殺してやる
2
薄暗い地下牢。罪人が入れられるであろう鉄格子の中に、魔王アーク・マーティンは入れられていた。
王の前で魔法を放とうとしたのだ。
牢に入れられて当然だろう。寧ろ、王に謀反を起こそうとしてなお、一切手出しされず、牢に閉じ込められるだけと言うのは、おそらく自分が勇者として召喚されたからだろう。
「なにが勇者だ……」
あれから何度も鉄格子に向かって魔法を放とうとした。だが、闇属性の魔法を放とうとする度、心臓が握りつぶされる様な感覚に陥り、痛みで魔法が放てない。
「くっ……」
「あらら、まだ無駄な抵抗しようとしてますか?」
「貴様は」
鉄格子の向こう側から声を掛けてきたのは、ローブの男、召喚師バルシュ・フェナード。
アークは鋭い目つきでバルシュのことを睨みつける。
「おっと、怖いなぁ〜そんな顔しないでくださいよ」
「貴様、何の為に俺様をこの世界に召喚した」
「そりゃ、決まってるじゃないですか」
ローブの男は人差し指をピンと立てて言う。
「貴方に魔王を倒して貰う為です」
「魔王……だと?」
「そう、魔王です」
魔王がこの世界にも存在する。自分以外の魔王が……アークは鉄格子を握り、ガンガンと何度も勢い良く揺らす。
だが、鉄格子はビクともしない。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!俺様以外の魔王がこの世界にいると言うのか!俺様以外の者が、魔物の頂点に君臨していると、そう言っているのか!!」
「そう、ここは貴方がいた世界とは別の世界ですからね〜貴方が魔王だった世界とは別の世界……異世界なんですよ」
「っ!?」
その言葉を聞き、アークの動きが止まった。
「ま、待て……貴様、今何と言った?」
バルシュは首を傾げた。
「俺様が魔王だと……知っていたのか?」
「当然じゃないですか、私が貴方を召喚したんですから」
「俺様が魔王だと知っていて……それでもなお、勇者として召喚したと言うのか?」
「はい」
アークは更に強い力で鉄格子を揺らした。激しい怒り。今にも血管が切れてしまいそうだ。
「何で……何で魔王を勇者召喚に選んだ!皮肉のつもりか!こんな屈辱は初めてだ!俺様を今すぐ元の世界へ還せ!!」
「それは出来ません」
キッパリと言い切った。あまりにもあっさり否定された事により、アークは言葉を失う。
バルシュは笑顔を崩さず、更に続けた。
「元の世界に帰るには、この世界の魔王を倒す他に方法はありません。だから、受け入れてください。貴方はもう、魔王ではありません。この世界を守る、勇者なんです」
「くっ……」
鉄格子を握る手から血が滲む。悔しい、悔しい、悔しい。かつて最強と謳われた魔王の面影などどこにも無い。あるのは惨めな人間の男の姿。これが、敗北した魔王の成れの果てとでも言うのだろうか。
アークはその場に膝をついた。
「そう落ち込まないでください。貴方は元の世界で命を落とした。考えようによっては、ボーナスチャレンジですよ?」
「なんだと?」
バルシュは楽しげに口角を上げる。まるでゲームのルールを説明するように、得意げに語り出した。
「貴方は本来、命を落として地獄にでも落とされる予定だったんです。でも、こうして生を持ってこの世界に転生して来た。貴方がもし本当にこの世界の魔王を倒すことが出来れば、貴方は見事、元の世界に帰ることが出来る。つまり、蘇る事が出来るんです」
「……」
「ね?悪い話じゃないと思いますが」
言っている事は理解出来る。もし、この世界の魔王を倒せさえすれば、生き返る事が出来るのだ。そうすれば、自分を倒した、あの忌々しい戦士達と、また戦う事が出来る。
そう考えれば、確かにボーナスチャレンジなのかもしれない。だが……
「だが、俺様は魔王だ。我らが最も憎むべき者が誰なのか……知らない訳ではないだろう……俺様がその憎むべき勇者として、人間を救う事など、プライドが許さん」
どうしても、受け入れることは出来なかった。魔王が勇者として戦う事など、ましてや人間を救うなど、前代未聞だ。そんなイレギュラー、あってはならない。
だがそんなアークの態度を見て、バルシュは小さく舌打ちをする。
「めんどくさ……」
「なに?」
「小せえプライドなんて、捨てちまえよ」
「!?」
バルシュの表情から初めて笑みが消える。
次の瞬間、鉄格子の隙間から手を伸ばし、アークの額にデコピンを食らわしてきた。
そのデコピンの威力は相当な物で、アークの体をいとも簡単に吹き飛ばす。
「ガハッ!!」
「今のお前さんは所詮レベル1の雑魚勇者だ……まだ今の内なら変えが効く」
「なん……だと?」
相当な魔力を醸し出すバルシュを前に、体が硬直して動けなくなっていた。
「本来選択肢なんてない勇者様に、特別に選択肢をあげます」
そう言うとバルシュは中指を立てた。
「一、ここで私に殺されて、地獄の底に落ちる」
そう言って二本目の指、人差し指を立てる。
「二、この世界の魔王を倒して、ついでに憎いなら、私の事も殺して、元の世界に蘇る……どっちか選んで下さい」
そう言うと、バルシュは口を横に割いて、またいつもの笑みを浮かべた。
今までの過酷な戦いの中で培ってきた経験則……いや、そんな物なくても分かる。今の自分の実力では、バルシュには勝てない。
