徒花の償い
切ない話初挑戦です。
書ききれるよう頑張ります。
慈悲深く、憐れみ深いひと。
私は貴方へ償いたい。
貴方が愛するのは清らかさが香る花のような方。
ひきかえ私は毒々しい花弁を持つ徒花だ。
徒花は衰え腐る。
そしてぼとり。地へと落ちた。
目を開ける。
視界は霞がかったように不明瞭だ。薄暗いかと思えばぼんやりと明るくも感じる。私は横たわっていた体をゆっくりと起こした。シーツの上に投げ出す自らの手足が死体のように重い。無理に押し上げた目蓋も同様だ。視界の内に垂れ下がる髪が鬱陶しいが、掻き分けることもせず周囲を見渡す。
私は広々としたベッドの中央に居た。天蓋があり、四方は薄絹によって覆われている。曖昧な明暗はそのためだった。隙間から微かに射し込む光は朝のものか昼のものか。私は絹の覆いを分けることで確認しようとする。
のろのろと伸ばす手は骨と皮ばかりでみすぼらしい。小枝のような指が絹へ届くより早くそれは左右に開かれた。光の向こうより現れた手に手首を掴まれ、私は悲鳴をあげる。しかし乾燥により張りつく喉からは微かな声が漏れ出るばかりだった。私をとらえた手は大きかった。長い指は手首を一回りして余りある。厚い手のひらは逞しく、血脈の浮く手の甲は石膏のように白い。
「アザレア」
自らの名を呼ばれ、私は肩を跳ね上げる。それからようやく顔を上げた。
手と声の持ち主は美しい男性だった。年の頃は四十になるかならないか。鋭い頬の線と男らしくも細い顎を持つ輪郭。その内に涼やかな目、高く通る鼻筋、薄い唇が姿よくおさまっている。凛々しい眉は中央に寄り、不快さをありありと表していた。
私は呆然と光を背に立つ美しい姿を見上げた。
目の前にある姿が見知った人物のものであることは認識している。ただ理解が出来なかった。この方は、ベルドウィン伯オルランド様は、かつて私の伴侶だった方だ。しかし私は妻である権利をとうに失っている。お姿を間近に見ることなど出来るはずもない身分だ。それが何故、お言葉をかけて頂ける状況にあるのか。動きの鈍い頭は喜びよりも混乱と恐れに占められた。
硬直した私をアイスブルーの瞳が映す。長い睫毛に縁取られる宝石のようなそれは次いで鋭くすがめられた。
「ロゼリアが学園で問題を起こしたことは聞いたか?」
オルランド様はたずねた。声には険しい響きがある。
私は老婆のようにしゃがれた声で「いえ、」と答えた。
ロゼリアは私とオルランド様との間にもうけた一人娘だ。今年で十五になり、王立の学園へと通っている。私生子である娘が国随一の名門へ通い続けられるのはオルランド様の慈悲あってのことだ。学園は寮制であり、私の目は一時的にロゼリアから離れている。しかし何かあれば従者からの報告があるはずだった。
「なぜ…」と乾いた唇から言葉が漏れる。それを聞き取ったオルランド様は呆れきったように深いため息を吐いた。肌着を纏った肩が再び跳ねる。
「報告が行き届いていなかったようだな。その分では問題の相手が誰かもわかっていないだろう。ロゼリアが手を出した相手はニコラ嬢…マリアの娘だ」
マリア。…マリア?
よく聞きなじんた名が頭の中で反響する。マリア、マリア。目の前の方がまだ主人であった頃、繰り返しその声で聞いた名だ。慎ましく控え目な美しさを持つかつての第二夫人。目を惹く美貌もない癖にと躍起になって蹴落とそうとした相手。最愛の方の真の想い人。
しかしマリアは家を出てしまった。私が離縁を言い渡されたのと同時に自身の意思で伯爵家と縁を切ったのだ。農村の出である彼女は故郷の村へ戻り家庭を築いたはず。それなのにどうしてその名が…娘とは何?
