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『炎』

序章的なものがおわった気がするかもしれない

 『流れ』は糸が切れたように駆けだし、口を大きく開ける。イストの体はもちろんのこと、馬車でさえ一口で噛み砕けるような大きさをしている。


 『流れ』の錆色の体躯から漏れ出す黒い魔力が、隆起させた数ある黒い牙に集まっていく。


 あと少し、その距離で『流れ』は体をしならせ射出された矢のような速度で飛びかかる。


 イストは横に飛ぶ。すぐそばを『流れ』が()んだ。魔力のこもった黒い牙が空間そのものを切り裂いたかのような残光を作り出す。


 錆びた鉄を想起させる不愉快な臭い。一瞬の()、硬質な物体がぶつかり合った音がイストの鼓膜を強く叩いた。


 『流れ』の首元に向かってイストが剣を振るう。しかし『流れ』は大きく飛び跳ねて(かわ)し、少し離れた位置で着地し再び態勢を整えた。


「でかい割には、ずいぶんと身軽じゃないか」


 イストは振るった腕を構え直しながら皮肉を叩く。攻撃に特化させた多数の黒い牙を擁する大きな顎に、頭の大きさに比べて小さい体という、崩れたバランスに見合わない素早さを持っているようだ。


 『流れ』が頭を上げた。


 世界を震わすような重低音が轟く。


 イストは思わず顔をしかめた。衝撃波と言える『流れ』の遠吠え。無機質めいた眼に、ドス黒い感情が溶けた鉛のように注がれる。全身から漏れ出す黒い魔力が、粘性(ねんせい)を持った煙のように立ち昇った。


『全力って感じだね!』

「だな」


 『流れ』は再び駆けだした。巨体を覆う黒い魔力の残滓(ざんし)がその軌跡を形どる。


 にやりとイストは笑う。


「今度は俺の番だろ?」


 ムルを握る手に力を込める。


「くらえっ」


 イストは『流れ』に向かって聖剣ムルをぶん投げた。


『えええええええええええええええ!?』


 叫ぶムルを『流れ』は体を右側に傾けて避ける。姿勢は崩れ速度は落ちたが、駆ける動きは止まらない。


『ちょっとイスト!?』


 ムルはそのまま地面に突き刺さる。


 イストは困惑したような声を気にもとめず左手の『炎』に力を込めて大きくし、それを『流れ』に向かって解き放つ。『炎』は草を焦がしながら矢のように先を尖らせ射出された。


 『流れ』は体を左側にくねらせてそれを避ける。体毛をわずかに焦がすだけにとどめるが、その代償として大きく減速した。


 イストはその隙を逃さず右手をすくうように素早く上げる。


「来い! ムル!」


 その動作に反応したムルは、まるで引き寄せられるようにイストの右手に切っ先を向けて飛んでくる。


 射線上にいる『流れ』は振り向くことでそれを察知。巨体を大きく飛び上がらせてそれを避ける。その動作は駆ける勢いを完全に殺し、その場で止まることになった。


『避けられたよ!』

「これでいい!」


 イストは『流れ』に向かって走った。途中飛んでくるムルの柄を逃さず掴んで両手で握りしめる。両手を後ろに持っていかれそうな勢いだが、構わず力で押し殺した。


 力を込めた両手から生まれる『炎』がムルの柄から切っ先へと這うように伝っていく。普通の剣ならばすぐにでも融解する火力、しかし聖剣ムルの刀身は太陽のごとく赤く光らせる。


 『流れ』は目の前にまで迫る力の奔流に気付いた。避けられないと察したのか、巨体に力を入れて大地を踏みしめる。迎撃するつもりなのか、大きく口を開きすべての黒い牙を隆起させる。そして『流れ』が持つ黒い魔力が黒い牙に集まっていく。


