第十回 縫殿寮
本当に不思議な言葉で始まりました。(笑)
安井優のことばの宝箱。略して、ことばこ。
本日も何卒よろしくお願いします!
あっという間に(?)十回を迎えましたが、まだまだ世界は、知らない言葉、素敵な言葉だらけであふれているな、と思う日々です。
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さて、第十回は「縫殿寮」について。
縫殿寮って言葉を、皆さまはご存じでしょうか?
私は、まったく知りませんでした! 人生の中で使わない言葉、耳にしない言葉でもかなり上位に食い込むと思います。
おそらく、小説を書いたりしていなければ、出会わずに死んでいったかも、というくらいレアな言葉じゃないだろうか、と思い、今回はこうしてご紹介させていただいた次第です。
この間、ふと「糸とかお洋服を作る人のお話とか書いてみたいな」なんて思っていて(実際にはアイデアメモに書いただけで、今のところまったく予定はないのですが……)色々と調べていた結果、たどり着いた言葉がこちら!
「縫殿寮!」
(いいから早く何なのか説明しなさい、という感じですね)
縫殿寮は、飛鳥時代から始まった「律令制」という制度(有名なのは冠位十二階でしょうか)のもとで、中務省と呼ばれる、天皇の補佐をしたり、天皇の命令を文書として公布したりといった重要な管轄の中のお仕事や機関の一つです。
主に、宮中用の衣服製造を監督したり、後宮女官の人事をしたりしていたそうですよ。
皇室の家政機関(組織における行政全般)を担っていた、大変重要な部署ですね。
縫殿寮、というからには、お洋服が何か関係しているのでは、と思われるかもしれませんが、実際にお洋服を作ったりするようになるのは、平安時代以降だと言われています。
天皇や、いってしまえば、当時の「偉い」人のお洋服を作っていたそうです。後は、お洋服に使う「組紐」や「薬玉」(当時は魔除け的な意味合いも含めて身に着けていたのかも?)なんかも、ここで制作していたそうです。
その後は、そういった衣服製造も、時代と共に他の部署に移されていくようになり、だんだん消えていった、という感じみたいですね。
個人的には、今の時代では少し考えられませんが……そういう、お洋服を作る部署が政府の機関として存在している、というのは面白いな、と思うので、なくなってしまったのはちょっと残念。
ちなみに、平安時代以降は「糸所」と呼ばれる、糸をつむぐための機関が別に創設され、多くの女官の方々がこちらで糸をつむいでいたそうです。
お名前がなんとなく素敵だな、と思って、個人的にはこの「糸所」というお名前を気に入っております。
わざわざこうして政府のお仕事として、偉い人の衣服製造の監督役をつくったり、人事をやらせたり、ということなので、いかに当時のお洋服というものが大きな役割を担っていたかが分かります。
今でも、制服なんかはその人の職業(学生だったり、警察官だったり)を端的に表してくれるアイコン的なものなので、そう考えると、昔からの風習が残っているのかな、という気もしますね。
中華風の後宮のお話や、江戸時代などの歴史小説はよく見かけますが……これくらいの時代のお話はあまり見たことがなく、そういう意味では、いつかそういったお話を書くことが出来れば楽しいかもな、なんて思ったりもするのでした。
歴史の「糸」を紐解きつつ、それらを組み合わせて新しい「布」を織るように、小さなアイデアや言葉のかけらから素敵なお話を作っていければいいな、と思います。
おあとがよろしいようで……?
それでは、また次回。