第四回 一日千秋
第三回から少し間があきまして、秋の深まりを感じることも多くなりました。
最近では、室内にいても、窓際だとひんやり外の冷気が伝わってくるようなこともあったりして、あっという間に冬が近づいているような気がします。
季節の変わり目で、体調崩しやすい時期ですから、皆さまあたたかくして、お風邪などひかぬようお気をつけくださいね。
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さて、第四回は秋に関する言葉で面白いものを見つけたのでご紹介です。
「一日千秋」
というと、皆さま、ばっちり意味が思い浮かべられますでしょうか?
比較的有名な四字熟語なのかな、と思いますが、「一日が千年に思えるくらい待ち遠しい」という意味ですね。
なんともロマンチックですが、あまりにも大げさすぎて、実際に日常会話で使ったことがある! という人は少ないかもしれません。(苦笑)
先日、なんとなくこの言葉を目にしまして(秋の季語や秋のつく言葉をなんとなく調べていたら、この言葉が偶然にもヒットしたわけですが)
「そういえば、どうして千秋、なのだろうか?」
「一日が千年に思えるくらい待ち遠しい、なら、そのまま一日千年でも良かったのでは」
なんて思ったりしていました。(ロマンの欠片もないですね……)
そんな訳でちまちまと調べて面白かったので、せっかくなら、とことばこを更新した次第です。
長い前置き、失礼しました。
もともとは、中国最古の詩集、詩経からきた言葉なのだそうです。
この詩経にのっている王風の采葛という詩の一節に「三秋」という言葉が出てくるのですが、どうやらこれがもとで、「一日三秋」という言葉が生まれ、それが変化して、「一日千秋」となったようです。
さて、本題に戻りまして、なぜ秋が使われているのか? ですが……。
中国ではその昔、「秋を基準に一年を数えていたから」なんだそう。
秋以外の九か月を、三つの秋で表した、という文献もあったりするくらい、秋を重要視していたようです。
確かに「実りの秋」という言葉があるように、秋というのは生きるためにかかせない、食べ物の収穫時期であったりしますから、昔の人がそんな秋という季節に重きをおくのも納得です。
そんな訳で、色々な歴史を渡って、今の「一日千秋」という言葉が私たちに伝わってきている、というロマンあふれるお話でした。
詩経は、紀元前に作られたものだといいますから、意図せずして、中国の歴史をエッセイ一話で「千秋」以上遡ることとなりました。
ことばこ、本当に不定期更新ですみませんが、「一日千秋」の思いで、ぜひぜひ次回もお楽しみにいただけますと幸いです。
おあとがよろしいようで……?
それでは、また次回。




