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プロローグ

閲覧いただきまして、ありがとうございます。

最後までお付き合いいただけますと幸いです。

「……死者が視えるなんて、たいして役に立たないわ。」


そう言って、アメリー・ダヴィッドは使ったこともない飾りと化している薬瓶の棚を拭いていた。

古ぼけた診察所の看板だけを変えて事務所にした建物。

かつては医者が住み込んでいたらしいその小屋のような建物は、今ではアメリーが事務所として使っている。

ここに住んでいた医者は村で流行病とされる原因不明の病に侵されて亡くなったらしい。

そんな曰くつきの場所で「何でも屋」として村人の依頼を受ける。


数十年前からだろうか、とある高台にある貴族の家を中心に村には死が蔓延している。

同じような症状で亡くなっていることから、感染病ではないかという噂もある。

現状は、貴族の家では不審死が相次ぎ、村で亡くなった村人達は伝染病ではないかとされる原因不明の病で死亡する件が相次いだ。

そのせいもあり、この村で独り、住むようになってから、アメリーは人よりも死者に話しかけられることのほうが多かった。


曇った窓の外では、雪が静かに降っている。

冬は嫌いではない。

人の足音が遠のく季節。

独りを感じることができる。


だが、その冬のある日。アメリーの暮らしに、ほんの少しだけ新たな風が差し込んだ。


「こんにちは、依頼をしてもいいかね。」


そう言ったのは、黒の軍服を着た青年の霊だった。金髪に蒼い瞳。

見るからに由緒ある家柄の人だというのがわかる。

ふわりと揺れるその姿は、アメリーの屋敷の玄関先に、何日も前から立っていた。

目の前にこうやって話しかけられたのは今日が初めてだ。


「私はアルベール・リシャール。リシャール家の当主――いや、元当主といったほうが正確かな。」


アメリーは返事をしなかった。

話しかけてくる死者は多い。

だが自分の名を名乗ってくるのは稀だ。

生前の記憶が断片的で、ただ自分の存在を示したくて単語を発する人の方が圧倒的に多かったから。

それに、リシャール家といえば、最近、若き当主が急死したことで知られていた。

村の歴史よりも古い歴史を持つ由緒正しい一族。呪われた家。

この当主だけでなく、何人もの人が死んでいる。

その家の主が、どうしてこんな“何でも屋”の前に立っているのか。


「私を殺した誰かを、見つけてほしいんだ。」


青年は、確かにそう言った。


アメリーは初めて、彼の顔を正面から見た。

死んでなお、礼儀正しく、美しい顔だった。

だがその瞳には、恐ろしいほどの絶望が宿っていた。


「……あなた、殺されたのですか?」


「私にも確信はない。何があったのか、途中から記憶が曖昧でね。死者にはありがちなことだ。でも、どうしても伝えなきゃいけないことがある。私の家族を……あの呪いから救ってほしい。」


彼が発した、呪いという言葉が、アメリーの中に重く冷たく沈んだ気がした。


何でも屋のアメリーに断るという選択肢はない。アメリーは頷いた。


翌朝、アメリーは屋敷を出た。

雪道を馬車で辿り、久しぶりに街を越え、リシャール家のある高台へ向かう。


道中、幾人かの死者が話しかけてきた。

「あなたは行かないほうがいい。」

「もう誰も、戻れない。」と。


その中には、リシャール家と深く繋がりがあった人もいたかもしれない。

それでもアメリーは行く。

行くと決めてしまったからだ。


誰にも歓迎されないだろう。

令嬢らしからぬそのみずぼらしい姿、忌まれた能力、陰鬱な眼差し。

だが、誰にもできないことをするために。

誰かの、最期の言葉や想いを拾うために。


そう、彼女は“視える”令嬢なのだから。


リシャール家の屋敷は、噂に違わず、寒々しい石造りだった。

冬の曇天の下、城のように広く、沈黙だけが出迎えてくれる場所。


門を抜けると、庭には誰の足跡も残っていなかった。

まるで、すでにこの家が死に支配されているかのようだった。


アメリーは玄関をノックした。

しかし反応がなく、ノブを試しに回してみると扉は簡単に開いた。

鍵はかかっていなかった。

空き家のような静けさ。

しかし、屋敷は生きていた。蝋燭が灯り、暖炉には火がくべられた跡がある。


「来てくれたんだね。」


あの幽霊――アルベール・リシャールが、階段の上からアメリーを見下ろしていた。


「使用人たちは?」


「いないよ。全員、辞めたか、死んだか。どちらでも、もう僕らリシャール家にとっては、同じことだけどね。」


アルベールは自嘲めいた笑いを見せた。

アメリーはゆっくりと屋敷の中に入り、扉を閉めた。どこかで床が軋む音がした。

屋敷の深部が、彼女の存在を認めたかのように。


「何から始めましょうか?」


「君には、屋敷の中に遺された記憶を見てほしい。家族の声、過去の影。僕には、もう手が届かない。」


アメリーは頷いた。

その能力――死者の記憶を、触れることで視る力。

完全に制御できるものではないが、時折、強く残る想念に引き寄せられることがある。


アメリーは、ゆっくりと屋敷の中央へと歩き出した。足元の絨毯は、かつて誰かが血を吐いたのか、褪せた紅色をしている。


「最初に視えるのは誰でしょうね。」


「死者の記憶であれば、父かもしれない。兄かもしれない。あるいは僕の叔父かもしれない。いや、早くに亡くした弟もいたな。使用人の声も聞こえるかもしれない。」


候補がそれだけ出てくるということは、それだけ死者がいるのだろう。


不意に、アメリーの背中に冷たい風が吹いた。

扉が音を立てて閉まる。

暖炉の火が一瞬、揺れた。


リシャール家に、何かが潜んでいる。

生きていない、けれど死んでもいない“何か”を感じさせるような。


「……依頼いただいた、あなたの死の真相、そしてこの家の呪い、調べます。」


アメリーがそう口にした瞬間、アメリーは氷のような冷気と共に誰かの視線が刺さったように感じた。


その視線は冷気と同じで凍えるほど冷たかった。

おそらく、アメリーはもう、この家から無傷では出られない。

そう感じさせる何かがあった。

だがそれでも、引き返すことはしない。


アメリー・ダヴィッドは、孤独でありながら、決して弱くはなかったからだ。

お読みいただき、ありがとうございます。

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