「私も知らなかったんだ。まさかマリアの娘が学園に通っているとは」
混乱のただ中にある私に配慮してか、オルランド様は話を続ける。長い指が艶のある黒髪をかき上げた。
「想いを寄せる男子生徒とニコラ嬢が親しくしていたことで腹を立てたらしい。呼び出した上糾弾をしている所を生徒会に咎められたと。…学園内では窃盗や暴行未遂の首謀者と噂されているようだ。生徒会は処分も辞さないと息巻いていると報告が入った」
恐ろしい言葉の数々が襲い来る。娘へ待ち受ける未来に目の前が赤く染まった。ままならないはずの体がほとんど衝動的に動く。私は転げ落ちるようにベッドを降り、床へひれ伏した。遥か高い場所から戸惑いの声があがる。しかし構うゆとりはなかった。
「もう、しわけ…申し訳ありません…!」
床に頭を擦り付けながら叫ぶ。長いこと水分を取っていないため、声は血が滲むような痛みをともなった。私はもつれそうになる舌を動かしながら、再びひび割れた唇を開く。
「娘の不手際は、親である私の責任です。私がわるいのですからあの子は…あの子をお助けください…!」
娘は、ロゼリアは気の強い娘だ。嫉妬深い所も私に似てしまった。しかし同時に、オルランド様の真っ直ぐな心根を受け継いでもいる。そんなロゼリアが窃盗や暴行の首謀者になるはずがない。
我が子が疑いをかけられるのは私の責任に違いなかった。
嫉妬に狂い、真に愛される第二夫人を追い出した第一夫人。棄てられた末路として心身を病み、唯一の取り柄といえる容姿まで失った憐れな女。それが私が得た世論からの評価であり、まごうことなき事実だ。狂女の娘として後ろ指をさされながら決して私を責めない優しい子。そんな我が子まで引きずり落としてしまうのかと思うと耐えられなかった。
「私が責を受けます。どのようなことでもいたしますからどうか、どうかお願いします…」
どうか…と繰り返す声が涙で滲む。私はうずくまるようにして頭を下げ続けた。しかし両肩へかけられた手により私の上体は引き上げられる。
「落ち着けアザレア」
オルランド様は私と目を合わせて言った。あろうことか床に膝をつき、私の体を様支えてくださっている。彼は恐慌状態におちいった私を落ち着かせるようゆっくりとした口調で話し出した。
「ロゼリアのことは安心していい。私が上手く手配しよう。生徒会が暴走ぎみだという情報も聞き及んでいるから、他からの協力も得られるはずだ」
ここまで話したオルランド様は「ただ…」と良いよどむ。
「学園を建て直すための協力には多方面へ出向く必要がある。そこには君も居てもらわなければならない」
「私が…?責を受けるためでしょうか」
確認の意味で訊ねるが、オルランド様は「いや、違う」と首を振ってみせた。
「ロゼリアの母、そして私の妻としてだ。アザレア」
「な、にを…なにをおっしゃっているのですか?ベルドウィン伯様。私はとうに離縁されているはずです」
「離縁は成立していない。君はベルドウィン家当代の第一夫人のままだ。周囲には心労により療養していると伝えてある。だから私と共に事の収集へあたってくれ、アザレア」
全てを聞いてから数秒ののち、錆び付いた思考がようやく動き出す。
オルランド様は粗悪品である女に"飾り"としての立場を残してくださっていたのだ。ならば私は飾りの妻の役目を果たさなければならない。それが窮地におちいったロゼリアを救うためになるのだから。
ああそうか、と私は思い至った。
学園を建て直すことは彼が愛する人の娘を守ることにも繋がる。
ならばなおのことだ。
私は求められる役を演じきる。今度こそ用済みになるまでの間、私は想い合う同士を引き裂いた償いができるのだ。
「ありがとう…ございます」
私はオルランド様を見つめ、心からの感謝を口にした。