第十二回 線香花火
珍しく、ちまちまと更新しております。
安井優のことばの宝箱。略して、ことばこ。本日も何卒よろしくお願いします!
気が付けば八月。本当にあっという間ですね。夏休みのご予定はもうばっちりと立てられましたでしょうか? もう始まっているよ、という方は有意義にお過ごしになられていますか?
今回は、せっかくの夏休み! 文字だけでも、花火を一緒に楽しみませんか? というエッセイです。
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第十二回は、線香花火についてのエッセイをお届けいたします。
日本人にとってはもうDNAに刻まれているんじゃないか、と思うくらいずいぶんと、夏の風物詩として定着している花火。
夏の夜、浴衣を着た女の子と……なんて妄想もはかどりますし、友達と手持ち花火をして、なんて思い出がよみがえったりもしますが、そんな中でも定番の花火の一つなんじゃないかな、と思います。
私の場合は、必ず最後に取っておいて、みんなで誰が一番長く持つか、と競争をしたりしたものでした。
さて、そんな線香花火ですが、漢字をよくよく見てみると、「線香」な「花火」であることが分かります。
こうして分解してみると、あれ? と思う方もいらっしゃるかもしれません。
どうして、「線香」なんて言葉がついているのでしょうか。
「線香」といえば、お仏壇でお馴染みですが、花火と何の関係があるのでしょう。
線香は煙が上にのぼっていくもの、対して花火は下向きに花開くもの。確かに、形や哀愁漂う部分は似ているのかもしれませんが……それでは、まだまだ説得力に欠けるような気も?
ということで、今回は「線香花火」について調べてみたので、文字からほんのりと線香花火の輝きや、夏の香りを楽しんでいただけたら幸いです!
線香花火の始まりは、なんと江戸時代にまでさかのぼります。
生まれは上方。大阪や京都の公家(お貴族様ですね)を中心に、広まったものなんだとか。
当時は、竹ひごや藁の先端に火薬がむき出しのままつけられていたものでした。それを、香炉の中に立てて、火をつけてパチパチと火薬がはじける様子を楽しんでいたようです。
その様がまさに、線香のように見えたことから、「線香花火」と名付けられました。
さて、では、どうして現在のような、手持ち花火の形になったのでしょう。
手持ち形式になったのも、江戸時代。この「線香花火」が上方から江戸の方へと広まった際、江戸では藁が入手しにくかったそうです。
そのため、和紙のこよりの先端に、火薬を包み込む(長手というそうです)という製造方法へと切り替わったようで、それが現代まで引き継がれている、と考えると納得ですね。
形が変わっても、お名前だけが残っている、というのが「線香」花火の正体でした。
もちろん、今でも「線香花火」の語源、上方(スボ手と呼ばれる線香花火)の物もあるようです。
とはいえ、私も関西出身ですが、正直見かけたことはなく……。
香炉に立てて、小さな花がパチパチと爆ぜる様は、手持ちとは違った美しさがあるだろう、と想像に易いです。いつか見てみたいものです。
実は、エッセイにしていこうと調べたところ、最近は、国産の線香花火もかなり数を減らしているとかで……まさに線香花火のように儚い現実を知ることも出来ました。いつか、国産の線香花火も遊んでみたいな、と思うばかり。
どうやら安いものほど火が落ちやすく、良い物だと線香花火も長く持つんだそうで、そのあたりも踏まえて、高級花火を買って、楽しんでみたいところです。
蕾から牡丹、松葉に散り菊というのが線香花火の移ろいとして有名ですが、まさに人の一生と同じに見立てられていて素晴らしい夏の風物詩。
ぜひぜひ皆様も、今年の夏は、花火、楽しんでみてください。
「線香花火」のように、美しく輝く夏の思い出を、皆様が作れますように!
おあとがよろしいようで……?
それでは、また次回。