「くっ……そぉ……」
アークは拳を握り、思いっきり地面に振り下ろした。全ての怒りや悔しさを振り払うように。
「くそぉ!」
血の滲む拳が小刻みに震える。そして、重い口をゆっくり開いた。
「この世界の魔王を殺したら……絶対に貴様の事も殺してやる」
怒りも、後悔も、プライドも、全てを押し殺して、アークはそう言った。
ふふふ、と不気味に笑うバルシュ。そして何やら紫色の宝石を投げてくる。
「……これは」
「持っておいて下さい。その宝石は特別な物で、闇属性の魔力値を隠すことが出来ます」
「魔力値を……隠す?なぜそんな事を?」
「貴方が魔王だとバレると、色々と厄介なんですよ」
「どう言う事だ?」
理解出来ていない表情を浮かべるアークに、バルシュは簡単に説明する。
「要するに、魔物は例えそれが勇者として召喚されたとしても、人類の敵なんですよ」
「さっきと言っている事が違う気がするが、気のせいか?」
「人間と言うのは、勝手な生き物なんですよ」
バルシュはヘラヘラと笑う。
「自分のステータスを見てください」
「ステータス……」
そう言えば見ていなかった。今のアークは勇者とは言えただの人間だ。
体力などが落ちている事は何となく体感で分かる。おそらくレベル自体も下がっているのだろう。
自分がいた世界と同じなら、ステータスと心の中で念じれば、自分のステータスや、他人のステータスを見ることが出来る。
(ステータス)
この世界でもそのルールは適応されるらしく、アークの目の前にステータスが現れた。
「これは……」
レベル1の冒険者のステータスは、200を越えれば高いと言われている。
アークもその例外ではなく、レベル1でほぼ全てのステータスが平均値の200付近。
光属性300という点以外はいたって普通のステータスと言えるだろう。だが、アークは納得いかない表情を浮かべていた。
「闇属性……0」
「普通の人間は、闇属性の魔力をそもそも持っていないんですよ」
闇属性の魔力というのは、人間ではなく、魔物や魔人のみが持つ特殊な魔力。
今や人間となったアークが闇属性の魔法を放とうとする度、魔力拒絶を起こすのもそれが原因だ。
「その宝石は魔力値を隠す物。一旦、宝石を手から離して、自分のステータスを再度確認してみてください」
言われた通り、宝石を地面に置く。すると、闇属性の値が変わった。
「これは……」
闇属性128950……数字の桁が跳ね上がった。
「闇属性の魔力量は元いた世界とほぼ同じ……皮肉だな」
どれだけ魔力量があったとしても、使えないのでは意味がない。いや、寧ろマイナス要素でしかない。
「そう、気付きましたね。闇属性の魔力量が魔王の頃の名残で高過ぎる。これでは、他人にステータスを覗かれただけで、魔人の類だとバレてしまう」
「その為の……宝石か」
「ご明察」
アークは宝石を見詰めながら疑問を投げかける。
「だが、さっき既に俺様のステータスは誰かに見られたんじゃないか?特に王は真っ先に見てそうな物だが」
バルシュは指を左右に振り、舐めないでくださいと言う。いちいちムカつく反応だ。
「私は貴方を魔王と分かっていて召喚したんですよ。当然、召喚した瞬間、貴方にステータス偽装の魔法をかけた。でも、所詮はその場凌ぎの魔法です。これからはその宝石を常に肌身離さず持っていてください」
「成る程……俺様が魔王だと、周りの人間にバレたらどうなる?」
バルシュは考えるそぶりも見せず、即答で答えた。
「バレた瞬間、指名手配されて、国を挙げて貴方への討伐命令が下されますね。後、当然ですが私にも貴方と同じ罰が下る」
ならば、魔王だと自分からバラして、ムカつく召喚師が殺されるのを見るのも悪くない。そんな事を頭の片隅で思うアークだったが、思うだけに留めた。
そんな事をしても、魔王を倒すと言う本来の目的から遠く離れてしまうだけだ。
今は何が何でもこの世界の魔王を倒さなければならない。
「さて、大分頭の整理も出来ましたかね?」
「納得のいかない事ばかりだが……今はお前の口車に乗せられてやる」
いつか、この召喚師諸共、葬る為に。
「そうですか。では、ご武運を……」
そう言うと、アークの前から姿を消すバルシュ。
アークは力が抜けたように体を壁に預ける。手渡された宝石を見詰めると、紫色にキラリと輝いた。魔王であるアークを勇者へと見せる宝石……
歯を食いしばり、次の瞬間、アークは目一杯叫んだ。
「クソヤロウガァァァァア!!」
喉が張り裂けそうな程の叫び。鉄格子を何度も何度も蹴り続ける。
「馬鹿にしやがって!絶対に殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!!俺様が貴様ら全員皆殺しにしてやる!!」
残されたスタミナの全てをその蹴りにかける。だが、鉄格子はガシャガシャと音を立てるだけで壊れる気配はない。やがて、右足を振り上げた体制から、スタミナ切れによりそのまま後ろに倒れ込むアーク。汚い天井を見つめながら、こう呟いた。
「俺様が魔王だ……見てろよ、偽魔王……俺がお前を殺す……そして」
頭上に浮かぶ三人の戦士達。今でも鮮明に覚えているその顔を睨み付けて、アークは言った。
「お前らを絶対に……」
『殺してやる』