「受けれるんなら受けてみろっ」


 聖剣ムルを横薙ぎに振るう。放たれる赤い炎の斬撃。


 『流れ』はそれを噛み砕こうと黒い牙を突き立てた。


 赤い炎と黒い牙が触れ合った瞬間――


 ――激しい閃光と轟音を発しながら『流れ』が吹き飛んだ。


 地面に叩きつけられそのまま(こす)るように移動し横たわる。錆色の巨体はピクリとも動かなくなった。


 イストの目の前、炎の斬撃の射線上にあった植物は焼き払われ、地面は爆発によってえぐられていた。


 イストは振り返りながらムルを鞘に納めた。


「これが、八等級冒険者の戦い方だ」

『最後は力押しだった気がするけどね!』

「俺の得意技だ」


 少し離れたところにいるセシリに歩み寄る。


 セシリは動かなくなった『流れ』の方を、睨むように見つめている。


『セシリ?』


 ムルが呼びかけると、セシリはハッとしたようにイストとムルに顔を向けた。血色は元に戻っているが、少し呆然とした様子をしている。


「あの狼を一撃で……」

「七等級でも、あれを一人で倒せるようなやつはいるだろう。だがこれだけ迅速に倒せるのは、俺のような八等級くらいにしかできないだろうな」

『イストは実はすごいんだ!』


 イストはセシリを手招きして動かない『流れ』へと近づいていく。


 腰から後ろ足付近にはまだ錆色が残っているが、頭の方は黒一色に焦げていた。その近くには砕けた黒い牙と思われる破片が散らばっている。


 イストは注意深く頭を見たあと、黒焦げの口元に手を突っ込んだ。手に伝わる熱い感覚は、『炎』の熱がまだ残っているからだろう。


「何をしてるんですか?」


 疑問の声を上げるセシリに、イストは掴んだ物を見せる。


「戦利品、ってところだな」


 こぶしを二つ並べたくらいの大きさをした黒い牙。それ自体が『流れ』の持っていた黒い魔力を発するようにぎらついている。


「たまたまかもしれないが、あの攻撃で欠けずに残った、ってことは相当硬いぞ」


 事実、これ以外の黒い牙は砕けているか割れているかのどちらかで、原型をとどめてはいなかった。派手にやりすぎたかもしれない。


「良いナイフが作れそうだ」


 倒したモンスターの一部を、武器や防具の素材として利用するのは、冒険者の間では普遍的に行われていることだ。


 イストは黒い牙を手で遊ばせていると、セシリが目の前に回り込んで来る。


「師匠」

「なんだ?」

「わたしは……強くなりたいんです」

「……それはハリファでも聞いたが」

「強くなるためなら、どんなことだろうとやります。だから絶対に、絶対に強くしてください」


 静かに言葉を紡ぐセシリ。ガラスの上に塗料を乗せたような、どこか似た眼をしている。


「……そいつは、お前の才能と努力、それと運次第だな」

「はい!」


 その覚悟が何から生まれているのか、イストにはわからない。ただ、強くなりたいと思っているのなら、きっと強くなれるだろう。そこに理由なんてものはないし、必要ない。


 深く考えていない、とも言えるが。


 イストは黒い牙を懐に入れた。そして王都へ続く道に目を向ける。馬車は途中で降りたなら、後の道のりは自力で進むしかない。


「さて、王都は遠いが、歩いていくか」


 イストとセシリが歩き始めたすぐに、王都へ続く道の向こうから声が聞こえる。


「イストさーん!」


 おそらくアンリコのものだろう。


 道の向こうからは馬が数頭走ってくる。乗っているのは予想通りの人物と、服装から判断するにギルド職員だろう。


 目の前までやってくるとアンリコとギルド職員たちは馬から降りた。


 イストはギルド職員たちに手で後ろを指し示す。彼らは頷き『流れ』の死体に近づいていく。弱いモンスターしか出ないはずの都市間の道で、六等級以上の強いモンスターが現れた理由を推測するための調査を行うのだろう。


「いやーやっぱり八等級なんだなぁ。あんな強そうなモンスターに勝つなんて」

「ずいぶんとはやかったなアンリコ」

「途中から馬車の馬を借りて、急いでギルドまで行ったんですよ」

「そうなのか」


 セシリはアンリコからは見えないイストを挟んだ位置に移動する。イストが不思議そうに見ていると、セシリは自身の顔に両手を当てて揉むような動作をする。その後、ばっと顔を上げた。


 その顔に張り付く表情はさっきまでの平坦なものではなく、人懐っこい元気な女の子、といった容貌(ようぼう)だった。


 その様子を見てイストは苦笑いを浮かべた。


「セシリちゃんも大丈夫だった?」

「……はい! 大丈夫です! 師匠に守ってもらえたので!」


 アンリコは心配そうにセシリに話しかける。


「囮にされたりしなかった?」

「……お前は俺を何だと思ってるんだ」

「じょ、じょうだんですって」

「……それより、俺の荷物は無事なんだろうな?」

「ちゃんと冒険者ギルドに預けてありますって」

「なんで冒険者ギルドに……フィオナから小言を言われそうだ」

「おれはこのまま職員さんたちの護衛をやるので、気にせず帰ってください」

「ああ」






「お疲れ様です、イストさん」

「ああ、久々に長時間歩いた」

「いえ、そうではなくて」


 王都に着いたころには昼時を大きく過ぎていた。イストとセシリは冒険者ギルドの酒場で、フィオナと共にテーブルに着いていた。セシリの前には二等級冒険者向けの定食だが、フィオナの前には紙とペン。


