お兄ちゃんの悪戯3
『すいません、落とし物です』
といういつもの声、小学校二、三年生くらいの子どもの声が響く。
小学校にほど近い交番の若いお巡りさんは、毎度のことながらにこやかに応対する。
『はいはい、どんなものですか?』
『これ』と伸ばした手にあったのは、おそらくは携帯の飾り用の―――しかも近郊観光地の土産物らしい、見たこともないようなキャラクターもの。
『ありがとうね、どこに落ちていましたか?』
『はい、ええと、こっからちょっと池下の方に行ったとこの、あそこ‥‥‥』
『ああ、はい、あそこ―――あそこっていうと、どの辺りかな?』
『はい、あそこはあそこ、だけどどのあたりかって言うと、ええと‥‥‥』
『ここからどれくらい離れてますか?』
『はい、ええと多分、歩いて二分くらい』
『じゃあ、それならあのラーメン屋さんの近くかな?』
『はい、はいはい、そうです、そこいら辺です』
『では、池下の方に向かって右手の方の歩道にありましたか、左手の方の歩道にありましたか?』
『はい、右手の方の歩道です。はい、それでこっから二分くらいのとこに』
『ありましたか、落ちてましたか?』
『はい、こっから二分くらいのとこに、あのラーメン屋さん辺りで』
『成程々々』
『でもあのラーメン屋さん、池下の方を向いて左手の方だから』
『そうですね、その通りです』
『だから、あのラーメン屋さんと道を挟んだこっち側で、その何かビルがあって、その前に落ちてました』
『そうですか、じゃあこの前の歩道を真直ぐ池下の方に行ったところですね』
『はい、そうなんです。それでそこに落ちてたこれを拾いました』
『そうしてここに持て来てくれたんですね』
『はい、はいはい、落とし物だからちゃんとお巡りさんに届けなきゃ』
『ありがとうございました。じゃあ記録しておかなきゃいけないから、もうちょっとお話を聞かせてくださいね』
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この辺りでは昔々、道端に落ちている面白いもの、可愛いようなものは全て交番のお巡りさんへ、ということが何故か流行った時期がありまして、流行るとなるともうこれは子どもたちにとっては大御馳走でございます。そういうことが流行り始めてからというもの、歩道とか公園とかに落ちている安っぽい玩具とか小綺麗な小物とかを拾い集めては小学生達が―――とは言え、一年生では小さすぎてなかなか勇気の方が、また五六年生になりますとませてきますから、ガキのやることだと馬鹿にしてしまって乗っかってくれないし、となりますと主に二三四年生の子どもたちが―――学校からほど近い交番に我先にと持ち込むようになってしまっていた。
この流行は随分長い期間続きました。従いまして実に沢山の落とし物がその交番に集まって来た。家電の部品からパチスロ用のコインからお菓子のおまけの模型からガチャガチャの玩具から―――ありとあらゆるものがこの交番に流れ込んでまいります。そこのお巡りさんもまた出来た人で、それらをしまい込んでおくのも野暮なことだと、窓際や、机の上やら壁面やら天井やら戸棚の縁やらありとあらゆるところにぶら下げた。こんな落とし物がありますがお心当たりの方は、という意味合いも兼ねて、というまあ理屈付けも兼ねて言い訳じみてはいるが、公報見たようなもので、そういう名目で、飾り付けた。
そんな風にしていたら、随分とまあ沢山の色とりどりの落とし物がこれでもかという程集まってしまい、えらく立派なきらびやかな飾り付けが出来上がってしまいました。壮観とも言うべきものではありましたが、これはどうも果たして交番なのかしら、まるっきり派手な駄菓子屋さんではありませんか、という近所の方々のひんしゅくも多少は買っているような塩梅にもなってしまっておりまして、しかしなかなか微笑ましい可愛らしい交番が現出し、街の人々の目を楽しませていたのでありました。
* * * * * * * *
