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のんびり再開します
ふた月は牛歩のうちに過ぎる。
私は銀で縁取られた姿見の前に立ち、そこへ映る人物を眺めた。真っ直ぐと腰まで伸びる髪は艶を取り戻し、朝の日差しに眩い光沢を返している。血色はいまだ乏しいものの、メイド達の技術によって貴婦人らしい白さと取り繕うことができた。腰は折れそうなほど細く、胸ばかりが豊満を主張している。手足が枯れ枝のようになってもなお、ここだけ萎れなかったのは不思議だ。しかしドレスが映えるのだからと気にしないことにする。
周囲のメイド達より頭ひとつ高い体は真紅の布を纏っている。薔薇の花弁そのもののような深い赤だ。大きく開いた襟ぐりには朝露のような光が瞬いている。それ以外の装飾品はない。水鳥のように細く長い首と、そこから深い陰影を落とす谷間。そして一部の隙もなく張りつくことであらわになる肉の曲線がこの上なく強調されるよう計算され尽くした仕立てだった。自身の肩より低い場所からほうとため息がもれる。
「素敵ですわ、奥様。まるで薔薇園の女王のようです」
メイドの一人が言う。私のすぐ隣に立つ少女は鏡に映る姿へうっとりと見入っていた。しかしすぐさま年嵩のメイドに嗜められ上気した顔を青くする。彼女は小柄な身を折り曲げ深く頭を下げた。
「もっ申し訳ございません奥様…!あまりにお美しかったもので、つい…」
「どうか非礼をお許しくださいませ、奥様。経験の浅い者に任せた私の責任でございます」
背後に控えていたメイドが進み出る。先ほど叱責をした年嵩の者だ。
私はため息をつき、横へ首を振った。
「謝る必要はないわ。それよりも早く支度を済ませて頂戴。公爵邸まではゆうに半日かかるのだから、旦那様をお待たせしてはいけないわ」
小柄なメイドだけでなく、取り囲むお仕着せの皆々が「はい奥様」と返す。それから今までにない速さで支度を整え始めた。先のため息を不機嫌と受け取ったのかもしれない。実際のところそうではないのだが、訂正するのも時間の無駄かと考えそのままにした。運ばれてきた椅子に腰掛け、複雑に結い上げられていく銀髪を眺める。せめて見られる容姿になってよかったと、再び安堵のため息がこぼれそうになった。寸ででそれを飲み込み背筋を伸ばす。それから今に至るまでの辛い日々を顧みることにする。はじめのひと月はいかにも病人じみた体に肉をつけることにのみ費やされた。そのためには無理にでも食事を摂らねばならず、しかし飲み込むそばから吐き気をもよおしてしまう。食べては戻すことを繰り返すあまり喉が爛れ、大袈裟な例えではなく血を吐いた記憶は苦々しく新しい。先ほどのように滑らかな声が出るようになったのもごく最近のことだ。
この顔体、そして声ですら自分の所有物ではない。全ては責任を取るためオルランド様に使っていただく道具なのだから、致命的な不具など許される訳がなかった。その点でオルランド様が用意してくださった衣装は最良の選択と言える。鮮やかすぎる色彩は怜悧と表現される人間味のなさを克明にし、まるで等身大の人形であるかのような印象を与えた。それでいてあるところは大胆に肌を見せ、他は布に包みながら凹凸を主張させる仕立て。これらは様々な感情を沸き起こさせるのにどれほど役立つだろう。
「オルランド様はご満足してくださるかしら」
無意識にこのような呟きがもれた。するとすぐさま背後から声をかけられる。
「もちろんですわ。奥様ほどのお美しさを前に感嘆しない殿方などいらっしゃいません」
まとめ役である年嵩のメイドは言う。髪を結い上げていた彼女は仕上げに飾りを挿し入れ全体を眺める。表情に乏しいながら、目元には満足げな様子が表れていた。