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かすかな記憶

身体の横をすり抜けていく風もひと月前とは違って暖かくなり、緩やかな山道を登っているとじんわりと額に汗がにじんできそうだ。

目的の場所まで山道はあと半分というところまできていたが、手を繋いでいるソフィは先ほどから足を止めて天を仰いでいた。

家からゆっくり歩いて20分くらいになるだろうか。3日前までベッドから出られなかったのだから、やっぱりここまでくるのはムリだったのかもしれない。

「·····かあさん、だいじょうぶ?」

アルシオスは右手にギュッと力を込めると、おそるおそる問いかけた。

左手が握られて気づいたのか、ソフィはゆっくりと息子の方に視線を落とした。左耳の上で留められた髪飾りに陽が当たってキラリと光る。

「·····ごめんね。空が青いなぁと思って見たら足が止まっちゃったみたい」

いつもの線の細い声ではなかったが、ソフィが考えごとをしていたときのような、どこか遠くから聞こえるような声だった。アルシオスの黒い瞳が不安で揺れているのに気づいて、ソフィは小さな手を握り返すとにっこりと笑った。

数歩先を歩いていたケイオスは、2人に気づいて戻ってきた。

ケイオスの腕には、山道の手前で歩くのに疲れたと駄々をこねたエルマーニャが抱かれている。そのさらに先の方では、アニエスとレオナードが立ち止まってこちらを見ていた。

「·····今からでも帰るか?」

普段から言葉数が少ないケイオスが心配そうに聞くとソフィはゆっくりと首を横に振る。

「大丈夫。空を見てただけだから」

「·····そうか」

アルシオスと同じ黒いケイオスの目にはまだ心配そうな色が残っていたが、微笑んでいるソフィを見て自分を納得させるかのように小さく2度うなずいた。

ソフィはエルマーニャを見るとふんわりと頭に手を置く。

「エルちゃんも心配してくれたのね。ありがとう」

ソフィがそういって笑いかけると、エルマーニャは大きなグリーンの瞳でソフィを見つめたまま「おりる」と宣言した。

ケイオスがその場にしゃがんでエルマーニャを下ろすと、エルマーニャはソフィとアルシオスの顔を交互に見たあと、何かを決心したように空いてるソフィの右手を掴んだ。

「よし、広場まであと少しだね」

ソフィは力強くそういうと、気合いを入れるように両手をギュッと握った。その手の力強さに安心したアルシオスは笑顔になる。

「あ、アニーおばさんとレオが手振ってる」

そういうとアルシオスは左手を振って答えた。離れたところで待っていたアニエスとレオナードは、ソフィが歩き出したのを見届けると自分たちもまた歩き始めた。


ソフィたちが広場に着くと、アニエスとレオナードが広場の真ん中に敷物を広げて待っていた。

広場は森に行く少し手前にある平坦なスペースで、大人5人が両手を広げてようやく届く太さの幹を持つ大木があり、ここでは子供たちが遊んだりヤギが草を食べていたり、収穫祭などの村人たちが集まったりするときなどにも使われる。

エルマーニャは途中でわがままをいうことなく最後まで歩き、しっかりとソフィと手を繋いだまま母親と兄のところにきた。

「たくさん歩いたから疲れただろうしお腹も空いたんじゃない? ほら、座って座って」

アニエスはとびきりの笑顔で迎えると、ソフィを敷物の中央に案内しようとしたが、レオナードに止められる。

「おかあさん、まんなかにごはんをおくんだから、ソフィおばさんがごはんたべにくくなっちゃうんじゃない?」

「あ、そうか」

アニエスはいわれてからそのことに気づいたようだ。

レオナードは『困ったものだ』とでもいうようにフゥーっとため息をついた。

「えっと、じゃあ、どこがいいかな。ソフィ、どこに座りたい?」

聞かれたソフィが答える前にエルマーニャが手を引いて大木側に連れていく。まだソフィと手を繋いでいたアルシオスもつられて引っ張られる。

「マーニャ、あなたが座りたいところじゃないのよ?」

「アニー、私はどこでもいいから」

エルマーニャは自分が思うところにソフィを座らせると、隣りにアルシオスを座らせて自分はアルシオスの左隣りに座った。

「マーニャはやっぱりアルのとなりにすわるんだな」

エルマーニャはレオナードに答える代わりに、アルシオスの服の裾をギュッと握った。

アルシオスはエルマーニャをちらりと見たが気にする様子はない。

「いやあ、ごめんごめん。遅くなっちゃった」

のほほんとした口調でやってきたのはフィルバートだった。誰かからの返事を待つでもなく、話をしながら6人がいるところに歩いてくる。

「ダグラスさん家の扉の修理をしてたらリンジーさんが通りかかってね、ソフィちゃんの好きなコケモモジャムのパイを焼いてるから取りにきてくれって声かけられちゃって。それで修理が終わってからリンジーさん家に行ったんだけど、もうちょっとで焼き上がるからお茶に付き合えっていわれたから断れなくてね。リンジーさん話し始めると長いからさ、みんなが待ってるからっていったんだけどなかなか終わらなくて。どう切り出そうかと思ってたらなんか焦げ臭くなってきて、慌てて窯の中を確認したらほとんど焦げてたんだけど、せっかく焼いたんだし焦げたところは捨てていいから持って行け!ってこれ渡されて·····ほら、ちょっと焦げてるだろう?」