ちょっと野暮用があった学校の帰り道、僕はつらつらとこんな「伝説」を思い出しながら歩いていた。というのも、丁度件の交番の前を通りかかったものだから。その交番は、しかし残念ながら現在はごくごく普通の交番になり果ててしまっている。あんなに華やかにきらびやかに豪奢に着飾っていた―――らしい伝説の交番は、今ではごくありきたりの古ぼけた交番に戻ってしまっている。外壁は灰色で野暮ったく、窓や框戸越しに見える内部の方もカレンダーとか町内の地図とかが壁に掛かっていたり、机の上にはペン立て、ノート、卓上ランプ、奥の方にはロッカー、戸棚、とあんまりありふれていて特別なものなど何もない皆さんよくご存知の通りの交番なんです、と匙を投げてやりたくなるような、本当にごく普通の交番になってしまっている。
かつて存在したかの伝説の交番は一体何処に行ってしまったんだろう。僕は残念でたまらない。一度是非その見事な交番をこの目で見てみたかった。そうしてその交番を彩っていた無数の落とし物群に、僕が見つけてきたものを付け加えてみたかった。真中じゃなくてもいい、隅っこでいい、僕の拾得物で飾り付けて欲しかった。伝説によれば、小学五六年生は馬鹿にしてこの交番の飾り付けに参加しなかったそうだけど、そりゃ間違いなのではないだろうか。僕は今六年生なんだけど、是非とも参加したかったと思っている。小学校の高学年生だってきっと喜んで参加していたに違いない。
けれどもそんなことはどっちでもいいことで、実はこの伝説の交番装飾事件、呆れたことにお兄ちゃんの仕組んだことだったんだ。勿論当時の僕は幼稚園児だったから直接知ってはいない。後からお姉ちゃん達から聞いた話になる。
当時のお兄ちゃんは今の僕と同じ小学校六年生、すでにかなり背が高くひょろっとしてておっさん顔だったけれどいつもにかにか笑っていて愛嬌があり、内側の悪戯者の顔を上手いこと隠していたから周りの皆もついつい油断してしまうという―――ちょっと危険な札付きの小学六年生だった。
この小学六年生のお兄ちゃんが或る日落とし物を拾った。これはまともな落とし物だったらしい。まともな、というのは誰かが要らなくなったものを道端にこっそり捨てたと思われるようなものではなく、きっと誰かが大切にしていたものをうっかり落としてしまったであろうもの、のようだったという意味だ。これは丁寧に作られた真新しい小さな可愛らしいぬいぐるみで、頭のところについている金具の切断具合が不可抗力でちぎれてしまったキーホルダーの一部分だと一目でわかるような状態だった。これはきっとどこぞの良い子のランドセルから何らかの力によって不運にも地上に落下することとなってしまった大切な宝物に違いない、その不幸な持ち主のためにもお巡りさんに届けておかなくてはなるまい、と(少なくとも当初は)判断した小学六年生のおにいちゃんは早速学校近くの交番へと届け出た。この時運悪く内勤だったのが新米で格好のいい若いお巡りさんだった。お兄ちゃんはこの男前巡査に落とし物を手渡して事情を話した。お巡りさんはこの説明をしっかり聴いてちゃんと調書を取り、それからその落とし物を鍵付きの戸棚に仕舞うと、お兄ちゃんにお礼と間違いなく保管しておく旨伝えたという。
さて、どうやらここでお兄ちゃんの悪戯心がむくむくと頭をもたげて来たらしい。お兄ちゃんはこのお巡りさんに対して、始めは殊勝に自分のような子どもにもこのような丁寧な対応をしてくれたことに感謝の念を示した。しかし、だけれども落とし物を仕舞い込んでしまったことに対して少々疑義があると付け加えたのだ。何故かと言うと、あの落とし物の所有者は多分幼い子どもであろう、大切なものを失くしてしまい大層悲しんでいるに違いない、だから恐らく、もしかしたらお巡りさんの所へ届けられているじゃないかしらと考えてもいるだろう、けれどもそこは幼い子どものこと、すいません落とし物をしたんですがと、ずかずかと交番へ入って行くなんてことはちと難しかろう、それに両親にも相談しづらいといった可能性もある、だからどうしたらいいか知らんとおろおろし、交番の方にちらちらと目をやりながらその前を行きつ戻りつすることになってしまうんではなかろうか、そんな状況であの落とし物が戸棚の奥深く仕舞い込まれてしまっているならば、その子の目には決して触れることがないであろう、しかし、もし外からでも目につくようなところにそれが置いてあったとしたら、その子はきっとすぐさまこれを発見し、それわたしの落とし物ですと交番に駆けこんで行くような勇気を奮うことになるに違いない、嗚呼、幼子の心に火花の如く小さく燃えた勇気の何と輝かしい光明よ、とか何とか言葉を並べたらしい。これはお姉ちゃんから聞いた話だからかなりの脚色があるに違いないんだけどね。
