人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
卒業式も終わり、春休み期間に入ったある日。委員会の仕事のために登校したわたしは、下駄箱で一通の手紙を見つけた。見落とすことがないように気を使ったのか、絶妙な位置に置かれた真っ白な封筒。
渡辺さんへ。
表書きには宛名だけが書かれている。神経質そうな整った文字。使われているのは万年筆だろうか。ジェルインクとは異なる少し青みがかった黒が美しい。こだわりの筆記用具で書いた一世一代の大勝負なのだろう。
差出人の名前が書いてあるのかはわからないが、裏返さないように気をつけながら手にとった。出入り口から差し込む光に照らされて、手の中の白が眩しい。思わず目を細めつつ、手紙をひとつ隣の下駄箱に入れ換えた。よし、これで問題ない。小さくうなずき、ローファーから上履きへと履き替える。
わたしのクラスには、「ワタナベ」がふたりいる。
ひとりは可愛いことで有名な渡邊さん。通称「可愛いほうのワタナベさん」。全体的に色素が薄いとでもいうのか、色白かつ栗色がかった髪、薄茶色の瞳がよく目立つ。部活は吹奏楽部で今日も練習をしているはずだ。手紙にもすぐ気がついてくれるんじゃないかな。
そしてもうひとりが「そうじゃないほうのワタナベさん」。何か無理にでも特徴をあげるなら「真面目なほうのワタナベさん」。それがわたし。ちなみに残念なことに「真面目なほうのワタナベさん」よりも、「可愛いほうのワタナベさん」の方が成績がいい。これは結構、地味に悲しい。
同じ名字なのだからクラスをわけてくれればよいものを、なぜか三年間一緒のクラス。おかげで、彼女宛のラブレターがわたしの下駄箱に紛れこむ事態にも慣れてしまった。だからこれは、ゴミの分別作業にも似たちょっと面倒くさい日課だ。
初めて「渡辺さん」宛の手紙をもらった時には、何も気がつかないまま指定場所に行って大恥をかいたんだっけ。頬を紅潮させていた相手に浮かぶ困惑。事情を飲み込んだ後の落胆。そして八つ当たりめいた怒り。「お前みたいなやつに告るわけないだろ」という捨て台詞は、わたしがうっすらと抱いていた相手への好意と恋への憧れを打ち砕くには十分過ぎるものだった。
ラブレターそのものが「単なる間違い」だなんて、罰ゲームの「うそ告白」よりタチが悪いと思う。
だいたいいくら「渡邊」という文字が難しくても、好きなひとの名前くらい確認して正確に書けばいいのに。「渡辺」と思い込んで書くほうが悪いんじゃないかしら。
はあ、朝から嫌なこと思い出しちゃったな。黒歴史ほど忘れられないって、どういうことなの。気持ちの良い朝のはずが一気に苛々してしまった。
「ああ、もう、嫌になっちゃう!」
わたしが思わず口に出せば、背後でがたがたと大きな音がした。同じ図書委員会に所属している、隣のクラスの斎藤くん。いつも沈着冷静な彼が、なぜか廊下でうずくまっている。何かに足をひっかけたのか、鞄の中身が散らばっていた。
「斎藤くん、大丈夫?」
「あ、ああ、うん。もちろん大丈夫だよ。ごめん、オレ、先に図書室に行くね」
「え、ちょっと、待って」
斎藤くんは手早く荷物をまとめると、なぜか足早に行ってしまった。わたしは慌てて階段を駆け上がる。制服のスカートが、風をはらんでふわりと広がった。
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誰もいない図書室で、本の整理をするのは気持ちがいい。利用者が奏でる本のページをめくる音も心地よいけれど、誰もいない図書室を一人占めする快感には敵わない。もちろん本日の当番はわたしひとりではなくて、本来の意味で「一人占め」ではない。それでも、一緒に作業をしてくれる相手は静かで真面目なひとだから、ほとんど「一人占め」に等しかった。
