……はい。何でも屋をしています。あなたは?」
「クリスチアーヌ・ボワイエです。ちょっとだけ、そこの……リシャール家に縁があって。あなたが最近よくあの家に出入りしてるから……って、ごめんなさい、初対面なのにこんな顔で……」
クリスチアーヌは、話している途中、アメリーの視線の先に気がついた。
彼女は、そう言って、手の甲で目元を拭った。
普段は明るく振る舞う人なのだろう。それが痛いほど伝わる涙の痕だった。
アメリーのところに来る生者の依頼主がよく見せる顔だ。
「……大切な人を、亡くされたのですね。」
「ええ。祖母です。例の疫病ではなく、持病で……幼い頃からずっと、私のことを見守ってくれてた人で……変な話だけど、まだ、私のそばにいてくれる気がするの。」
クリスチアーヌは目を伏せた。
アメリーはクリスチアーヌが纏う死者の残痕を辿りながら、クリスチアーヌに尋ねる。
自然豊かな公園では感じないはずのお菓子の甘い匂いがアメリーの鼻腔をくすぐった気がした。
「その方、お菓子作りが得意でした?」
「ええ……とびきりのチェリーパイを焼いてくれた。甘くて、でも少し酸っぱくて……私、あれが一番好きだったのに、レシピはもう残ってなくて。料理が苦手で私もちゃんと教えてもらおうとしなかったから。」
気丈に笑顔を作ろうとするクリスチアーヌにアメリーはつい口にしてしまう。
「……再現しましょうか?チェリーパイ。」
何でも屋は時間があれば、困った人が目の前にいれば助けてしまうものだ。
アメリーは自分の咄嗟にとった行動にそう言い聞かせた。
クリスチアーヌの表情を見れば、それが間違いでないことはわかる。
アメリーは、クリスチアーヌの家に向かい、キッチンに立つと、古いレシピ帳を調べ、冷蔵庫と保存庫を漁った。
「手伝ってくれますか?」
「……ほんとに、作れるの?」
「保証はしません。でも、祖母さまが残した記憶なら、辿れますから。」
ふたりで作るパイは、途中で生地が割れたり、砂糖をこぼしたり、見た目には少し不格好だった。
でも、焼き上がりの香りは、クリスチアーヌの記憶そのものだったようで、彼女は驚愕のあまり言葉を失っていた。
おそるおそるクリスチアーヌは震える手でパイを一口分とった。
「……これ、あの味だ。」
焼きたてのパイを口に運びながら、彼女は目を細めた。ほんの少し、涙を浮かべて。
「ありがとう、アメリーさん。まさか、もう一度この味に出会えるなんて思わなかった。」
「味は記憶と繋がってます。祖母さまが貴女に残したのは、料理じゃなくて、心の奥にある感情です。」
「……ほんとに、霊だけじゃなくて、人の想いも視えるのね、貴女。」
その後、クリスチアーヌがお礼にと淹れてくれた紅茶を飲みながら、クリスチアーヌはふと、ぽつりとこぼした。
「私、実はリシャール家の長男――ジョルジュ様の、元婚約者だったの。」
クリスチアーヌの言葉に紅茶を飲もうとしていたアメリーの手が止まった。
「……ジョルジュさんの?」
「ええ、私達、幼馴染で、仲が良くて……お互いをそれなりに理解していた。でも……急に彼が婚約破棄を言い出したの。どうするか話し合っていた間に彼が亡くなってしまって……私、彼の本意がわからなくて、彼が事故で亡くなる直前に、もう一度話し合ったの。あの時はわからなかったけど、本当は……」
そこから先の言葉は、紅茶の中に沈んでいき、クリスチアーヌが言葉を紡ぐことはなかった。
クリスチアーヌの目の前にある紅茶のカップの水面にはクリスチアーヌの複雑な表情を映していた。
クリスチアーヌの家を出ると、ちょうどコレットから屋敷に入ってもいいという連絡がきた。
アメリーはひとり屋敷を歩きなら、クリスチアーヌとのやり取りを思い返していた。
祖母の記憶、パイの味、ジョルジュという影。
この家には、語られなかったエピソードが、あちこちに転がっている。
そして、その沈黙の中に、誰かがそれを封じようとしている気配があった。
もしかしたら、クリスチアーヌ自身もまた、その封じられた誰かのひとりなのかもしれない。
アメリーはそう思った。
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