原作:葉桜と魔笛【葉桜と魔声】
実は僕人生二度目なんです。とその青年は語る。
「桜が散ってこのような葉桜のころになれば、私はきっと思い出します」と、語りだした。
一人称が「私」なのは気にならなかった。
私は10の歳でございました。戦争真っただ中で、父にも紅い報せが届きまして、二度と帰っては来ませんでした。ですが、母は本当のことを話しませんでしたので、父が死んだと悟ったのは終戦後でした。三人兄弟の末っ子で生まれましたから、とても甘やかされて育ちました。長男も戦争に呼ばれ、前線に連れていかれました。私は列車を送りに駅まで行きました。母はそこでも戦争に行くとこを私には告げなかったので、結局どこか遠いところに行ったのだろうと認識していました。私はというと、列車を送ると駅長さんからもらえるするめの足の焼いたのを一本もらえましたから、それを目当てにしょっちゅう送りに行っていました。たまに二本もらえる時もありましたので、その時は、名も知らぬおかっぱ頭の女の子にあげて、いいことをしたと自画自賛をして上機嫌で家に帰っていきました。
ちょうど今のような晴れた日に、次男坊の病気が発覚したのです。
診療所に行くと、いつになく静かに眠っている次男が、こころなしか悲しそうに見えました。両方の腎臓が虫に食われてしまっていました。母と私には「100日以内」とはっきり言いました。私はもう一度眠っている次男の顔を見ましたが、どうやら本当に寝ているようでした。
少なからず落胆して家に戻りました。次男の荷物を病院に持っていくためでした。
服を数着持っていこうと箪笥を開けると、あるものを見つけました。粗末な麻紐にまとめられた数枚の封筒でした。本当はいけないのでしょうけれど、好奇心にまけてしまって、中身を見てしまいました。麻紐は触った瞬間にほつれていきました。次男はW・Yという城下町に住む貧しい歌人と恋文と呼んでも差し支えない内容の手紙を通じているようでした。
W・Yはとても自嘲的で、自責をするのが癖になっているようでした。それを歌へと昇華しているのでしょう。手紙の最後には毎回歌で締められていました。
最後の手紙を見たときに、私は絶望しました。W・Yは次男が病気になったという報せを聞いた後、お互いのことは忘れてしまいましょうなどという残酷なことを平気で書いているのです。
荷物を寝ている次男の隣に置き、一枚の手紙を枕元に置き、私は海の見える丘へと行きました。名前のない、自分はまだ知らない感情が、私の心の器を満たしていました。
次の瞬間、突然轟音が響きわたりました。十万億土の底の叫びのような音が聞こえて、決壊してしまったのか、突然ぺたんと座り込んで声を上げて泣いてしまいました。
再び病室に戻ると、次男が目を覚ましていました。母も医者もどこかに行ってしまったようでした。「ねえ、これ、いつ届いたの?」と尋ねてきたので「今朝だよ」と答えました。
「ちょっと読み上げてくれない?」一瞬迷いましたが、意に沿うことにしました。
―先ずは謝罪をさせてください。本当はあなたと別れたいだなんて微塵も思っておりませんでした。あなたには、余生を楽しんでほしかった。私のことなんかわすれて、思いきり生きてほしかった。だから自分の事を忘れて欲しいと綴ったのです。それがどれだけあなたの心に傷を残すかも考えないで。私は貴方を愛しております。今も、そしてこれからも。
そうです、これから毎日、院の門へ行って縦笛を吹いて差し上げましょう。私は大層上手です、軍艦マーチを。吹いてあげますというのもおこがましいしいですけれど、吹きに行きます。
待ち待ちてことし咲きけり桃の花しろと聞きつつ花は紅なり
わたくしたちは神の寵児です。全てはうまくいっています。
読み終えた後、次兄は涙を浮かべ言いました。「ありがとう。これ、お前がかいたんだろう?」
私はいますぐ手紙を千々に引き裂いて走り去ってしまいたいと思っておりました。顔も赤くなっていたことと思います。いてもたってもいられないというのはそういうことをいうのでしょう。
「俺、寂しくて、昨年から宛名を俺にして自分で書いた手紙をポストに投函してたんだよ。」
雷が落ちたような衝撃をうけました。次兄は続けていいます。「ばかにするんじゃないよ、俺は女と話したこともなかった、それはお前もおなじだろう?」否定はしませんでした。できませんでした。すこしばかりの後ろめたさを隠しながら話を聞いていました。
「こんなことになるんならもっと女の人と遊んでおけばよかったよ。たくさん夜遊びして、沢山愛を知っとけばよかった。」
次第に涙がでてきました。
私はもうしゃべらなくていいと言い、小さくなった体を抱いてやりました。
悲しいやら恥ずかしいやら辛いやら痛いやらが渦になって病室をやさしく包み込んでいました。
すると哀鳴が占拠した耳に、静かな縦笛の音が聞こえるのです。確かに上手な軍艦マーチが、聞こえてくるのです。それを耳にしてから二人の悲泣の声は大きくなりました。
神様はいる。きっと在る。そう信じていました。
次兄が死んだのはそれから三日後の事でした。医者や親は早すぎると嘆いてましたが、私の目に涙はありませんでした。
その記憶だけを持ったまま今こうして恵まれた時代と体で生まれて、幸せな記憶を持ってうれしい反面、だれにも伝えられないジレンマが、私の中にあるのです。だからあなたに聞いてほしいと頼んだのです。ありがとうございました。