わたしの視線の先にいる斎藤くんは、難しい顔をしてずり落ちてきた眼鏡を押し上げている。委員会に入っていても、割り当てられた当番、しかも休み中のものに来るひとなんてほとんどいないのに、当たり前のように毎回参加してくれる律儀なひとだ。
ちなみにわたしが、『そうじゃないほうのワタナベさん』と呼ばれているように、斎藤くんには『地味なほうのサイトウくん』というあだ名があるらしい。なんでも、最近人気急上昇中のイケメンモデルに、斎藤くんと同姓同名の男の子がいるのだとか。お互い苦労するよねなんて、声に出したことはない。それでも、勝手に心の友として慕っている。
本日の作業内容は蔵書整理と簡単な本の補修。司書の先生は複数の学校を掛け持ちしていらっしゃるそうで、今日はご不在だ。とはいえこの二年間でわたしたちもいろいろ教わってきたのだから、少しは戦力になっているのではないかしら。積み重ねられた本を手にとり、思わず眉を寄せる。
「いやだ、この本、誰かが鉛筆でしるしをつけている。そういうのは、自宅の本だけにしてほしいのよね。まあ蛍光ペンでラインを引かれたり、ボールペンで書き込みをされるよりもマシか……あっ」
わたしは朝の手紙のことを思い出して、斎藤くんに声をかけた。
「斎藤くんって、もしかして万年筆とか使っていたりする?」
「どうしたの、急に?」
チェックリストをつけていた斎藤くんが、顔をあげる。眼鏡の奥の目が、困惑したように細められた。手持ち無沙汰だったのだろうか、右手のボールペンがくるりくるりと鮮やかにひっくり返る。
彼は、結構文房具にこだわりがあったはずだ。一度貸してもらったシャープペンシルの書き心地の良さには感動してしまった。まあそのすぐ後に、お値段を聞いて目を回してしまったのだけれど。うっかり壊す前にと、慌ててシャープペンシルを返したことも懐かしい。
「実は朝から下駄箱に手紙が入ってて」
「えっ。そ、それってラブレター」
「ああ、わたし宛じゃないよ。『可愛いほうのワタナベさん』宛のものが、わたしの下駄箱に入っていたみたいで。しょっちゅうあるの」
「しょ、しょっちゅう?」
「そう、だから今日もいつも通り渡邊さんの下駄箱に入れておいたんだけれど。その手紙の宛名が万年筆で書いてあったみたいだから、ちょっと万年筆のことが気になって」
「わ、え? ああ、あの、万年筆ね。うん、そうだね、オレもひとつ持ってる。学校で使う場面はほとんどないから、家に置きっぱなしだけれど。お礼状とか、大事なひとへの手紙なんかに使ってるよ」
そっかあ。やっぱり、気合い入ってたんだねえ、あの手紙。考えてみれば、封筒の手触りも他のものとはちょっと違うものだった気がする。それならなおのこと、名前やら下駄箱やら基本的な部分を間違えるなよって感じてしまうけれど。ひとりうなずくわたしの横で、斎藤くんが椅子を引いて立ち上がった。
「ごめん、渡辺さん。オレ、さっき鞄をひっくり返した時に、落とし物をしたみたいなんだ。ちょっと図書室を離れて探しにいくけれど、いいかな?」
「いつも完璧って感じなのに、めずらしいね。どうせなら一緒に探しにいこうか?」
「いや、大丈夫だよ。大体、オレなんて完璧からはほど遠いよ。本当に、肝心な時に限って全然うまくいかない」
図書室を出た斎藤くんが、小走りに廊下を駆けていく音がした。いつも落ち着いている斎藤くんが走ってるなんて、相当大事なものだったんだろうなあ。几帳面なはずなのに、開けっ放しにされた扉がおかしくて、わたしは小さく笑ってしまった。
