綴じたもの
手にとった日記帳の表紙を開いて、1ページ目を見た。
白紙を知らない文字が上から下まで埋めていた。それは部屋にあった本と共通の文字にも見える。ともかく内容が分からなかった。
パラパラと捲る。
全て謎の言語で書かれている。分かるのは、ページの左上にある文字列は日付を表しているらしいこと。ページごとに文字量は様々だということだ。
捲っていくと、やがて日付が書かれなくなった。理由は分からない。
全体の半分を超えたあたりで、驚いたことに日本語で書かれたページを見つけた。その次のページを見てみても日本語だ。
適当なページを読んでみることにする。
また遭難者がいたよ。若い旅団のようだ。森で迷っていた彼らをツリーハウスに連れていって、お茶を淹れてやった。男2人、女1人の旅団で、おしゃべりで騒がしい奴らだ。質問攻めにされたよ。ツリーハウスを見るとしきりに驚いていた。話を聞くところによると、街道よりも森を突っ切った方が早いと思ったらしい。まったく無茶をしてくれる。出発する時間になって、彼らはお礼と言って交易品を譲ってくれた。主に南方の珍しい食材を手に入れた。
夕方になって、手に入れた食材で夕飯を作った。南方産のものは風味が優れていて、刺激的な香りが特徴的だった。食材の7割を保管庫に入れて、残りを実験材料にした。
今は霧の向こうに青い夜空が見えている。彼らは無事に辿り着けただろうか。僕が霧を撒くことさえしなければ、こんなことも無かったのだけれど。
騒がしい日だった。
他のページも読む。
それらは魔法研究の進捗だったり、森での出来事について書かれている。舞台が森から移動することはなく、どれも似通った内容ばかりだ。
キテラの暮らしぶりが分かった気がする。日々を魔法研究をして過ごして、たまに俺のように森に訪れた人と出会う。それを今日まで繰り返してきたのだろう。
しかし、日記にあったキテラが霧を撒いたという文言が気になる。この場所で霧というと一つしか思いつかない。森を閉ざし続ける深い霧だ。その推測が正しいとして、キテラは何の為にそんなことをしたのか?
ギィと背後で音がした。その音で心臓が跳ねた。
キテラからすると、扉の開く音に気づいて慌てて振り返った俺の姿が見えていたことだろう。
彼女の立つ、開けっ放しの長方形の枠の中で、未だに雨が降り続けている。
彼女の持つ折り畳まれた傘からは、後ろの雨と比べるとずいぶんゆっくり水滴が落ちていった。
水滴が小さな池を広げていく中、口だけを動かして問うた。
「何してるの?」
「あ……えっと……たまたま……」
「日記……見てたの?」
「はい」
肩にかけていたポーチを玄関の近くのテーブルに置いて、棚の前に立つ俺にゆっくり近寄った。
俺は日記を紙束の上に戻して、けれど引き出しを開けたままにしてキテラと相対した。
「早かった…ですね」
「すぐに目当てが見つかったのは運が良かった。……ただ、他人の記憶を漁って欲しくはなかったな」
「キテラの過去を暴いてやろうという気は無かったんです。たまたま見つけて、それで気になって……」
見苦しい言い訳だと自分でも気づいていた。それでもキテラを傷つけるつもりはなかったと分かって欲しかった。
「そう……」
キテラは目を伏せる。また開けると、言葉を続ける。
「君のこと、完全に信用してたわけじゃない。でも、出来る限り君がいい人だと信じようとした……だから泊めることも許せた。その気持ちを裏切ったんだ、ここにもう君の居場所はないよ」
キテラは俺を睨んでいる。その瞳に俺を憎む色はなかった。諦念の混じった、失望の色だった。
その瞳を見て、俺は言葉と、出ていく以外の選択肢を失った。
1人のツリーハウスで、彼女はてくてく歩く。
いつもと同じように定位置である背もたれつき椅子へと向かう。椅子に置いていた本を持ち上げて、いつものように座って、本を開く。
窓の外は雨が降っている。薄暗い灰色の空は、夕方にはまだ早い。雨の中を歩いて帰るのは大変だった。
「僕は優しい魔法使いじゃない」
雨音に消されてしまいそうな、小さい声で独りごちた。