何にしてもこんなようなお兄ちゃんの熱弁にお巡りさんも、成程と思ってしまったんだそうだ。子どもの気持ちは子どもにしか分からない。確かに拾得物に関する手続きを幼い子どもに要求するなんて、そりゃ土台無理な話だ、個人情報の問題さえなければこんな落とし物がありますよと公開しておく方がずっと有効な手段に違いない、こうお巡りさんは考えてしまった。そこでこの落とし物を外から見えるよう窓枠のカーテンレールに引掻けておくことにした。お兄ちゃんは、これなら安心です、ありがとうございましたと言って帰って行った。
それから二三日後、驚いたことにその落とし主が現れたそうなんだ。それは小学二年生くらいの女の子で、やはりランドセルに着けておいたそのぬいぐるみがいつの間にか無くなってしまった、いくら捜しても見つからないのでもう出てこないだろうと観念していたところ、この交番の窓際にぶら下がっているのを発見して急いでやって来た、そうでなければ怖くて交番には来れなかった、大事にしていたものなのでとても嬉しい、と泣いて喜んだ。これには若いお巡りさんもいたく感動してしまった。
それから四五日経ったころ、小学六年生のお兄ちゃんがまた交番に現れた。そして例の拾得物がお巡りさんのおかげで無事落とし主のもとに戻ったと礼を言い、あの女の子は自分の学校の下級生だったので余計に有難かったと付け加えた。お巡りさんはこの態度に大変感心し、自分こそ君のおかげで色々勉強させてもらったと告げたそうだ。お兄ちゃんは、いやいやそんなことはありませんよ、と言いながら背負っていたランドセルを開けて中から小さな可愛いアップリケの付いたハンカチを取り出すと、実はこれ落とし物なんですがとお巡りさんに手渡した。お巡りさんはおやおや有難う、最近多いんだねとそのハンカチを受け取ると早速外から見えるような位置にそれを広げて吊り下げると、お兄ちゃんから落ちていた場所とかの聞き取りを始めた―――――。
それからだ、近くの小学生たちが様々な落とし物を持ってくるようになったのは。ただ正直言って、その大部分はどうでもよさそうなものが多かった。落とし物なのか捨てられた物なのか、けれどそれらは例外なしに色目の鮮やかな子どもが喜びそうなものばかりだった。全て綺麗な状態で、中には落ちていた時にはほこりや泥で汚れていたのをわざわざきれいに洗って持ち込まれたらしいものまで様々だった。こんな風な落とし物が次から次と集まって来るものだから、そしてそれらは全て外部からも良く見えるように交番内部に吊り下げられていくものだから、交番はごてごてと華やかに色彩豊かに飾り立てられていくことになった。そう、かの伝説の交番がその姿を現したのだ。
そしてこのような伝説を産み出そうと企み脚本を書いて実行したのが、何を隠そう小学六年生のお兄ちゃんだったのである。その動機はと言うと、一番初めに落とし物を届けた時にただ何となくそんな交番があったら面白いだろうなと思ったから、というんだから呆れてしまう。そのために自分が届けた落とし物が近くの交番で展示されていることをそれとなく学校中に触れ回り、それが落とし主のもとに無事戻ったことを確認すると、その後学校の行き帰りには鵜の目鷹の目、数日後首尾よく適当な落とし物を見つけると再び交番へと向かい新たな展示をするよう仕向ける、まあお巡りさんもそうせざるを得ないよね。それから今度は学校中にこの交番の噂を流す、あそこに可愛い落とし物を持っていけば窓際とかに飾ってもらえる、沢山飾られたらさぞかし楽しいだろうねえ―――この時にはお姉ちゃんもその片棒を担がされたそうだ―――、それからは勝手にどんどん落とし物の陳列が増えて行く、吊り下げられ台座に置かれ雛壇に並べられ、電球が点灯することはないけれど昼間の太陽の光に反射してそこかしこでちらちらと光瞬いている、あでやかなきらびやかな伝説の交番の出現だ。
