『流れ』
イストはアリエス王都行きの乗合馬車が待機する城門で待っていた。そこにセシリ、ではなく朝も見たアンリコがやってきた。
「うわっ、またイストさん」
「帰りもお前の護衛か」
「はい、今日は王都に戻って終わりですね。いやー今のところモンスターに遭遇してないし、やっぱ乗合馬車の護衛は楽でいいですねー」
「ふぅん……」
そこはかとなく不吉なことを言うアンリコから目をそらすと、荷物を持って走るセシリの姿が見えた。居住地を別に移すというのに、背負う荷物はイストが持つ酒瓶が入った鞄よりも小さかった。元々物を持たない性格あるいは、物に執着しないからだろうか。
「お、お待たせしました……」
余程急いでいたのか、セシリは膝に手を当てて肩で息をしていた。
「……いきなり拠点を移すことになってるが、本当にいいのか?」
「大丈夫です! 孤児院から出たばっかりの宿屋暮らしなので! 孤児院に別れの挨拶は済ませましたし」
「お、おう」
身軽な境遇、なのか。とはいえ行動が早すぎる。それ自体は良いことかもしれないのだが、何も考えていないのでは、という思いがイストの心に湧き上がる。
「あれ、その子誰ですか?」
セシリに気付いたアンリコが疑問の声を出す。
「わたしはセシリと言います! 二等級冒険者で、イストさんの弟子です!」
「い、いいいすとさんのでし」
アンリコはあんぐりと口を開けて驚愕する。まるで悪い大人に騙される子供を見るような目をしている。
「や、やめたほうがいいんじゃない?……だって……イストさんだよ?」
アンリコはとても失礼なことを言った。イストは眉をひそめる。
イストの睨みに気付いたアンリコは慌てて弁解を始める。
「いやいや、イストさんがダメとかじゃなくてですよ? 八等級冒険者の弟子ってしんどうそうだなぁって!」
「がんばります!」
アンリコの言葉に、セシリは奮起するようにこぶしを握った。その様子にアンリコは若干引き気味だった。
『もちろんイストが冒険者を教えるんだから、すごく強くなれるよ!』
「そ、そうかもしれないですけど……」
おそらく駆け出し冒険者の中で一番、イストの意地の悪さを知っている人間はアンリコだろう。なぜならイストの方から率先してちょっかいを出しているからだ。一応イストからすれば、それなりに期待ができるからであるが、アンリコからすればフィオナの件でいじられているようなものだ。
それを踏まえてアンリコは、セシリに痛ましいものを見るような目を向ける。
「ま、まぁ、がんばってねセシリちゃん……」
「はい!」
「……もう馬車に乗るぞ」
イストはそんな二人の会話を切り上げて、アリエス王都行きの馬車に乗り込む。セシリとアンリコはそれに追うように馬車に乗った。
数人の乗客と冒険者三人を乗せた馬車は、王都へ向けて出発した。
馬車の揺れも気にせず眠っていたイストは目を開ける。横に立てかけているムルと座るセシリ、その対面にいるアンリコの一本と二人で、世間話を続けていた。
『レアルマは剣術が下手だったんだ。だから使えるイストに渡したってこと』
「へぇ、そうなんだ。でも、レアルマ様って戦いが得意って聞いたけど、どうやって戦ってたの?」
『そりゃあ、殴ったり蹴ったりだよ!』
「……おっそろしい女神様もいるんだなぁ」
『それ、レアルマが聞いたら怒るやつ』
「ひ、ひぃぃすんません女神様!」
『一応魔法も使ってたけど、ほとんど肉弾戦だったなぁ』
イストは一本と二人の会話を聞き流しながらあくびを噛み殺す。
――不意に、『嫌な感じ』がイストの脳裏に襲い掛かる。
イストが最も信頼しているのは、聖剣ムルでも自分の戦闘力でもなく、自分自身が持つ勘である。
イストには下手な思考よりも、無意識で下す判断を最終的には優先する癖があった。何も考えていないわけではないが、結果だけを見れば場当たり的な行動に見える。
その意識が完全に定着したのは、数年前の〈八等級〉依頼。イストが〈八等級〉冒険者に認定された原因でもある。
あの時に、考える暇も、余裕も、意味さえもなく、ただ勘に従ってがむしゃらに戦った末に、〈八等級〉冒険者のイストが出来上がったと思ってる。
その勘が言う。何かが来るぞ。
イストは馬車の外の様子見を伺う。頬を撫でる風の匂いに変化はない。近くに何かがいるような気配も感じなかった。
少なくとも今は、のどかな草原に伸びる都市と都市を繋ぐ道でしかない。
イストの横にいるセシリの様子が変わる。さっきまで笑顔で会話していたのが嘘であるみたいに、表情からは感情の色を消えた。態勢を座った状態からいつでも動けるように整えている。
「何か、あったんですか?」
イストは内心で舌を巻く。イストの動きはただなんとく外を見ただけ。何かを言うことも、表情を変えることもしなかった。やったことは心の中で意識を切り替えただけだった。
セシリは『嫌な感じ』こそ気づかなかったが、それを感じ取ったイストの様子に気づいたようだった。
