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屋敷の廊下には、静まり返っており、沈黙が満ちていた。
絨毯は厚く、歩くたびに足音が吸い込まれていく。
壁には誰かの肖像画。
少年少女と年老いた男と女。
誰もが優美で整っていて、まるで理想の家族を絵にしたようだった。
少し浮世離れしているような人たち。
アメリーは一枚一枚の肖像を見上げながら、微かな胸のざわめきを押し殺した。
まるで、お化け屋敷にでも来たような気分だ。
「こっちだ。客間はまだ片付いている方だから。」
アルベールが案内した先は、小さな応接室だった。
石造りの壁に大理石の暖炉、重たい緞帳が風を防いでいる。
幽霊とは思えないほど自然にそこに立っている彼に、アメリーは問いかけた。
「あなたの死、誰かが直接手を下したという確証は?」
「ない。ただ、体の感覚がおかしかったことだけ覚えている。息ができず、苦しかった。」
アメリーは頷いた。毒殺だろうか?絞殺だろうか?
だが、死因がはっきりしない以上、まずは“家”を見るしかない。
「この屋敷には、まだ生きているご家族が?」
「妹のコレットが残っている。姉のエステルもたまに顔を見せるよ。弟のジャックはほとんど顔を見せないね。今日はみんな留守みたいだ。もうここを住む拠点にする人はいなくなったよ。みんな近くの家を借りて、家族バラバラに住んでいる。」
アルベールの声にわずかな沈みがあった。
姉妹に会えない悲しみなのか、家に対する懐疑なのか、アメリーには判断がつかなかった。
「それと、俺の幼なじみのジュラールもたまに出入りしている。彼は頭がいいし、この家は何かのせいで、呪われていると思っている。彼も、君に会えば協力してくれるかもしれない。」
アメリーは、今ある限りある情報を整理しながら、部屋を後にした。
屋敷の本格的な調査は、翌朝から始まった。
まずはアルベールの寝室。
カーテンは閉じられ、空気は数週間前の死をそのまま閉じ込めている。
ベッド脇の床に落ちた金属のボタン。
机の上の未使用のインク瓶。
窓際に置かれたティーカップの縁に微かに残る口紅――でもアルベールは口紅を引かない。
では誰のものだろうか?
ふわりと香る花の香り。香るものなんてないのに。
部屋全体が問いを投げかけているようだった。
不意に、背後から足音。
足音からもわかる迷いのある歩み。
「お客様……?」
戸惑った声に振り向くと、栗色の髪の少女が扉の前に立っていた。
白いブラウスとシンプルなスカート。
年の頃は十七、いや十八か。
どこか不安げな表情を浮かべている。
アメリーは側から見たら明らかな不審者にしか見えないだろう。
「……あなたが、コレットさん?」
「あ、はい。先日電話をいただいた、ええっと……アメリーさん、ですよね?兄の……お世話に?」
その言葉に、アメリーの眉がわずかに動いた。
死者をお世話とは、妙な言い回しだ。
だが、問い返すのはやめた。
コレットの様子は、何かを知らないというより、触れたくないという風に感じたからだ。
口調は柔らかだが、会話をしたくないといった気持ちがアメリーには伝わった。
「あなたのお兄様、亡くなる前に何か様子はおかしかったりしませんでしたか?」
「うーん……夜中に書斎にこもっていたり、急に誰とも口を利かなくなったり……。でも、お兄様は昔からそうでした。優しくて、でも難しい人で。」
難しいという表現が、アメリーの中で引っかかった。
幽霊のアルベールはあまり気難しい人には見えなかったからかもしれない。
「あとは、今はお姉さんと弟さんがたまにこちらにいらっしゃるとのことで……今は弟さんがお兄さんの跡を継いでるとのことですが、弟さんのことをもう少しお伺いしても?」
「弟……?」
コレットが一瞬、視線を彷徨わせた。
その反応は少し妙だった。
「……ああ、ジャックのことですね。最近は家に寄りつかなくなりましたけど。彼も、いろいろと抱えてるみたいで……」
その言葉一つ一つを紡ぐ声に微かに何かが沈んでいた気がした。怯えか、諦めか。
それとも――
その日の夕方、アメリーは屋敷の書庫を調べていた。
棚の隙間に、革表紙の記録帳を見つけた。
中には整った筆致で綴られた日記らしき文字。
『この家の死は、必然ではなく選択だ。父の死、兄の死、叔父の死――そのどれもが、“誰かの手”によるものだったとしたら?』
アメリーは頁を閉じた。
記された文字には、疑いと恐れと、自責の念が滲んでいた。
これを書いたのは、きっとアルベールだと、アメリーは感じた。
夜、暖炉の火が静かに揺れる中。
アルベールの姿がふっと現れた。
「僕は、家のすべてを理解していたつもりだった。けれど……何も見えていなかったのかもしれない。君なら、きっとこの状況を断ち切ってくれると、そう思うんだ。」
アルベールは何かを確信したように、アメリーにそう告げた。
アメリーには、なぜアルベールが自分の能力を信じているのか分からなかった。
「私は少し変わった“何でも屋”です。死者の想いを拾うこともあるけれど、真実を掘るのは簡単ではありません。私は探偵ではないですから。」
「それでも……お願いできるかな。僕の死の真相を、あの家の闇を、探ってほしい。」
アルベールの強い想いに促され、アメリーは、こくりとひとつだけ頷いた。
「ええ……あなたの願いを、確かに受け取りました。あなたのためだけでなく、あの家に囚われた“何か”を探してみます。」
その何かが、いつからそこにあったのか。
アメリーはまだ知らない。
けれど、この依頼が、この家の終わりになることだけは、静かに確信していた。
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