3 終焉の動機
終業の音楽が流れる30分前、終焉支援センター総務の新人職員・高木浩一は仕事のメドがついて大きく伸びをした。
彼の主な仕事は自己終焉支援制度の受援者のデータ管理および回収されたマイナンバーカードの処理である。今日は週末なのでカードの再確認が最後の仕事となっていた。
データに不備がないのを三度確認し、同業務につく他二人とも互いのデータを交換しながらトリプルチェックを行う。問題はなかったので、新人の高木がすべてのカードを回収ボックスに収めて課長のもとへと届けた。
「今週は43名です。データも間違いありませんでした」
「お疲れ」
総務部課長・倉家敦夫は手渡された回収ボックスと印刷データを机に置き、最終チェックをはじめた。この作業は支援執行以前から直後まで再三にわたって行われているため、今までに間違いは一度も起きなかった。むしろ起きていては大問題だ。終焉支援制度を忌避する者は市民だけではなく、政治家や身内にすら少なくはない。何かあれば即、吊し上げをくらうであろう。
高木が課長のチェック終了を待とうと席に戻りかけたとき、その上司から呻きが聞こえた。
「どうかしましたか? どこか不備が?」
高木は慌てて上司に詰め寄った。同僚たちも新人の様子に気付いて注目する。
「あ、いや、問題はない。大丈夫だ。ただ、相変わらずだと思ってな」
周囲の緊張をほぐすため、倉家は大きな声で答えた。皆、安堵して残務に戻った。
「相変わらず、ですか?」
高木は上司の言葉に反問した。
「支援動機だよ。『人生が退屈』『展望が見えない』『疲れた』。支援動機の半数はこれだ。病気や高齢などは20%もない。受援者でこれだ。希望者で数えたらどれほどだろうか」
統計はとっているが、倉家はあえて数字を避けた。
「みんな、生きるのがそんなに辛いんですかね」
高木にはその感覚がわからない。彼は今、幸せのなかにいるかと問われれば『いいえ』と答えるだろうが、死ぬほど思い悩むこともないので自然に生きていけると思っている。
「そもそも、そういう思考の人たちを楽にしてやりたいというのも終焉支援制度の一つの使い道だ。趣旨としては間違ってはいないのだろうが……」
「そうなんですか?」
「君だって一度は考えたことがあるんじゃないか? 日本……いや、世界に人間が多すぎると」
倉家は印刷データを置き、椅子に寄り掛かった。
「ありますよ、毎朝。電車が混んでてイヤになります」
「それを世界レベルで考えた人もいるわけだ。食料・燃料・資源の枯渇や温暖化などの環境問題、ぜんぶ人間が増えたせいだ、とな。一方で、そんな社会の中で自分に存在意義を問い、無駄と考える人もいる」
「はぁ……」
高木の返事に熱はなかった。
「多いなら減らせ。減りたいなら手伝ってやる。自分は世界にいらない。その答えの一つが終焉支援なんだよ」
「わかりませんね。自己否定する人って自分から何かをしないから余計につまらないんじゃないですか? そういう受援者にかぎって若くて健常の人が多いのですから、やろうと思えば何でもできるでしょうに。それを社会貢献に向ければ意義も意味もできるじゃないですか」
「……」
倉家は答えなかった。若く活力に満ちた彼の感想は、おそらく『人間的』には正しいのだろう。だがそれはあくまで自分を起点とした考えであって、他者の気持ちや状況を加味してはいない。
倉家は鼻息が荒くなりそうな若者に、注意をして話を打ち切った。
「高木くん、その意見は個人のものとしておくんだ。間違っても受援者の前では言わないように」
「はい、わかっています。そのくらいの分別はあります」
余計な一言を付け加えるのがいかにも若者らしいと倉家は思い、周囲で聞き耳を立てていた者も「言わなくてもいいのに」と内心で頭を振っていた。
上司が書類に目を戻したので、高木はその場を離れた。
高木は先輩たちと小声で何かを話していた。倉家には聞こえなかったが、おそらく先の話についてであろうことは予測がつく。ときおり興奮がまじり声が大きくなりかけていたが、倉家はかまわなかった。仲間内で話し合うのは悪いことではない。社会的影響の大きな仕事だ。いろいろな意見を聞いておくのは勉強になるだろう。
個人的意見でいえば、倉家は自己終焉支援制度をけっして悪いものと考えてはいない。そもそも悪と考えていれば、いくら仕事とはいえ頭がおかしくなるだろう。ふとそう気付いたとき、配属当初に感じていた不愉快さもなくなっていた。
善ではないにしても、死によって救われる人も皆無ではない。その当人も、家族も、何かしら理由を持ち、決断した結果が死であったのだ。その死を赤の他人に委ねることで慰められる遺族もいるだろう。家族に殺されたり、家族を殺したりせず、他人を巻き添えにもせず、自らを終わらせる勇気も力もない人がわずかでも救われている。それは制度の謳い文句のように耳触りの良い言葉かも知れないが、事実の一片でもある。
だからといって、『退屈だから死にたい』という動機はやはり理解しがたい。新米の高木と同意見である。
もし本当にそんな理由で死にたい者が統計に比して存在するのなら、全世界の人口はどのくらいになるだろう。
倉家は簡単な算数を計算し、一人ゾッとした。