 昼食をとるついでに『流れ』討伐の件をギルド側に報告するためだ。


「流れの銀月追い、ギルド内でマナガニス、と呼ばれていた個体の討伐されたことです」

「へぇ……あいつ名前持ちだったか」


 異常に強い個体や、特殊な生態の個体は区別するために種族名とは別に個体名で呼ばれることが多い。


「ちょうどイストさんが、馬車に乗ってるところに現れたのが幸いでしたね。各地で大きな被害を出しながらも、移動が早く、討伐が困難な個体でしたから。それでですね、今回の件は緊急時の対応だったので、準八等級依頼として処理されます」

「ということは、報酬金が出るのか」

「はい。六等級依頼、マナガニス討伐の報酬金を、そのままイストさんにお渡しすることになります」


 緊急性が高く危機的状況で、すぐに対処ができる冒険者がいない場合、〈八等級〉冒険者に依頼が回されることがある。その場合、準八等級依頼という分類として依頼されることになる。〈八等級〉冒険者は〈八等級〉依頼しか受けられない、というルールの抜け道として用意されているものだ。


 そんな状況を〈八等級〉依頼以外を受けられないからと、断らせないという意味合いも含んでいる。


 そしてそれは事後であったとしても、依頼を受けていた扱いとして処理される。


「久々の報酬金だ。明日が楽しみになる」

「いえ、競馬には使わないでください」

「俺の心を読むな」

「それより……報告書を作成するので、いろいろお話を聞きたいのですが」


 フィオナは二等級定食を口いっぱいに頬張りながら食べているセシリに目を向ける。その視線に気づきながらも食べる続けている。


「えーっと、そちらの方は?」


 セシリは口に含んだ物をごくりと飲み込んで口を開く。


「わたしは二等級冒険者のセシリといいます! これからよろしくお願いします、受付嬢さん!」

「あっ、はい、よろしくお願いします、セシリさん。私はフィオナです。これから、というとアリエス王都で活動するということですね?」

「はい! それもありますが、師匠の下で修行をするんです!」

「し……しょう……?」


 フィオナの震える眼がイストに向けられる。信じられないものを見るような眼をしていた。


「面白そうなやつだからな、弟子にした」

『きっと強くなれる子だよ』

「……それ、ちゃんとしたやつですか?」


 フィオナの眼がじとっとした眼に変わる。まさか少女を食い物にするとでも思っているのだろうか。


「もちろん、責任持って八等級冒険者に仕立て上げるさ」

「はい! がんばります!」

「は、八等級ってそんな無謀な……」

「本人が強くなることを望んでるんだ、なら力の限りを尽くして強い冒険者にしてやるべきだ」

「あなたの言う強い冒険者の加減がおかしいんですよ!」


 がなるフィオナにイストは目をそらす。視線の先にいたセシリは気にせず食事を再開していた。よく見ると、さっきとは別の料理が並んでいる。まさか追加で注文したのか。


「よく食うな」

「空腹はわたしの天敵ですから!」


 セシリはにこりと笑った。




 『流れ』との戦闘の詳細をフィオナに報告した後、ついでにイストは食事を済ませた。残念ながら報酬金の受け取りは後日となるらしい。イストは落胆しながら冒険者ギルドが保管していた酒瓶の詰まった鞄を受け取り、外へ出た。


「俺はこれからこの荷物を届けに知り合いのところへ行くが、お前はこれからどうするんだセシリ。宿でも借りるのか? それならおすすめのところへ案内しようか?」


 冒険者向けの宿屋は、活動の拠点用に長期間借りられるところが多い。宿泊ではなく、いわゆる下宿である。イストのおすすめというのは、実際に現在の家を買う前に拠点にしていたところだ。


 セシリはにこりと笑った。イストは嫌な予感を覚えた。


「大丈夫です。師匠の家に住み込みで修行するので。弟子ですから」


 眼は笑っていなかった。本気で言っているようだ。


 イストは言葉が出ない口を微かに動かした後、大きくため息を吐いた。


「……ほんと、厄介なやつに捕まっちまったな」

『これは予想外だねえ』

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