我が名はアーク・マーティン
魔王、それは魔物達の頂点に立つ最強の存在。幾度となく強者達が魔王討伐に向け奮起するも、ことごとく敗れていった。敗戦の歴史は途切れることなく、中には魔王討伐を諦める人間までいた。
誰も魔王には勝てない。伝説の勇者など、所詮は伝説に過ぎない。
だがそれでも、我こそはと立ち上がる人間達を、時にはあざ笑いながら、時には退屈そうに、時には何の感情もなく葬り続けてきた。
ここまで白星を上げ続けてきたのだ。魔王自身、誰にも負けるはずがないとそう確信していただろう。
そう、魔王に勝てる人間など存在しない。存在してはいけないのだ。
「くっ……」
そう、思っていた。だがその時は何の前触れもなく、何の予告もなく、突如として訪れた。
ここは魔王城。薄暗く広々とした空間には、太い石の柱がズラリと立ち並ぶ。風は吹いておらず、その割りに少しだけ肌寒さを感じる。
魔王城と言うだけあり、空気はピリリと張り詰めており、並みの人間なら入るだけでプレッシャーに押し潰されてしまうだろう。
まさしく強者だけが立ち入ることを許された空間。
そんな魔王城の最深部に位置する部屋では、更なる緊迫感と、殺気と殺気のぶつかり合う混沌とした空気が流れていた。
激しい爆音、甲高い金属の衝突音、戦場に鳴り響く死の旋律……
「はぁぁぁあ!」
「ぐっ!」
今、最強と謳われた魔王に立ち向かっているのは、たった三人の戦士達である。
華奢にも見える女性の剣を、背丈が二倍以上もある大柄な魔王が受け止める。百戦錬磨の魔王だが、その表情には余裕がない。あろう事か、女騎士に魔王が圧されているのだ。女騎士、クレア・ヘーゲルが魔王の剣を弾き飛ばす。そして隙が出来た魔王の腹に渾身の蹴りを食らわせた。
「ぐあぁぁ!」
三メートル近くある魔王の体が吹っ飛び、柱に勢い良く激突する。硬い石の柱がまるでクッキーのようにぼろぼろと砕け散り、魔王は口内に鉄の味を味わいながら体勢を崩した。
すかさずクレアが切り掛かってくるのを視認すると、魔王はすぐに体勢を立て直し、手を前に突き出す。
「っ!?」
クレアは何かを察したように目を見開くと
、魔王から勢い良く距離を取った。
だが、少し距離を取った程度で避けられるかと言う様に、魔王は口を横に裂いて笑いながら魔法を放つ。
「ダークフレイム!」
黒い炎がクレアに襲い掛かる。普通の炎とは違う高密度なエネルギーの塊だ。この炎に何人の人間が焼かれてきたことか。まともに食らえば、容易くクレアもその一人にカウントされることであろう。
だがその地獄の業火がクレアを飲み込む事はなかった。
突如、地面が盛り上がり、クレアの前に大きな壁となってそびえ立つ。その壁が黒炎からクレアを守ったのだ。
「危機一髪だったな、クレア!」
大きなハンマーを肩に担ぐ中年の男、リアム・ガレットは笑って言った。
「ありがとうリアム」
礼には及ばんと言わんばかりに笑みを見せるリアム。ただ一言、
「来るぜ!」
そうリアムが言ったと同時に、大きくそびえ立つ硬い壁が真っ二つに割れ、その間から魔王が飛び出して来た。間合いを詰める魔王に挑むように、クレア、リアムも臨戦態勢に入る。魔王の手に握られた魔剣が振り下ろされた。それをリアムがハンマーで受け止める。
「ぐっ……なんて腕力してやがるんだ」
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
魔王の腕に力が込められ、リアムの足が地面にめり込む。その時、クレアが横から斬りかかった。
魔王は魔剣をサイドにスライドさせる形でリアムのハンマーを弾きつつ、クレアの斬撃を受け止める。
激しいつばぜり合い。
だが、魔王の攻撃から解放されたリアムのハンマーが更に魔王を狙う。魔王はクレアの剣を弾くと、その場から跳びのき距離を取ることでその攻撃を回避した。
「ダークフレイム!」
魔王の魔法がリアムとクレアに襲いかかる。
「ホーリースパーク!」
だが、その炎は白い稲妻によって打ち消された。
その稲妻を放った張本人は、戦場には似合わない幼い少女だった。
少女、フレンダ・コックスは手に握られた杖の先に、真っ赤な火の塊を作り出す。その赤い塊はどんどん大きくなっていった。
まるで太陽のようなそれは、魔王が苦手とする光をギラギラと放っている。魔王は本能的に身の危険を感じ、とっさに自分の体に黒い魔力を纏わせた。
「サンシャインブレイズ!」
フレンダの杖から太陽が放たれた。眩しい光が薄暗い部屋を明るく照らし、熱で石ですら溶ける。そんな熱の塊が魔王に直撃した。
「ぐぁぁぁぁぁぁあ!」
全てを燃やし尽くす真っ赤な炎の固まり。その魔法が放つ爆音は聴力を、光は視力を少しの間、無にしてしまう。クレア、リアム、フレンダは無の世界で感覚だけを研ぎ澄まして魔王の姿を探す。
ほんの五秒ほどで視力、聴力が元に戻ってきた。だが、目の前に広がるのは白い光とは真逆の黒い煙。魔王の姿は相変わらず見えない。
「ストーム!」
風の魔法で黒煙を飛ばすフレンダ。
上級魔法を受けたとはいえ、これであの魔王を倒せたとは思っていない。