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同じ学年の女子からは、『地味なほうのサイトウくん』なんて言われているけれど、斎藤くんは結構整った顔をしている。分厚い眼鏡をかけているから、廊下ですれ違ったくらいでは気がつかないのかもしれない。斎藤くんがいるのは、男子ばかりの理系クラスだし。
目立つタイプではないけれど、がりがりに痩せていたり、ぶよぶよに太っていたりもしない。姿勢も良くて、清潔感もある。それに近くにいると、柑橘系のいい香りだってしている。
まあぶっちゃけてしまえば、いまどき不潔にしている男の子ってなかなかいないと思う。みんな毎日お風呂に入って、髪も洗っているだろうし。でも、実際に清潔にしていることと、見た目に清潔感があることってイコールじゃないんだよね。そこをクリアしている斎藤くんってすごいんじゃないかな。
それに、わたしは斎藤くんの手が好きだ。クラス対抗の合唱コンクールではピアノ演奏をしていて、正直前のめりで見てしまった。すらりと長くて綺麗な指は爪の形まで整っていて、手タレにだってなれそうなくらい。とはいえ全国模試の結果を見るに斎藤くんは抜群に頭が良いし、将来はお医者さんや薬剤師などのお堅い職業につくのだろう。だから、テレビや雑誌のお仕事なんてするはずもなかった。
それにしても斎藤くんが比べられているモデルさんって、どんなひとなんだろう。スマホを取り出して、検索してみる。え、すごい。Wikipediaにページが作られているんだ。じゃあ、本当に知名度があるんだね。本業はモデルで、コマーシャルにも結構出ているのか。俳優デビューもしちゃってたり……あった、ショートムービーに出演している。
へえ、同い年なんだ。高校名は非公表になっているけれど、こういうひとが通っている学校って、きっと華やかな私立なんだろうなあ。やだやだ、なんだかお金ばっかりかかりそう。だいたい有名人が同じ教室にいて、みんな静かに授業を受けることができるのかなあ。むしろ私立のお金持ち学校は、そういうひとしかいないのかしら。
そのまま公式ホームページにも移動してみた。さらさらの髪に大人びた眼差しにどきりとする。でも、すごく遠い。わたしとは違う。本当に同じ人間なのかな。どこを見ているのかわからなくて、不安になる。
画面の向こうにしかいないイケメンモデルよりも、近くにいてくれる優しい斎藤くんのほうがやっぱり素敵。わたしはひとり納得した。まあ斎藤くんだって、わたしにそんなことを言われて慰められても困ってしまうのだろうな。
斎藤くん、早く戻ってこないかな。図書館や本屋さんに住んでしまいたいくらい本は好きだけれど、斎藤くんがいない図書室はなんだかとても寂しい。
暇をもてあまして、万年筆についても調べてみた。種類も豊富……と言えば聞こえはいいけれど、万年筆もインクもたくさんありすぎて、選ぶこと自体が難しそうだ。お値段もピンキリで頭がくらくらする。おこづかいは必要最低限、文房具は現物支給のわたしからは、イケメンモデルと同様に別世界のもの。それでも、これが斎藤くんが大事にしている世界なのだと思えば、きらきらと輝いてみえた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
いろいろ妄想していたら、軽やかに斎藤くんが戻ってきていた。わたしだったら息切れしているような距離なのに、汗ひとつかいていない。やっぱり斎藤くんは、すごい。でも、どうして手ぶらなんだろう?
