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リシャール家の夜は静まり返っていた。
月は雲に隠れ、廊下の蝋燭の火が揺れるたび、屋敷の影が軋んだように見える。
全てに何か意味があるように思え、理由のない不安がアメリーを襲った。
アメリーは東棟の一番奥――当主の間と呼ばれる部屋の前に立っていた。
扉の向こうには、エステル・リシャールがアメリーを待ち構えているのであろう。
リシャール家の実質的な当主としての存在。
今この村で一番真相に近いとされる者。
ノックは必要なかった。
扉を開けると、エステルは窓辺に立ち、夜空を見上げていた。
「こんばんは、いい夜ね。そろそろ来ると思っていたわ。」
エステルは窓ガラスに映る自分を隠すように窓に触れた。
「少しだけ昔話をしてもいい?」
アメリーは黙って頷き、話を促した。
「この家がどうして“呪われている”と言われるのか、知っている?」
アメリーは何も言わなかった。
代わりに、エステルが語りはじめた。
「もうお気づきかもしれないけれど、私達は吸血鬼の末裔。とはいえ、不老の力ももうなく、杭を使わなくても、頭を潰さなくても死ぬようになった。血の力が薄れていき、混乱が続き、誰がこの状況のリシャール家を存続させるかの家督争いが目立つようになった。私たちの父、ヴィクトル・リシャールはね……自分の兄弟をふたり、殺したのよ。」
エステルは窓の方を見つめていたので、表情は見えなかった。
しかし、その声色から静かな怒りと悲しみを感じた。
「一人は、本来、家督を継ぐはずだった長兄。もう一人は、聡明で慈悲深く、家の“変革”を望んでいた次兄。父はそのどちらも“不要”と判断した。“家を守る”ために相応しいのは自分だと判断して、排除したの。しかも、事故と病に見せかけて。」
「貴女は……その思想を継いだのですか?」
アメリーはエステルの口ぶりを見るに、継いだわけではないと思ったが、そう尋ねた。
「いいえ。最初は、ただ黙って見ていたの。私は娘だから継がれないし、出来ることもないとそう思っていた。でも、兄――ジョルジュが現れた。彼は、優しかった。家よりも人を選ぶ人だった。だからこそ……彼は家にとって“不適合”だった。兄の考えは一族の滅亡。争いの火種になり得る血を絶やせばいいと思った。婚約者との破談もリシャール家に彼女を巻き込みたくなかったということだけでなく、種の断絶を願ったから。だから私は……」
「あなたが……お兄さんを殺したのですか?」
エステルは少しだけ微笑んだ。
彼女の青い瞳は絶望に彩られていた。
「ええ。兄を殺したのは私。氷で作った剣は溶けて刺し傷だけ残るようにね。死に際に、彼はクリスチアーヌと結婚したかったと言っていた。本当に馬鹿な人……」
家族に対して、エステルは愛憎のようなものがないまぜになっているのだとアメリーは感じた。
「兄の考えを許したかった……でも、“リシャール家を存続させること”が、私の正義だったの。」
会話をしているはずなのに、部屋の静寂が重く濃くなるように感じた。
アメリーはその言葉を、重さごと受け止めようとしていた。
「貴女は、誰にも相談しなかった?」
「できなかったのよ。私は兄を殺した後、何かがぷつりと切れた気がする。父を毒で殺め、リシャール家に歯向かう者は全部葬ってきた。生まれたばかりの弟を自分の利益のために攫おうとした使用人も。弟は救った時には死んでしまっていたけれど。私のしていることを母は早々に勘づいて狂ったわ。そんな私でも、時折、迷うことがあったの。これは私の正しさなのか。父が遺した“正しさ”なのではないかと。私は彼の犯行を知っていた。でも、誰にも言えなかった。私はもっと巧妙にその想いを継がなければと思った。だから、弟妹の粗も正すために……」
「でも、その結果、貴女は家族を傷つけ、失い続けた。呪いとなり、村に暗闇をもたらし続けた。貴女は、誰も信じられなかった。弟妹を恐怖で従わせ、すべてを自分で選び、自分で終わらせた。」
アメリーの言葉にエステルは肩を竦めた。
「ええ……貴女とは真逆かもね。」
「私?」
「貴女は、誰かの声を聞こうとする。たとえそれがどれほど汚れていても、どれほど嘘にまみれていても。そして、その声を受け止める。私は貴女を、少しだけ羨ましく思うわ。」
アメリーはエステルが迷子の少女のように見えた。
「最後に聞かせてください。アルベールは貴女が殺したのですか?」
アメリーの質問にエステルは複雑そうな表情を浮かべた。
「確かアルベールは貴女に『自分を殺した誰かを見つけて欲しい』と依頼したのよね。アルベールは自殺よ。私が何かをする前に自分で自らの死を選んだの。私がアルベールの部屋に行った時はもう……私がしたのは死因を世間に隠したことだけ。あとはいろんな噂が村中に広まった。アルベールは私を恨んでいたから、私を告発したくて、そんな依頼をかけたのかもね?」
エステルの自嘲めいた言葉にアメリーは一つの手紙をエステルに渡した。
それはアメリーがかつて見た手紙。
『僕はもう、この呪いを止めることはできない。でも、お願いだ。家族を誰か守ってほしい。例外はない、家族全員を。それが正義なのかどうか、僕にはもう分からない。僕達は常に怯えていた。でも僕は今でも君を信じている。』
「この数日間、リシャール家に遺された書簡を読みました。この手紙に書いている君はエステルさん、貴女のことではないかと私は思います。ここにも例外なく家族全員を守って欲しいと書いてあります。それに、アルベールさんは貴女を恨んでいるようには見えませんでした。真相に気がついていながら、貴女の心に翳りがあるのに気がついていたのではないでしょうか。私はアルベールさんが家族を心配していたのだと思います。そして、貴女のことも。」
アメリーの言葉を聞きながら、エステルは手紙に目を通す。
手紙を持つエステルの手は震えていた。
エステルは俯いたので、彼女が泣いていたのかアメリーには見えなかったが、その様子から悲しみに暮れているのが伝わった。
アルベールの寝室にあった口紅のついたカップ。あれは、エステルのものだったのではないだろうか。
ふわりと香った椿の香りにそう感じた。
エステルは独り、アルベールの死を悼んだのではないだろうか。
その後、しばらく、二人は何も言葉を交わすことはなかった。その間、静かな沈黙がその部屋を包み込んだ。
数日後。
村中に速報の知らせがまかれた。
リシャール家の人間が失踪したのだ。
エステル・リシャールは、誰にも告げずに屋敷を去った。
机の上には一通の封書と、一本のガラス瓶が置かれていた。
『私は間違っていたのかもしれない。でも、私にとっての正しさは、確かにそこにあった。』
アメリーはその新聞をデスクに置いた。
誰かの想いは何かしらの形で残るのだ。
今回の出来事もその事象に過ぎない。
それでも……
アメリーはアルベールのことを思い出していた。
ーーもっと何かできたのではないだろうか。
もやもやとした心の違和感はアルベールもきっと感じたのだろう。
アメリーはアルベールが依頼した時の気持ちを実感したのだった。
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