アンリコはいきなり表情を消したセシリに驚いている。
「え? どうしたのセシリちゃん?」
『ほへ?』
アンリコはもちろん、ムルさえもイストの様子に気付いていなかった。
イストは驚くアンリコに鞄を押し付ける。アンリコは慌ててそれを受け取った。
「中に入ってんのは酒瓶だ。万が一にも割るなよ? 俺がカーティアに、怒られることになるからな」
「ええ! ちょっと!?」
イストはムルを掴んで馬車から飛び出す。
それに気づいた御者は声を上げた。
「ど、どうかしましたか?」
「気にするな。あんたらは止まらずにそのまま進めばいい」
イストは何かを待ち構えるように道の上に立つ。
セシリもまた、習うように馬車から飛び出した。馬車は二人を残してそのまま遠ざかっていく。
「モンスターですか?」
凪のような声色のセシリにイストは頷いて返した。
セシリは今まで馬車で通ってきた道を鋭く睨む。
「誰の運が悪いかは、後で議論すべきだな」
『うーん、イストも結構運わるいよねえ』
ムルはのんびりとした声を出しながらも、刀身を鞘ごと光らせる。聖剣ムルの戦闘態勢だ。
セシリは背中につるした剣を引き抜き、盾を装着した左腕は軽く力を込めるように曲げた。対して、イストは力を抜いた自然体のまま。
「お前が戦えるような相手じゃないぞ」
イストはセシリを横目で見ながら言い放つ。
「わたしも冒険者ですから。それに、八等級なら助けてくれますよね?」
セシリは視線を返す。それは期待ではなく、確認の意を込めた目だった。興奮も怯えもなく物事を過不足なく見極めるような、揺らぎのない目でもあった。
生意気なやつめ。イストは思わずにやりと笑う。
「いい度胸だな、冒険者ならすぐ死ぬタイプだ」
「なら、死なないように強くしてくれますか?」
それでもセシリは乱れることはない。
「ま、それはお前次第、ってところだな」
「はい」
背後から、道の向こうへとささやかな風が吹いている。揺れる草花が風に匂いを乗せ、二人の鼻腔をくすぐる。
イストの目が細まる。
「来るぞ」
「――ッ!」
セシリは道の向こうを見据えて身構えた。
「いや――
イストはそんなセシリの服を掴む。
――上からだ」
空を見上げるイストがセシリを掴んだまま後ろに飛び退くと、大きな影が地面を穿つ。舞い上がる土煙にセシリは思わず顔を背けた。
土煙の中に揺れる大きな影は二人に向かって突撃。イストは迎え撃つように右脚を叩きつけて左方向へと振り抜く。堅いな。イストは手ごたえで判断する。
大きな影は横から来る衝撃に踏ん張れず吹き飛ばされた。巨体が地面を幾度か跳ねた後、態勢を立て直して放された距離で二人に対峙する。
そこで、イストは手を放した。
セシリはその場で転がるが、すぐに立ち上がる。
その大きな影は、一見すると狼のような姿をしていた。体躯はイストたちが乗っていた馬車よりも大きい。頭に比重が偏った異様な外形をしていた。重さからか垂れ下がる顔の大きさは、体長の四割ほどを占めている。
光を持たない眼は血のように赤黒く、大きく裂けた口は、中から乱雑に生えた大小様々な黒い牙を覗かせている。体は長年放置された刃物を思わせる錆色の毛に包まれていた。
元は銀月追いと呼ばれる狼だったのだろう。その中でも、群れからはぐれて各地を放浪している個体だと思われる。
生きるために強くならざるを得なかったモンスターは、より力を行使するための体に変質する。
この『流れ』となった銀月追いは、まさしくそのことを体現するモンスターだ。
「姿を見られる前に跳躍、そんで空からの奇襲ってか」
イストのつぶやきは、意味を知ってか知らずか重低音の唸り声で返される。
『流れ』は、低く構えながらも動きを見せず、その場で大きく呼吸を繰り返す。臭いを嗅いで相手の情報を得ようとする仕草だ。
「おそらく〈六等級〉冒険者がチームで討伐するようなやつだな。まあ、乗合馬車の護衛依頼を受けるような冒険者じゃあ手も足も出ないな」
『むしろ運がよかったかもね。だってイストがいるから!』
格が違う相手を前にするセシリの表情は、怯えこそないものの、流れの銀月追いが放つ暴力的な空気にあてられ青白くなっている。それでも、睨むような目に変化はない。
実力差の大きな相手に心で立ち向かえるのは、強くなれるやつの特徴だ。
イストは心の中でつぶやいた。
「さて、俺は優しいからな。修行だからあれと戦え……なんて言わないさ」
イストは、おもむろに歩を進め、『流れ』へと近づいていく。距離が埋まるごとに『流れ』のガラス玉のような目から放たれる殺気は強まっていく。
「ただ、強くなりたいんなら……見逃すなよ?」
『すぐ終わっちゃうからね!』
イストは『流れ』に、後ろのセシリに、見せつけるように聖剣ムルを引き抜いて、左手に『炎』を掲げた。
【銀月追い】
群れをなして生活する狼。
二つある月の片割れである白銀月が昇った後に活動を始めるため、銀月追いと呼ばれている。