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「あれ、手ぶら? 落とし物は見つからなかったの?」
「いや、ちゃんと見つかったよ。はい、これ」
形のよい手から差し出されたのは、朝からわたしの下駄箱で見た白い封筒。慌てていたのか、少しだけ手紙にしわがよっている。
「あの……これ……」
「それはね、最初から渡辺さん宛の手紙だったんだよ」
「え?」
「だからね、そもそも、間違いなんかじゃなかったんだ」
斎藤君が、わたしの目を見てもう一度はっきり口にした。こころなしか、顔が赤いようにみえる。
「オレが、渡辺さんに手紙を書いたんだよ。ずっと前から渡辺さんのことが好きだったから」
震える手で手紙を受け取った。これは、今読むべきなのだろうか? どうしたらいいのだろう? 心臓が痛くなるのを感じながら、封筒を見る。そのままつい、カウンターに置いてあるはずのハサミに目を向けた。
「ごめん、手紙はまたあとから読んでもらってもいいかな。目の前で読まれるのは、さすがに恥ずかしい」
「ごっ、ごめん!」
「それに、ちゃんと自分の言葉で伝えたいから」
斎藤くんは、まっすぐわたしを見ていた。深々と頭を下げる。
「渡辺さん、好きです。付き合ってください」
「どうして、わたしに? 『そうじゃないほうのワタナベさん』なのに?」
戸惑うわたしに、斎藤くんが微笑んだ。こんなときでも斎藤くんは、爽やかだ。斎藤くんのことを「地味」だとわらうひとたちは、一体斎藤くんのどこを見ているのだろう。
「少し長くなるけれど、オレの話を聞いてくれる?」
わたしは斎藤くんを見つめたまま、首を縦にふった。
「もともと、図書室の本は好きじゃなかったんだ。誰が触ったのかわからない本。どんな手で触れたのか、どんな風に保管しているのかだってわからない。しかも古くて黄ばんでいたり、ページが破れていたり。明確に汚れがついているときだってあって。だから、正直触りたくなんてなかった。『汚い』とすら思っていた」
「確かに、去年からごたごたしてるものね。消毒してほしいって要望もきてるし、わかるよ」
斎藤くんの言葉にわたしは同意する。本はその性質上、アルコールで拭いて消毒することもなかなか難しい。斎藤くんはそっと首を横にふった。
「違うよ、オレは小さい頃からずっとそう思って生きてきた。なんだったら、他人に文房具を触らせるのだって嫌いだったよ。『ちょっと貸して』って言われるのが苦痛で、大事な文房具は家に置くようにしていたくらいだからね。だから不特定多数のひとに借り回されている本は、オレにとってどうしても『汚い』ものの象徴だったんだ」
斎藤くんは、他の図書委員のひとたちよりも真面目に作業に参加してくれている。貸し出し業務や蔵書整理、補修作業だって全部だ。そんないつもの斎藤くんの姿と今の斎藤くんの言葉が一致しなくて、わたしはゆっくりとまばたきをした。
「それなら、どうして図書委員に入ったの? もっと他に向いているものがあったでしょう?」
「一年のときにね、どうしても学校にいる間に調べものをする必要があって、図書室へ行ったんだ。そのときに、渡辺さんが本の補修の手伝いをしているのを見かけてね。この子は、本が大好きなんだってすぐにわかったよ。そこからかな、昼休みに図書室に来てきみを見始めたのは。本の貸し出しの手伝いをしていても、棚の整理や図書室の飾りつけをしていても、きみはいつでも楽しそうだった。そんな渡辺さんを見ていたら、学校の本を『汚い』だなんて思わなくなっていた。むしろ、渡辺さんから本を借りたいと思ったんだ。渡辺さんが修理した本なら、オレも大事にしたくなった。少しでも近くにいたくて、二年生にあがってすぐ図書委員会に入ったってわけ」
「……全然、気がつかなかった」
「そうだよね。渡辺さんはオレのことより、司書さんにリクエストしておいた新刊が入荷するかどうかのほうが大事でしょ」
「そ、それは……」
慌てるわたしを見て、斎藤くんはおかしそうに肩をすくめる。口を開けばあふれてくるのは、柔らかい、けれど真剣さが伝わる声音。
「今すぐオレのことを好きになってくれとは言わない。少しずつでいいから、意識してほしい。せめて、そこの新刊と同じくらいには」
斎藤くんがカウンターに積まれた、まだ登録前の図書を指差した。これはやっぱり、わたしもちゃんと伝えなくてはいけないよね。
「ずっと前から、斎藤くんのことが気になっていたよ」
