背伸びしたどんぐり
霧立ち込める樹海。
壮年らしき男はバックパックを背負い、薄く寒い空気を切り分けて進む。
直径10メートルほどもある巨大な幹が、天井に向かって真っ直ぐ伸びる。歩く地面のすぐ先は、濃い霧が隠して見通せない。似通った巨木が森の中に永遠と連なっている。
水気を含んで柔らかな土を踏み締める。濡れた落ち葉が匂う。
「まただ……キテラがいたのに迷うなんて……」
帰り道では疲労で口数も少なく、二人は黙々と歩いていた。
キテラの後ろを歩いていた俺は、彼女と距離が離れていないか確認しようとして、俯いていた視線をあげた。
前と同じだった。
いきなり霧に囲まれて、見知っていたはずの地形が分からなくなる。どんなに歩こうが、決して元の道には戻れない。
キテラは今頃どうしているだろうか。森に詳しいキテラが迷子になったとは考えにくい。おそらく俺の方がキテラからはぐれてしまって、キテラが俺を探しているんだろうな。
一刻も早く合流してお互いの安否を確かめたいところだが、現実は
相当厳しい。広大な森で、霧で視界不良な中で迷ってしまったのだから。
息が浅くて心が苦しい。それはこの前と違って、重い木材を背負っているからだ。
……もう一つ前と違うことがあった。俺は森の中に目印があることを知っている。巨木につけられた矢印さえ見つかれば、それは元の道に戻れたことを意味する。
下手に動き回らないで助けを待った方が良いかと考えたが、すでに結構歩き回ってしまった以上、助けを待つよりも自分から突破口を見つける方が良いと結論付けた。
大声でキテラの名を呼びながら、立ち並んだ巨木を一瞥して肩の高さにあるはずの矢印を探す。巨木は無限にあるから、一本ずつぐるっと回って丁寧に確認する余裕はない。
『矢印はなかった』という答えを永遠と見せ続けられて、つい考えてしまう無意味な問いかけ。都合よく矢印が見つかる確率は如何程のものなのか。その恐ろしい問いかけの結論を想像したくはなかった。
はたして奇跡と言える確率を掴むことができたのは神様のおかげか、それとも森の主とやらが俺を憐れんだのか。
立ち並ぶ巨木の中の一本に矢印を見つけた。期待と不安で心拍数が上がるのを自覚しつつ、矢印の指す方へと歩を進めれば、突き当たった木に二つ目の矢印を見つける。
長いため息をついた。安堵と疲労が色濃く映っていた。
以前としてキテラと合流できないままだが、俺は先にツリーハウスに戻るべきだろうか。
その選択をした場合、キテラが俺の選択を予想してツリーハウスで合流しようと考えていなければならない。
たとえ日が暮れても、キテラは森に残って俺のことを探すだろうか。
「わっ!」
「うぉっ!!」
急に背後から声をかけられる。驚いて振り返ると、声を出して笑っているキテラがいた。
「あははっ! いやー、後ろにいたのに急に消えたと思ったら、今度は前から現れるなんて。瞬間移動の魔法でも覚えたのかい?」
彼女の近づいてくる音が全く聞こえなかった。足音を消していたのだろうか。随分とおちゃらけた様子である。
「驚かさないでくださいよ……それにしても良かった。確認ですが、怪我とかはありませんか?」
「迷子になったのは君なんだし、そんなことわざわざ聞かなくてもいいでしょ」
「大事なことですよ! キテラなら大丈夫とは思ってたけど…………でも、本気で心配してたんです」
「……悪かったよ」
キテラは目線を逸らして言った。
「怪我はないですか?」
「うん。君は?」
「大丈夫です」
二人は向かい合ったまま動かない。
お互いの安否は確認できたものの、妙な沈黙が流れる。
最初に沈黙を破ったのはキテラだった。
「こういうセンチメンタルな感じ、苦手なんだ。それよりはおちゃらけてた方がいい。でも……そうだね……君が突然いなくなって、僕も心配した。置いてきぼりにしちゃったんじゃないかって後悔したよ。だから…………無事でよかった」
気まずそうにしながら、けれども確かに言葉を紡いだ。彼女が自分の感情を素直に言うのは、これが初めてではないだろうか。
「帰りましょう。我が家に」
「勝手に所有権奪うな」
なんだか彼女と心が通った気がする。一方的な思い込みかも知れない。それでもツリーハウスまでの足取りは軽やかだった。