当然だ。彼女達が相手にしているのは魔物達の頂点に立つ男。今まで倒してきた魔物達とは訳が違うのだ。
「いたっ!」
最初に魔王の姿を見つけたのはクレアだった。魔王は予想通りノーダメージとは言わないまでも、二本の足で立っていた。あれだけの攻撃を受けても、力強く立っていたのだ。
噂に違わない化け物。大抵の人間では相手にもならないだろう。だが、そんな魔王を追い詰める三人もまた相当な実力者だ。
赤い瞳が三人の戦士を捉える。禍々しいオーラを身に纏う魔王がゆっくり口を開いた。
「……中々やるな……」
魔王が声を発するだけで、心臓を握り潰されてしまうのではないかと言う程の緊張が走る。だが、そんな圧をものともせず、クレアは言った。
「私はお前を絶対に許さない。絶対に殺してやる……この手で必ず殺してやる」
魔王の赤い瞳がギロリとクレアを捉える。
「俺様を……殺すだと?」
クレアも負けじと殺意に満ちた目で魔王を睨んだ。殺意と殺意のぶつかり合い。呼吸することを忘れてしまう程の緊張感が空間を支配していた。
「貴様ら如きに、俺様が倒せる訳がない。図に乗るな!」
魔王の咆哮にも屈さず、三人は言った。
「私は負けない、約束したから!」
「俺も、負けるわけにはいかねぇ!」
「絶対に……勝つ!」
強い意志だ。魔王は心底腹立たしいと言わんばかりの表情で三人を見る。
「グロァァァァァァァア!」
力強い雄叫び。三人は怯まず武器を構えた。ビリビリと空気が揺れだす。
「我が名は魔王“アーク・マーティン”……最強の魔王だ……俺様が……この俺様が負ける訳がない!負けてはならんのだ!!死ね!人間共!!」
魔王は巨大な魔力を一点に集中させ巨大な黒いエネルギーの塊を作り出す。これで全てを終わらせるつもりだ。
あまりの魔力に魔王城が揺れている。柱は折れ、天井が崩れだし、地面に亀裂が入る。
このままでは魔王城自体が崩れかねない。だが魔王はそんなことお構いなしといったように、どんどん魔力をその一撃につぎ込む。目の前の敵を存在ごと消し飛ばすために。
「負けない……」
フレンダも負けじと魔力を集中させる。だが、魔王の魔力はただの人間が持つ魔力を全てつぎ込んだとしても、物理的に足りない。一人では絶対に勝つことが出来ないのだ。魔力の差を痛感するフレンダの表情は苦虫を噛み潰したようだった。
そんなフレンダの肩にクレアとリアムが手を置いた。
「フレンダ、私達の魔力も使って」
「俺達、全員で勝つぞ!」
「……うん!」
フレンダの中に魔力が流れ込む。魔王とは真逆の真っ白な魔力。それがどんどん大きくなっていく。魔力の総量では互角だ。どちらが最後まで立っていられるか。それを知るのは神だけだろう。
「くらえぇぇぇぇぇ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
お互いの全力と全力がぶつかり合う。そのエネルギーの塊は全てを飲み込んだ。そして一瞬の静寂の後、魔王城の半分を跡形もなく消し飛ばす。
外からの光を一切取り込むことの出来なかった魔王の部屋に、月の光が差し込み、その先にボロボロになって倒れる魔王がいた。意識はまだある。だが、指一本動かす事は出来なかった。気を抜けば今にも魂が抜け落ちてしまい、二度と目を覚ます事はないだろう。
「……っ」
(俺様はここで死ぬ……なぜだろう……こんなにも死にたくないと思うのは)
魔王はぼやける視界の中で自分に近づく影が一つあることに気が付く。消えかけの意識の先に、鋭い切っ先を見つけた。
「終わりよ」
クレアは剣先を魔王に向けてそう言い放つ。生きていた……間違いなく全身全霊の力を込めて放った一撃だった。にも関わらず、勝つことが出来なかった。
「なぜだ……俺様は……魔王……最強の……魔王だ」
初めて悔しいと言う感情が胸を満たした。力の入らない体を震わせる。悔しい、悔しい、悔しい……
「なぜ……貴様等は……ここまでの力を……」
クレアは魔王の質問に一言、こう答える。
「守りたいモノがあるから」
「守りたい……モノ……」
魔王にはその言葉の意味が理解できなかった。きっと、理解できないからこそ、魔王は負けたのだろう。
クレアは剣を振り上げた。これで本当に終わる。魔王は生まれて初めて涙を流した。自分でも初めての感覚で戸惑う。どうやって止めるか分からない。ただ溢れ出す感情を、そのまま垂れ流すことしか出来なかった。
「……くっ」
(死にたくないな……死とはこんなにも怖いものなのか……)
もう、声も出ない……魔王は薄れていく意識の中で、最後まで目の前の女騎士の顔を目に焼き付けていた。
自分を殺した相手の顔だ。忘れて溜まるものか。
(もし生まれ変わって、またこいつらに会ったなら、次は必ず殺してやる……殺す……殺す……殺してやる……絶対に、殺してやる)
心の中で何度も何度も反芻した。月の光を反射して光り輝く剣。魔王は目を閉じて覚悟を決めた。
「死ね、魔王!」
クレアは容赦なく魔王の頭上に剣を振り下ろした。
こうして、魔王アーク・マーティンは“死んだ”