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しかしながらどんなものにも終わりはある。この交番も例外ではない。ただ案外長い間存在していたらしい。PTAは何も言わない。町内会も何も言わない。警察の内部で特に問題になったということもない。泣く子と地頭には勝てぬ、という諺が昔あったように、やっぱりPTAも子どもを敵に回したくないんだろう。落とし物はお巡りさんのところへ、なんて言われたら町内会だって、はいそうですねと言わざるを得ないだろう。警察に至ってはどうも面白がっていたような節がある。
では一体何が、この伝説の交番を名実ともに伝説にしてしまったのだろう。それは子どもたちの内部に生じたものだった。これは別段今回特に例外的に起こったことではない、どのような集団的行動、目的を持った集合的運動においても早晩生じて来るような事である。つまりは調子に乗り過ぎる、ということなんだ。まあ、これはいつでもどこでも起こっていることだから珍しくもなんともない。当時の子どもらは、落とし物を見つけるのに夢中になっていた。ただそれはどんなものでもいいという訳ではない。それなりに可愛くて綺麗なものでなければならない。そういうものを公園で、歩道で、路地で、街路樹の根元で、目を皿のようにして探し回る。けれどもそのような条件にちゃんと適うような落とし物なんてそうそうあるもんじゃないよね。捜し物は落とし物、という異常な流行の行きつく先は――――落とし物をでっち上げよう、ということになってしまうのもある意味当然の帰結だったのかも知れない。
そうだったのだ。流行が続き適当な落とし物を見つけ出すのが難しくなってくると、子どもたちの心の中に良くない考えが芽生えてしまった。具合のいい落とし物が見つからないのなら、自分が持っている具合のいいものを落とし物にしてしまおう、という訳だ。そういう『落とし物』がちらほらと現れ始める。それでもこれがほどほどならまだよかった。ちらほらあたりで済ませておけばまだよかった。しかしながら人間はこうなってしまうとやっぱり、調子に乗り過ぎてしまう。ちらほらでは済まなくなる。皆の交番を飾り立てる落とし物群のなかにでっち上げられた『落とし物』が数多く入り込んできた。そうなると流石に親たちも気付き始める。これはちょっと拙いんではないか、親たちはそう思う。そしてこのことを警察にも伝える。これはちょっと問題だ、警察の方でもそう考える。こうなると両者の思惑は一致する、『何としなければ。』
大人たちの決断は素早かった。或る日を境に交番に持ち込まれる『落とし物』について、ベテランのお巡りさんからの厳重な聞き取りがなされるようになったのだ。警察が行なう厳重な聞き取りにかかったら、子どもたちの嘘なぞ簡単に暴かれてしまう。そしてそれによって暴かれた虚言の多さが決定打となり、破局は突然訪れた。交番を飾り立てていた大量の『落とし物』は全て奥にある保管棚へと居場所を変えることになってしまった。封印がなされたという噂もあった、それくらい徹底的に人目につかないように仕舞い込まれてしまった‥‥‥だがしかし、これら『落とし物』の中には多数の偽装されたものがふくまれていたではないか。これらはどうなったのか。こどもたちが伝説の交番に飾られるのを夢見て、落とし物として持ち込んだ本当は大切な自分たちの宝物はどうなってしまったのか―――実はこの件に関しては小学六年生のお兄ちゃんが一肌脱いだそうだ。そういう子どもたちを連れてお兄ちゃんはお巡りさんに掛け合った。今回のことは元々は自分がしでかしたことで大変申し訳なかった、また他の連中も自分の持ち物を落とし物として交番に持ってくるというよろしくないことをこれまたしでかしてしまった、これも大変申し訳ない、自分も含めここにいる全員深く反省している。日本海溝よりも深く反省している、そこで物は相談なのだがこの子たちがどうしても大切にしていたものだけでも返してはいただけないだろうか―――日本海溝は余分だと思うけど、お巡りさん達は武士の情けと了解して子どもたちに『落とし物』の山を見せ、宝物がそれぞれの持ち主に戻るよう手配してくれた。子どもたちはやっぱり泣いて喜んだ。