話し終える少し前に着いたフィルバートは、リンジーに持たされたというバスケットの蓋の片方を開け、中が見えるようにした。

「·····ん? どうかした?」

フィルバートは全員の視線がバスケットではなく、自分に注がれているのに気づいた。

「あのね、フィル」フィルバートに向かって歩きながら、アニエスが諭すように話しかける。

「あなたが私たちと一緒にいない間のことを話してくれるのは、小さい頃から今でも変わらず好きなところだし、どこで息継ぎしてるのかわからないほどよどみなく話せるのは尊敬できるところでもあるんだけどね、たまに空気が読めないときがあるのよね」

「そうなの?」

「そうなの。とっくにお昼は過ぎてるし、みんなお腹を空かせて待ってるんだから。ほら、焼き立てのパイの匂いなんか嗅いじゃったらよけいにお腹空いちゃうでしょう?」

フィルバートは子供たちの『催促』を感じて、バスケットの蓋を閉じた。

「·····そうだね。そういえば僕もお腹ぺこぺこだった」

ようやく状況を理解したフィルバートの腕を取ると、アニエスがにっこりと微笑んだ。

「さあ、早く食べましょ」



目を開けたときに聞こえてきたのは、楽しそうに話すアニエスとソフィの声だった。

「だから、これはもう毎日聞かせて洗脳するしかないって思ったの」

「じゃあ、アニーの洗脳が成功したってことなのね」

「そういうこと」

アニエスが自慢げにいうと、ソフィと2人で声をあげて笑った。

「マーニャ、目が覚めた?」

ソフィの後ろで身体を起こし、目をこすっている娘に気づいたアニエスが声をかける。

「あなた食べてる途中で寝ちゃったでしょう? もうサンドイッチは残ってないけど、パイは残してあるのよ。食べる?」

エルマーニャは返事をする代わりにうなずいた。

「エルちゃん、ここにおいで」

ソフィが自分とアニエスの間をぽんぽんと叩くと、エルマーニャは素直に従ってちょこんと座った。

アニエスはエルマーニャの前にパイが乗ったお皿と、お茶の入ったカップを置くと、寝ぐせと汗で乱れた髪を手で直す。

「日陰に移動してたけど、やっぱり汗かいちゃったね。ソフィは大丈夫? 疲れてない?」

「ありがとう。今日はサンドイッチも2つ食べた上に、大好物のパイまで食べられたくらいだから、とっても調子いいの」

笑顔でいったソフィに、アニエスも笑顔でうなずいて返した。

「·····アルは?」

パイを半分食べたところで、エルマーニャはアルシオスたちがいないことに気づいた。左手に持ったフォークをパイに刺したままキョロキョロと辺りを見回す。

「アルくんは森よ。アルくんとレオの剣をケイオスおじさんに作ってもらうために、お父さんも一緒に木を探しに行ってるの」

そう聞いたエルマーニャはフォークから手を離し、がっくりと肩を落とした。

「エルちゃんはアルのことを好いてくれてるのね」

ソフィはなぐさめるようにエルマーニャの頭をなでる。

「マーニャ、アルくんのことが好きなんだったら、毎日アルくんに好き好き!っていったらいいんじゃない? そしたら、お母さんみたいに──」

「フフフッ」

アニエスの言葉を遮るようにソフィが笑う。

「そういう洗脳作戦も素敵だとは思うんだけど、きっとアルはおじさんに似て自分の気持ちを上手くいえないと思うの。それに、エルちゃんが大きくなっていろんな人に出会ったら、アルよりも好きだなって思う人が現れるかもしれない。だからね、もし大きくなってもエルちゃんが変わらずアルのことが一番好きだって思ってくれていたら、そのときはエルちゃんからいってくれるかな。おばさん、その頃にはエルちゃんの力になってあげられないと思うから」

ソフィは寂しそうに笑うとエルマーニャの頬に手を当てた。

「あ、でも、アルくんが大きくなって、マーニャ以外の人と結婚したい!っていったらどうしよう」

ソフィにつられて寂しそうな表情になったアニエスだったが、すぐにいつもの顔に戻って大げさにいう。

「そのときは、アルに見る目がなかったっていうことだから、ケイオスから私の分まできつく叱ってもらって、エルちゃんにはアルが泣いて後悔するくらい素敵な人と結婚してもらうわ」

アニエスの気遣いがわかったソフィも大げさに返すと、2人で顔を合わせて声をあげて笑った。

エルマーニャはきょとんとした顔で楽しそうな2人を見ていたが、食べかけだったパイのことを思い出してフォークを刺したままかぶりついた。







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