小さな声で返したら、みるみるうちに斎藤くんの耳が赤くなった。ゴミと同列にしていたけれど、やっぱりラブレターっていいものかもしれない。手の中の手紙は、なんだかカイロみたいにぽかぽかあたたかい。
「それにしても、まだ下駄箱に手紙が残っていてよかったね」
わたしがそう指摘して笑えば、斎藤くんが頭をかいた。
「実はさっき廊下で渡邊さんに会ってさ。手紙をオレに返してくれたんだ。封筒にはオレの名前なんて書いてなかったのにな。それから、間違いが起こりやすいから、手紙よりも口頭がオススメだよって言われた。ちなみに渡邊さん的告白ワーストワンは、トークアプリのメッセージらしいよ。告白くらい対面で直接言ってほしいって」
百戦錬磨な渡邊さんの気遣いにわたしは崩れ落ちそうになる。やっぱり本当の美人は、性格までパーフェクトなんだ。でも、目の前の斎藤くんは、そんな渡邊さんではなくて、わたしに手紙をくれた。やっぱりこれ、夢なんじゃないのかな。わたしは、手紙と斎藤くんを交互に見つめる。
「だからね、オレが告白したかったのはあっちの『ワタナベさん』じゃなくって、こっちの『ワタナベさん』なの。大体オレに言わせれば、目の前にいる渡辺さんが世界で一番可愛い」
「……斎藤くん、ありがとう」
嬉しいような、むず痒いような。もじもじとしていると、斎藤くんが楽しそうに口の端をあげる。
「それに、名字呼びなんてすぐ終わらせるから。下の名前で呼びまくるから。もちろんオレのことも、下の名前で呼んでもらう。そこのところ、ちゃんと覚えておいてね」
今までの物静かな雰囲気から一変して、どこか圧が強い斎藤くんの姿。わたしは手紙を握りしめ、こくこくとただひたすらうなずいた。
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せっかくなので、作業後は一緒に帰ることになった。今までだって、帰る方向が同じという理由で、途中まで一緒に下校したことだってある。でも今日の帰り道は、なんだか無性に甘酸っぱい。
学校を出れば、道の両脇に雪柳と小手鞠が真っ白な花を、柔らかなレースのように広げていた。
「なに見てるの?」
「あ、そこのお花がレースみたいで綺麗だなって」
「渡辺さんは、ああいうドレープたっぷりのドレスが好みなんだね。了解。結婚式までに、しっかりお金を稼いでおくから」
眼鏡を人差し指であげ、思いっきり真面目な顔で冗談を言う斎藤くんがおかしくて、わたしはつい笑ってしまった。
「またそんなテキトーなこと言って。わたしだけが緊張しているの、なんだか悔しいな」
「冗談なんかじゃないのに。そもそも、手紙を隣の下駄箱に入れたなんて聞いたときは、本当に焦ったんだ。渾身のラブレターが全然関係ない他人の手に渡ってしまうとか冷や汗ものだったから」
「うそばっかり!」
「本当だから。ほらそんなこと言ってたら、また思い出し冷や汗が」
ハンカチを取り出した斎藤くんが、眼鏡を外して大げさに額に押し当てる。その姿を見ていたわたしは、気がついた。……気がついてしまった。
「あ、あ、あ、斎藤くんって、あの、もしかしてモ、モデルなんかやってたりして……」
「あれ、渡辺さん、オレのこと知ってたの? 嬉しいなあ。実は叔父さんの会社でモデルを探していて、身内だと使い勝手がいいからっていろいろあごで使われててさ。おかげでお小遣い稼ぎができていて、それで趣味の文房具を買えているってところもあるんだよね」
にこりと微笑む斎藤くんを前に、わたしは膝の力が抜けた。
「それは逆にうそっていってよ……」
さきほどスマホで見た、あの綺麗な横顔を思い出す。住む世界の違いを実感したあの写真を。斎藤くんは面白そうに口角をあげた。
「渡辺さん、そういうの苦手そうだから言わなかったんだけれど。やっぱり言わなくて正解だね。今さらさっきの告白はナシでって言われても、オレは聞かないから」
「いや、あの……」
「まずは、このままデートにしようか。そうだ、せっかくだから万年筆の専門店に行こう。見るだけでも十分、面白いよ」
「いや、あの、わたしお金がなくて……」
口からこぼれたわたしの断りの言葉を、斎藤くんはあっけなく崩していく。
「お金がない? 大丈夫、オレにまかせて! これでもデート代には不自由しないくらいの稼ぎはちゃんとあるから!」
眼鏡を外したきらきらしい顔が、至近距離で爽やかに笑っている。ゆっくりと見せつけるように唇が動いた。
――絶対、逃がさないから――
斎藤くんのことを「地味なほうのサイトウくん」と呼んでるひとたち、絶対に間違っているよ……。今年度は、受験前から波乱万丈の年になりそうです。