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こうして伝説の交番事件は幕を閉じた。けれども小学六年生のお兄ちゃんに対する周囲の風当たりは相当強かった。特にうちのお母ちゃんの怒りはかなりのものだった。あんたのおかげであのお巡りさんおらんようなっちゃったじゃんか、と激怒していたんだけど、どうやらあの若いお巡りさんは物腰の柔らかい男前ときていて、近所のお母さんたちからも絶大な人気があったらしい、ということはお兄ちゃんはよそのお母さんたちからも恨まれていたのかも知れない。とろくさいことをあのお巡りさんに吹き込んで、あんなことして何が面白かっただん!と、ついこの間までは交番に通ってあのお巡りさんと、落とし物の飾り付けについて楽しくお喋りをして喜んでいたお母ちゃんは手のひら返しをする。それに対して、まあまあ、そうは言ってもなかなかの見物だったじゃないか、とお父ちゃんがなまくら刀で助太刀を試みる。けれど、見物が聞いてあきれるわ、あんたの書斎とか称しとる部屋にごたごたと置いてあるあのがらくたの山みたいなもんだわさ、フィギュアからいかさまの骨董品から無国籍の民芸品から、オタクか爺かヒッピーか訳の分からん、ほんなみょうちきりんな趣味を人に押し付けんどいて、と怒鳴りつけられて一旦静かになる。お兄ちゃんはと言えば、神妙な顔をして座っている。ただその表情は深い入り江の中に避難している漁船のように穏やかだ。そして外洋で暴れ回っている嵐もお兄ちゃんの心の水面にはさざ波一つ立てられない、そんなお兄ちゃんの口元がゆったりと動く―――けどが、お巡りさんたちも楽しそうだったに、案外喜んどってくれたんじゃ‥‥‥、たーけくさいことばっかり言っとるわ、ほんなわけないじゃん、仕方なしにやっとっただけにきまっとるだらあ!ちっとは反省しりん!!となかなか手厳しい。お兄ちゃんはおやおやと言う風に目を大きく開いて馬のような静かな目をして耳の方は東の風。すかさずお父ちゃんが、いやいや、こいつの言う通りだぜ、ポリさん達も積極的だったよ、地域に愛される警察ってなもんでな、なんて今度は押っ取り刀で口を出す。こんな、お兄ちゃんと違って外洋上で荒れ狂う暴風雨に突っ込んでいくなんて無謀なこと、無茶だよね。しこたま罵詈雑言をあびせられ再びお父ちゃんは静かになる。お父ちゃんを黙らせるとしつこいお母ちゃんは飽きもせず小言を続ける。あんなえらい問題になっちゃって、あのお巡りさんが心配だわ、どっか遠くの交番にとばされたげなで、左遷されたに決まっとるわ、これで出世できんくなったらどうするだん!とうるさいうるさい。これに対して、凝りもせず三度お父ちゃんが助け舟を出してくれたそうだ。そりゃあお前、言いがかりってやつだぜ、あの若いポリさんの異動先、栄の広小路通に面した、朝日神社の脇にあるあの交番だろ?あそこは確か何とかいう特別な交番らしい、左遷どころじゃないよ、出世コースだ――――お父ちゃんの言ったことは本当だったみたい。そのお巡りさんは今では随分昇進しているそうだ。
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というようなことがあったみたい。勿論僕は直接こんな話を見たり聞いたりしたわけじゃない。後でお姉ちゃんから聞いた話だ。お姉ちゃんはさも可笑しそうにこの話をしてくれた。だからこれまでお話ししたのはほとんどお姉ちゃんから聞いたままです。所々妙な表現があったと思うけど、それはみんなお姉ちゃんの趣味。お姉ちゃんもあの変な両親の子どもだし、あの変なお兄ちゃんの妹なんだし、やっぱりちょっと変なんだ。