惑い人
霧立ち込める樹海。
壮年らしき男はバックパックを背負い、薄く寒い空気を切り分けて進む。
直径10メートルほどもある巨大な幹が、天井に向かって真っ直ぐ伸びる。その幹の先は濃い霧が隠して見通せない。同じような巨木が森の中に永遠と連なっている。
巨木が栄養を残らず吸ってしまっているのだろうか。木以外の植物は背の低い草がポツポツと生えているのみ、茶色の地面が露出していた。進行を妨げる雑草が生えていないのは歩きやすいと言えよう。
水気を含んで柔らかな土を踏み締める。濡れた落ち葉が匂う。
意志が続くかぎりは、歩き続けることができた。
俺こと戸田 桂次は、仕事に疲れた時や日々に生きづらさを感じた時、独りで大自然の中に身を置く。青い香りが肺を満たすと、身体の悪い物質が吐き出されていくのを感じるのだ。
今日だって旅行雑誌に密かに載っていた『透き通る清水! 癒しの渓流』に来たはずだった。渓流沿いを散策しながら、好奇心から森の奥へ入っていった。すると、いつの間にか辺りを霧が満たしていた。
迷ってはいけないと思い、すぐに引き返した。しかし、すぐそこにあるはずの渓流が見当たらない。それどころか進めば進むほどに、周りは見慣れぬ景色へと変貌していく……。
ふと、立ち止まった。
どれくらい歩いただろうか。
後ろを振り返った。前と同じ景色があるだけだった。上を向いた。霧の先に、ぼんやりと巨木の広げる葉っぱが見えた。
「疲れたな。ちょっと休もう」
独りごちる。
地面は少し水気を含んでいる。直に座ることは避けたい。
バックパックを下ろし、中から折り畳み式の小さな椅子を取り出して座った。
座った途端、足の疲労を一気に自覚する。
ちょっと長めに休憩をして、体力が回復したら歩き出すことにしよう。
今の時刻を知りたくて、スマホを取り出す。圏外の表記になったスマホは時刻を確認することにしか使っていない。時刻は15時過ぎを差していた。かれこれ5時間は歩き続けていることになる。
水筒に口を付ける。何もしない味がした。
口が寂しくなったので、何か食料がないかとバックパックを漁る。パンパンに詰め込まれたバックパックの底の方に、ブロック状のバランス栄養食を見つけた。俺が1番好みのフルーツ味だ。
袋を開けると粉が溢れた、中身のブロックが2つに割れていた。
齧る。それでも美味く感じるのは自分の置かれた状況のせいだろう。
他に見つけた食糧はカ⬜︎リーメイト一箱に、カップ麺が一個。
水は水筒の3分の1程度。
これらが尽きるまでに森を出るか、救助されなければならない。
………………。
……独りだ。
何もする事がない。できるのは、この終わりの見えない森が終わると信じて歩き続けることのみ。
もしかしたら近くを人が通りかかっているかもしれない。そういう可能性も考慮しておいた方がいいだろう。
「誰かーー! 助けてくれーー! 誰かーー!!」
叫んだ声は木々に反響し、霧の中に消えていった。
仮眠を取ろう。それで気と体力を養って、また歩き出すんだ。
椅子を横向きで木に隣接する。
巨木は根本付近で急勾配になっているので、背を預けるとちょうどいい感じに寄りかかれる。
「はぁ……」
寄りかかったら溜息が漏れた。頭上には霧に閉ざされた空。
疲労から眠気が襲ってくる。その抗い難い眠気に流されて、意識は惑い溶けていく……。
処女作です。文庫本一冊あたりで話が終わる予定です!
頑張ります!!